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第十七章 伯爵軍対帝国軍
3 わたくしの精霊術の威力、ご覧あそばせ!
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ドミニクとの打ち合わせを終えると、アリツェは夕食までの時間、ルゥを連れて軽く警邏に出た。歩きながら、伯爵から預かった腕章を腕に巻き付ける。軍属だと一目見てすぐにわかるようにと、伯爵家の家紋入りだった。
陣の中では、あちこちで煮炊きのための煙が上がっていた。普段なら息抜きになる食事の時間も、今の戦況では重く沈んだ空気に包まれている。漂うスープの香りに、普段なら歓声が上がるはずだ。しかし、無駄なおしゃべりの声は、一切聞こえてこなかった。
アリツェは陣内の様子も確認しつつ、ドミニクと決めた巡回コースに沿ってゆっくりと歩を進めた。まもなく完全に日が落ちる。陣地のかがり火を除けば、周囲は一面の闇に包まれる。導師部隊が夜襲を仕掛けてこないとも限らない。ドミニクと交代するまでは、しっかりと見張らなければならなかった。
『ルゥ、どうですの? 霊素は感じますか?』
アリツェは念話で、上空から警戒中のルゥに確認を取る。
『今のところそれらしいものは感じられ――』
ルゥは突然に言葉を濁した。
『どうかなさいましたか?』
アリツェは訝しんだ。何か見つけたのだろうか。
『ご主人、西方の森の中に霊素の反応が複数あるっポ。おそらくは……』
緊張して高ぶるルゥの感情が、精神リンクを通じてアリツェの脳裏に流れ込んできた。アリツェも警戒ために、背負っていた槍を下ろし、手に構えながら歩く。
『わたくし、部隊の指揮官に警告を発してきますので、ルゥは先行して警戒をお願いいたしますわ!』
アリツェとルゥだけで対処をしても問題はない。だが、万が一、敵の導師部隊がいくつかの分隊に分かれ、複数個所で同時に行動を起こそうとしていたとすれば、厄介だった。先に指揮官に導師部隊の潜伏を警告し、敵の奇襲への準備を促すほうが得策だと、アリツェは即断した。
『合点承知だっポ』
ルゥは元気よく答えると、霊素反応のあった場所に向かって飛び去っていった。
指揮官への注意喚起を終え、アリツェはルゥから報告を受けた西側の森へと駆けた。
『ルゥ、お待たせいたしました。状況はどうなっておりますの?』
オーミュッツ周辺の森ほどは鬱蒼としていないが、闇に紛れて隠れ潜むには十分だとアリツェには思えた。
『じりじりと伯爵領軍の野営の陣に迫っているっポ。ご主人、どうするっポ?』
ルゥは上空から舞い降り、アリツェの肩に留まった。早口でしゃべるルゥに、やや焦りの色を感じる。導師部隊と伯爵領軍との接触まで、それほど時間は残されていないのだろう。早急に対応策を考えなければならなかった。
『ペスが同行していない以上、空からの奇襲は無理ですわね。少々森に被害が出るかもしれませんが、地上から『かまいたち』で追い払いましょう』
ルゥの風の精霊術で空へと上がったところで、ペスがいない状況では攻撃手段が何もない。であれば、地上からの威嚇しか手がなかった。ルゥ自身の適性も考え、風の精霊術が最も適していると考えたアリツェは、素早く風の精霊具現化をルゥに施す。
『威力はどの程度にするっポ?』
ルゥはちょこんと首をかしげた。纏わせた霊素により、ルゥの身体は白い空気の膜で覆われ、霊素が激しく濃縮していく流れを感じる。
『脅し程度に切り傷を与えておきましょう。相手はしょせん子供ですわ』
今は敵対しているが、ラディムの勝利後、いずれは貴重な霊素持ちとして良好な関係を築きたい。下手に傷つけすぎて憎悪されては、後々のために良くないとアリツェは考えた。
『奴ら、それで撤退するっポ?』
子供とはいえ、一応は軍隊の体をなしている。ルゥの懸念もわかった。ただ、ラディムが帝都にいた時の話を聞く限りでは、この導師部隊の子供たちが、魔術以外の軍隊としての動きや心構えを、きちんと叩き込まれているとは思えなかった。
『まさか自分たちが精霊術で奇襲されるとは、まず思っていないはずですわ。いったん引くのは間違いないと、わたくし睨んでおりますの!』
相手は本格的な軍事教育は受けていない子供。ある程度傷を負えば、指揮官のザハリアーシュがいくら発破をかけたところで、戦意を喪失するに違いないとアリツェは踏んだ。
『行きますわよ!』
アリツェは槍の柄をしっかりと握りしめ、森の中へと分け入った。
『了解だっポ!』
ルゥも『かまいたち』発動のためにアリツェの肩から飛び立つと、導師部隊が潜んでいる場所めがけて、濃縮済みの霊素を放出した。ルゥから吐き出された霊素は、次第に鋭い風切り音を発し、周囲の木々を切り裂き始める。
「うわっ! なんだなんだ!?」
「きゃっ! 痛いっ! 何なのよ、この風!」
おそらくは光の精霊具現化を施したマジックアイテムで、姿を周囲に溶け込ませていたのだろう。何もないかと思われた藪の中から、多数の悲鳴交じりの叫び声が響く。
やがて、導師部隊の子供たちが、一斉にその身を周囲に晒しはじめた。かまいたちによりマジックアイテムに傷が入り、隠ぺいの術が解けたのだろう。次々に襲いくる空気の刃に、導師たちはパニックに陥っていた。
「くっ、まずい。相手に精霊使いがいるぞ。いったん撤退だ!」
ザハリアーシュらしき男の怒声が、アリツェの耳にも飛び込んできた。導師たちのさらに後方に控えていたのだろう。
「動けない者は複数人で抱えて運ぶのだ! 急げ! 被害が大きくなるぞ!」
軍隊としての行動に不慣れな弱点が、ありありと露呈している。ザハリアーシュはまごつく導師たちを怒鳴りつけ、撤退していった。
『何とか追い払えましたわ。ご苦労様です、ルゥ』
精霊術を行使し終え、ルゥがアリツェの肩に戻ってきた。ねぎらいの言葉をかけ、頭を軽く撫でる。
『ご主人のお役に立てて何よりだっポ』
ルゥは嬉しそうにクックッとのどを鳴らしている。
『ふふ、あとでルゥの好物をもらってきてあげますわね』
『感謝感激だっポ!』
栄養価の高い穀物として、ハト麦も保管されていたはずだ。それを伯爵から少し分けてもらおうとアリツェは思った。
役目を終えたアリツェは、いったん伯爵のいる天幕へ報告に戻った。そろそろドミニクとの交代の時間も迫っていたので、タイミング的にもちょうどいい。
天幕内にはドミニクとペスもおり、アリツェの帰還を待っていたようだ。このままアリツェと入れ替わりに見回りへ出るつもりだろう。
「アリツェ殿、助かった。おかげで今回は、魔術による被害が皆無だったよ。飯時に奇襲などされたら、被害もそうだが、それ以上に兵たちの精神面の疲労がどうなるかわからなかった」
伯爵はにこやかに笑い、アリツェに手を差し出してきた。
昼間の会戦ばかりか夕食時にまで襲撃があっては、兵たちは常に緊張感の維持を強いられる。これでは早晩、破綻しかねない。
「お力になれたようで、わたくし嬉しいですわ!」
アリツェは伯爵の掌をしっかりと握った。
伯爵の話から、アリツェが導師部隊を撤退させたおかげで、正規兵たちの崩れ掛かっていた士気も向上したらしい。これまで導師の魔術に一方的にやられ放題だったものを、初めて撃退したのだから。
「まだザハリアーシュたちの襲撃はあるはずだ。しばらくは哨戒を続けてもらいたい。すまないが、よろしく頼む」
精霊術の威力を思い知ったからなのか、伯爵の目は少年のようにらんらんと輝いて見えた。
「もちろんですわ! わたくし、そのためにわざわざ王国軍側から来たのですし」
アリツェも期待に応えられて満更でもなかった。これで帝国側の人間にも、精霊術や使い魔の有用性を知ってもらえたのではないかとアリツェは思った。
精霊術の支持者をここで獲得しておけば、大戦後、帝国内に精霊を普及させる際にきっと役に立つ。
「幼いアリツェ殿にばかり負担をかけて心苦しいのだが、他に精霊術を行使できる人間がいない以上、どうしてもあなた頼みになってしまう」
「適材適所、指揮官の伯爵様が気に病むことではありませんわ」
王国軍にいた時にも、さんざんフェルディナントに伝えた言葉だ。指揮官として当然の態度だと、アリツェも理解している。
これはアリツェにしかできない役割なのだから、アリツェがこなすのは当然だし、また、軍務の役に立てるのは、いち貴族としても素直に嬉しかった。
陣の中では、あちこちで煮炊きのための煙が上がっていた。普段なら息抜きになる食事の時間も、今の戦況では重く沈んだ空気に包まれている。漂うスープの香りに、普段なら歓声が上がるはずだ。しかし、無駄なおしゃべりの声は、一切聞こえてこなかった。
アリツェは陣内の様子も確認しつつ、ドミニクと決めた巡回コースに沿ってゆっくりと歩を進めた。まもなく完全に日が落ちる。陣地のかがり火を除けば、周囲は一面の闇に包まれる。導師部隊が夜襲を仕掛けてこないとも限らない。ドミニクと交代するまでは、しっかりと見張らなければならなかった。
『ルゥ、どうですの? 霊素は感じますか?』
アリツェは念話で、上空から警戒中のルゥに確認を取る。
『今のところそれらしいものは感じられ――』
ルゥは突然に言葉を濁した。
『どうかなさいましたか?』
アリツェは訝しんだ。何か見つけたのだろうか。
『ご主人、西方の森の中に霊素の反応が複数あるっポ。おそらくは……』
緊張して高ぶるルゥの感情が、精神リンクを通じてアリツェの脳裏に流れ込んできた。アリツェも警戒ために、背負っていた槍を下ろし、手に構えながら歩く。
『わたくし、部隊の指揮官に警告を発してきますので、ルゥは先行して警戒をお願いいたしますわ!』
アリツェとルゥだけで対処をしても問題はない。だが、万が一、敵の導師部隊がいくつかの分隊に分かれ、複数個所で同時に行動を起こそうとしていたとすれば、厄介だった。先に指揮官に導師部隊の潜伏を警告し、敵の奇襲への準備を促すほうが得策だと、アリツェは即断した。
『合点承知だっポ』
ルゥは元気よく答えると、霊素反応のあった場所に向かって飛び去っていった。
指揮官への注意喚起を終え、アリツェはルゥから報告を受けた西側の森へと駆けた。
『ルゥ、お待たせいたしました。状況はどうなっておりますの?』
オーミュッツ周辺の森ほどは鬱蒼としていないが、闇に紛れて隠れ潜むには十分だとアリツェには思えた。
『じりじりと伯爵領軍の野営の陣に迫っているっポ。ご主人、どうするっポ?』
ルゥは上空から舞い降り、アリツェの肩に留まった。早口でしゃべるルゥに、やや焦りの色を感じる。導師部隊と伯爵領軍との接触まで、それほど時間は残されていないのだろう。早急に対応策を考えなければならなかった。
『ペスが同行していない以上、空からの奇襲は無理ですわね。少々森に被害が出るかもしれませんが、地上から『かまいたち』で追い払いましょう』
ルゥの風の精霊術で空へと上がったところで、ペスがいない状況では攻撃手段が何もない。であれば、地上からの威嚇しか手がなかった。ルゥ自身の適性も考え、風の精霊術が最も適していると考えたアリツェは、素早く風の精霊具現化をルゥに施す。
『威力はどの程度にするっポ?』
ルゥはちょこんと首をかしげた。纏わせた霊素により、ルゥの身体は白い空気の膜で覆われ、霊素が激しく濃縮していく流れを感じる。
『脅し程度に切り傷を与えておきましょう。相手はしょせん子供ですわ』
今は敵対しているが、ラディムの勝利後、いずれは貴重な霊素持ちとして良好な関係を築きたい。下手に傷つけすぎて憎悪されては、後々のために良くないとアリツェは考えた。
『奴ら、それで撤退するっポ?』
子供とはいえ、一応は軍隊の体をなしている。ルゥの懸念もわかった。ただ、ラディムが帝都にいた時の話を聞く限りでは、この導師部隊の子供たちが、魔術以外の軍隊としての動きや心構えを、きちんと叩き込まれているとは思えなかった。
『まさか自分たちが精霊術で奇襲されるとは、まず思っていないはずですわ。いったん引くのは間違いないと、わたくし睨んでおりますの!』
相手は本格的な軍事教育は受けていない子供。ある程度傷を負えば、指揮官のザハリアーシュがいくら発破をかけたところで、戦意を喪失するに違いないとアリツェは踏んだ。
『行きますわよ!』
アリツェは槍の柄をしっかりと握りしめ、森の中へと分け入った。
『了解だっポ!』
ルゥも『かまいたち』発動のためにアリツェの肩から飛び立つと、導師部隊が潜んでいる場所めがけて、濃縮済みの霊素を放出した。ルゥから吐き出された霊素は、次第に鋭い風切り音を発し、周囲の木々を切り裂き始める。
「うわっ! なんだなんだ!?」
「きゃっ! 痛いっ! 何なのよ、この風!」
おそらくは光の精霊具現化を施したマジックアイテムで、姿を周囲に溶け込ませていたのだろう。何もないかと思われた藪の中から、多数の悲鳴交じりの叫び声が響く。
やがて、導師部隊の子供たちが、一斉にその身を周囲に晒しはじめた。かまいたちによりマジックアイテムに傷が入り、隠ぺいの術が解けたのだろう。次々に襲いくる空気の刃に、導師たちはパニックに陥っていた。
「くっ、まずい。相手に精霊使いがいるぞ。いったん撤退だ!」
ザハリアーシュらしき男の怒声が、アリツェの耳にも飛び込んできた。導師たちのさらに後方に控えていたのだろう。
「動けない者は複数人で抱えて運ぶのだ! 急げ! 被害が大きくなるぞ!」
軍隊としての行動に不慣れな弱点が、ありありと露呈している。ザハリアーシュはまごつく導師たちを怒鳴りつけ、撤退していった。
『何とか追い払えましたわ。ご苦労様です、ルゥ』
精霊術を行使し終え、ルゥがアリツェの肩に戻ってきた。ねぎらいの言葉をかけ、頭を軽く撫でる。
『ご主人のお役に立てて何よりだっポ』
ルゥは嬉しそうにクックッとのどを鳴らしている。
『ふふ、あとでルゥの好物をもらってきてあげますわね』
『感謝感激だっポ!』
栄養価の高い穀物として、ハト麦も保管されていたはずだ。それを伯爵から少し分けてもらおうとアリツェは思った。
役目を終えたアリツェは、いったん伯爵のいる天幕へ報告に戻った。そろそろドミニクとの交代の時間も迫っていたので、タイミング的にもちょうどいい。
天幕内にはドミニクとペスもおり、アリツェの帰還を待っていたようだ。このままアリツェと入れ替わりに見回りへ出るつもりだろう。
「アリツェ殿、助かった。おかげで今回は、魔術による被害が皆無だったよ。飯時に奇襲などされたら、被害もそうだが、それ以上に兵たちの精神面の疲労がどうなるかわからなかった」
伯爵はにこやかに笑い、アリツェに手を差し出してきた。
昼間の会戦ばかりか夕食時にまで襲撃があっては、兵たちは常に緊張感の維持を強いられる。これでは早晩、破綻しかねない。
「お力になれたようで、わたくし嬉しいですわ!」
アリツェは伯爵の掌をしっかりと握った。
伯爵の話から、アリツェが導師部隊を撤退させたおかげで、正規兵たちの崩れ掛かっていた士気も向上したらしい。これまで導師の魔術に一方的にやられ放題だったものを、初めて撃退したのだから。
「まだザハリアーシュたちの襲撃はあるはずだ。しばらくは哨戒を続けてもらいたい。すまないが、よろしく頼む」
精霊術の威力を思い知ったからなのか、伯爵の目は少年のようにらんらんと輝いて見えた。
「もちろんですわ! わたくし、そのためにわざわざ王国軍側から来たのですし」
アリツェも期待に応えられて満更でもなかった。これで帝国側の人間にも、精霊術や使い魔の有用性を知ってもらえたのではないかとアリツェは思った。
精霊術の支持者をここで獲得しておけば、大戦後、帝国内に精霊を普及させる際にきっと役に立つ。
「幼いアリツェ殿にばかり負担をかけて心苦しいのだが、他に精霊術を行使できる人間がいない以上、どうしてもあなた頼みになってしまう」
「適材適所、指揮官の伯爵様が気に病むことではありませんわ」
王国軍にいた時にも、さんざんフェルディナントに伝えた言葉だ。指揮官として当然の態度だと、アリツェも理解している。
これはアリツェにしかできない役割なのだから、アリツェがこなすのは当然だし、また、軍務の役に立てるのは、いち貴族としても素直に嬉しかった。
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