7 / 28
第二章 方舟〈信落〉
『独姫愁讐篇』
しおりを挟む
「ーーとりあえず宿はここで問題はないな」
アパホテルのような、けれど壁紙には桜が散る小綺麗な部屋にアカネが荷物を置くと、赤髪の美女セイラは換気のために窓を開けて薔薇色の、もしくは炎の色の髪を靡かせながら言った。
六月の風に乗ってアカネの鼻に届くのは凛々しい花の香り。香水だろうか。大人びた色気のある匂いに少しドキリとなる。
「必要最低限の物は揃えたからとりあえず困ることはないだろうが、そういえば服を買い忘れてしまったな」
「……えっ?」
「?どうかしたのか」
「いえっ、何でもありません」
「?」
うっとりしていたら急にセイラが振り返るモノだから上擦った声が出てしまい、慌ててアカネは首を横に振った。同性でも魅せられてしまうこの美しさと格好良さは反則だと思う。
「まぁ、服は私のを着れば大丈夫か」
「残念ながらサイズが合いませんっ」
特に胸。
「微々たるモノじゃないか?」
「大きいよ!高尾山と富士山くらい違う!だってセイラさん、スリーサイズいくつ!?」
少し考えてから富士山は言った。
高尾山はソレを聞くと土砂崩れを起こして女としての圧倒的な差に恐れ慄いた。
霊峰、恐るべし。
「これが異世界……。漫画のキャラが現実になった世界……」
「……何を言ってるんだアカネ」
御来光が眩しくて直視できないアカネではあるが、こいつもこいつで浮世離れした美少女だということを忘れてはならない。確かに標高は惨敗だが顔面レベルはいい勝負なのだ。ただ向こうは大人の色気と呼ばれるレベルアップボーナスがあるだけで、こっちの期間限定ボーナスの若さと乙女感が遅れを取っているワケでは決してない。
そしてさっきからこいつ何言ってんだと思ってる人はそれが正常だから安心して。
などと霊峰に圧倒されてる場合じゃねぇ。
「というか……何から何まですみません」
気まずそうにアカネは今さっき置いた荷物に目をやった。元々持っていた役立たず共(スクールバック)とは別に、紙袋が一つ。
中身は女の子に必要ような生活必需品。
具体的に滞在期間は決まっていないが、セイラが気を遣ってくれて宿探しと並行して買ってくれたのだ。
セイラは首を横に振る。
「気にしなくていい。……あと「さん」はいらないと言ったろう?敬語もな」
「あ、は……うん。ありがとう」
「ん。さ、そろそろ下へ降りよう」
「……うん」
どうして彼女は、彼女たちは。何故ここまで親身になってくれるのだろう。〈ノア〉に仮加入、宿、備品、全てにおいて彼女たちはアカネに好意的な態度を示してくれる。
異世界に召喚されてまだそこまで時間は経っていなくて、たまたま倒れているところを保護と看病してくれて、お互いのことなんて名前くらいしか知らなくて。手帳のプロフィールは空白だらけなのに。
それとも、単純に職業病なのか。はたまた異世界の人間は皆、誰も彼も優しいのか。
アカネには、分からない世界だ。
誰かに優しくすることも。
誰かを助けようとすることも。
「どうしたアカネ。何か足りないモノでもあるのか?」
「あ、ううん。大丈夫」
紅鈴の声にハッとなったアカネは自分が不自然に沈黙していたことにようやく気づいた。首を傾げているセイラはもう部屋を出ようとしていて、アカネはその後ろに続く。
扉の開閉音が、自分の心音に似ているような気がして、アカネは早足気味にホテルを出た。
「すごい……」
ホテルがあった宿場区域を出てからアカネたちが足を運んだのは"アリア"に来たら一度は訪れるべき神聖な場所だ。
「にしし。すげーだろ。ーーこれが『桜王』だ」
自慢げに笑ったハルに頷いて、アカネは再度桜の王を見上げた。
日本のスカイツリーよりはるかに高い、じゅれいが地球の年と比例していそうな壮観な巨大樹は、一面芝生の広場の中央に毅然と屹立している。
特に制限もされておらず、大勢の人々が『桜王』の周りに集まっていた。まるで世界の御神木である。日陰が多く木漏れ日も幻想的に薄いのは傘のように咲き誇る向日葵色の夏桜が日光浴を楽しんでいるからだろう。
青空どころか頂なんて見えるはずもなく、だから一番上には神様がいて、地上に暮らす人々を見守ってくれているという。
「奇跡みたいにキレイ……」
初夏の風に揺れて葉擦れの音を鳴らし、仄かに陽光を嗜みながら舞い散る夏色の桜の花弁の情景は彼岸じみたうつくしさで、柄にもなくついと詩的な呟きをアカネは零した。
その横顔に、ハルが笑う。
「だろ。"アリア"自慢の魔法樹だ。俺もよく知らねーけど、神様がまだいた時代からあるらしいぞ」
「神様……」
元の世界とは意味合いも価値もまるで違う言葉の真価は流石異世界だ。魔法筆頭にあらゆる超常が存在する異世界なら、神様なんていう規格外がいても不思議ではない。
アカネは『桜王』からハルに視線を戻して、
「ハルは神様を見たことがあるの?」
ハルは首を傾げた。
「何でだ?」
「深い理由はないけど。今のハルの言葉、まるで神様に会ったことがあるような空気だったから」
その時代にはいないけど。
神様自体は信じているというか。見たことがあるような。だから疑うこともなく自然と「不思議ではない」と思えて。
「あるぞ」
「え?」
嘘なんかついていない純粋な目だった。騙すつもりも陥れるつもりもない真っ直ぐな回答。その表情。
無条件で信じてしまいそうになる、白い笑み。
「つーか、俺は神様に育ててもらったから」
「……そ、そーなの?」
「おう。って言ってもよく覚えてねーけどな」
「……そーなんだ」
呆然と呟いて近くにいるセイラとユウマ、ギンを見ればハルの証言を肯定するように肩を竦めていた。事実確認が一瞬で終了してしまい、少女は笑い飛ばす気もなくなる。
もちろん初めからそんなつもりはなかったが、こうも自分だけ無知で周回遅れの立場になると反論しようと『ありえない』を前提に考えてしまう。
元の世界での常識も要因の一つになっているのだろう。
神様が本当にいる世界と。
神様を信じない世界。
「言っておくが、私たちも神を見たことはないぞ」
補足するように言ったのはセイラだ。
彼女はハルの頬を親しげにつねって、
「というより、この世界に住む殆どの人間がそうだ。神は遥か昔に滅んでいる。だからこの馬鹿の言うことを信じる必要はまだないぞ」
「そうなの?」
てっきり本当に天界やら高天原やらがあって、そこに神様が住んでいると思っていたのだが。
だから『桜王』の頂の話しがあり、異世界の住人は全員神を目にしたことがあるのかと。
そもそも、神は滅びるのか?
「まぁ、神の有無やこの世界については後々知っていけばいいさ」
まぁ、その通りではあるのだろう。二日や三日くらいで何もかも知れたら苦労はしない。物事には順序というものがある。
で、あれば。
世界の歴史、最奥たる情報はハルたちを知ってからだろう。
と、そこでアカネは気づいた。
何か場の流れで"アリア"を案内されているが。
「そういえば。事務所?的なところに戻らなくていいの?依頼、来るかもしれないよ?」
アカネの素朴な心配に〈ノア〉の奴らがもれなく全員ドキリとなり目を逸らした。まるで都合の悪いことから逃げる子供のような仕草だ。
アカネは当然怪訝になる。少女としては真っ当な考えだと思ったのだが。
対して、ハルたち何かを誤魔化すような大根役者の芝居で、
「つーかアレだよな。忘れてたけどこの前家ぶっ壊れたからないよな」
「それでよくあたしを泊めようとしたね」
「今ちょっと火事中なんだよ」
「どういう状況なのよ」
「お腹壊してるからキツイと言ってたな」
「ヒトか」
「三回回ったら吐いたらしいよ」
「犬か」
デタラメにも程があった。
これは、明らかになにか隠してる。
アカネは目を細めて、
「……何を隠してるの」
声にはさりげなく教えてくれなきゃ「信じない」空気を孕ませた。すると予想通り三人とギンはぐぬぬ……!と顔を顰めて葛藤していた。
あと一押し。
「……〈ノア〉、やっぱりやめようかな」
「ち、違うんだアカネ!実は……!」
「ーーおう〈ノア〉じゃねーか!何だ今日も依頼がなくて暇してんのかー?ガハハハ!」
何か昭和の時代の八百屋の店主みたいなオッサンが快活にそう言って現れるとハルたちの時間が止まっていた。全員ねじりタオルを頭に巻いたオッサンを視殺するくらいの勢いで睨んでやがる。
……なるほど。そーゆーことね。
「あれ?何、なんか俺、余計なこと言った?」
「前から言おうと思ってたけどダセェんだよそのねじりタオル。野菜天国に送ってやろうかクソジジィ」
「あと1週間前から鼻毛がおはようしてんだよ不眠不休でヒラヒラしてんだよ。野菜どころじゃねーんだよクソジジィ」
「寝起きの口臭が最近キツイと奥さんが言ってたぞクサジジィ」
「だから娘さんに洗濯物一緒にしないでって言われるんだよクソジジィ」
「立ち直れねーよ!俺が一体何をしたって言うんだあああああああああああああああ!」
多分魔王も一撃で粉砕する言葉の乱射に打ちのめされたオッサンが泣き叫びながら走り去っていく。
まぁ、つまり。
「……………いつも暇なんだね」
「「「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………はい」
そうして〈ノア〉の事実を知ったアカネは呆れ混じりにハルたちについていく。暇=依頼者がいない=困っている人がいなくて平和という良い現実に気づいていないらしい。
アカネには失望されまいと隠していたのだろうが、いずれにせよバレていただろうに。
だから呆れた。
アカネは息を吐いて、
「元気出してよみんな。あたし、気にしてないよ」
「「「その優しさが今は辛い……」」」
テンションの急降下具合がエグい。どんよりした空気を吸うと風邪引きそうだ。
再度息を吐くアカネはそこである影に気づいた。何故か読めるこの世界の、英語に似た文字が〈ノア〉を指す看板を構える小洒落た一軒屋が見えて、あそこが拠点かと思ったらウロウロしている人がいたのだ。
雰囲気的には訪れた先が留守で困惑しているよう。
「あれぇ?確かここが何でも屋さんって教えてもらったのにぃ……」
ハルたちもその影ーー金髪の少女に気づいたらしい。全員がピタリと足を止め、少女を見る。
「うぅ……どうしよう。ここで待ってればいいのかなぁ……きゃ!」
「「「……………… 、」」」
〈ノア〉前を行ったり来たりしていた金髪少女が躓くものが何もないただの石畳の上で転んだ。
「いたた……。もう、何でアタシはいつもいつも………わ!」
「「「……………… 、」」」
ボゾボソ言いながら立った少女の金の頭の上に鳥のフンが見事に落ちた。
もう見てられなかった。
言わずにはいられなかった。
「「「何でそーなるの」」」
一言で言えば新築物件の紹介PRや雑誌に載っていそうな家が〈ノア〉だった。
二階建ての、設計者のセンスが光る清楚で凛としたモダンな外観と同様に中も美然としている。
二階は各々の部屋があり、一階は団欒を築くリビングの他に応接室があった。リビングもそうだが五人が入っても十分広い、依頼者を迎え入れる応接室のソファの上にハルとセイラ、ユウマが座り。アカネはギンを抱いて後ろに立ち、ローテーブル挟んだ向かいのソファに今回の依頼者が座っていた。
「で。ドジ……いや、今日はどんな用件できたんだ?」
絶対今金髪少女のことをドジっ子と言おうとしたハルの気持ちを深くふかぁ~く理解しながら、アカネはキョトンと首を傾げている彼女に目を向けた。
赤いリボンで長い金髪をツインテールで束ねる、白い肌の可憐な少女。翡翠色の双眸で、着ている服は上京娘みたいに地味だ。
彼女はアカネと目が合うと慌てるように逸らし、そのまま俯いて口を開いた。
「あの、えっと……。アタシ。エマ・ブルーウィンドって言います。今日は、その、依頼があって伺いました」
「シャワーを浴びに来たの間違いだろ」
「浴室でコケて湯船に落ちに来たの間違いじゃねーのかよ」
「すみません……」
思ったことはすぐに口に出しちゃう系のデリカシーゼロ助どものせいでエマが萎縮してしまい、見兼ねたセイラが二人を殴って黙らせた。
「バカ共の非礼を詫びよう。基本あの二人が言うことは気にしなくていい」
「は、はぁ……」
首を傾げるエマにセイラは微笑して、
「話しを進めよう。まず、私はセイラだ。よろしく。そして青髪のバカ一号がハル、茶髪の二号がユウマ。後ろにいる黒髪の少女がアカネ。犬がギン。以上が〈ノア〉のメンバーだ」
「えっ?」
セイラの言に誰よりも早く反応したのはアカネだ。思わずセイラを見るが彼女はこちらを振り返らない。
聞き間違いだろうか?
いま、黒髪と言わなかったか?
「それで。依頼内容は?何を解決してほしい?」
怪訝になっているアカネにはやはり気づくことなくセイラは話しを進めていく。ハルとユウマがよろよろと戻ってきたところで金髪ツインテールのエマが口を開いた。
「ある物を、探して欲しいんです」
「ある物?」
眉を寄せるセイラの隣でハルとユウマが冗談っぽく笑う。
「おいおいまた探し物系だぜユウマ。どいつもこいつも物無くしすぎだろ」
「指輪の次はネックレスかもな。依頼料によっちゃ断るか?」
「あと探すものにもよるな。家族の形見とかならオッケーだ」
「特にばぁちゃんの形見とかな」
「「ま、そんなワケねーか!あっはっはっは!」」
中学生みたいなノリで笑い合う二人の前、赤いリボンの少女が蚊の鳴くような声を発した。
「………おばあちゃんの形見です」
「「…………………………、」」
もう黙るしかねぇ。
ハルとユウマは当然として、アカネたちも気まずくなって口を閉ざして固まるしかなかった。
そんな空気を変えようと思ったのだろう。全ての元凶たるアホ共が気を取り直すように、
「よ、よくある。よくあるよばぁちゃんの形見なんて!なぁユウマ!」
「そそ、そうだよ何も珍しくねーよ。オレなんてばぁちゃんの形見コレクションあるからね、コンプリート寸前だからね!」
「俺だってつい最近ネックレスもらったばっかだぜ!形見ブームなんだよ今!」
「……ネックレスはベタじゃね?流石にエマも探して欲しい形見はネックレスじゃねーと思うけど」
「バッカお前。ベタが一番いいんだよ栗頭。ネックレスって言っときゃ世界は平和なんだよ」
「…………ネックレスです」
「「…………………………………………、」」
痛い。空気が痛い。良くしようと思ったらむしろ悪化しやがった。心という名の装備をくまなくズタボロにする針みたいな空気が心底うまくねぇ。
てなわけで再度セイラに殴られて部屋の隅に転がったエアークラッシャー共はもう放って置くことにした。
世界は平和にならないのである。
「コホン。話を戻そう。どこで落としたか覚えているか?」
エマは首を横に振って、
「覚えてません。"アリア"にきた時にはまだあったので、この街で落としたのは間違いないんですが……」
「いつこの街に?」
「昨日です」
「なるほど……」
細い顎に手を添えて何やら考え込むセイラはちらりとアカネが抱くギンを見る。すると白銀の小犬はアカネの腕の中からローテーブルに飛び、それからエマの膝上に移動して彼女の匂いを嗅いだ。
首を傾げるエマの膝上、ギンはセイラをみる。
「うん。覚えたよ。いつでもいける」
「犬が喋った………?」
「そりゃ喋るよ」
「へぇ~……そうなんだ」
「……………納得した!?」
まさかのリアクションにエマを二度見したギンの報告に、セイラは頷く。
「よし。あとは捜索範囲の絞り込みだな」
「え、どういうこと?」
同じ場所で同じ話を聞いているのにセイラとギンに置いていかれてる気がしてアカネは眉を顰めた。セイラとギンにとって当たり前のコミュニケーションなのだろうが、アカネとエマにとってはまるで未知である。
捜索範囲云々の前に、こんな大きな街の中からネックレス一つ探し出すことなんて不可能に近い。
にも拘らず、探し出せる確信と根拠があるみたいな態度。
セイラは紅色の唇を緩めた。
「ギンはとにかく鼻がいい。覚えた匂いは忘れず、匂いの元となる人が身につけていた物も匂いを辿って見つけることが出来るんだ」
「だから今エマの匂いを覚えた。この街にあるならすぐに見つけられるよ」
「"アリア"は広いからな。全域を探すより的を絞った方が効率的だろう」
「………そうなんだ」
感嘆を漏らしたのはアカネだけでなくエマも同じだった。元の世界でも犬の嗅覚が人間の数千倍なのは知識としてなら頭にある。行方不明者の捜索や薬物検知などで活躍していると。ギンもその例に漏れず、異世界力の付与があるならアメリカの警察犬すら凌駕するかもしれなくて、だから実際に犬の嗅覚の絶対性を見るのは初めてだ。
ギンを信じるセイラの姿を見て、不思議と見つかるような気がした。
アカネは腕の中に戻ってきた頼もしい小犬くんを撫でて、
「すごいね、ギン。心強いよ」
「へへっ。もっと撫でて」
「いいよ」
甘えてくるとか可愛すぎる。キュン死にしそう。
と、一人萌えているアカネを優しげに見ていたセイラは小さく笑い、それからエマに目を戻す。
「"アリア"のどこへ足を運んだのか、可能な限りでいいから思い出してくれ。まずは足跡を辿りたい」
エマは自分の記憶の糸を、過去の自分を掴むように沈考して、
「……桜通りを通って『桜王』に行って、古書店とご飯屋さんにも寄って、宿に帰って、ネックレスがないって今朝気づいたんです」
桜通りは「桜門」から『桜王』へと直接で繋がっている大道たるメインストリート。そこを基点として多くの通りが分散している道が葉桜通り。様々な店が入り乱れる桜通りとは違って葉桜通りは店種ごとに分かれて栄えている。
古書店、飲食店の数は多いかもしれないがそこはエマの記憶は新しいだろうからピンポイントで行けるし、聞いた通りなら宿場区域がある葉桜通りにしか入っていない。
そこまでは理解できたアカネは、ふとエマに訊いた。
特に、意味はないのだけれど。
「どうして、そんなに必死なの?」
「え?」
「見つからないって、諦めなかったの?」
他の町から来て。
〈ノア〉に頼ってまで。
形見とはいっても所詮は物で。結局はその人の名残りでしかなくて。この世にはもういない大切な人ではなくて、物なんてこっちの気も知らないで離れていくのに。
大切にしようと思っても、置いていくのに。
「だって。おばあちゃんのこと、好きだから」
邪気なくエマは笑った。
それから、寂しげに表情を落とす。
「アタシ、両親がいないんです。ずっとおばあちゃんに育ててもらって、一緒にいました。けど、病気になって、去年亡くなって。昔話してくれた『桜王』のことを思い出して。その時に買った桜の花のネックレスが形見で。そのネックレスをつけて"アリア"に来れば、おばあちゃんに会えるような気がしたんです。一緒に行きたいねって夢は、生前叶えてあげることが出来なかったから。……だから、どうしても見つけたいんです」
切な声色に紡がれた言葉はどこまでも祖母のことを思っていた。
なるほど、それは必死になるには十分な理由かもしれない。
理解はできないけれど。
納得は難しくない。
と、アカネが微妙な心持ちになっていたら嗚咽の音が部屋を満たした。そちらに目をやれば、退場したはずのアホ共がすごい号泣してた。
涙と鼻水で顔がくしゃくしゃである。
「ひぐっうぐっ……!まか、任せとけッ。必ず、必ずばぁちゃんに会わせてやるからな……!」
「ごめんっ。さっきはごめんな……!絶対オレたちが見つけてやるから安心しとけ……!」
感情移入が嘘みたいにスゴかった。多分この人たちにかの有名な犬の映画を観せたら涙で溺れる。
若干引いてしまうアカネの腕の中ではギンも号泣、ソファにいるセイラも目頭を押さえていやがった。
揃いも揃って全員が心クリアだと唯一涙を見せていないアカネが悪者みたいだ。
と、謎の罪悪感に炙られている間にハルたちが意気込み高く吠え始めた。
「おっしゃお前らぁ!絶対ネックレス見つけんぞオラァ!」
「「よっしゃー!」」
「ばぁちゃんに会うぞおらぁ!」
「「ばーちゃーんっっっ!」」
まるで試合前のスポーツ選手のようだった。セイラは吠えずに深く頷いていて、ハルとユウマにギンはやる気に満ち溢れていて、その勢いのまま三人とギンはエマを連れて外へ飛び出していき。
ぽつん、と。場の流れに乗り遅れたアカネは一人で取り残され、それからそっと息を吐いて。
「大丈夫かな……」
拭えない不安や心配を抱きながら。
アカネの初仕事が始まった。
アパホテルのような、けれど壁紙には桜が散る小綺麗な部屋にアカネが荷物を置くと、赤髪の美女セイラは換気のために窓を開けて薔薇色の、もしくは炎の色の髪を靡かせながら言った。
六月の風に乗ってアカネの鼻に届くのは凛々しい花の香り。香水だろうか。大人びた色気のある匂いに少しドキリとなる。
「必要最低限の物は揃えたからとりあえず困ることはないだろうが、そういえば服を買い忘れてしまったな」
「……えっ?」
「?どうかしたのか」
「いえっ、何でもありません」
「?」
うっとりしていたら急にセイラが振り返るモノだから上擦った声が出てしまい、慌ててアカネは首を横に振った。同性でも魅せられてしまうこの美しさと格好良さは反則だと思う。
「まぁ、服は私のを着れば大丈夫か」
「残念ながらサイズが合いませんっ」
特に胸。
「微々たるモノじゃないか?」
「大きいよ!高尾山と富士山くらい違う!だってセイラさん、スリーサイズいくつ!?」
少し考えてから富士山は言った。
高尾山はソレを聞くと土砂崩れを起こして女としての圧倒的な差に恐れ慄いた。
霊峰、恐るべし。
「これが異世界……。漫画のキャラが現実になった世界……」
「……何を言ってるんだアカネ」
御来光が眩しくて直視できないアカネではあるが、こいつもこいつで浮世離れした美少女だということを忘れてはならない。確かに標高は惨敗だが顔面レベルはいい勝負なのだ。ただ向こうは大人の色気と呼ばれるレベルアップボーナスがあるだけで、こっちの期間限定ボーナスの若さと乙女感が遅れを取っているワケでは決してない。
そしてさっきからこいつ何言ってんだと思ってる人はそれが正常だから安心して。
などと霊峰に圧倒されてる場合じゃねぇ。
「というか……何から何まですみません」
気まずそうにアカネは今さっき置いた荷物に目をやった。元々持っていた役立たず共(スクールバック)とは別に、紙袋が一つ。
中身は女の子に必要ような生活必需品。
具体的に滞在期間は決まっていないが、セイラが気を遣ってくれて宿探しと並行して買ってくれたのだ。
セイラは首を横に振る。
「気にしなくていい。……あと「さん」はいらないと言ったろう?敬語もな」
「あ、は……うん。ありがとう」
「ん。さ、そろそろ下へ降りよう」
「……うん」
どうして彼女は、彼女たちは。何故ここまで親身になってくれるのだろう。〈ノア〉に仮加入、宿、備品、全てにおいて彼女たちはアカネに好意的な態度を示してくれる。
異世界に召喚されてまだそこまで時間は経っていなくて、たまたま倒れているところを保護と看病してくれて、お互いのことなんて名前くらいしか知らなくて。手帳のプロフィールは空白だらけなのに。
それとも、単純に職業病なのか。はたまた異世界の人間は皆、誰も彼も優しいのか。
アカネには、分からない世界だ。
誰かに優しくすることも。
誰かを助けようとすることも。
「どうしたアカネ。何か足りないモノでもあるのか?」
「あ、ううん。大丈夫」
紅鈴の声にハッとなったアカネは自分が不自然に沈黙していたことにようやく気づいた。首を傾げているセイラはもう部屋を出ようとしていて、アカネはその後ろに続く。
扉の開閉音が、自分の心音に似ているような気がして、アカネは早足気味にホテルを出た。
「すごい……」
ホテルがあった宿場区域を出てからアカネたちが足を運んだのは"アリア"に来たら一度は訪れるべき神聖な場所だ。
「にしし。すげーだろ。ーーこれが『桜王』だ」
自慢げに笑ったハルに頷いて、アカネは再度桜の王を見上げた。
日本のスカイツリーよりはるかに高い、じゅれいが地球の年と比例していそうな壮観な巨大樹は、一面芝生の広場の中央に毅然と屹立している。
特に制限もされておらず、大勢の人々が『桜王』の周りに集まっていた。まるで世界の御神木である。日陰が多く木漏れ日も幻想的に薄いのは傘のように咲き誇る向日葵色の夏桜が日光浴を楽しんでいるからだろう。
青空どころか頂なんて見えるはずもなく、だから一番上には神様がいて、地上に暮らす人々を見守ってくれているという。
「奇跡みたいにキレイ……」
初夏の風に揺れて葉擦れの音を鳴らし、仄かに陽光を嗜みながら舞い散る夏色の桜の花弁の情景は彼岸じみたうつくしさで、柄にもなくついと詩的な呟きをアカネは零した。
その横顔に、ハルが笑う。
「だろ。"アリア"自慢の魔法樹だ。俺もよく知らねーけど、神様がまだいた時代からあるらしいぞ」
「神様……」
元の世界とは意味合いも価値もまるで違う言葉の真価は流石異世界だ。魔法筆頭にあらゆる超常が存在する異世界なら、神様なんていう規格外がいても不思議ではない。
アカネは『桜王』からハルに視線を戻して、
「ハルは神様を見たことがあるの?」
ハルは首を傾げた。
「何でだ?」
「深い理由はないけど。今のハルの言葉、まるで神様に会ったことがあるような空気だったから」
その時代にはいないけど。
神様自体は信じているというか。見たことがあるような。だから疑うこともなく自然と「不思議ではない」と思えて。
「あるぞ」
「え?」
嘘なんかついていない純粋な目だった。騙すつもりも陥れるつもりもない真っ直ぐな回答。その表情。
無条件で信じてしまいそうになる、白い笑み。
「つーか、俺は神様に育ててもらったから」
「……そ、そーなの?」
「おう。って言ってもよく覚えてねーけどな」
「……そーなんだ」
呆然と呟いて近くにいるセイラとユウマ、ギンを見ればハルの証言を肯定するように肩を竦めていた。事実確認が一瞬で終了してしまい、少女は笑い飛ばす気もなくなる。
もちろん初めからそんなつもりはなかったが、こうも自分だけ無知で周回遅れの立場になると反論しようと『ありえない』を前提に考えてしまう。
元の世界での常識も要因の一つになっているのだろう。
神様が本当にいる世界と。
神様を信じない世界。
「言っておくが、私たちも神を見たことはないぞ」
補足するように言ったのはセイラだ。
彼女はハルの頬を親しげにつねって、
「というより、この世界に住む殆どの人間がそうだ。神は遥か昔に滅んでいる。だからこの馬鹿の言うことを信じる必要はまだないぞ」
「そうなの?」
てっきり本当に天界やら高天原やらがあって、そこに神様が住んでいると思っていたのだが。
だから『桜王』の頂の話しがあり、異世界の住人は全員神を目にしたことがあるのかと。
そもそも、神は滅びるのか?
「まぁ、神の有無やこの世界については後々知っていけばいいさ」
まぁ、その通りではあるのだろう。二日や三日くらいで何もかも知れたら苦労はしない。物事には順序というものがある。
で、あれば。
世界の歴史、最奥たる情報はハルたちを知ってからだろう。
と、そこでアカネは気づいた。
何か場の流れで"アリア"を案内されているが。
「そういえば。事務所?的なところに戻らなくていいの?依頼、来るかもしれないよ?」
アカネの素朴な心配に〈ノア〉の奴らがもれなく全員ドキリとなり目を逸らした。まるで都合の悪いことから逃げる子供のような仕草だ。
アカネは当然怪訝になる。少女としては真っ当な考えだと思ったのだが。
対して、ハルたち何かを誤魔化すような大根役者の芝居で、
「つーかアレだよな。忘れてたけどこの前家ぶっ壊れたからないよな」
「それでよくあたしを泊めようとしたね」
「今ちょっと火事中なんだよ」
「どういう状況なのよ」
「お腹壊してるからキツイと言ってたな」
「ヒトか」
「三回回ったら吐いたらしいよ」
「犬か」
デタラメにも程があった。
これは、明らかになにか隠してる。
アカネは目を細めて、
「……何を隠してるの」
声にはさりげなく教えてくれなきゃ「信じない」空気を孕ませた。すると予想通り三人とギンはぐぬぬ……!と顔を顰めて葛藤していた。
あと一押し。
「……〈ノア〉、やっぱりやめようかな」
「ち、違うんだアカネ!実は……!」
「ーーおう〈ノア〉じゃねーか!何だ今日も依頼がなくて暇してんのかー?ガハハハ!」
何か昭和の時代の八百屋の店主みたいなオッサンが快活にそう言って現れるとハルたちの時間が止まっていた。全員ねじりタオルを頭に巻いたオッサンを視殺するくらいの勢いで睨んでやがる。
……なるほど。そーゆーことね。
「あれ?何、なんか俺、余計なこと言った?」
「前から言おうと思ってたけどダセェんだよそのねじりタオル。野菜天国に送ってやろうかクソジジィ」
「あと1週間前から鼻毛がおはようしてんだよ不眠不休でヒラヒラしてんだよ。野菜どころじゃねーんだよクソジジィ」
「寝起きの口臭が最近キツイと奥さんが言ってたぞクサジジィ」
「だから娘さんに洗濯物一緒にしないでって言われるんだよクソジジィ」
「立ち直れねーよ!俺が一体何をしたって言うんだあああああああああああああああ!」
多分魔王も一撃で粉砕する言葉の乱射に打ちのめされたオッサンが泣き叫びながら走り去っていく。
まぁ、つまり。
「……………いつも暇なんだね」
「「「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………はい」
そうして〈ノア〉の事実を知ったアカネは呆れ混じりにハルたちについていく。暇=依頼者がいない=困っている人がいなくて平和という良い現実に気づいていないらしい。
アカネには失望されまいと隠していたのだろうが、いずれにせよバレていただろうに。
だから呆れた。
アカネは息を吐いて、
「元気出してよみんな。あたし、気にしてないよ」
「「「その優しさが今は辛い……」」」
テンションの急降下具合がエグい。どんよりした空気を吸うと風邪引きそうだ。
再度息を吐くアカネはそこである影に気づいた。何故か読めるこの世界の、英語に似た文字が〈ノア〉を指す看板を構える小洒落た一軒屋が見えて、あそこが拠点かと思ったらウロウロしている人がいたのだ。
雰囲気的には訪れた先が留守で困惑しているよう。
「あれぇ?確かここが何でも屋さんって教えてもらったのにぃ……」
ハルたちもその影ーー金髪の少女に気づいたらしい。全員がピタリと足を止め、少女を見る。
「うぅ……どうしよう。ここで待ってればいいのかなぁ……きゃ!」
「「「……………… 、」」」
〈ノア〉前を行ったり来たりしていた金髪少女が躓くものが何もないただの石畳の上で転んだ。
「いたた……。もう、何でアタシはいつもいつも………わ!」
「「「……………… 、」」」
ボゾボソ言いながら立った少女の金の頭の上に鳥のフンが見事に落ちた。
もう見てられなかった。
言わずにはいられなかった。
「「「何でそーなるの」」」
一言で言えば新築物件の紹介PRや雑誌に載っていそうな家が〈ノア〉だった。
二階建ての、設計者のセンスが光る清楚で凛としたモダンな外観と同様に中も美然としている。
二階は各々の部屋があり、一階は団欒を築くリビングの他に応接室があった。リビングもそうだが五人が入っても十分広い、依頼者を迎え入れる応接室のソファの上にハルとセイラ、ユウマが座り。アカネはギンを抱いて後ろに立ち、ローテーブル挟んだ向かいのソファに今回の依頼者が座っていた。
「で。ドジ……いや、今日はどんな用件できたんだ?」
絶対今金髪少女のことをドジっ子と言おうとしたハルの気持ちを深くふかぁ~く理解しながら、アカネはキョトンと首を傾げている彼女に目を向けた。
赤いリボンで長い金髪をツインテールで束ねる、白い肌の可憐な少女。翡翠色の双眸で、着ている服は上京娘みたいに地味だ。
彼女はアカネと目が合うと慌てるように逸らし、そのまま俯いて口を開いた。
「あの、えっと……。アタシ。エマ・ブルーウィンドって言います。今日は、その、依頼があって伺いました」
「シャワーを浴びに来たの間違いだろ」
「浴室でコケて湯船に落ちに来たの間違いじゃねーのかよ」
「すみません……」
思ったことはすぐに口に出しちゃう系のデリカシーゼロ助どものせいでエマが萎縮してしまい、見兼ねたセイラが二人を殴って黙らせた。
「バカ共の非礼を詫びよう。基本あの二人が言うことは気にしなくていい」
「は、はぁ……」
首を傾げるエマにセイラは微笑して、
「話しを進めよう。まず、私はセイラだ。よろしく。そして青髪のバカ一号がハル、茶髪の二号がユウマ。後ろにいる黒髪の少女がアカネ。犬がギン。以上が〈ノア〉のメンバーだ」
「えっ?」
セイラの言に誰よりも早く反応したのはアカネだ。思わずセイラを見るが彼女はこちらを振り返らない。
聞き間違いだろうか?
いま、黒髪と言わなかったか?
「それで。依頼内容は?何を解決してほしい?」
怪訝になっているアカネにはやはり気づくことなくセイラは話しを進めていく。ハルとユウマがよろよろと戻ってきたところで金髪ツインテールのエマが口を開いた。
「ある物を、探して欲しいんです」
「ある物?」
眉を寄せるセイラの隣でハルとユウマが冗談っぽく笑う。
「おいおいまた探し物系だぜユウマ。どいつもこいつも物無くしすぎだろ」
「指輪の次はネックレスかもな。依頼料によっちゃ断るか?」
「あと探すものにもよるな。家族の形見とかならオッケーだ」
「特にばぁちゃんの形見とかな」
「「ま、そんなワケねーか!あっはっはっは!」」
中学生みたいなノリで笑い合う二人の前、赤いリボンの少女が蚊の鳴くような声を発した。
「………おばあちゃんの形見です」
「「…………………………、」」
もう黙るしかねぇ。
ハルとユウマは当然として、アカネたちも気まずくなって口を閉ざして固まるしかなかった。
そんな空気を変えようと思ったのだろう。全ての元凶たるアホ共が気を取り直すように、
「よ、よくある。よくあるよばぁちゃんの形見なんて!なぁユウマ!」
「そそ、そうだよ何も珍しくねーよ。オレなんてばぁちゃんの形見コレクションあるからね、コンプリート寸前だからね!」
「俺だってつい最近ネックレスもらったばっかだぜ!形見ブームなんだよ今!」
「……ネックレスはベタじゃね?流石にエマも探して欲しい形見はネックレスじゃねーと思うけど」
「バッカお前。ベタが一番いいんだよ栗頭。ネックレスって言っときゃ世界は平和なんだよ」
「…………ネックレスです」
「「…………………………………………、」」
痛い。空気が痛い。良くしようと思ったらむしろ悪化しやがった。心という名の装備をくまなくズタボロにする針みたいな空気が心底うまくねぇ。
てなわけで再度セイラに殴られて部屋の隅に転がったエアークラッシャー共はもう放って置くことにした。
世界は平和にならないのである。
「コホン。話を戻そう。どこで落としたか覚えているか?」
エマは首を横に振って、
「覚えてません。"アリア"にきた時にはまだあったので、この街で落としたのは間違いないんですが……」
「いつこの街に?」
「昨日です」
「なるほど……」
細い顎に手を添えて何やら考え込むセイラはちらりとアカネが抱くギンを見る。すると白銀の小犬はアカネの腕の中からローテーブルに飛び、それからエマの膝上に移動して彼女の匂いを嗅いだ。
首を傾げるエマの膝上、ギンはセイラをみる。
「うん。覚えたよ。いつでもいける」
「犬が喋った………?」
「そりゃ喋るよ」
「へぇ~……そうなんだ」
「……………納得した!?」
まさかのリアクションにエマを二度見したギンの報告に、セイラは頷く。
「よし。あとは捜索範囲の絞り込みだな」
「え、どういうこと?」
同じ場所で同じ話を聞いているのにセイラとギンに置いていかれてる気がしてアカネは眉を顰めた。セイラとギンにとって当たり前のコミュニケーションなのだろうが、アカネとエマにとってはまるで未知である。
捜索範囲云々の前に、こんな大きな街の中からネックレス一つ探し出すことなんて不可能に近い。
にも拘らず、探し出せる確信と根拠があるみたいな態度。
セイラは紅色の唇を緩めた。
「ギンはとにかく鼻がいい。覚えた匂いは忘れず、匂いの元となる人が身につけていた物も匂いを辿って見つけることが出来るんだ」
「だから今エマの匂いを覚えた。この街にあるならすぐに見つけられるよ」
「"アリア"は広いからな。全域を探すより的を絞った方が効率的だろう」
「………そうなんだ」
感嘆を漏らしたのはアカネだけでなくエマも同じだった。元の世界でも犬の嗅覚が人間の数千倍なのは知識としてなら頭にある。行方不明者の捜索や薬物検知などで活躍していると。ギンもその例に漏れず、異世界力の付与があるならアメリカの警察犬すら凌駕するかもしれなくて、だから実際に犬の嗅覚の絶対性を見るのは初めてだ。
ギンを信じるセイラの姿を見て、不思議と見つかるような気がした。
アカネは腕の中に戻ってきた頼もしい小犬くんを撫でて、
「すごいね、ギン。心強いよ」
「へへっ。もっと撫でて」
「いいよ」
甘えてくるとか可愛すぎる。キュン死にしそう。
と、一人萌えているアカネを優しげに見ていたセイラは小さく笑い、それからエマに目を戻す。
「"アリア"のどこへ足を運んだのか、可能な限りでいいから思い出してくれ。まずは足跡を辿りたい」
エマは自分の記憶の糸を、過去の自分を掴むように沈考して、
「……桜通りを通って『桜王』に行って、古書店とご飯屋さんにも寄って、宿に帰って、ネックレスがないって今朝気づいたんです」
桜通りは「桜門」から『桜王』へと直接で繋がっている大道たるメインストリート。そこを基点として多くの通りが分散している道が葉桜通り。様々な店が入り乱れる桜通りとは違って葉桜通りは店種ごとに分かれて栄えている。
古書店、飲食店の数は多いかもしれないがそこはエマの記憶は新しいだろうからピンポイントで行けるし、聞いた通りなら宿場区域がある葉桜通りにしか入っていない。
そこまでは理解できたアカネは、ふとエマに訊いた。
特に、意味はないのだけれど。
「どうして、そんなに必死なの?」
「え?」
「見つからないって、諦めなかったの?」
他の町から来て。
〈ノア〉に頼ってまで。
形見とはいっても所詮は物で。結局はその人の名残りでしかなくて。この世にはもういない大切な人ではなくて、物なんてこっちの気も知らないで離れていくのに。
大切にしようと思っても、置いていくのに。
「だって。おばあちゃんのこと、好きだから」
邪気なくエマは笑った。
それから、寂しげに表情を落とす。
「アタシ、両親がいないんです。ずっとおばあちゃんに育ててもらって、一緒にいました。けど、病気になって、去年亡くなって。昔話してくれた『桜王』のことを思い出して。その時に買った桜の花のネックレスが形見で。そのネックレスをつけて"アリア"に来れば、おばあちゃんに会えるような気がしたんです。一緒に行きたいねって夢は、生前叶えてあげることが出来なかったから。……だから、どうしても見つけたいんです」
切な声色に紡がれた言葉はどこまでも祖母のことを思っていた。
なるほど、それは必死になるには十分な理由かもしれない。
理解はできないけれど。
納得は難しくない。
と、アカネが微妙な心持ちになっていたら嗚咽の音が部屋を満たした。そちらに目をやれば、退場したはずのアホ共がすごい号泣してた。
涙と鼻水で顔がくしゃくしゃである。
「ひぐっうぐっ……!まか、任せとけッ。必ず、必ずばぁちゃんに会わせてやるからな……!」
「ごめんっ。さっきはごめんな……!絶対オレたちが見つけてやるから安心しとけ……!」
感情移入が嘘みたいにスゴかった。多分この人たちにかの有名な犬の映画を観せたら涙で溺れる。
若干引いてしまうアカネの腕の中ではギンも号泣、ソファにいるセイラも目頭を押さえていやがった。
揃いも揃って全員が心クリアだと唯一涙を見せていないアカネが悪者みたいだ。
と、謎の罪悪感に炙られている間にハルたちが意気込み高く吠え始めた。
「おっしゃお前らぁ!絶対ネックレス見つけんぞオラァ!」
「「よっしゃー!」」
「ばぁちゃんに会うぞおらぁ!」
「「ばーちゃーんっっっ!」」
まるで試合前のスポーツ選手のようだった。セイラは吠えずに深く頷いていて、ハルとユウマにギンはやる気に満ち溢れていて、その勢いのまま三人とギンはエマを連れて外へ飛び出していき。
ぽつん、と。場の流れに乗り遅れたアカネは一人で取り残され、それからそっと息を吐いて。
「大丈夫かな……」
拭えない不安や心配を抱きながら。
アカネの初仕事が始まった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2巻決定しました!
【書籍版 大ヒット御礼!オリコン18位&続刊決定!】
皆様の熱狂的な応援のおかげで、書籍版『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』が、オリコン週間ライトノベルランキング18位、そしてアルファポリス様の書店売上ランキングでトップ10入りを記録しました!
本当に、本当にありがとうございます!
皆様の応援が、最高の形で「続刊(2巻)」へと繋がりました。
市丸きすけ先生による、素晴らしい書影も必見です!
【作品紹介】
欲望に取りつかれた権力者が企んだ「スキル強奪」のための勇者召喚。
だが、その儀式に巻き込まれたのは、どこにでもいる普通のサラリーマン――白河小次郎、45歳。
彼に与えられたのは、派手な攻撃魔法ではない。
【鑑定】【いんたーねっと?】【異世界売買】【テイマー】…etc.
その一つ一つが、世界の理すら書き換えかねない、規格外の「便利スキル」だった。
欲望者から逃げ切るか、それとも、サラリーマンとして培った「知識」と、チート級のスキルを武器に、反撃の狼煙を上げるか。
気のいいおっさんの、優しくて、ずる賢い、まったり異世界サバイバルが、今、始まる!
【書誌情報】
タイトル: 『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』
著者: よっしぃ
イラスト: 市丸きすけ 先生
出版社: アルファポリス
ご購入はこちらから:
Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/4434364235/
楽天ブックス: https://books.rakuten.co.jp/rb/18361791/
【作者より、感謝を込めて】
この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。
そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。
本当に、ありがとうございます。
【これまでの主な実績】
アルファポリス ファンタジー部門 1位獲得
小説家になろう 異世界転移/転移ジャンル(日間) 5位獲得
アルファポリス 第16回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞
第6回カクヨムWeb小説コンテスト 中間選考通過
復活の大カクヨムチャレンジカップ 9位入賞
ファミ通文庫大賞 一次選考通過
勇者召喚に巻き込まれ、異世界転移・貰えたスキルも鑑定だけ・・・・だけど、何かあるはず!
よっしぃ
ファンタジー
9月11日、12日、ファンタジー部門2位達成中です!
僕はもうすぐ25歳になる常山 順平 24歳。
つねやま じゅんぺいと読む。
何処にでもいる普通のサラリーマン。
仕事帰りの電車で、吊革に捕まりうつらうつらしていると・・・・
突然気分が悪くなり、倒れそうになる。
周りを見ると、周りの人々もどんどん倒れている。明らかな異常事態。
何が起こったか分からないまま、気を失う。
気が付けば電車ではなく、どこかの建物。
周りにも人が倒れている。
僕と同じようなリーマンから、数人の女子高生や男子学生、仕事帰りの若い女性や、定年近いおっさんとか。
気が付けば誰かがしゃべってる。
どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。
そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。
想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。
どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。
一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・
ですが、ここで問題が。
スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・
より良いスキルは早い者勝ち。
我も我もと群がる人々。
そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。
僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。
気が付けば2人だけになっていて・・・・
スキルも2つしか残っていない。
一つは鑑定。
もう一つは家事全般。
両方とも微妙だ・・・・
彼女の名は才村 友郁
さいむら ゆか。 23歳。
今年社会人になりたて。
取り残された2人が、すったもんだで生き残り、最終的には成り上がるお話。
クラス転移したら種族が変化してたけどとりあえず生きる
あっとさん
ファンタジー
16歳になったばかりの高校2年の主人公。
でも、主人公は昔から体が弱くなかなか学校に通えなかった。
でも学校には、行っても俺に声をかけてくれる親友はいた。
その日も体の調子が良くなり、親友と久しぶりの学校に行きHRが終わり先生が出ていったとき、クラスが眩しい光に包まれた。
そして僕は一人、違う場所に飛ばされいた。
『急所』を突いてドロップ率100%。魔物から奪ったSSRスキルと最強装備で、俺だけが規格外の冒険者になる
仙道
ファンタジー
気がつくと、俺は森の中に立っていた。目の前には実体化した女神がいて、ここがステータスやスキルの存在する異世界だと告げてくる。女神は俺に特典として【鑑定】と、魔物の『ドロップ急所』が見える眼を与えて消えた。 この世界では、魔物は倒した際に稀にアイテムやスキルを落とす。俺の眼には、魔物の体に赤い光の点が見えた。そこを攻撃して倒せば、【鑑定】で表示されたレアアイテムが確実に手に入るのだ。 俺は実験のために、森でオークに襲われているエルフの少女を見つける。オークのドロップリストには『剛力の腕輪(攻撃力+500)』があった。俺はエルフを助けるというよりも、その腕輪が欲しくてオークの急所を剣で貫く。 オークは光となって消え、俺の手には強力な腕輪が残った。 腰を抜かしていたエルフの少女、リーナは俺の圧倒的な一撃と、伝説級の装備を平然と手に入れる姿を見て、俺に同行を申し出る。 俺は効率よく強くなるために、彼女を前衛の盾役として採用した。 こうして、欲しいドロップ品を狙って魔物を狩り続ける、俺の異世界冒険が始まる。
12/23 HOT男性向け1位
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―
ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」
前世、15歳で人生を終えたぼく。
目が覚めたら異世界の、5歳の王子様!
けど、人質として大国に送られた危ない身分。
そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。
「ぼく、このお話知ってる!!」
生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!?
このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!!
「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」
生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。
とにかく周りに気を使いまくって!
王子様たちは全力尊重!
侍女さんたちには迷惑かけない!
ひたすら頑張れ、ぼく!
――猶予は後10年。
原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない!
お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。
それでも、ぼくは諦めない。
だって、絶対の絶対に死にたくないからっ!
原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。
健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。
どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。
(全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる