私は「おかえり」といいたい

家紋武範

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第33話 約束守ったね

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 和斗はワナワナと震えだした。
 髪の毛は逆立ち、眉間にシワがより、目はつり上がった。
 拳をググっっと握る!

 そこに、花束を投げ捨て土足のまま、二人に向けて歩き出す。

 恵子にはスローモーションで見えた。

 和斗の中で、何かが切れた。
 体育教師とイツキ先生が重なり合う姿がフラッシュバックする。


「いいか? カズト。武という字は「槍」を「止」めるという意味なんだ。暴力を止めることが武人のたしなみなんだぞ?」


 父親の言葉が脳裏に浮かんだ。しかしその足は止まらない。


「ダメだよ。凶器なんだから。教えられない!」


 弓美の言葉が和斗の胸によみがえった。しかしその足は止まらない。


「謝れよ! クズ!」


 こんな時に、リサを思い出した。
 そうさ、オレはクズなんだ。抑えられっこない!


「ね? 約束して? 暴力では解決しないって」


 最後に思い出したのは恵子の言葉だった。
 約束。守らなくてはいけない約束──。


「コノヤローー!!」


 秀樹は裸のまま立ち上がり、大振りに殴り掛かってきた。
 和斗はそれを軽々とよけた。

「……無理だよ。ケイちゃん。こんな状況見せられたら」

 秀樹の大ぶりのパンチを、両腕を立てながら、軽快なフットワークでかわす。
 恵子の部屋のフローリングの床がキュキュッ! キュキュッ! っと音を響かせる。

 秀樹の内側に入り込み、顎先を狙い、拳を振り上げる。見事なアッパーカットのかたち。



 秀樹の脳裏にかすめる記憶!

 思い出す和斗の面接時の履歴書。

 高校ボクシングインターハイ、1位。



 和斗の拳が振り上げられる。
 その時、彼の中に声が聞こえた。

「杉沢くん。ケンカばっかりしてるんだって?」
「はぁあ? アンタだれ?」

「4月からあなたの担任になった、沢田衣月だよ。よろしくね!」


 ピク


 和斗の手が止まった。顎先にただの紙一重。

 目をつぶったままの恵子と秀樹。
 想像していたニブイ音が聞こえない。

 恵子がゆっくりと目を開けると、止まったままの和斗。

 殴りはしなかったが、そのまま、ハダカの秀樹を突き飛ばした。
 秀樹は、ケイコのドレッサーに体を打ち付け、倒れ込んでしまった。

「ケイちゃん大丈夫? ケガはない?」
「ウン。来てくれてありがと……」

 和斗は、秀樹の方を向き、彼の服であろうものを乱暴につかみ、彼に向かって放り投げた。

「……あんたもう服来て帰りなよ。もう拳、抑えられないかもしれないよ?」
「ハァ! ハァ! ハァ! くそぉ!」

 悔しさと惨めさと興奮で息を粗げながら彼は靴を履いて扉をあけこう負け惜しみを言った。

「いいか! その女の全部を犯してやった! 体のすみずみまでオレがしみ込んでんだぞ! クソがぁ! 使い古しをくれてやるよ!」

 そして思い切りドアを閉める。
 和斗は無言で破れていない下着を恵子に渡し、毛布で着替えを見えないように隠した。

「……カズちゃん。そうなの。あたし、カズちゃんの若いころのことなんて何も言えない、ダメ女なの。ゴメンね。佐藤さんに、いろんなことされちゃった。こんな汚い体で。エッエッエッエッ」

 しかし和斗は何も言わない。着替えを見ないように顔を背けていた。

「佐藤係長がいったのホントなの。あたし、汚れた女なの」
「え? ケイちゃんゴメン。オレ、考え事しててよく聞いてなかったよ」

 下着姿の恵子にふわりと肩から毛布をかけながら、和斗は言った。

「え?」
「ウン。最初からなにも」

「あは」
「へへ」

「この男前っ!」

 和斗の肩に軽くパンチする恵子。

「なーんにも! 扉あけてからなんも覚えてないし、聞こえてない!『ただいま』からやり直していい?」
「ふふ」

「ただいま♡」
「おかえり♡」

 和斗は彼女の肩を抱き寄せて口づけをした。

「大丈夫?」
「まだゴメン。震え止まんない」

 恵子を優しく抱く和斗。
 恵子がかすかに震えている。
 唇を震わせ、小さい声で鳴き声がもれていた。

「もう大丈夫だよ? 大丈夫」
「……怖かった」

「遅くなってゴメン」
「そんなこと、ない」

「あークソ! やっぱ殴っときゃよかった! こんなにケイちゃん怖がらせて!」
「でも、さ」

「うん」
「約束。守ったね」

「うん」
「かっこよかった」

「そっか」
「もう少し。しばらくこのままで」

 優しく、恵子の肩を抱く和斗。
 早鐘のように心臓の音が響いて伝わってくる。

 5分ほど、そのまま二人の動きは止まったままだった。


「ん……あーー。もう、大丈夫!」
「ホントに? 無理しなくてもいいんだよ?」

「平気! 平気!」
「よかった」

「あ~。お料理荒らされなくてよかったぁ」
「ホントだ。すっげぇいい匂い」

「なんだと思う?」
「うーん。荒神と同じような匂いがする」

「ふふ。正解だよ~」
「え?」

「大将から、スジの煮込み分けてもらったんだ。今日は、牛スジチャーハンだよ!」
「えー!うれしい!!」

「ちょっと、荒神と違うのは、レタスが入っています。これでシャキシャキ感が出て油っぽさもいい感じになると思うよ~。」
「えー!早く食べたい。」

「他にも、おつまみもお酒も用意してるよ!」
「すげぇ! すげぇ!」

「でも、その前にさ。ゴメン。お風呂入っていい?」
「え? なんで?」

「だって、痴漢さんにペトペト触られたからさ。清めたい。」
「あ! そうか。わかった。じゃ待ってる」

「ひょっとして、また怖くなるかもしれないから」
「ウン」

「呼んだら来て?」
「あ、それは。ウン。大丈夫。呼んで」

 和斗と一緒にお風呂の脱衣所の前。

「じゃ、すぐ入ってくるからね」
「うん。わかった」

 和斗の耳にシャワーの音。
 少し緊張している。フラッシュバックして叫んだらどうしようと思った矢先だった。

「キャー! カズちゃん! 来てー!」
「え? え? え?」

 突然の声に和斗は風呂の扉を急いで開ける。
 するとそこにはハダカで胸よせしている恵子の姿。
 訳が分からずあんぐりと口を開けてしまった。

「え? 何してんの?」
「ん? 今日、助けてくれたからヌードのサービス!」

「……あのね」
「ビックリした?」

「うん。もう心配かけないでよ~」
「で? どうですか? ケイちゃんのハダカは?」

「ハイハイ。キレイキレイ」
「なに、その無感動」

「あー。じゃ触ってみていい?」
「うーん。ダメ!」

「なんだそりゃ」
「今、生理中だから興奮されてもねぇ」

「自分で見せといてさ」
「ふふ。ご褒美。ご褒美!」

「もういくよ? ケイちゃんのハダカ見てたらムラムラしてくるっつーの」
「ゴメンね~。エッチできない体でー」

「ホントだよ。言っときますけどねぇ」
「なに?」

 恵子の裸を見ながらニヤリと笑う和斗。
 恵子は少しばかり身構えた。

「ケイちゃんに告白してから、ずーっとエッチしてないからね?」
「あー、そう言ってたねぇ」

「生理終わったら見ろよ~」
「え?」

「すっごい内容濃いよ?」
「わー!」

「……フッフッフッフ! ハァーハッハッハッハ!!」

 笑いながらドアを締め、和斗はキッチンに戻っていった。

「ねぇ、なに? 今の悪者みたいな笑い方。ねぇー? 一人ではしてたでしょ? そんなにねぇ? 変なことしないよねぇ? あのー。あたし、マグロだよ? ねぇ~カズちゃん? ねぇ! 教えて? もー怖い!」



 それからしばらくして恵子は会社を辞めた。
 主任の彼女がいたからこそ成績も良かったのだが関係なかった。

 なぜ辞めたか。それは和斗のように単純な理由だ。
 結婚式には、上司呼ばなくてはいけない。
 呼びたくない上司がいるから辞めた。それだけ。スッキリした。

 ちょうど別の会社からの引き抜かれたので、そっちで頑張ることにした。小さい会社だが、給料も帰宅時間もそんなに変わりなくて良かった。
 家に帰ったら主婦業もしなくてはいけないから。

 二人は結婚した。とりあえずは籍だけ。
 恵子は、杉沢になった。

 二人でちょっと大きめのアパートに引っ越した。
 恵子の父も母も相当喜んでくれた。
 和斗は、恵子の父親と朝まで実家で飲んでいた。
 その父親は「息子ができてよかった!」と言ってる。

 披露宴はもうすぐ。
 冬子はスピーチを考えるのに頭を抱えている。たがすごく喜んでいた。
 和斗は友人が多すぎて、誰を呼ぶか迷ってる。
 二次会がすごいことになりそうだ。

 三年ぐらい、二人でみっちり稼ぐ。
 贅沢はしない。子供もそれから作る。
 その理由は知っての通り。郊外に家建てるからだ。小さいながらも。

 そろそろ和斗が仕事から帰ってくる時間。
 今日のテーブルの上は和食。
 ブリ大根と、豆腐サラダ。ひじきと油揚げの味噌炒め。お漬け物。そしてお酒。

 玄関のドアが開いた。

「ケイちゃん、ただいま!」
「おかえり!」



【おしまい】
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