彼が隠した憂愁な秘密

茉白いと

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第8章 悲憤慷慨

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「ねこっちまんのカフェ行こうよ」
 翌日、逢坂くんに記録ノートを渡しに行こうとしたら、櫻井さんに声をかけられた。
「え、ねこっちまんって、前に行った?」
 こうして改まって声をかけられることが珍しくて、思わず声が上ずってしまった。
 そんなわたしに気にすることなく「そう」と櫻井さんは答える。
「新作のパフェが出たらしいから付き合ってよ」
 櫻井さんもまた、逢坂くんと同じように周囲との関係を断ち切っていた。
 放課後も一人でスタスタ帰ってしまうのに、今日はどうしたのだろう。
「予定あるならいいけど」
「あ、ううん、行きたい」
 すかさずオッケーをしてしまったぐらいには、うれしかった。
 初めて放課後を一緒に過ごしたときのような悪意が、櫻井さんからは感じられなかったから。
 うれしく、浮かれてしまった。
 逢坂くんに記録ノートを渡しそびれたと気付いたのは、すでにカフェに着いてからのことだった。
「あ」
「なに」
「……いや、なんでもない」
 鞄の中にしまってある記録ノートが途端に気になり始める。
 毎日渡していたから、なんだか手元にあるとそわそわしてしまう。
 明日は朝いちばんに逢坂くんに謝りに行こう。
 きっとかなり怒られるんだろうけど、でもきっとなんだかんだ許してくれるはずだ。
「あの漫画、続きないの?」
 櫻井さんに訊ねられたのは、新作の抹茶パフェに手をつけようとしたタイミングだった。
「え?」
「だから、……描いてたやつ」
 言いにくそうに、歯切れの悪い櫻井さんに首を傾げる。
 いつのだやつだろうか。
 思案してみて、それからふと、黒板に貼られた漫画の一部を思い出す。あれは暇つぶしの落書き程度だったもので、とても企画会議に出せるようなネームではなかった。
「もしかして、櫻井さんがコピーした話?」
「っ、そう……あのときはごめん」
「ううん、掘り返したいわけじゃなくて、なんだか意外で」
「なんでよ」
「漫画、櫻井さん興味あるの?」
 前に来たときはずっとスマホを手放さなかったのに、今日は写真を一枚撮ることすらしない。
 わたしを庇ってくれたときから、櫻井さんも変わった。
「読むよ。少女漫画好きだし」
「そうなんだ!」
「だから、あれも普通に面白かった」
 今になってそんなことを言われるなんて思わなかった。
 面白かったと、櫻井さんが言ってくれる日がくるなんて。
「ただの落書き程度だったから、あれの続きはないんだけど──」
 そこまで口にして、あれ、と疑問が浮かんだ。
「そういえば、どうしてあの漫画のコピー持ってたの?」
 どこかのタイミングで見たのかもしれない。でも、これまで深く考えることはなかった。
 櫻井さんは、また気まずそうな顔をして上目遣いでわたしを見た。
「……授業中とか、たまに描いてたでしょ。隣だったから、たまに見えてて……それで、休み時間に、その取ったっていうか」
 あのノートを櫻井さんが意図的に取っていたということは知らなかった。
 ただ、コピーの謎は解ける。そのタイミングだったのだろう。
「見せてって普通に言えばよかったんだろうけど、なんか少女漫画好きってちょっと馬鹿にされる風潮とか周りであったから。だから」
 だから、こっそり見ようとした。でもないと気付かれるのはまずいからコピーした。
 そこまでするだろうか。
 そもそもクラスメイトが描いてる落書きをコピーしてまで読もうと思うのか。
 わたしの疑念が届いたのか、櫻井さんは言う。
「……あとは、ちょっとした妬み」
「え」
「逢坂くんと数学係だったでしょ。同じ係だからって話す機会多くて、なんかずるいなって。わたし、逢坂くんには嫌われてたから」
「嫌われてた?」
「普通に話はしてくれるけど、一線引かれてるっていうか。まあ、わたしの本性見抜いてたんだろうね。それが気に食わなかったのもあるし、人の弱みを握ってたかったから」
 ズバリとした口調だった。
 躊躇いもない櫻井さんの本人に拍子抜けした。
「なんとなく、描いてるキャラが逢坂くんに似てるなって思ってたの。逢坂くん好きなのかなって思ってて。だから、弱みになると思って」
「……どうして」
「人の弱みばっか握らないと安心できないから」
 それは自嘲するような笑い方で、とても痛々しいものだった。
「でも逢坂くんから聞いてるんでしょ?」
「え?」
「わたしが、まあ盗んだっていうか、そういう話」
 どうして逢坂くんの名前があがったのか分からなかった。
 声が掠れて、知らないよ、と必死に伝える。
「逢坂くんからは……何も聞いてないよ? そんな話になったことも一度も──」
『誰が、どんな方法で広めたか、お前は知りたいか』
 あのとき、逢坂くんは全部を分かっているような口ぶりだった。
 受け止められないからと言って、聞くことを拒んだけれど、そこには逢坂くんも関わっていた事実がある。
「……教えてくれないかな? なんで逢坂くんが出てきたのか」
 櫻井さんの今日の目的は、新作のパフェではなかったということを、このときになって気付いた。
 過去のことを、そのままにしておけなかったのだろう。もうすぐ卒業だというのに、卒業後に持ち越してしまうのはできなかった。
 それは良心的なのか、はたまた罪悪感からくるものなのか。
「見られたの」
 ぼそぼそ、と櫻井さんが言った。
「わたしがノートを返そうとしたのを、たまたま逢坂くんに見られて」
『──これって、俺なのかな』
『このノートに頻繫に出てくる男、なんか俺に似てる気がして』
『ってかごめん。これ、今見たんじゃなくて、ちょっと前に見たんだよね』
『前にこのノート落としたでしょ。教室に落ちてたんだよ。名前がなかったからめくったら、俺みたいなのがいて』
『名乗り出るかなと思ったんだけど、誰か分からないし。それで先生に聞いたんだ。ノートの落し物がないか聞いてきた生徒はいないかって』
『そしたら南雲さんの名前があがって。こっそり鞄に戻しておいたんだ』
 逢坂くんの言葉が勢いよく蘇った。
 ──うそだったんだ。
 あれは自分のせいにするためのうそだった。
 櫻井さんを庇ってついた、わたしへのうそ。
「見なかったことにするって言われた。なんか見下されたような気がして、思わず言っちゃったの。このノート、逢坂くんが描かれてるよって。勝手にモデルにされてるよって」
 気持ち悪いでしょ、と続いたのだろうか。
 二人のやり取りがまざまざと予想できてしまって、表情さえ見えてしまう気がした。
「でも、逢坂くんが言ったの」
『人のもの勝手に盗んで、なかったことにしてるほうがよっぽど──』
 櫻井さんはそこで言葉を詰まらせた。
 やはり「気持ち悪い」と、続いていたのだとわかった。
「悪用するなら、今見たことバラすって言われた。だから、そんなことはしないって言ったけど……」
 でも、櫻井さんは悪用した。
 わたしの漫画の一部を悪意ある形で晒した。
 そのことに逢坂くんが気付かなかったはずはない。
「逢坂くん、わたしにすごい怒ってた。ありえないって。でも、それ以上何もなかった」
 バラさなかった。逢坂くんは、櫻井さんがやったということを誰にも言わなかった。
「逢坂くんと親しくなっていく南雲さんが見てられなかったの」
「……好きだったから?」
そう訊ねたわたしに、櫻井さんは否定の意を込めた。
「ちがう。特別扱いされないことが腹立った。だから、そうした。でも、間違ってたんだなって気付いて……」
「だから、わたしが水をかけられたとき、庇ってくれたの?」
 そう、とも、うん、とも言わなかった。
 無言が、櫻井さんとっての肯定だったように思う。
「ごめん。あんなことしたことも、盗んだことも」
 それを謝るために、わたしを今日ここに呼んだ。
 がやがやと賑やかな店内で、櫻井さんは申し訳なさそうにしていた。
「……いいよ」
 言わなければ、そんなの分からなかったことなのに。
 櫻井さんは言った。
 なかったことにしなかった。
「逢坂くんが遊び人じゃないって分かったから」
「……っ」
 いつの日か、櫻井さんが言っていたことを思い出す。
 やっぱ、逢坂くんはそんな人じゃない。
 冷たくて、でも誰かのために怒ってくれるような人。
 遊び人の定義を知らないけど、それはどこか差別用語的な意味が含まれているのだとしたら、わたしはそう思わない。
 目に見えての優しさではない。ただ、温かい。
 パフェはどろどろに溶けていて、あまり美味しくないね、と二人で言い合って食べた。
 その時間が何よりも、放課後らしいひと時に思っていたとき、藤田さんから連絡があった。
『れんさいとれることになったよ』
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