隠れ居酒屋・越境庵~異世界転移した頑固料理人の物語~

呑兵衛和尚

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交易都市キャンベルの日常

66品目・老舗食堂の主人と、トリッパの煮込み(ホルモン串とハチノスの煮込み、三色つくね)

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 アイリッシュ殿下が王都に戻ってから数日後。

 いつものように、変わらない毎日を過ごしている。
 いや……変わったことが、一つだけあった。
 それは、このキャンベルの中でも5指に入ると言われている宿の店主が、毎日夕方6つの鐘と同時にうちの店を訪れては、静かに晩酌を楽しみ始めていた。
 まあ、この街では宿に世話にはなっていないので、ちょっとだけ申し訳ないと思いつつも、ラフロイグ伯爵とグレンさんと楽しそうに酒を酌み交わしている姿を見ていると、ちょいとだけサービスしたくなってしまうのは仕方がない事だろう。

「しっかし、あの堅物ガーヴァンが、まさかユウヤ店長の店に顔を出すようになったとは。何か悪いものでも食べたのですか?」
「全くじゃな。どういう心境なんじゃ」
「おいおい、うちの宿には食堂も併設しているんだぞ、悪い物を食べただなんて冗談でもやめてくれ……と、ユウヤさん、この熱燗とやらのお代わりを頂けますか?」
「へい、まいど」

 ラフロイグ伯爵とグレンさんに揶揄われながらも、宿屋ウィリアム・グラントの主人であるガーヴァンさんが楽しそうに酒を飲んでいる。
 ちなみにつまみは今日のお勧め、豚の角煮と煮卵である。
 グレンさんとラフロイグ伯爵はいつものように焼き鳥の盛り合わせを食べつつ、今日は梅酒のロックを飲んでいる。

 ちなみに梅酒は自家製、しっかりと税務署に『特例適用混和の開始申告書』を発送して許可を得ている。まあ、これをしないで自家製梅酒を販売している居酒屋もたまに見かけるようだが、うちは毎年申請して、しっかり許可を取っているので安心していい。
 もっとも、こっちの世界に来てしまった以上、新たに梅酒を作っても申請しようがないのでね。
 ちなみに梅酒の作り方については、専門書やインターネットで調べれば出てくるので、俺が今更説明する必要もないだろう。

 閑話休題

「本日の燗酒は、先ほどお出しした国稀の純米酒と、北の勝の純米酒がありますが、どちらにしましょうか?」
「さっきのは、ほどよい温度で美味しかったですが。北の勝とやらも、やはりややぬるいお酒なのですか?」
「そうですねぇ……国稀の純米酒は、ぬる燗といって40度ぐらいで飲むのが最もおいしいと言われているのですよ。醸し出された米の旨味が最大限引き出されているかと思います。そして北の勝ですが、こちらは熱燗でグイッと飲むと、体の芯までしみとおるように米の風味が広がります。ああ、鼻から抜ける香りがとても気持ちがいいと言われていまして」

 淡々と酒の説明をしていると、ラフロイグ伯爵たちのゴクリと喉を鳴らしている。
 まあ、酒飲みは、美味い酒の話を聞くとどうしてもそちらに耳を傾けてしまうからなぁ。

「ユウヤ店長、その北に勝つというのを頂けるか? 名前からして縁起がよさそうではないか」
「北に勝つ……か。うむ、あの山脈向こうの蛮族たちに勝つ。確かにいい名前だ」
「いえ……北に勝ではなく、北の勝ですけれど……まあ、それでよろしければ」
「そうですね。では、私もそれを一本、お願いします」
「畏まりました」

 ちなみに今日は、マリアンもカウンター内で仕事をしている真っ最中。
 といっても、俺が作ったメニューを出したりするほかに、燗酒を温める仕事を頼んでいる。
 なお、シャットはカウンターの外でのんびりと接客……という名の、食事アドバイザーである。
 要は、俺が作った料理の説明や食べ方などをレクチャーしているだけなんだがね。

「そういえば。ユウヤ店長は、ガーヴァンの宿屋の飯を食べたことはあるか?」
「ガーヴァンさんの店ですか。確か、宿屋と食堂が併設しているというのは聞いていますけれど、あいにくと、うちと営業時間が同じでして……」 
「ああ、そうだったな……と、そういえばガーヴァン、おぬしこんなに毎日のように飲み歩いて、食堂は大丈夫なのか?」
「ああ、それについてはまあ……大丈夫だとは思っている。厨房はリフィルに任せているのでね」
「リフィルというと……次男だったか。そうか、いよいよガーヴァンも引退か」

 ラフロイグ伯爵が楽しそうに告げるものの、ガーヴァンさんは少し寂しそうな顔をしている。

「それにしても……あの鼻たれリフィルが料理長か。長男のサンズが食堂を受け継ぐと思っていたのじゃが……」
「あいつは駄目です。そもそも料理を作るという心構えがなっていません。基礎はしっかりと覚えているようだけれど、それ以上の向上心がなかったのですから……」
「ああ、そういうことか……」

 どうやら跡継ぎ問題で色々とあったようだ。
 かといって、よそ者である俺が口を挟むことではないので、黙々と料理を作るだけ。

「ユウヤさん、ちょっと作って欲しいものがあるのですが、よろしいでしょうか」
「うちに材料があって、俺が作り方を知っているものであれば大丈夫ですが、どのようなものを作ればよろしいのですか?」
「トリッパのトマト煮というのですが。狩人に依頼して山猪(マウントボア)を狩ってきて貰った時にしか作れない料理でして、実はうちの食堂の名物料理なのですよ」
「トリッパねぇ……確か、牛の第2胃袋の事をトリッパと呼んでいるって聞いたことがありますが。その山猪というのも、胃が4つあるのですか?」
「いえいえ。山猪に限らず、鮮度のいい内臓のことをトリッパと呼んでいるのですよ。正しい呼び方はありますが、私たち料理人はそう呼称しているのです」

 ふぅむ。
 ちょいと気になったので、詳細説明画面を開いてみるが。

『トリッパ……俗にいうホルモンの総称。この世界では腸にあたる部分は腸詰と煮込み程度にしか使わず、もっぱら料理用語でトリッパといえば胃袋、または胃袋の料理全般の事を指す』

 ああ、根底から違うというのは理解できた。
 トリッパ……要はハチノスの料理のことか。
 流石に、俺は作ったことが無いんだよなぁ。

「急ぎでなければ、ちょいと仕込んでみますけれど。それでよろしいですか?」
「ええ、どうかお願いします。当日はうちの二人の息子も連れてきますので」
「畏まりました……まあ、今日はトリッパはありませんけれど、似たような料理でしたらご用意できますので、しばしお待ちを」

 厨房倉庫ストレージから、塩タレに漬けこんだ牛ホルモンを取り出す。
 今日の部位は『シマチョウ』、つまり牛の大腸を使う。
 昼間のうちに、きれいに掃除したシマチョウをタレに漬け込んでおいたので、あとは串を打って焼くだけ。
 ちなみに漬け込みダレは酒1:味醂1の漬けダレに塩を少々、にんにく、しょうがのすりおろしを加える。こいつをベースにして、白みそを酒の半分程度入れて漬けておくことで、臭みが抜けていい感じに仕上がる。

――ジュゥゥゥゥ
 ホルモンを焼くときは強火の遠火。
 しっかりと火を通さないと食べられないのだが、タレに漬け込んであるので近火で焼くとすぐに焦げてしまうのでね。

 だんだんと煙が立ち上り、店内に肉の脂が焼けるいい香りが広がって来る。

「ふぁぁぁぁ、ユウヤぁ、あたいも食べたいにゃ」
「はいはい。マリアンも喰うだろう?」
「お、お願いします」
「おいおい、先に客じゃないのかね?」

 マリアンがラフロイグ伯爵に突っ込まれ、一同大爆笑。
 そして付け合わせようにと獅子唐串もさっと焼いておく。
 そしてホルモン串3本と獅子唐串1本を合わせてさらに盛り付けると、まずはガーヴァンさん、ラフロイグ伯爵、グレンさんに出した。

「お待たせしました、ホルモン串と獅子唐串です」
「ホルモン串……というのは、何処の部位かね?」
「うちでは、牛の直腸の部分を使っています。しっかりと掃除してありますので、臭みもありませんので……」
「牛……ああ、鎧牛(アーマーブッファル)の事か。あれを食べるとはまた、剛毅な」

 グレンさんが頭を振りつつ呟くけれど、その鎧牛というものが俺には分からん。
 そしてガーヴァンさんが恐る恐るホルモんにかじりつき、ゆっくりと咀嚼を始めているが。

「んんっ……これはまた……酒が進みますね。そうか、こういうふうにしっかりと処理されていれば、食べることができるのですか」
「このあたりで獲れる鎧牛と、俺の知っている牛では違いがあるかもしれませんが。牛っていうのは、丁寧に下ごしらえさえしてあれば、食べられない部位はほとんどないと言われています」

 もっとも、扁桃と回腸遠位部、舌と頬肉、皮を除いた頭部、そして脊髄と脊柱は食べられない。
 というか、日本では食用として許可されていない。
 その理由は、大体理解できると思う。
 そのあたりも軽く説明してあげると、ガーヴァンさんはなるほどと納得している。

「しかし……このホルモンというのは、どうも儂には合わんなぁ。歯ごたえが無さすぎる」
「そうですか? 私はこの味は気に入りましたよ。噛み応えという点ではわかりますけれど、これはこれで味わい深いと思います」
「ラフロイグは、ゲテモノ好きじゃからなぁ」
「はっはっは。否定しませんよ」

 まあ、ホルモンをはじめ、焼き鳥については好き嫌いがはっきりとしていても、自分が食べられるものだけ食べていればいいのでね。
 無理に嫌いなものを注文して、我慢して食べる必要なんてない。

「シヤット、私のホルモン串を差し上げるので、獅子唐を頂けますか?」
「構わないにゃ。マリアンはホルモン、駄目かにゃ?」
「ええ……ちょっと」
「まあ、好き嫌いがはっきりと分かれるからなぁ。ということでガーヴァンさん、トリッパの件ですが、3日ほど時間を頂けますか?」
 
 振るいレシピや、事務室に置いてある料理の本を調べる必要があるので、どうしてもそれぐらいは時間が欲しいところだ。
 そう問いかけると、ガーヴァンさんはウンウンと納得してくれている。

「この店の煮物はどれも美味しいですから、期待していますよ」
「畏まりました……では、三日後に席の予約を入れておきますので」

 さて、背水の陣ではないが、明日からは色々と忙しくなってくるな。

 〇 〇 〇 〇 〇

――翌日・朝
 昨日、ガーヴァンさんたちが帰った後、俺は店の片づけを終えてから料理本を持って部屋に引きこもっていた。
 ハチノス料理については色々と調べてみたが、こっちの世界でも作れそうなものとなると、やはりトマト煮にするのが一番早いだろう。
 という事で、朝一で届いたハチノスをまずは綺麗に水洗いしたのち、適当な大きさに切ってから大量の水とブーケガルニを入れて火にかける。
 ちなみにハチノスの下処理は精肉店で終えてあるので、手間が一つだけ省けている。
 
「そして、沸騰したらお湯を捨てて、また水から煮る……と」

 二度目以降は、ブーケガルニは使わない。
 大体3回か4回ほど繰り返すことで、ハチノスの臭みは抜ける。
 そして水煮している最中に、次の具材の準備を行う。

「タマネギ、ニンジン、セロリをみじん切りにして、オリーブオイルで炒める……か」

 今回は、親方衆の一人が洋食にも精通していたため、万が一用にと写させてもらったレシピが役にたっている。
 大量のタマネギと人参、セロリをみじん切りに。
 そして本来はマッシュルームのスライスを使うのだが、親方のレシピではシイタケのみじん切りも加えている。これは和食としてのこだわりなのだろう。
 そして全体的にしんなりとしてきたら、煮零し終わったハチノスを厚さ1センチ程度の短冊に切りって加えてさっと混ぜる。
 そしてホールトマト缶とトマトピューレ、塩少々を加えて弱火でぐつぐつと煮込む。
 
「この時、ローリエを加えるのを忘れずに……か」

 とにかく、この煮込む時間が大切。
 ゆっくりと時間を掛けて煮込むことで、ハチノスが食べやすく柔らかくなるのでね。
 大体1~2時間は煮込みたいところだが、これ以上時間を掛けると昼の営業に支障が出る。
 ということで続きは店に戻ってから、五徳の一つ話使ってコトコトと煮詰めることにした。
 
「さて、それじゃあ一度、店に戻るとしますかねぇ」

 越境庵からユウヤの酒場へ。
 すでに掃除と開店準備は終わっていたので、あとは俺が用意するだけなんだが。

「ユウヤ店長、今日のメニューは何でしょうか?」
「今日は、あらかじめ仕込んでおいたつくねを使う。まあ、ちょいと待っていろ。マリアンはスープと盛り付けを担当、シャットは焼き場を任せていいか?」
「にゃ!! 大丈夫だにゃ……って、いつもの形と違うにゃ」

 いつものつくね串は、丸く茹でたつくねを3カン、串に刺している。
 だが、今日のは細長い棒状に伸びしたものに割りばしを割って半分を差している。
 それを炙って焼目を付けると、そこにとろけるスライスチーズをのせたもの、軽く海苔を巻いたもの、そしてシンプルにタレを絡めたものの三種類を紙皿に盛り合わせるだけ。

「ということで、まずは試食から。シャットは、今のやり方は覚えたか?」
「う~にゅ。最初は横で見ていてくれると助かるにゃ」
「ああ、了解した」

 その言葉で安心したのか、すぐさま試食を開始。
 そしてあまりの美味しさに表情が蕩けている二人をよそに、昼の営業は開始となった。
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