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第8章 悲憤慷慨
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逢坂くんが学校を休むようになって二週間が経った。
先生は風邪の一点張りで、クラスメイトたちも不穏な空気を察知しながら、しかしそれも薄れてきているように思えた。
逢坂くんがいないことが、日常になりつつある。
そんなはずはないのに。逢坂くんがいたことが日常だったのに。
放課後、誰もいなくなった教室で抜け殻のように椅子から離れられなかった。
「帰んないの?」
その声に弾けたように顔を上げる。
ちがうと分かっていても、それでも一瞬期待してしまった。
逢坂くんが来てくれたんじゃないのか、と。
「……冴島透」
「またフルネームだし」
夕日の光に照らされて、彼の毛先が煌めいて見える。
冴島透は躊躇うことなくつかつかと教室に足を踏み入れては、わたしの前の席に腰を下ろす。残っているのはわたしと冴島透ぐらいだった。周囲の目はない。
「で、なんで抜け殻になってんの」
「あ、いや……」
なんで、と問われると困ってしまう。
今どうしようもなく誰かに助けてもらいたかった気分なのに、いざこうして手を差し伸べられると素直に受け取れない自分がいる。
とても厄介で、面倒くさい。
そんなの自分が一番良く分かっている。そんなわたしを冴島透は嫌がるわけでもなく、普段通り無機質な顔でこちらを見つめている。
彼のこの顔が昔は苦手だった。
口を開けば暴言ばかりで、わたしを煙たがっていたものだから、彼以上に嫌われることなんてないとどこかで自信に繋がっていた。
「……ちょっと、ショッキングなことがあって」
「あいつか」
「あいつって……」
どうせ逢坂駿河だろと、顔を顰めて言われて、ぎこちなくうなずいた。
「もしかしたら、ちょっと大きな……知っちゃいけないような秘密を知っちゃって」
「なんだよ、その秘密って」
「それは……言えないけど」
逢坂くんは誰にも言っていない。
さすがに先生は知っているのかもしれないけれど、風邪だと貫いているところを見る限り、知っていても言わない約束をしているのだろう。
「……でも、その秘密って本当なのか分からなくて。思い違いの可能性があるけど、本人に確かめる術がないっていうか」
「ずっと休んでるらしいけどマジなんだ」
一年生の間でも逢坂くんは噂になっていたらしい。
「連絡先も知らないから、ずっと学校に来るの待ってるんだけど──」
その先は、言えなかった。
言葉にしてしまうと本当になってしまう気がして、ぐっと飲み込んだ。
「このまま会えないかもしれない?」
けれど、冴島透は見抜き、そして簡単に言いのけてしまった。
不安が膨張され、否定も肯定もできない。ただ認めることだけはしたくなかった。
「で、あんたはどうしたらいいのか分からなくなってるわけだ」
藤田さんに指摘されてから、生きた心地がしなかった。
ずっと暗闇を這っているみたいで、寝てもリセットされることのない苦しみが永遠につきまとっているような感覚。
逃げたいのに逃げられない。
現実も変えられない。
本当のことを知りたいようで知りたくない。
ただ分かっているのは、逢坂くんが学校に来ないということ。
それが堪らなく苦しい。
鞄にはずっと、逢坂くんに渡していた記録ノートがしまってある。
いつでも渡せるように、そしていつでもまた記録がつけられるように、準備だけはしているのに、鞄から出されることはない。そのことがまた、現実を突きつけてくるみたいで、逢坂くんが記憶喪失だということを認めるしかないみたいで、拒絶したい。
「何があったかは知らないけど、無理に何かしようとか考えなくていいんじゃないの?」
冴島透がそう静かに語った。
他の音なんてないけれど、彼の声だけがやけにクリアに聞こえ心臓の奥深くを痛みなく貫いていく。
「その秘密って、あんたには知られたくなかったんだろ、逢坂駿河って」
「……たぶん」
「不可抗力で秘密を知ったとしたところで、あんたにどうこうできる余地ってあんの?」
何もない。わたしにできることなんて何一つとしてないことをネットから教わった。
「だったら、待ってるしかないじゃん。逢坂駿河が来るの」
「……来ないかもしれないよ?」
「そういう人なの? 逢坂駿河って」
はっとした。
不安ばかりに囚われて、散りばめられている希望が見えていなかった。
「来なくても待ってるしかないし、秘密を知ったんだとしたら信じるしかないと思うよ」
「信じる?」
「どんな結果になっても逢坂駿河って人間を受け止める覚悟みたいなもの」
わたしはきっと、逢坂くんのことを何も知らなかった。
それなのに、逢坂くんはずっとわたしを支えてくれていた。
わたしが求めるべきものは、漫画のための友達でも彼氏でもなく、ただ嬉しいことも悲しいことも共有できる、かけがえのない存在だった。
そして、その相手は逢坂くんだったのに。
そのことに、どうして逢坂くんと会えなくなってから気付くのだろう。
「そもそも、その人はあんたに何かしてほしいなんて思ってないと思うけど」
「……っ」
「あんたがあんたのままでいてくれる事をもしかしたら願ってるかもしれないし」
そんな発想は全くなかった。
自分の存在が重荷になっているような気がして、取返しのつかないようなことをしてしまっていて、何とかしなければと見えない恐怖に怯えていた。
それが、冴島透の言葉で驚くほど綺麗に溶けてしまったのだ
「……そ、なこと、思ってくれているのかな」
「さあ、知らない」
それはそうかと納得。
冴島透に聞いたところで逢坂くんじゃないのだから分かるはずがない。
でも、と彼は続ける。
「もし俺なら、あんたにはそのままでいてほしいと思うけど」
あのまま一人で放心状態だったなら、わたしはどうしていたのだろうか。
負のループに飲み込まれていたのかもしれない。
「これで帰れる?」
「あ、うん」
「抜け殻じゃない?」
「今なら羽ばたけそう」
「そっか」
逢坂くんとちゃんと向き合えるような気がするし、無理に笑わなくても大丈夫な気もする。
「笑ってないで鞄持ったら?」
「あ、一緒に帰るのか」
「わざわざ言わなくていいから」
呆れたように息を溢した彼だったけれど、そこにはどこか親しみが込められているように見えて頬が緩む。
あれだけ苦しかった心が、少しだけ軽くなった。
わたしが出来ることはわたしのままでいること。
変わってほしいなどと、逢坂くんはきっと思っていない。
わたしと一緒にいてくれている理由があるとするなら、今のわたしのままでいることに意味があるはず。
ならば、わたしは逢坂くんを待ち続けよう。
どんな形であれ、わたしは逢坂くんを受け止めたい。
冴島透とこうして肩を並べて帰ることがあるなんて、昔の自分に教えてあげたい。教えてあげたところで信じてもらえないかもしれないけど。
隣に立つ彼の髪を見て思う。そっか、こんな髪だったんだ、と。
それだけわたしは冴島透のこともちゃんと見ていなかった。
嫌われている、避けられていると思っていたけれど、もしかしたら無意識にわたしの方が避けてしまっていたのかもしれない。
「ありがとう」
「だから別に何もしてないって」
うんざりとした顔を顰めたが、本気で嫌がっているわけでもなさそうで安心した。
先生は風邪の一点張りで、クラスメイトたちも不穏な空気を察知しながら、しかしそれも薄れてきているように思えた。
逢坂くんがいないことが、日常になりつつある。
そんなはずはないのに。逢坂くんがいたことが日常だったのに。
放課後、誰もいなくなった教室で抜け殻のように椅子から離れられなかった。
「帰んないの?」
その声に弾けたように顔を上げる。
ちがうと分かっていても、それでも一瞬期待してしまった。
逢坂くんが来てくれたんじゃないのか、と。
「……冴島透」
「またフルネームだし」
夕日の光に照らされて、彼の毛先が煌めいて見える。
冴島透は躊躇うことなくつかつかと教室に足を踏み入れては、わたしの前の席に腰を下ろす。残っているのはわたしと冴島透ぐらいだった。周囲の目はない。
「で、なんで抜け殻になってんの」
「あ、いや……」
なんで、と問われると困ってしまう。
今どうしようもなく誰かに助けてもらいたかった気分なのに、いざこうして手を差し伸べられると素直に受け取れない自分がいる。
とても厄介で、面倒くさい。
そんなの自分が一番良く分かっている。そんなわたしを冴島透は嫌がるわけでもなく、普段通り無機質な顔でこちらを見つめている。
彼のこの顔が昔は苦手だった。
口を開けば暴言ばかりで、わたしを煙たがっていたものだから、彼以上に嫌われることなんてないとどこかで自信に繋がっていた。
「……ちょっと、ショッキングなことがあって」
「あいつか」
「あいつって……」
どうせ逢坂駿河だろと、顔を顰めて言われて、ぎこちなくうなずいた。
「もしかしたら、ちょっと大きな……知っちゃいけないような秘密を知っちゃって」
「なんだよ、その秘密って」
「それは……言えないけど」
逢坂くんは誰にも言っていない。
さすがに先生は知っているのかもしれないけれど、風邪だと貫いているところを見る限り、知っていても言わない約束をしているのだろう。
「……でも、その秘密って本当なのか分からなくて。思い違いの可能性があるけど、本人に確かめる術がないっていうか」
「ずっと休んでるらしいけどマジなんだ」
一年生の間でも逢坂くんは噂になっていたらしい。
「連絡先も知らないから、ずっと学校に来るの待ってるんだけど──」
その先は、言えなかった。
言葉にしてしまうと本当になってしまう気がして、ぐっと飲み込んだ。
「このまま会えないかもしれない?」
けれど、冴島透は見抜き、そして簡単に言いのけてしまった。
不安が膨張され、否定も肯定もできない。ただ認めることだけはしたくなかった。
「で、あんたはどうしたらいいのか分からなくなってるわけだ」
藤田さんに指摘されてから、生きた心地がしなかった。
ずっと暗闇を這っているみたいで、寝てもリセットされることのない苦しみが永遠につきまとっているような感覚。
逃げたいのに逃げられない。
現実も変えられない。
本当のことを知りたいようで知りたくない。
ただ分かっているのは、逢坂くんが学校に来ないということ。
それが堪らなく苦しい。
鞄にはずっと、逢坂くんに渡していた記録ノートがしまってある。
いつでも渡せるように、そしていつでもまた記録がつけられるように、準備だけはしているのに、鞄から出されることはない。そのことがまた、現実を突きつけてくるみたいで、逢坂くんが記憶喪失だということを認めるしかないみたいで、拒絶したい。
「何があったかは知らないけど、無理に何かしようとか考えなくていいんじゃないの?」
冴島透がそう静かに語った。
他の音なんてないけれど、彼の声だけがやけにクリアに聞こえ心臓の奥深くを痛みなく貫いていく。
「その秘密って、あんたには知られたくなかったんだろ、逢坂駿河って」
「……たぶん」
「不可抗力で秘密を知ったとしたところで、あんたにどうこうできる余地ってあんの?」
何もない。わたしにできることなんて何一つとしてないことをネットから教わった。
「だったら、待ってるしかないじゃん。逢坂駿河が来るの」
「……来ないかもしれないよ?」
「そういう人なの? 逢坂駿河って」
はっとした。
不安ばかりに囚われて、散りばめられている希望が見えていなかった。
「来なくても待ってるしかないし、秘密を知ったんだとしたら信じるしかないと思うよ」
「信じる?」
「どんな結果になっても逢坂駿河って人間を受け止める覚悟みたいなもの」
わたしはきっと、逢坂くんのことを何も知らなかった。
それなのに、逢坂くんはずっとわたしを支えてくれていた。
わたしが求めるべきものは、漫画のための友達でも彼氏でもなく、ただ嬉しいことも悲しいことも共有できる、かけがえのない存在だった。
そして、その相手は逢坂くんだったのに。
そのことに、どうして逢坂くんと会えなくなってから気付くのだろう。
「そもそも、その人はあんたに何かしてほしいなんて思ってないと思うけど」
「……っ」
「あんたがあんたのままでいてくれる事をもしかしたら願ってるかもしれないし」
そんな発想は全くなかった。
自分の存在が重荷になっているような気がして、取返しのつかないようなことをしてしまっていて、何とかしなければと見えない恐怖に怯えていた。
それが、冴島透の言葉で驚くほど綺麗に溶けてしまったのだ
「……そ、なこと、思ってくれているのかな」
「さあ、知らない」
それはそうかと納得。
冴島透に聞いたところで逢坂くんじゃないのだから分かるはずがない。
でも、と彼は続ける。
「もし俺なら、あんたにはそのままでいてほしいと思うけど」
あのまま一人で放心状態だったなら、わたしはどうしていたのだろうか。
負のループに飲み込まれていたのかもしれない。
「これで帰れる?」
「あ、うん」
「抜け殻じゃない?」
「今なら羽ばたけそう」
「そっか」
逢坂くんとちゃんと向き合えるような気がするし、無理に笑わなくても大丈夫な気もする。
「笑ってないで鞄持ったら?」
「あ、一緒に帰るのか」
「わざわざ言わなくていいから」
呆れたように息を溢した彼だったけれど、そこにはどこか親しみが込められているように見えて頬が緩む。
あれだけ苦しかった心が、少しだけ軽くなった。
わたしが出来ることはわたしのままでいること。
変わってほしいなどと、逢坂くんはきっと思っていない。
わたしと一緒にいてくれている理由があるとするなら、今のわたしのままでいることに意味があるはず。
ならば、わたしは逢坂くんを待ち続けよう。
どんな形であれ、わたしは逢坂くんを受け止めたい。
冴島透とこうして肩を並べて帰ることがあるなんて、昔の自分に教えてあげたい。教えてあげたところで信じてもらえないかもしれないけど。
隣に立つ彼の髪を見て思う。そっか、こんな髪だったんだ、と。
それだけわたしは冴島透のこともちゃんと見ていなかった。
嫌われている、避けられていると思っていたけれど、もしかしたら無意識にわたしの方が避けてしまっていたのかもしれない。
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