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いやいや、おひめさま ②
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───澪と全校生徒の前でワルツを踊る?冗談じゃない。
詩は、ノートの切れはしに、「悪いけど、他をあたって」と書いた。「悪いけど」のあとの文言は、何度か書き直したものだ。私は無理───私は断る───とか。澪はただ誘っただけなのに、きつい言い方になってしまうのは、さすがに申し訳ない。
詩は、先生が黒板に数式を書いているスキに、澪の肩を、人差し指だけで弱くトントンたたく。
「なあに?」
澪が、小声でふりかえった。
「振り向かなくていいから。これ。」
詩はぐいっと紙切れを差し出す。澪は目を通してから、「なんで?」と言った。
「なんでって、そんな柄じゃないからに決まってるでしょ。」
「そんなことないよ。詩ちゃんならきっと似合うよ、ドレス。」
「桜宮さんとなら、みんないっしょに踊りたがるはずよ。」
「わたしは、詩ちゃんと踊りたいなあ。」笑顔の澪。
「嘘言わないで、私あんなドレス絶対似合わないし、全校生徒の前で踊りたくもない。」
「似合うよ。わたしが保証する。」
「いやって言ってるでしょ!?」
「桜宮、どうした?具合でもわるいのか?」
ひそひそと言い合ってると、先生から心配そうな声がかかって、ふたりは顔を上げた。
───こんなときでも、どっちが心配されるかは日頃の行いってわけね。
詩はあきれて、そっぽを向く。
「ちょっと貧血ぎみで。」
澪が嘘をつくのは、初めて見た。詩は内心ちょっと、いやかなり、びっくりする。
「そうか。具合が悪いなら、保健室で休んできなさい。」
「はい。そうします。」
ガタガタと音を立てて、立ち上がる澪。
「あ、あのっ、私、付き添い。」
詩は緊張しながら小さく手を挙げると、「そうだな、頼んだよ。」と、先生は許してくれた。
保健室へ向かう廊下で、
「嘘ついちゃったね。」と、澪はきまり悪そうにほほえんだ。
学校の1階には、使われてない教室がいくつかあり、その周辺で話していたら、まず先生には見つからない。
外では、サアと音を立てながら、細かい雨が降っている。
「桜宮さんでも、嘘とかつくのね。」
「そりゃ、つくよ。時々だけどね。」
そう言われて初めて、詩は言わない方がよかったと後悔した。
───今の私は、アイドルだ神対応だと持ち上げてるクラスの人たちや一般人と、同じことをしてるんじゃないか?
「あの、ごめん、なさい。」背筋を丸めてあやまると、
「ん?なにが?」
と、澪はきょとんとした顔できいた。
「さっきのこと。嘘、ついたことのない人なんて、いないでしょ。ごめんね。」
澪はまたほほえむと、「詩ちゃんって、やさしいんだね。」と、言った。
───やさしい?
───やさしさなんかじゃない。当たり前のことができなかったから、あやまっただけ。
詩は、心の中に、何か熱くてぶくぶく煮え立つものを感じた。
「舞踏会、いやなら出なくていいよ。わたしも出ないもの。」
「……。」
ぶくぶく、ぶくぶく。
「詩ちゃんが選んだ方に、わたしはついてくよ。」
「……。」
ぶくぶくぶくぶく!
「詩ちゃん?」
「バカにしないで。」
詩は、本音が出てしまい、自分でもおどろいていた。
詩が右目をなくしたのは、自分でもよく覚えてないくらい、幼い頃の話だ。それから、両親は過保護ぎみになり、詩の片目に義眼が入っていると知った色んな人が、詩に優しくしてくれた。同級生、学校の先生、陸上の先生、道でたまたまぶつかった人───
詩は、それがいやだった。
やさしくするなと言ってるんじゃ、ない。でも、「どうせ、右目が見えないから」優しくして「もらう」のは、だいきらいだ。
今の詩には、教室で浮いてる自分にひとりだけ優しくしてくれる澪は───わざわざ舞踏会にまで誘ってくれてる澪は───そんな「ハンデを負った自分に優しくしてあげてる」存在に見えて、しょうがなかったのだ。
「……なにが?」戸惑った様子の澪が目の前にいる。当然の反応だ。
「───出たいんでしょ、舞踏会。なら、出ればいいじゃない。いつも仲良くしてる友だちだって大勢いるんでしょ。私と組む必要なんて、桜宮さんにはどこにもないじゃない。」
澪にまたもや、まずいことを言ったような気がしていた。でも、もはや後戻りができなくなった詩は、左目できっと澪をにらんだ。日頃他人と話さないせいで、どこまで心を打ち明けていいのか、どういう言い方をしたらいいのか、わからない。
「……わたしは、詩ちゃんと、出たいのよ。」
「どうして私にこだわるの?見ればわかるでしょ、私はひとりが好きなの。優しくしてくれなくたっていいの!」
「さっきも、ああやって言ってくれた。わたしのこと本当に見てくれるのは───」
「そこのふたり!何やってる!」
「やばいっ。」
澪は、とっさに詩の右手をとると、先生とは逆方向に駆け出した。詩は最初、澪が何をしたかわからなかった。右側は、義眼が入っている以上、どうしても彼女の死角なのだ。
でもすぐに、詩も状況をのみこんで駆け出した。走るとなると、「暗くてクラスで浮いてる自分」ともうひとり、「選手の自分」が出てきて、詩を冷静にしてくれる。
───私だって澪とおなじ、陸上800mの選手だ。このくらい、余裕で振り切れる。
走り出したら、澪が悪い人じゃないっていう前提が、ようやく飲み込めた。接する相手に悪意があると思い込むのは、澪の悪い癖だ。
───後でさっきのこと、謝らなきゃならない。
「待ちなさい!」
後ろから怒った声が飛んできたけど、かまわずに足を動かす。最高のコーナリングで、廊下を曲がる。一回、二回。きっともう振り切れたはずだ。
「上履きじゃ走りにくい、ね!」
澪は詩に向かってほほえみかけたが、このときも澪は詩の右側で走っていたので、そのほほえみの半分は詩にはみえなかった。
澪が、[生徒による開放禁止!]の張り紙が貼ってある学校の裏口を、勝手に開ける。ガラガラガラ、と音がして、銀色の枠が横にすべっていく。外は雨でびちゃびちゃだ。
ふたりが外に出るのと同時に、詩と澪はぴしゃりとスライドドアを閉めた。
「楽しかった!」汗ひとつかいてない澪は、たちまち雨に濡れてしまった。詩もおなじだ。
「今日一日だけで、いろんな規則、やぶっちゃったよ。」
澪は、「ないしょだよ。」と言うみたいに、人差し指を立てて口元にもっていく。爽やかなスクールモデルみたいな彼女の顔立ちでは、とっても絵になる。降りしきる雨すら、いまの澪を引き立ててるみたいだ。
「それでね、詩ちゃん。さっき言おうとしたこと───」
澪の言葉を、詩はさえぎった。こんなことまでしたんじゃ、しょうがない。
───校内ランは同着だけど、私の負け。
「わかった。もうわかったから」
バラバラバラバラ!雨がいちだんと強くなり、校舎のコンクリートに当たってはじけてる。雨音に負けないように、詩は精いっぱい声を張り上げた。
「出ればいいんでしょ!舞踏会!」
「いいのっ!?」
澪が分かりやすく顔を輝かせた。こんどは、表情がよく見える。
「いいわけないけど、根負けってやつ。あと、さっき、ごめん。最初の話よりずっと、ひどいこと言った。」
「いいの。私も、急に無茶なこと言った。ごめんね。」
ふたりとも謝り終えると、澪は満足げにほほえんだ。制服までびしょ濡れなのに、ずっと笑っていられる澪をみて、詩もちょっとだけ笑った。
「じゃあ、今日からわたしの家で特訓だよ!」
「え?」
詩は、ぽっかりと口をあけた。開いた口が塞がらないとはこのことかと、わかる。今の詩はたいそう間抜けな顔をしてることだろう。
「わたしは陸上を走ってるけど、わたしの家、みんなフィギュアスケートやってるの。」
───知ってる!そんなこと。いやでも耳に入ってくるんだから。
詩は心の中で、憎まれ口をたたく。
「だから、お父さんもワルツくらい、踊れると思うの。フィギュアスケートって私もよく知らないけど、地上でするダンス……たとえばバレエなんかを、いっしょに習ってる人が多いでしょ?」
「……いやいや、澪のお父さんって───」
───元世界王者の、桜宮湊じゃない。
桜宮湊。日本では負けなしと言われ、数々の大会を総ナメにしたことで知られてる。オリンピックの、金メダリスト───そして、連覇を期待されていた二度目のオリンピックは、直前の腰の怪我で辞退せざるを得なかったことでも知られてる。ついたあだ名が、悲劇のプリンス。
「学校のイベントのためだけにわざわざ教わるなんて、いいってば!普通にYouTubeとか見ればいいでしょ。」
「でも、お父さん最近ヒマしてるのよ。わたしの顔見ると、ずっと『何か手伝えることとか、ない?』って、話しかけてくるし。」
───元世界王者の、ひとり娘に対する顔を、こんな一般市民が知ってもいいものか……。
詩は頬をヒクヒクさせた。これは───また、押し切られることになりそうだ───。
詩は、ノートの切れはしに、「悪いけど、他をあたって」と書いた。「悪いけど」のあとの文言は、何度か書き直したものだ。私は無理───私は断る───とか。澪はただ誘っただけなのに、きつい言い方になってしまうのは、さすがに申し訳ない。
詩は、先生が黒板に数式を書いているスキに、澪の肩を、人差し指だけで弱くトントンたたく。
「なあに?」
澪が、小声でふりかえった。
「振り向かなくていいから。これ。」
詩はぐいっと紙切れを差し出す。澪は目を通してから、「なんで?」と言った。
「なんでって、そんな柄じゃないからに決まってるでしょ。」
「そんなことないよ。詩ちゃんならきっと似合うよ、ドレス。」
「桜宮さんとなら、みんないっしょに踊りたがるはずよ。」
「わたしは、詩ちゃんと踊りたいなあ。」笑顔の澪。
「嘘言わないで、私あんなドレス絶対似合わないし、全校生徒の前で踊りたくもない。」
「似合うよ。わたしが保証する。」
「いやって言ってるでしょ!?」
「桜宮、どうした?具合でもわるいのか?」
ひそひそと言い合ってると、先生から心配そうな声がかかって、ふたりは顔を上げた。
───こんなときでも、どっちが心配されるかは日頃の行いってわけね。
詩はあきれて、そっぽを向く。
「ちょっと貧血ぎみで。」
澪が嘘をつくのは、初めて見た。詩は内心ちょっと、いやかなり、びっくりする。
「そうか。具合が悪いなら、保健室で休んできなさい。」
「はい。そうします。」
ガタガタと音を立てて、立ち上がる澪。
「あ、あのっ、私、付き添い。」
詩は緊張しながら小さく手を挙げると、「そうだな、頼んだよ。」と、先生は許してくれた。
保健室へ向かう廊下で、
「嘘ついちゃったね。」と、澪はきまり悪そうにほほえんだ。
学校の1階には、使われてない教室がいくつかあり、その周辺で話していたら、まず先生には見つからない。
外では、サアと音を立てながら、細かい雨が降っている。
「桜宮さんでも、嘘とかつくのね。」
「そりゃ、つくよ。時々だけどね。」
そう言われて初めて、詩は言わない方がよかったと後悔した。
───今の私は、アイドルだ神対応だと持ち上げてるクラスの人たちや一般人と、同じことをしてるんじゃないか?
「あの、ごめん、なさい。」背筋を丸めてあやまると、
「ん?なにが?」
と、澪はきょとんとした顔できいた。
「さっきのこと。嘘、ついたことのない人なんて、いないでしょ。ごめんね。」
澪はまたほほえむと、「詩ちゃんって、やさしいんだね。」と、言った。
───やさしい?
───やさしさなんかじゃない。当たり前のことができなかったから、あやまっただけ。
詩は、心の中に、何か熱くてぶくぶく煮え立つものを感じた。
「舞踏会、いやなら出なくていいよ。わたしも出ないもの。」
「……。」
ぶくぶく、ぶくぶく。
「詩ちゃんが選んだ方に、わたしはついてくよ。」
「……。」
ぶくぶくぶくぶく!
「詩ちゃん?」
「バカにしないで。」
詩は、本音が出てしまい、自分でもおどろいていた。
詩が右目をなくしたのは、自分でもよく覚えてないくらい、幼い頃の話だ。それから、両親は過保護ぎみになり、詩の片目に義眼が入っていると知った色んな人が、詩に優しくしてくれた。同級生、学校の先生、陸上の先生、道でたまたまぶつかった人───
詩は、それがいやだった。
やさしくするなと言ってるんじゃ、ない。でも、「どうせ、右目が見えないから」優しくして「もらう」のは、だいきらいだ。
今の詩には、教室で浮いてる自分にひとりだけ優しくしてくれる澪は───わざわざ舞踏会にまで誘ってくれてる澪は───そんな「ハンデを負った自分に優しくしてあげてる」存在に見えて、しょうがなかったのだ。
「……なにが?」戸惑った様子の澪が目の前にいる。当然の反応だ。
「───出たいんでしょ、舞踏会。なら、出ればいいじゃない。いつも仲良くしてる友だちだって大勢いるんでしょ。私と組む必要なんて、桜宮さんにはどこにもないじゃない。」
澪にまたもや、まずいことを言ったような気がしていた。でも、もはや後戻りができなくなった詩は、左目できっと澪をにらんだ。日頃他人と話さないせいで、どこまで心を打ち明けていいのか、どういう言い方をしたらいいのか、わからない。
「……わたしは、詩ちゃんと、出たいのよ。」
「どうして私にこだわるの?見ればわかるでしょ、私はひとりが好きなの。優しくしてくれなくたっていいの!」
「さっきも、ああやって言ってくれた。わたしのこと本当に見てくれるのは───」
「そこのふたり!何やってる!」
「やばいっ。」
澪は、とっさに詩の右手をとると、先生とは逆方向に駆け出した。詩は最初、澪が何をしたかわからなかった。右側は、義眼が入っている以上、どうしても彼女の死角なのだ。
でもすぐに、詩も状況をのみこんで駆け出した。走るとなると、「暗くてクラスで浮いてる自分」ともうひとり、「選手の自分」が出てきて、詩を冷静にしてくれる。
───私だって澪とおなじ、陸上800mの選手だ。このくらい、余裕で振り切れる。
走り出したら、澪が悪い人じゃないっていう前提が、ようやく飲み込めた。接する相手に悪意があると思い込むのは、澪の悪い癖だ。
───後でさっきのこと、謝らなきゃならない。
「待ちなさい!」
後ろから怒った声が飛んできたけど、かまわずに足を動かす。最高のコーナリングで、廊下を曲がる。一回、二回。きっともう振り切れたはずだ。
「上履きじゃ走りにくい、ね!」
澪は詩に向かってほほえみかけたが、このときも澪は詩の右側で走っていたので、そのほほえみの半分は詩にはみえなかった。
澪が、[生徒による開放禁止!]の張り紙が貼ってある学校の裏口を、勝手に開ける。ガラガラガラ、と音がして、銀色の枠が横にすべっていく。外は雨でびちゃびちゃだ。
ふたりが外に出るのと同時に、詩と澪はぴしゃりとスライドドアを閉めた。
「楽しかった!」汗ひとつかいてない澪は、たちまち雨に濡れてしまった。詩もおなじだ。
「今日一日だけで、いろんな規則、やぶっちゃったよ。」
澪は、「ないしょだよ。」と言うみたいに、人差し指を立てて口元にもっていく。爽やかなスクールモデルみたいな彼女の顔立ちでは、とっても絵になる。降りしきる雨すら、いまの澪を引き立ててるみたいだ。
「それでね、詩ちゃん。さっき言おうとしたこと───」
澪の言葉を、詩はさえぎった。こんなことまでしたんじゃ、しょうがない。
───校内ランは同着だけど、私の負け。
「わかった。もうわかったから」
バラバラバラバラ!雨がいちだんと強くなり、校舎のコンクリートに当たってはじけてる。雨音に負けないように、詩は精いっぱい声を張り上げた。
「出ればいいんでしょ!舞踏会!」
「いいのっ!?」
澪が分かりやすく顔を輝かせた。こんどは、表情がよく見える。
「いいわけないけど、根負けってやつ。あと、さっき、ごめん。最初の話よりずっと、ひどいこと言った。」
「いいの。私も、急に無茶なこと言った。ごめんね。」
ふたりとも謝り終えると、澪は満足げにほほえんだ。制服までびしょ濡れなのに、ずっと笑っていられる澪をみて、詩もちょっとだけ笑った。
「じゃあ、今日からわたしの家で特訓だよ!」
「え?」
詩は、ぽっかりと口をあけた。開いた口が塞がらないとはこのことかと、わかる。今の詩はたいそう間抜けな顔をしてることだろう。
「わたしは陸上を走ってるけど、わたしの家、みんなフィギュアスケートやってるの。」
───知ってる!そんなこと。いやでも耳に入ってくるんだから。
詩は心の中で、憎まれ口をたたく。
「だから、お父さんもワルツくらい、踊れると思うの。フィギュアスケートって私もよく知らないけど、地上でするダンス……たとえばバレエなんかを、いっしょに習ってる人が多いでしょ?」
「……いやいや、澪のお父さんって───」
───元世界王者の、桜宮湊じゃない。
桜宮湊。日本では負けなしと言われ、数々の大会を総ナメにしたことで知られてる。オリンピックの、金メダリスト───そして、連覇を期待されていた二度目のオリンピックは、直前の腰の怪我で辞退せざるを得なかったことでも知られてる。ついたあだ名が、悲劇のプリンス。
「学校のイベントのためだけにわざわざ教わるなんて、いいってば!普通にYouTubeとか見ればいいでしょ。」
「でも、お父さん最近ヒマしてるのよ。わたしの顔見ると、ずっと『何か手伝えることとか、ない?』って、話しかけてくるし。」
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