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夏の匂い日和
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私は、スイカを網に入れて舗装されていない道を歩く。木の陰に入っていないと暑さでやられてしまいそうだ。
頭を少しばかり上げると白い帽子と木々の間に痛いくらいの青空。思わずそれに微笑む。
道を行くと、ほっかむりをしながら大きなお尻をこちらに向け、畑仕事をしている吉岡の伯母さん。父の姉だ。ここにスイカを届けに来たのだ。
「おばちゃーん。吉岡のおばちゃん」
呼ばれてお尻と反対にある日に焼けた顔がこちらを向いてニコリと笑う。
「なんだまーず。美穂、東京の大学から帰ってたんけぇ~」
「帰っでだ。帰っでだ。これスイカ食ってけろ」
「なんだいいのによぉ~。入ってげ、入ってげぇ~。今、冷たい麦茶だすからよぉ~」
「いいがら~。母ちゃんにおごられっちゃうがら~。ところで和正あんちゃんは……?」
途端に伯母は口に手を当てていやらしい笑みを浮かべる。
「和正、ハウスの中でトマト取ってるわ。美穂が大学いってがらふさぎこんでっから、会ってやってけろ」
「やだ~。おばちゃん。私とあんちゃんは何もないよ~」
ウソだった。従兄の和正あんちゃんとは16の頃から付き合ってる。あんちゃんは4っつも上だから、勉強を教えてくれたのがきっかけだった。
進学校に進めたのもあんちゃんの教育あってこそだ。一方的に憧れていた気持ちは、高校進学と同時に弾け、付き合って貰えることになった。
あんちゃんにしてみれば、私は猫のように可愛がるだけの存在。もっともっと仲良くしたいのに。大学に行ったらあんちゃんからの連絡はなくなり、私からのラインに言葉少なく回答するだけ。
今日はあんちゃんの気持ちを確かめに来たのだ。
ビニールハウスの簡易ドアを開ける。むあんとした熱気。続いて粘り気のある土の匂い。青い草の香り。夏の匂いの缶詰のようだ。
「ごめんくださーい」
入り口で声をかけると、トマトの葉がガサリと揺れる。そして、大きなため息。
「はぁ。とうとう美穂の声が聞こえるようになって来ちまったか……」
そう言いながら、トマトをむしり取る音が聞こえる。私はニンマリと笑った。気付いてないなら脅かしてやれ。
思い切り手を伸ばしたトウモロコシの葉の音を立てないように、それを避けて、あんちゃんの後ろへ近付く。そして、背中をびたんと両手で叩いてやった!
「あだっ!」
弓のように仰け反るあんちゃんの姿に腹を抱えて笑う。あんちゃんは振り返るとトマトみたいに赤い顔をしていた。
「み、み、み、み」
「みかん?」
「美穂!」
そのままあんちゃんは両手を伸ばそうとしたが、抱きつきはしない。いつものことだ。なぜか私に触れない。四年間も。
「なんだ? 大学はどうした。休みけ」
「んだ。どっかさドライブにいぐべ」
「ばがこけ。出荷しねげなんねべ。トウキビやっから帰れ」
あんちゃんは私の後ろに回ってトウモロコシを取り始めた。そっけない。もう私に興味なんてないのかも。ただの親戚に戻ってしまったのかも知れない。一本の指も触れずに。
「んだが……。んで帰るわー……」
私はそこで泣いてしまった。顔は笑ってるふりをしたけど、唇が震えて涙がこぼれる。好きで付き合って貰ったのは、恋人としてはないのかも。
従妹として──。
ただ、それの延長。あんちゃんは大人だ。傷付けまいとして、そんなことを言ったのかも。子どもはすぐに心変わりをするだろうと踏んで。だけどいつまでも私が諦めないから、突き放すのかも。
私は涙を叩き切るように、思い切り首を下げて下を向いた。幾分、唇の震えもおさまる。
あんちゃんはトウモロコシをビニール袋に入れて私に渡した。
「ありがと……」
そのまま、簡易ドアの方に体を向けると、ガッシリと腕を捕まれた。
「な、なんだ美穂。泣いてんのけ?」
「……んだ」
あんちゃんは大層慌てた様子で、私の前に回った。
「なんだ? 何しただ?」
「……何しただでねーべ」
腹が立った。素っ気ないくせに。トークアプリの言葉も少ないクセに。私は、怒って思いをぶちまけてしまおうと思った。
「何だ! いっつもそうやって、冷たくてよぉ! 私のごど好きでねがったんだべ。んで付き合うなんて言うな! ずっと思ってんの大変なんだど! 今日は何してんだべ。会ったら遊んでくれんだべがって思うだげで楽しがった。だげどあんちゃんは私のごどなんて好きでねがった!」
「な、なんでそう思うんだ?」
「あだりめだっぺ。指一本触れねで。四年間だど? 普通の男だったら、一日に何回もしてんのに、どんだげ草食系なんだ!」
「オレは、オレは……。美穂のごど大切にしようど……」
「……は?」
泣き叫んでいたが急に勢いが萎む。涙も引っ込んでいく。
「美穂は、いいのが? 結婚前にそういうごどしても……」
「はぁ? なんだそれ。昭和の戦前の話だべ!」
「なんだ、そうなのが? いや、つらがった」
呆れた。頭は良くても馬鹿過ぎる。つまり、女子は結婚まで処女でいるという独特の思想を抱き続けて、私に指を触れなかった訳だ。そして、自分自身の中の性欲という獅子と日夜闘って来ていたらしく、それをねじ伏せるのに苦労していたらしい。
「バガみでぇ」
「んだな。さっそぐやってみっぺし」
「はい?」
「その作業台の上に乗れや」
「ちょ。何言ってんの?」
「お。東京もんの言葉だな」
あんちゃんは、私を抱き抱えると、嬉しそうな顔で野菜の乗っている作業台の上に下ろした。
「農作業やってで、手ェ汚れでっぺな!」
「問題ぇねぇ」
笑顔で水撒き用のホースを手に取りレバーを押すとジェットの力であらキレイ。
「ちょっとぉ! せめて部屋とか、ホテルとか!」
「ばが! 家ん中にじいちゃんばあちゃんいんのに聞こえっぺ!」
納得できない。納得してない。不承知。同意無いまま。作業台の上。
熱い熱い、ビニールハウスの中で。
土の匂い。
草の香り。
夏が来て、この匂いを嗅ぐたびに今日のことを思い出すんだろうなぁ……。あんちゃんが獅子になったところを。
あんちゃんは脱いだ上着を着直して、作業ズボンのベルトを締め直していた。私もあらわにされたところを直す。
「どーれ。ドライブさ行ぐべが?」
「順番めちゃくちゃ。何だべそれー。そんで、どごさ行ぐ?」
「ばがこの。結婚すんだがら、本家の國一じいちゃんに挨拶行がねげなんねべ」
「はぁ? それがドライブが?」
「んだ~。山ン中、涼しいど~」
「大学卒業してがらでいいんでねぇべが」
「ばが。婚約すんのだって報告すんだど!」
「めんどくせぇなぁ。田舎はよぉー」
「へへ。これで美穂の休みの間は毎日でぎんな」
「何言ってんだ。少しは遠慮してけろ」
「へへ。もう遠慮しねぇ」
軽トラは、山の上を指して走り出した。
鎖断ち切った獅子は勢い凄まじく、私は生涯8回の出産を経験することとなった。
頭を少しばかり上げると白い帽子と木々の間に痛いくらいの青空。思わずそれに微笑む。
道を行くと、ほっかむりをしながら大きなお尻をこちらに向け、畑仕事をしている吉岡の伯母さん。父の姉だ。ここにスイカを届けに来たのだ。
「おばちゃーん。吉岡のおばちゃん」
呼ばれてお尻と反対にある日に焼けた顔がこちらを向いてニコリと笑う。
「なんだまーず。美穂、東京の大学から帰ってたんけぇ~」
「帰っでだ。帰っでだ。これスイカ食ってけろ」
「なんだいいのによぉ~。入ってげ、入ってげぇ~。今、冷たい麦茶だすからよぉ~」
「いいがら~。母ちゃんにおごられっちゃうがら~。ところで和正あんちゃんは……?」
途端に伯母は口に手を当てていやらしい笑みを浮かべる。
「和正、ハウスの中でトマト取ってるわ。美穂が大学いってがらふさぎこんでっから、会ってやってけろ」
「やだ~。おばちゃん。私とあんちゃんは何もないよ~」
ウソだった。従兄の和正あんちゃんとは16の頃から付き合ってる。あんちゃんは4っつも上だから、勉強を教えてくれたのがきっかけだった。
進学校に進めたのもあんちゃんの教育あってこそだ。一方的に憧れていた気持ちは、高校進学と同時に弾け、付き合って貰えることになった。
あんちゃんにしてみれば、私は猫のように可愛がるだけの存在。もっともっと仲良くしたいのに。大学に行ったらあんちゃんからの連絡はなくなり、私からのラインに言葉少なく回答するだけ。
今日はあんちゃんの気持ちを確かめに来たのだ。
ビニールハウスの簡易ドアを開ける。むあんとした熱気。続いて粘り気のある土の匂い。青い草の香り。夏の匂いの缶詰のようだ。
「ごめんくださーい」
入り口で声をかけると、トマトの葉がガサリと揺れる。そして、大きなため息。
「はぁ。とうとう美穂の声が聞こえるようになって来ちまったか……」
そう言いながら、トマトをむしり取る音が聞こえる。私はニンマリと笑った。気付いてないなら脅かしてやれ。
思い切り手を伸ばしたトウモロコシの葉の音を立てないように、それを避けて、あんちゃんの後ろへ近付く。そして、背中をびたんと両手で叩いてやった!
「あだっ!」
弓のように仰け反るあんちゃんの姿に腹を抱えて笑う。あんちゃんは振り返るとトマトみたいに赤い顔をしていた。
「み、み、み、み」
「みかん?」
「美穂!」
そのままあんちゃんは両手を伸ばそうとしたが、抱きつきはしない。いつものことだ。なぜか私に触れない。四年間も。
「なんだ? 大学はどうした。休みけ」
「んだ。どっかさドライブにいぐべ」
「ばがこけ。出荷しねげなんねべ。トウキビやっから帰れ」
あんちゃんは私の後ろに回ってトウモロコシを取り始めた。そっけない。もう私に興味なんてないのかも。ただの親戚に戻ってしまったのかも知れない。一本の指も触れずに。
「んだが……。んで帰るわー……」
私はそこで泣いてしまった。顔は笑ってるふりをしたけど、唇が震えて涙がこぼれる。好きで付き合って貰ったのは、恋人としてはないのかも。
従妹として──。
ただ、それの延長。あんちゃんは大人だ。傷付けまいとして、そんなことを言ったのかも。子どもはすぐに心変わりをするだろうと踏んで。だけどいつまでも私が諦めないから、突き放すのかも。
私は涙を叩き切るように、思い切り首を下げて下を向いた。幾分、唇の震えもおさまる。
あんちゃんはトウモロコシをビニール袋に入れて私に渡した。
「ありがと……」
そのまま、簡易ドアの方に体を向けると、ガッシリと腕を捕まれた。
「な、なんだ美穂。泣いてんのけ?」
「……んだ」
あんちゃんは大層慌てた様子で、私の前に回った。
「なんだ? 何しただ?」
「……何しただでねーべ」
腹が立った。素っ気ないくせに。トークアプリの言葉も少ないクセに。私は、怒って思いをぶちまけてしまおうと思った。
「何だ! いっつもそうやって、冷たくてよぉ! 私のごど好きでねがったんだべ。んで付き合うなんて言うな! ずっと思ってんの大変なんだど! 今日は何してんだべ。会ったら遊んでくれんだべがって思うだげで楽しがった。だげどあんちゃんは私のごどなんて好きでねがった!」
「な、なんでそう思うんだ?」
「あだりめだっぺ。指一本触れねで。四年間だど? 普通の男だったら、一日に何回もしてんのに、どんだげ草食系なんだ!」
「オレは、オレは……。美穂のごど大切にしようど……」
「……は?」
泣き叫んでいたが急に勢いが萎む。涙も引っ込んでいく。
「美穂は、いいのが? 結婚前にそういうごどしても……」
「はぁ? なんだそれ。昭和の戦前の話だべ!」
「なんだ、そうなのが? いや、つらがった」
呆れた。頭は良くても馬鹿過ぎる。つまり、女子は結婚まで処女でいるという独特の思想を抱き続けて、私に指を触れなかった訳だ。そして、自分自身の中の性欲という獅子と日夜闘って来ていたらしく、それをねじ伏せるのに苦労していたらしい。
「バガみでぇ」
「んだな。さっそぐやってみっぺし」
「はい?」
「その作業台の上に乗れや」
「ちょ。何言ってんの?」
「お。東京もんの言葉だな」
あんちゃんは、私を抱き抱えると、嬉しそうな顔で野菜の乗っている作業台の上に下ろした。
「農作業やってで、手ェ汚れでっぺな!」
「問題ぇねぇ」
笑顔で水撒き用のホースを手に取りレバーを押すとジェットの力であらキレイ。
「ちょっとぉ! せめて部屋とか、ホテルとか!」
「ばが! 家ん中にじいちゃんばあちゃんいんのに聞こえっぺ!」
納得できない。納得してない。不承知。同意無いまま。作業台の上。
熱い熱い、ビニールハウスの中で。
土の匂い。
草の香り。
夏が来て、この匂いを嗅ぐたびに今日のことを思い出すんだろうなぁ……。あんちゃんが獅子になったところを。
あんちゃんは脱いだ上着を着直して、作業ズボンのベルトを締め直していた。私もあらわにされたところを直す。
「どーれ。ドライブさ行ぐべが?」
「順番めちゃくちゃ。何だべそれー。そんで、どごさ行ぐ?」
「ばがこの。結婚すんだがら、本家の國一じいちゃんに挨拶行がねげなんねべ」
「はぁ? それがドライブが?」
「んだ~。山ン中、涼しいど~」
「大学卒業してがらでいいんでねぇべが」
「ばが。婚約すんのだって報告すんだど!」
「めんどくせぇなぁ。田舎はよぉー」
「へへ。これで美穂の休みの間は毎日でぎんな」
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