これ友達から聞いた話なんだけど──

家紋武範

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うシのクビ

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「家に妻がいるんだ……」
「え?」

 同僚のSからの告白。普通に聞けば当たり前のようだが、Sの奥さんは先日若くして亡くなった。俺は葬儀にも参列してその死をちゃんと確認している。

 Sは表情は重く、顔はやつれているようだった。俺はSが奥さんを亡くしたショックであらぬ幻影を見ているのではないかと思った。

「それは気の迷いだよ。今はつらいかもしれないが、時間が解決してくれるさ」
「……アイツはこの世に未練があるんだ」

 話が噛み合わない。いよいよおかしい。

「応接室の扉の上に顔だけ出ているんだ。生きているあの時のまま──。ただ無表情でなにも話さないんだ」
「え──?」

 しばしの絶句。Sの奥さんは美しい顔立ちをしていた。それが幻でも会えるのならいいのかと思ってみたものの、なにも話さない生首があると聞くとゾッとする。
 Sは足元をふらつかせながら仕事に戻っていった。心配だ。





 同僚のTに言っても幻だと言う。俺はいつものように応接室に入り彼女の顔を見上げる。
 その顔は、ただ虚空を見つめており、俺のほうを見ようともしていない。
 生前のような美しい顔立ち。整えられたショートボブ。だが生気は感じられない。表情なく目を大きく見開いて真っ直ぐ前を見ているのみだ。

「いったい何をしたいんだよお前は……」

 俺は彼女から目を離さずに、ソファーに腰を下ろす。そしてグラスにウイスキーを注いで一息にあおった。

「何か言いたいことがあるならハッキリ言えよ。そして成仏しろ」

 しかし妻の口が開くことはない。俺の話を聞いているのか、聞いていないのかも分からない。
 なにも俺だってリビングに行ってしまえばいいのだ。妻はこの応接室から動かない。
 だがそれが出来なかった。妻がいつ話し出すかも分からない。
 だから毎晩彼女の様子を眺めるしかなかったのだ。
 なにもものを言わない妻の生首を。

 彼女はいなくなったはずなのに、苛立ちが募る。無言で俺を拒絶しているようだ。

「なあ、あのことなのか? あのことならお前も納得したはずだろう。いつまでも引きずってないで、天国にいっちまえよ」

 しかしなにも言わず、目も合わせない。俺の苛立ちは頂点に達してグラスを掴んで彼女目掛けて放り投げた。

 ガチャーーーン!

 グラスは音を立てて割れる。そこで正気に戻った。

「す、すまん。大丈夫か? う、うわ!!」

 当たりどころが悪かったのか、彼女の左目がドロリと抜け落ちて、ビトリと音を立てて床に落ちたので後ずさった。
 そして潰れた目玉を見て吐き気。顔を上げて妻の顔を見てみると、目玉が抜けたまま、正面を見たままだった。

 俺は怖くなって、グラスの破片を踏まないようにしながら部屋を飛び出し、自室へ逃げ帰った。
 だが夜は更けていく一方だというのに眠れるわけがない。一睡も出来ずに朝を迎え、グラスや目玉を片付けなくてはと思い、箒と塵取りを持って応接室に向かったが、グラスの破片はあるものの、目玉は無くなっていた。

 よもや夢だったのかと思い、妻の顔を見上げると、やはり目玉の部分は抜け落ちている。その空洞になった黒い穴は俺を見下ろしているようで恐ろしかった。

「い、い、いい加減にしろ! 確かに俺はお前が妊娠中に浮気をした! そしてお前は流産したが、それは俺のせいじゃない! それに気が狂って衰弱したのはお前の心の弱さだろう!!」

 そう叫んでも彼女は表情を変えずに正面を向いたまま。

 俺は肩で息をしていた。

 妻は「子供のことはいい。あなたが戻ってきてくれた」とは言っていたが、次第に衰弱し、体が弱ったところに病が入り込んで生前の面影なく死んだ。

 ここにある顔は衰弱前の美しい顔立ち。
 気品をたたえた──。


 突然。抜けた目の下の頬の肉がズルリと顔から滑り落ちて床へ。

 続いて髪の毛が。

 逆の目が。

 額の肉、顎の肉が。

 ボトリ、ボトリと音を立てて床に落ちる。

 やがて骨だけになった彼女の顔。

 肉の無くなった骨だけの姿は、口が耳まで裂けて、まるで不気味に笑っているようだ。



 そう思った。



 すると、妻の骨だけの首はこちらに顔を向けて──。













「あははははははははははははははは」













       は  は
    は        は
               は 
  あ    は   は     
                 は
は    は   は   は   
                 は
は   は  は   は  は  
                 は
は    は   は   は  
                は
  は     は  は   
     は       は
         は
         
    









 



 そう笑ったかと思うと、俺ののど笛目掛けて落ちてきてガブリと噛みついたのだ。
 俺の首から、真っ赤な血潮が吹き出し辺りは朱に染まった。





 俺はSが無断欠勤したと聞いて心配になり彼の連絡先をコールする。
 しかし──、出ない。

 上司はカンカンになって「奥さんを亡くしたことは気の毒だが、それとこれとは別だが! これは職場放棄だ!」とのたまっていた。

 確かに無断欠勤は悪いがひょっとしたら動けないほど体調が悪いのかと思い、外回りついでに見に行ってやることにした。

 Sの家には、一度行ったことがある。親が資産家で内装も見事な一戸建てだ。
 到着すると、ガレージにはSの車がある。いるのだ。

 玄関の前に立ち呼び鈴を押したが返答はない。やはり伏せっているのかもしれない。
 ドアノブに手を掛けると、すんなりと開いた。拍子抜けだ。

「S! Tだ。大丈夫か?」

 返答はない。しかし明かりが見える部屋がある。少しだけドアが開いているようだ。

「S。入るぞ」

 俺はSに断りを入れてから、家の中に入った。男の独り暮らしだ。大丈夫だろう。
 しかし、この家の豪華さはどうだ。廊下は広いし、壁に掛けられている絵画はどこかでみたことがある。へこんだ壁に壺やらグラスやらが飾られている。

「親は相当な金持ちだな」

 俺は明かりが漏れる部屋に行くと、床に人の腕が見えたのでゾッとして驚いた。

「S!?」

 その部屋のドアの隙間に倒れているSの姿が見えたので慌てて駆け込んだ。

「S! 大丈夫か!?」

 しかし返答はなかった。Sはすでに事切れているようだった。目は見開いたまま。表情も恐怖におののいているようだった。

 俺はすぐさま警察と消防に連絡した。Sには外傷がない。おそらく急性的な心臓や脳の病気ではないかと思ったところに視線を感じた。

 そうか!
 ここは応接室だ!

 Sが言っていた。ここに妻の生首があると!

 俺は恐る恐る視線の方に目を向けた。
 応接室のドアの上に……。

 だがすぐに安堵のため息を漏らした。

 そこには、水牛の頭部の骨飾りがあっただけだったのだ。

 その牛の首の目の下辺りにはガラスの破片が刺さっていた。
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