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3月2日 午前2時30分
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三月二日 午前二時三十分
時刻は午前二時ちょうどになった。
いきなりスマホが鳴り出した。急に起こされて気分が悪い。実に嫌な着信音である。
スマホの液晶に映し出された電話番号にはどこかで見た記憶があったので私は電話に出た。
「もしもし」
「俺だよ。覚えているか?」
私は声ですぐに分かった。昼間の電話の男である。きゅうに冷水を浴びせられたような気分になり悪寒がはしった。
「家に遺体があると知らせてくれた人ですか?」
「そうだ」
「どこにいるのですか?」
「お前たちと同じホテルに泊まっている。もちろん偽名を使っているから調べても無駄だ」
「私に何か用でもあるのでしょうか?」
「三階の自販機の前まで来い。当然、一人だ」
ここは電話を切って警察に知らせるのが賢明かもしれない、と私は電話を切ろうとした。
だが男は私の考えを読んでいたのか素早く、
「警察を呼ぶという下手な真似はやめろ。呼んだ時は家族に危害を加える。それぐらいの覚悟はしてもらうぞ」
と言った。
この時、鏡で確認したわけではないが、私の額には多量の汗が噴き出しているのが分かっていた。唇もいつの間にか、かさついており乾燥していた。のどもカラカラである。
「分かりました」
気が付くと私は返答していた。
「合格だ。二時三十分に会おう」
男との電話はそこで終わった。急激な目まいにより、目の前が真っ暗となった。緊張のせいだろうか失禁をしたわけでもないのに、汗で下着までぐっしょりと濡れている。
もはや一人で脅迫者のもとへ赴くしか選択肢がないのか。迷いが少しだけあったが、ベッドで寝息をたてている家族に目を向けると迷いは断ち切られた。
私が行かねば家族の命が危ないのである。
場合によって脅迫者を殺しても家族は守ろう。
私の覚悟は決まった。
カバンからナイフを取り出した。帰宅する時に強盗や不良に襲われたら応戦しようと思い、いつでも準備していたが、まさかこんな時に役立つとは思わなかった。
私は冷蔵庫から缶ビールを取り出すと一気に飲み干した。これで少しは度胸もついたはずであろう。
気合が入った私は部屋を出て行った。
男が指定したのは三階の自販機である。ちなみに私が泊まっていたのは六階である。私はエレベーターで三階まで降りると、男が指定した自販機までゆっくりと歩くことにした。
深夜のホテルは昼間と違って人気がないので薄気味悪い。私は男が飛び掛かってくるのではないのかという恐怖心に怯えながら、歩を進めていった。
問題の自販機が見えてくるのと同時に、男が立っていることに私は気付いた。年齢は四十歳くらいだろうか。信楽焼の狸のように出た腹が特徴的であり、黒いショルダーバックを肩から下げていた。
「私に電話をかけたのはあなたですか?」
「そうだ」
男は、にやりと笑みを浮かべた。薄気味悪い野卑な笑みである。まるで猿が笑った姿に似ていたので、私は気分を害した。
「おっと、これは失礼しました」
男はおどけた態度で両方の手をあげながら謝ったが、その言葉には到底、謝罪の意図は感じられなかった。
「ここに呼び出して何かようですか?」
長居したくなかったので、私は本題に入ることにした。
「随分と嫌われたものだ。まあいい。俺があんたを呼び出したのは、今回の事件の真相を知っているからだ」
「それは本当ですか?」
「こんな事で嘘をつく必要ないよ。死んでいた男がどうして亡くなったのかも、犯人も知っているよ」
男は先ほどと違って、ふざけている雰囲気ではない。確かに知っている可能性は高かった。
しかし所詮は口だけである。簡単に信用するわけにはいかない。
「どうやら、信じてくれないようだな。それじゃあ、これを見てくれたら大丈夫かな」
溜息をついた男は、ショルダーバックから何かを取り出すと私に突き出した。
運転免許証である。男は免許証の写真を私に示していた。まさかと思いながら私は覗き込むと、
「あっ!」
と私は小さな驚きが出ていた。
少し若かったが、免許証の写真の人物は昼間に家で亡くなっていた男だった。
「これをどこで手に入れたのですか?」
「もちろん、あんたの家に決まっている」
「写真の男は誰ですか?」
「名前は長野司。マスコミの人間だよ」
「マスコミ?」
「ただし、大手の新聞や雑誌の人間じゃなく、ネット記事のライターみたいだ。これが名刺だ」
男は私の前に名刺を差し出した。名刺には長野司という名前と勤務している会社が記されていた。
「長野はなぜ私の家に?」
「とぼけちゃいけないぜ。長野はあんたがやっている悪事を調べて記事にしようとしたんだ。だけど、マスコミの人間と発覚したから消されたんだ」
ピクリと私の体が動いた。男が言ってはいけないことを口走ったように感じたからである。
「……悪事とは何の事ですか?」
と私は訊ねた。実際は聴くまでもなかった。私のやっていることは自分がよく知っていた。
「おいおい、とぼけるつもりなのか。さっき俺はあんたの悪事も長野を殺した犯人を知っていると言ったよな」
「ええ、言いました」
「それじゃあ分かる検討はついているはずだ。長野を殺したのが誰かぐらい」
「そうですね。私が予想した人物かもしれません。それで私に何をしろと……」
「とりあえず俺に金を用意してくれ。金額と振り込む口座は後で指定するよ」
もう躊躇《ちゅうちょ》する必要なかった。
気が付くと、私は男の喉にナイフを突き立てた。
男はそのまま倒れてしまい、二度と声をあげる事はなくなった。
私は男が絶命すると部屋に戻った。返り血のついた衣服は全て脱いで素っ裸となり、非常階段を使って六階まで戻った。
誰かに見つかる覚悟も視野に入れていたが、まだ深夜であったことから、誰にも見つからずに戻ることに成功した。
ホテルではその後、男の遺体が発見されたらしく大混乱となっていた。
私は何事もなく家族と朝食を終えると、いつものように仕事に向かった。
時刻は午前二時ちょうどになった。
いきなりスマホが鳴り出した。急に起こされて気分が悪い。実に嫌な着信音である。
スマホの液晶に映し出された電話番号にはどこかで見た記憶があったので私は電話に出た。
「もしもし」
「俺だよ。覚えているか?」
私は声ですぐに分かった。昼間の電話の男である。きゅうに冷水を浴びせられたような気分になり悪寒がはしった。
「家に遺体があると知らせてくれた人ですか?」
「そうだ」
「どこにいるのですか?」
「お前たちと同じホテルに泊まっている。もちろん偽名を使っているから調べても無駄だ」
「私に何か用でもあるのでしょうか?」
「三階の自販機の前まで来い。当然、一人だ」
ここは電話を切って警察に知らせるのが賢明かもしれない、と私は電話を切ろうとした。
だが男は私の考えを読んでいたのか素早く、
「警察を呼ぶという下手な真似はやめろ。呼んだ時は家族に危害を加える。それぐらいの覚悟はしてもらうぞ」
と言った。
この時、鏡で確認したわけではないが、私の額には多量の汗が噴き出しているのが分かっていた。唇もいつの間にか、かさついており乾燥していた。のどもカラカラである。
「分かりました」
気が付くと私は返答していた。
「合格だ。二時三十分に会おう」
男との電話はそこで終わった。急激な目まいにより、目の前が真っ暗となった。緊張のせいだろうか失禁をしたわけでもないのに、汗で下着までぐっしょりと濡れている。
もはや一人で脅迫者のもとへ赴くしか選択肢がないのか。迷いが少しだけあったが、ベッドで寝息をたてている家族に目を向けると迷いは断ち切られた。
私が行かねば家族の命が危ないのである。
場合によって脅迫者を殺しても家族は守ろう。
私の覚悟は決まった。
カバンからナイフを取り出した。帰宅する時に強盗や不良に襲われたら応戦しようと思い、いつでも準備していたが、まさかこんな時に役立つとは思わなかった。
私は冷蔵庫から缶ビールを取り出すと一気に飲み干した。これで少しは度胸もついたはずであろう。
気合が入った私は部屋を出て行った。
男が指定したのは三階の自販機である。ちなみに私が泊まっていたのは六階である。私はエレベーターで三階まで降りると、男が指定した自販機までゆっくりと歩くことにした。
深夜のホテルは昼間と違って人気がないので薄気味悪い。私は男が飛び掛かってくるのではないのかという恐怖心に怯えながら、歩を進めていった。
問題の自販機が見えてくるのと同時に、男が立っていることに私は気付いた。年齢は四十歳くらいだろうか。信楽焼の狸のように出た腹が特徴的であり、黒いショルダーバックを肩から下げていた。
「私に電話をかけたのはあなたですか?」
「そうだ」
男は、にやりと笑みを浮かべた。薄気味悪い野卑な笑みである。まるで猿が笑った姿に似ていたので、私は気分を害した。
「おっと、これは失礼しました」
男はおどけた態度で両方の手をあげながら謝ったが、その言葉には到底、謝罪の意図は感じられなかった。
「ここに呼び出して何かようですか?」
長居したくなかったので、私は本題に入ることにした。
「随分と嫌われたものだ。まあいい。俺があんたを呼び出したのは、今回の事件の真相を知っているからだ」
「それは本当ですか?」
「こんな事で嘘をつく必要ないよ。死んでいた男がどうして亡くなったのかも、犯人も知っているよ」
男は先ほどと違って、ふざけている雰囲気ではない。確かに知っている可能性は高かった。
しかし所詮は口だけである。簡単に信用するわけにはいかない。
「どうやら、信じてくれないようだな。それじゃあ、これを見てくれたら大丈夫かな」
溜息をついた男は、ショルダーバックから何かを取り出すと私に突き出した。
運転免許証である。男は免許証の写真を私に示していた。まさかと思いながら私は覗き込むと、
「あっ!」
と私は小さな驚きが出ていた。
少し若かったが、免許証の写真の人物は昼間に家で亡くなっていた男だった。
「これをどこで手に入れたのですか?」
「もちろん、あんたの家に決まっている」
「写真の男は誰ですか?」
「名前は長野司。マスコミの人間だよ」
「マスコミ?」
「ただし、大手の新聞や雑誌の人間じゃなく、ネット記事のライターみたいだ。これが名刺だ」
男は私の前に名刺を差し出した。名刺には長野司という名前と勤務している会社が記されていた。
「長野はなぜ私の家に?」
「とぼけちゃいけないぜ。長野はあんたがやっている悪事を調べて記事にしようとしたんだ。だけど、マスコミの人間と発覚したから消されたんだ」
ピクリと私の体が動いた。男が言ってはいけないことを口走ったように感じたからである。
「……悪事とは何の事ですか?」
と私は訊ねた。実際は聴くまでもなかった。私のやっていることは自分がよく知っていた。
「おいおい、とぼけるつもりなのか。さっき俺はあんたの悪事も長野を殺した犯人を知っていると言ったよな」
「ええ、言いました」
「それじゃあ分かる検討はついているはずだ。長野を殺したのが誰かぐらい」
「そうですね。私が予想した人物かもしれません。それで私に何をしろと……」
「とりあえず俺に金を用意してくれ。金額と振り込む口座は後で指定するよ」
もう躊躇《ちゅうちょ》する必要なかった。
気が付くと、私は男の喉にナイフを突き立てた。
男はそのまま倒れてしまい、二度と声をあげる事はなくなった。
私は男が絶命すると部屋に戻った。返り血のついた衣服は全て脱いで素っ裸となり、非常階段を使って六階まで戻った。
誰かに見つかる覚悟も視野に入れていたが、まだ深夜であったことから、誰にも見つからずに戻ることに成功した。
ホテルではその後、男の遺体が発見されたらしく大混乱となっていた。
私は何事もなく家族と朝食を終えると、いつものように仕事に向かった。
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