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第9章 徙木之信
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卒業間近を迎えたとき、担任の先生から告げられた言葉にわたしは絶句した。
「逢坂は本日をもって、一足早く卒業を迎えた」
朝のHRで起こった突然の発表に、周りがどよめいた。
空席となった彼の席は、まるで最初から誰も使っていなかったかのように物がなくなっている。
「え、なんで?」「一足早くってどういうことだよ」「逢坂くん最近来てなかったよね?」
質問ばかりを宙に浮かび、投げかけられた担任は一度小さく息を吐いて、いなくなってしまった逢坂くんについて触れた。
彼がここを早く去った理由は、生活に支障をきたす程症状が悪化していたとのことだった。そして、退学という話は、前々から話として浮上していたと、この時初めて知った。
「逢坂は記憶障害があった」と改めて伝えられた時にはもう、彼はここの生徒ではなくなっていた。
その事実を受け止めるのに、クラスメイトの誰もが、彼の席へと視線を移したことでしょう。
逢坂くん、学校を辞めることは、わたしと離れる前から決まっていたことだった?
ずっと話すタイミングを伺っていた?
逢坂くん、どうしてなにも言ってくれなかったの?
もう、わたしに伝えたい言葉なんて、なかったの?
橙色に染まる教室は、帰りのSTが終わってからもう一時間が経とうとしている。誰もいない教室で、わたしは未練がましく彼の席に触れていた。
ここは、本当に太陽みたいな席だった。
いつだって人がわらわらと集まって、笑顔が絶えなくて、温かくて。その一員になりたいと、ずっと、ずっと思っていたことを、逢坂くんは知っていたのかな。
憧れていたその席。主を失ったその場所に、こっそりと腰掛けては窓の外を眺める。
逢坂くんもこの夕焼けを見ているのかな。
もう、放課後一緒に雑用をすることもないんだね。
「……あれ」
空っぽだと思っていた机の中。そっと手に取り、暗闇から光のある空間へと引っ張り出す。
「……記録ノート」
彼が日記のように記していた、あのノート。わたしが間違えて持ち帰りそうになった日から、このノートを見ることはなかった。
よりにもよってこの一冊を忘れてしまうなんて。
職員室に届けて彼の元に返そう——と、思ってはいるものの、じっとその表紙を見つめる。初めてこのノートに触れた、あの日のように。
はらり、表紙をめくる。逢坂くんに、また許可なく見たことを怒られるかも。いや、もういっそ怒ってくれればいいのに。
日付は毎日のように書かれていた。うざいだの面倒くさいだのと一言書かれているだけの日を見ては、逢坂くんと関わるようになった出来事を思い出した。
彼らしいなと頬を緩ませながら、日付は最近のものへと変わっていく。
20XX/9/16
南雲の顔が思い出せなくなってきてる
会えば分かるのに、時間が経つと忘れてる
起きると、南雲の顔が出てこない
20XX/9/17
昨日寝る前に、あれだけ南雲のことを忘れないようにしたのに、朝起きたらまた忘れていた
記憶から南雲が消えていくような感覚で、怖い
明日の俺、頼むから覚えてろ
忘れるな、ほんと、頼むから
ねえ、逢坂くん。
隠し事、すごい上手だね。記憶がなくなっていくのも、わたしを覚えていたいと必死に思ってくれていたことも、上手く隠し過ぎだよ。
隠し事ばかりで辛かったはずなのに、周りに頼ることなく、いつもと変わらないよう悪態ばかりついて。
「……本当に、ずるいなぁ……逢坂くん」
忘れてくれても良かった。急にいなくなられるよりかは全然良かった。
逢坂くんのことを、ずっと神様から何もかもを与えられていた人だと思っていた。コンプレックスなんて一つも抱えていなさそうで、わたしが欲しいものを持っていて、輝いていて。
けれど、そう見せるために逢坂くんは毎日戦って、辛い過去にも負けないで、自分の病とも必死に向き合って、そしてたった一人でまた抱えてしまうんだね。
最後のページ。真っ白な背景に——
【南雲、好きだったよ
友達として】
乱暴で、優しい、逢坂くんの字。
その言葉とともに、〝忘れたくない〟と添えられていた。
だめだった。
堪えていた涙はぼろぼろと輪郭を辿り、床へと落ちていく。
わたしも好きだった、逢坂くんのこと。友達として。人として。
ホワイトな逢坂くんよりも、素のブラックな方が。
——そう自分に言い聞かせた。何度も何度も何度も。
好きだった、と。人として、と。そうじゃないと、わたしはもう、感情が抑えられなかった。
込み上げてくる想いに、もう自分に嘘などつけなかった。
好きだった——きっと、これは恋だった。
気付いたときには、もう終止符を打たれたような気がした。
わたしを少しずつ忘れていく逢坂くんと、逢坂くんから忘れられていくわたしとでは、もうきっと交わることはなかったのかもしれない。
わたし達は、ただのクラスメイトと呼ぶには他人行儀で、友達と呼ぶには親し過ぎて、恋人なんて、そんなの柄じゃなくて。
曖昧な関係性をずっと辿りながらいつの間にかすれ違っていた。
もう、あの日々に戻る事はないとどこかで確信していた。
大丈夫、逢坂くんが忘れてしまう日々を、わたしが覚えているから。
一日たりとも、いや、一分一秒を、色濃く鮮明に覚えていられるよう、逢坂くんの分まで覚えていくから。
『どうせ覚えておくなら良いものだけを覚えてろ』
いつの日か、逢坂くん言っていたことを思い出す。
逢坂くんはきっとそうしたかったんだ。
なくなってしまうなら、良い記憶だけを覚えておきたいと。
あの時のわたしは、逢坂くんにあまりにも無知で、何も気付けなかった。
だからわたしは、逢坂くんとの出来事を良い悪い含めて全部覚えておく。何一つ忘れないよう、事細かく覚えておくから。
逢坂くんが忘れてしまう日々を、わたしは人生の糧として心に刻んでいくから。
この席に、逢坂くんはもう二度と戻ってこない。
そしてわたしの前からも、逢坂くんは完全に姿を消した。
息が白く染まる、とても寒い季節のことだった。 逢坂くんが忘れていく日々を、わたしは心に刻んでいく。
「逢坂は本日をもって、一足早く卒業を迎えた」
朝のHRで起こった突然の発表に、周りがどよめいた。
空席となった彼の席は、まるで最初から誰も使っていなかったかのように物がなくなっている。
「え、なんで?」「一足早くってどういうことだよ」「逢坂くん最近来てなかったよね?」
質問ばかりを宙に浮かび、投げかけられた担任は一度小さく息を吐いて、いなくなってしまった逢坂くんについて触れた。
彼がここを早く去った理由は、生活に支障をきたす程症状が悪化していたとのことだった。そして、退学という話は、前々から話として浮上していたと、この時初めて知った。
「逢坂は記憶障害があった」と改めて伝えられた時にはもう、彼はここの生徒ではなくなっていた。
その事実を受け止めるのに、クラスメイトの誰もが、彼の席へと視線を移したことでしょう。
逢坂くん、学校を辞めることは、わたしと離れる前から決まっていたことだった?
ずっと話すタイミングを伺っていた?
逢坂くん、どうしてなにも言ってくれなかったの?
もう、わたしに伝えたい言葉なんて、なかったの?
橙色に染まる教室は、帰りのSTが終わってからもう一時間が経とうとしている。誰もいない教室で、わたしは未練がましく彼の席に触れていた。
ここは、本当に太陽みたいな席だった。
いつだって人がわらわらと集まって、笑顔が絶えなくて、温かくて。その一員になりたいと、ずっと、ずっと思っていたことを、逢坂くんは知っていたのかな。
憧れていたその席。主を失ったその場所に、こっそりと腰掛けては窓の外を眺める。
逢坂くんもこの夕焼けを見ているのかな。
もう、放課後一緒に雑用をすることもないんだね。
「……あれ」
空っぽだと思っていた机の中。そっと手に取り、暗闇から光のある空間へと引っ張り出す。
「……記録ノート」
彼が日記のように記していた、あのノート。わたしが間違えて持ち帰りそうになった日から、このノートを見ることはなかった。
よりにもよってこの一冊を忘れてしまうなんて。
職員室に届けて彼の元に返そう——と、思ってはいるものの、じっとその表紙を見つめる。初めてこのノートに触れた、あの日のように。
はらり、表紙をめくる。逢坂くんに、また許可なく見たことを怒られるかも。いや、もういっそ怒ってくれればいいのに。
日付は毎日のように書かれていた。うざいだの面倒くさいだのと一言書かれているだけの日を見ては、逢坂くんと関わるようになった出来事を思い出した。
彼らしいなと頬を緩ませながら、日付は最近のものへと変わっていく。
20XX/9/16
南雲の顔が思い出せなくなってきてる
会えば分かるのに、時間が経つと忘れてる
起きると、南雲の顔が出てこない
20XX/9/17
昨日寝る前に、あれだけ南雲のことを忘れないようにしたのに、朝起きたらまた忘れていた
記憶から南雲が消えていくような感覚で、怖い
明日の俺、頼むから覚えてろ
忘れるな、ほんと、頼むから
ねえ、逢坂くん。
隠し事、すごい上手だね。記憶がなくなっていくのも、わたしを覚えていたいと必死に思ってくれていたことも、上手く隠し過ぎだよ。
隠し事ばかりで辛かったはずなのに、周りに頼ることなく、いつもと変わらないよう悪態ばかりついて。
「……本当に、ずるいなぁ……逢坂くん」
忘れてくれても良かった。急にいなくなられるよりかは全然良かった。
逢坂くんのことを、ずっと神様から何もかもを与えられていた人だと思っていた。コンプレックスなんて一つも抱えていなさそうで、わたしが欲しいものを持っていて、輝いていて。
けれど、そう見せるために逢坂くんは毎日戦って、辛い過去にも負けないで、自分の病とも必死に向き合って、そしてたった一人でまた抱えてしまうんだね。
最後のページ。真っ白な背景に——
【南雲、好きだったよ
友達として】
乱暴で、優しい、逢坂くんの字。
その言葉とともに、〝忘れたくない〟と添えられていた。
だめだった。
堪えていた涙はぼろぼろと輪郭を辿り、床へと落ちていく。
わたしも好きだった、逢坂くんのこと。友達として。人として。
ホワイトな逢坂くんよりも、素のブラックな方が。
——そう自分に言い聞かせた。何度も何度も何度も。
好きだった、と。人として、と。そうじゃないと、わたしはもう、感情が抑えられなかった。
込み上げてくる想いに、もう自分に嘘などつけなかった。
好きだった——きっと、これは恋だった。
気付いたときには、もう終止符を打たれたような気がした。
わたしを少しずつ忘れていく逢坂くんと、逢坂くんから忘れられていくわたしとでは、もうきっと交わることはなかったのかもしれない。
わたし達は、ただのクラスメイトと呼ぶには他人行儀で、友達と呼ぶには親し過ぎて、恋人なんて、そんなの柄じゃなくて。
曖昧な関係性をずっと辿りながらいつの間にかすれ違っていた。
もう、あの日々に戻る事はないとどこかで確信していた。
大丈夫、逢坂くんが忘れてしまう日々を、わたしが覚えているから。
一日たりとも、いや、一分一秒を、色濃く鮮明に覚えていられるよう、逢坂くんの分まで覚えていくから。
『どうせ覚えておくなら良いものだけを覚えてろ』
いつの日か、逢坂くん言っていたことを思い出す。
逢坂くんはきっとそうしたかったんだ。
なくなってしまうなら、良い記憶だけを覚えておきたいと。
あの時のわたしは、逢坂くんにあまりにも無知で、何も気付けなかった。
だからわたしは、逢坂くんとの出来事を良い悪い含めて全部覚えておく。何一つ忘れないよう、事細かく覚えておくから。
逢坂くんが忘れてしまう日々を、わたしは人生の糧として心に刻んでいくから。
この席に、逢坂くんはもう二度と戻ってこない。
そしてわたしの前からも、逢坂くんは完全に姿を消した。
息が白く染まる、とても寒い季節のことだった。 逢坂くんが忘れていく日々を、わたしは心に刻んでいく。
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