わたくし悪役令嬢になりますわ! ですので、お兄様は皇帝になってくださいませ!

ふみきり

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第二十一章 隠れアジトにて

1-2 わたくし結婚いたしますわ~中編~

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 さらに二か月が経過した。

 グリューン周辺はまもなく、初夏から本格的な盛夏へと移行しようかという時期に差し掛かっていた。

「ふぅ……。ドミニク、本日の決裁書類は以上ですか?」

 アリツェは大きく息を吐きだし、両肩を回して凝りをほぐした。

 机上には山になった紙の束が置かれている。朝からずっとこの書類とにらめっこをし、承認のサインをひたすら書き続ける一日だった。肩も凝るというものだ。

「官僚から受け取っている分は、それでおしまいだよ」

 ドミニクはアリツェの様子を見ながら、苦笑を浮かべた。

 アリツェとは違い、ドミニクは椅子に座りっぱなしというわけではなかった。アリツェ程は身体が凝り固まっていないのだろう。少し羨ましくアリツェは思った。

 だが、羨ましがったところで、ドミニクと立場を入れ替えられるわけではない。今この子爵領のトップは、アリツェだ。ドミニクはあくまで、その補佐に過ぎない。

 領政府から上がる決済事項の最終判断は、アリツェ自身で行う必要があった。代わってもらうわけには、いかなかった。

「いつもよりも早めに終わりましたし、少し街へ出ませんか?」

 アリツェは背もたれに寄りかかり、大きく伸びをしながら、ドミニクに提案した。

 缶詰めになって仕事をしたおかげで、この日はいつもよりも一時間以上早く執務を終えられた。せっかくできた自由時間、大いに楽しんで気分転換をしたいとアリツェは考えた。

「お、いいねー。久しぶりの『でぇと』だね」

 ドミニクも同じ気持ちだったらしく、笑顔でうなずいた。

「うふふ、そうですわ! では、ちょっとおめかししてきますので、三十分後に領館の入口で」

『でぇと』となれば、今着ている仕事着ではいささか寂しいものがある。せっかくなので、もう少し可愛らしい装いに変えたかった。それに、一着着てみたかった服もある。……ドミニクは、いったいどんな反応をするだろうかと、アリツェは胸をときめかせながら、椅子から立ち上がった。

「オッケー、わかったよ」

 ドミニクも諾の返事をすると、立ち上がる。

 アリツェは書類を素早くまとめてぽんっと決済済みの箱に移し、執務室を後にした。






 アリツェは着替えを終え、ドミニクを伴いながら、グリューンの中央通りを歩いていた。

 夏を迎え、露天商の数はますます増えている。活気あふれる様子に、アリツェはついつい頬を緩ませる。

 官僚の話では、去年の同時期と比べても、グリューンを訪れる行商の数がかなり増えているという。まもなく来たるアリツェの結婚で、このプリンツ子爵領は大幅に領地が加増される予定だ。これから勢いを増していくだろう地だと踏んで、多くの利に聡い商人が集まってきているのだろう。

 アリツェにとっては、とても喜ばしい話だった。今は少しでも領政の金庫を富ませたい時期だった。商人が増え税収が増えるのは大歓迎だ。

「皆、すっかり夏の装いだね」

 ドミニクはつぶやきながら、周囲をきょろきょろと見まわしている。

「えぇ、間もなく七月ですし、あっという間に半袖の季節ですわね」

 先週ぐらいまでは、薄手の長袖を着用している人のほうが多かった。だが、今は行きかう人のほとんどが、半袖だった。女性はその上に、極薄のショールを巻いて日焼けを防いでいる。

 アリツェも同じような装いだ。半袖のドレスに、霊素をわずかに込めた薄手の白の外套を身につけている。

「そして、夏になれば……」

 ドミニクは立ち止まり、アリツェに顔を向けた。ニヤリと笑っている。

「えぇ……」

 ドミニクの言いたいことがわかり、アリツェも微笑んだ。少し、顔が熱い。

 夏――。アリツェとドミニクの結婚式――。

「っと、それにしてもアリツェ、今日の服装はいつも以上に艶やかで、可愛らしいね」

 ドミニクは視線を上から下まで何度も行ったり来たりさせながら、アリツェの着ているドレスを褒めた。

「ありがとうございます。……実は、先日フェルディナント叔父様から頂いたのです。辺境伯家に代々伝わる、未婚の女性用の服らしいですわ」

 アリツェはスカートの裾を掴み、少しだけ持ち上げた。ふわりと広がる白地のスカートの先には、細かい文様が入った紺色のラインが、水平方向にぐるりと一周している。魔よけの意味が込められた意匠だと、服と一緒に添えられたフェルディナントからの手紙には書かれていた。上半身は白地の生地の上に、色とりどりに刺繍が施され、きらびやかにあしらわれたベストを重ねている。

 伝統的な祭祀の際に着用される機会が多いという話だったが、せっかくだからと、アリツェはこの『でぇと』で着用し、ドミニクに見せびらかせようとずっと目論んでいた。

「ってことは、君の母上のユリナ様も着たことが?」

 ドミニクは少し微妙な表情を浮かべ、首をかしげた。

「いいえ、残念ながら。ユリナお母さまは、ギーゼブレヒト皇家から嫁いで辺境伯家に来たのです。辺境伯家の人間になった時には、すでにカレルお父さまと結婚済みですから、この未婚女性用の服は着ていないはずですわ」

 ドミニクの態度を見て、アリツェは察した。どうやら、ドミニクはアリツェの母ユリナが苦手のようだ。……あの性格を思えば、無理もないが。

 正直な話、アリツェも未だにユリナとどう接すればよいのかわからなかった。ミュニホフの皇宮で見えた際は、激昂したユリナに罵られた。あれ以来、アリツェはまだ、ユリナとの対面を果たしていない。

 フェルディナントの元で静養をしているユリナも、アリツェの結婚式には親族として出席するはずだった。結婚を前に、一度ゆっくりと話し、和解をしたいとアリツェは思うが……。

「なるほど……。うん、本当に素敵な色使いだし、刺繍も見事な細やかさだよ。結婚後のボクらの家でも、代々の伝統の服にするのも、いいかもしれないね」

 ユリナが着たことのない服だとわかると、一転してドミニクはにこりと笑った。

「あら、それはいい提案ですわ! 後で叔父様に、許可を取ってみますわ!」

 アリツェも嬉しくなり、ぽんっと両手を叩いた。

 これだけ素敵な服なのだ。いつかできる自身の子供たちにも、ぜひ着せてあげたいとアリツェは思う。

 今はせっかくの『でぇと』。母ユリナのことは一時頭の片隅に追いやって、この時を精いっぱい楽しもう。アリツェはぶんぶんと頭を振り、邪念を追い払った。






 この季節のグリューンは、日がだいぶ長い。そろそろ夕食の時刻だが、空はまだ青かった。

 アリツェは近くの露店で買った肉串をほおばり、ドミニクと楽しく談笑しながらグリューンを散策した。香ばしい香りに、お腹もきゅうっと可愛らしく鳴く。

 以前のアリツェであれば、歩きながら食べるなんてはしたないと躊躇したはずだ。だが、今ではすっかり考えが変わっていた。領主として、直に領民と触れ合えるこの行為を、今では積極的に行っていた。そんなアリツェに対し、領民たちも気さくに声をかけてくる。

 領民たちとの良い関係が築けてきたと、アリツェは徐々に実感し始めていた。

「この六月は、街のあちこちで結婚式が開かれていますわ。こうして見ていると、わたくしも少しずつではありますが、緊張してきます」

 途中、いくつかの催事場で結婚式が執り行われているのを、アリツェたちは目にした。

 新規流入の若い領民も多く、ここグリューンは、まさしく今、結婚で湧いていた。活気あふれる若者が集うのは、領の今後を思っても好ましい。来月にはアリツェとドミニクの結婚式が挙行される。そうなれば、この街の結婚熱も、ピークを迎えるだろう。

「グリューンで挙行されるとはいえ、王家主催だからねぇ。直接ボクらが差配するわけじゃないので、どんな演出がされるか、ちょっとワクワクするよ」

 ドミニクは悪戯っぽく笑うと、アリツェの手に持つ肉串から、肉を一つパクリと咥え、口に含んだ。アリツェは面食らいつつも、「王子がはしたないですわっ!」と、すかさずたしなめた。

 ドミニクは口をもごもごと動かしながら何やら言っているが、よく聞き取れない。おそらくは謝罪の言葉だろう。いくらアリツェ相手とはいえ、今は衆人環視の中。少し気を抜きすぎではないかとアリツェは思う。……そんな子供っぽさも、ドミニクの魅力ではあったが。

「ドミニクは王家の人間ですし、こんな舞台には慣れていらっしゃるかもしれませんわ。ですが、わたくしのような田舎娘には、王家主催というだけでものすごいプレッシャーがかかりますの。尻込みしてしまいますわ」

 ドミニクの無邪気な態度に、アリツェの気持ちは幾分かほぐれた。だがそれでも、これから待ち構える一大イベントを思えば、足もすくむ。

「大丈夫、大丈夫。そんなに緊張しなくても、別にとって食われるわけでもないし」

「そうは言いましても……」

 ドミニクは優しく笑いかけてくるが、アリツェは不安感をぬぐい切れない。

 自らですべての準備ができれば、これほどの緊張はしないのかもしれない。これから何が起こるのか、先をはっきりと見通せないからこその、この妙な不安感なのだろう。

「父上も、アリツェのことはたいそう気に入っているみたいだ。悪いようにはしないさ」

 ドミニクはそっとアリツェの頭に手をやり、数度ゆっくりと撫でた。

「わたくし、元来小心者なのですわ。ううう、本番で何か粗相をしでかしそうで」

 アリツェは横目でドミニクの顔を窺いながら、ため息交じりにつぶやいた。

 事前に打ち合わせた進行以外に、妙なサプライズでも仕掛けられていたらたまらない。緊張の極致にいる際に、突然の無茶振りをされでもしたらどうしようかとアリツェは思う。

「そんな時は、悠太になったつもりで場に立てばいいさ。彼ならそんな舞台、鼻で笑いながらひょうひょうとこなすだろう?」

 ニヤリと笑うドミニクに、アリツェははっと目を見開いた。

「……そう、ですわね。わたくしの中には、悠太様もいらっしゃるのですわ」

 ドミニクの言うように、悠太ならこんな舞台を前にしても、物怖じなどしないだろう。むしろ、自分からサプライズを演出しさえするのではないかと思う。

 そう考えれば、アリツェも負けてはいられなかった。悠太の人格と融合した以上は、アリツェは悠太の意識をも取り込んでいる。であるならば、これ以上過度に緊張し、不安になるわけにもいかない。悠太に笑われる。

「さ、そろそろ帰ろうか」

 ドミニクはアリツェの頭から手を放し、優しく声をかける。

 そろそろ空が赤くなってきた。まもなく日も暮れる。今日の『でぇと』は終わりだった。

「はいっ!」

 アリツェは精いっぱいの笑顔を浮かべ、元気よくドミニクに答えた。
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