わたくし悪役令嬢になりますわ! ですので、お兄様は皇帝になってくださいませ!

ふみきり

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第二十一章 隠れアジトにて

4-1 今度こそ逃がしませんわっ!~前編~

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 ラディムより大司教一派の居所の情報が入ってから、三日が経過した。

 グリューンの街は、魔獣出現の影響で多少商人の行き来が減ってはいた。だが、ドミニクやシモンの懸命な働きにより、生活に支障が出るほどの問題にはさせていない。街壁の中にいる分には安心だと、住民の誰もが思えるだけの治安は、しっかりと維持できていた。

 中央通りの賑わいも、魔獣騒ぎが起こる前の最盛期に比べれば、少し寂しさも感じられる。だが、まだ子爵領だったころのグリューンと比べれば、比較にならないほど多くの人の往来があった。

 そんな中央通りの露店街を、アリツェは一人歩いていた。旅立ちのための買い物を済ませるためだ。今回は公爵領外まで出向く。いつも以上に長旅となりそうなので、生地のしっかりしたローブや外套を買い求めた。

 ひいきの露天商から質の良い装備品を購入でき、アリツェはほくほく顔で公爵邸へと戻る。あとは仕上げに、外套に防御用の精霊術を永続付与し、マジックアイテム化させておけば、準備は万端だ。

 だが、旅立ちの前に、まだ一つ問題が残っていた。子供たちやサーシャへの説明だ。

 タイミングがつかめず、アリツェはまだ、サーシャやエミルに旅立ちの件を話していなかった。きっと反対されるのは間違いがない。どう説得すべきか、少し頭が痛かった。

 公爵邸へ帰還したアリツェは、頭の中でなんと言い訳をしようかとぐるぐる考えながら、私室へ歩を進める。どのような話し方をしたとしても、エミルがわんわん泣き出すだろうことは容易に想像がつくため、ちょっぴり気が重い。

 私室の前に着き、アリツェは扉に手をかける。動きを止め、大きく息を吐きだしてから、一気にぐいっと扉を押し開けた。

 部屋の中へ入るや、エミルが満面の笑顔を浮かべながら、待ってましたとばかりに飛び掛かってきた。アリツェは微笑みながらエミルを受け止めると、そのままぎゅっと抱き締めた。……お日様のにおいがする。今日はずっと、窓際で遊んでいたのだろうか。

 ひとしきりスキンシップを図ったところで、アリツェはエミルを床に下ろし、周囲を見回した。窓際で日向ぼっこをしているフランティシュカと、それをあやしているサーシャの姿が見える。

 アリツェは窓際へ移動しながら、サーシャへ声をかけた。

「サーシャ、今ちょっといいかしら?」

「どうかなさいましたか、奥様」

 サーシャは立ち上がり、アリツェに顔を向けた。

「実は、所用でしばらくの間、公爵邸を離れることになります」

 ゆりかごに揺られながらキャッキャと声を上げているフランティシュカを見つめながら、アリツェはサーシャに話した。

「あら、また霊素だまりへの対処ですか? それなら問題ございません。エミル様とフランティシュカ様の面倒は、しかと見させていただきます」

 サーシャはにこやかに笑いながら、「お任せください」と口にする。だが――。

「……怒らないで、聞いてくださる?」

 アリツェは少しためらいながら、長身のサーシャの顔を上目遣いで窺った。

「おかしなことを尋ねますね? なにかあったのですか?」

 サーシャは首を傾げ、戸惑い気な表情を浮かべている。

「今回は……、霊素だまりへの対処ではありませんわ。……懸案でした世界再生教の大司教一派の捕縛が目的です。しかも、王国北方のリトア族の領域まで出向きますので、おそらくひと月以上は戻れそうにないですわ」

 叱られる前に言い訳をする子供のような気分で、アリツェは早口でまくし立てた。

「……奥様、それ、本気でおっしゃっているのですか?」

 サーシャは鋭い視線をアリツェに向けた。

「ごめんなさい」

 アリツェはうつむいた。

 サーシャにはなかなか頭が上がらない。幼いころに、無作法をしでかして叱られた経験も、それなりにある。

「そのような危険な場所に、なぜ奥様が直接出向かねばならないのですか? 奥様に何かがあったら、お子様がたはどうなりますか!」

 サーシャは怒気をはらんだ声で、アリツェを非難した。

 やはり、サーシャは怒った。アリツェも覚悟はしていた。幼い子供たちのことを思えば、母親のアリツェが危険な死地へ赴くなど、いい顔をするはずがない。

「わかってちょうだい。これは、わたくしにしかできないお役目なのです。ドミニクにもおまかせできません。わたくしが自ら、行くしかないのですわ!」

 アリツェは再び顔を上げ、こぶしをぎゅっと固めた。

「母上、またどこか行っちゃうの?」

 横からエミルがやってきて、アリツェにしがみついた。

「エミル、ごめんなさいね。母はこれから、世界を救うための大事な大事なお役目を、果たしに行かねばならないのです」

 アリツェはエミルの頭を優しく撫でながら、諭すように語りかける。

「うぅ……」

 エミルはみるみる目に涙をため、声を震わせ始めた。

「良い子にしていられますね?」

 アリツェは中腰になり、エミルの両頬に手を当てて、真っ赤に腫らした目をじっと見つめた。

「やだー、やだー! 行っちゃやだーっ!」

 エミルはとうとう泣き出し、嗚咽を漏らす。

 エミルの鳴き声に合わせるかのように、ゆりかごの中のフランティシュカも泣き声を上げた。

「……困りましたわね。どれだけ泣かれようとも、わたくしはこの決断を、決して曲げるつもりはないのですわ」

 アリツェは頭を振り、ため息をついた。

「しかし、奥様……」

 いまだに納得がいかないのか、サーシャは口をとがらせている。

 だが、今回ばかりはたとえサーシャの言葉であっても、アリツェは考えを変えるつもりはなかった。この世界と多くの民を想えば、またとない機会が到来した今、アリツェは絶対に大司教一派を捕縛しに行かなければならない。子世代に、大きな禍根を残したままにしてはおけなかった。一刻も早く、世界を安定させる必要があった。

「わたくしに万一のことがあったら、子供たちの『霊素』教育はガブリエラに頼んで。もしくは、お兄様かクリスティーナが無事に戻れたようならば、そのお二人に」

 あまり考えたくはなかったが、自らの身が絶対に安全だとは言い切れない。常に最悪の事態をも想定して動かなければならないのが、為政者としての、そして、親としての務めだ。アリツェに深刻な事態が起こった際の、子供の教育面での配慮も忘れてはいなかった。

『霊素』持ちには、その力を暴発させないためにも、適切な教育が必要になる。幼き日のアリツェのような、不幸な目に遭う子供を生み出さないためにも……。

「その話しぶりですと、ラディム皇帝とクリスティーナ様もご同行なされるのですか?」

「えぇ、そうなりますわ。……わたくしを含め三人とも、精霊術に関しては、この世界で遅れを取るような相手などいないはずです。三人が三人だれも戻れない事態には、さすがにならないと思うのです」

 サーシャの問いに、アリツェは首肯した。

『霊素』持ちを複数手元に置いているだろう大司教一派とはいえ、転生者であるアリツェ、ラディム、クリスティーナの精霊術にかなうほどの実力を持った精霊使いを、用意できているとはとても思えない。

 思わぬ卑劣な罠で、アリツェたち三人のうちの誰かが欠けるような事態は、起こりうるかもしれない。だが、全滅はさすがにあり得ないだろう。

「母上、死んじゃうの?」

 エミルはアリツェの足にぎゅっとしがみつき、顔をくしゃくしゃにゆがめている。……アリツェは胸が張り裂けそうだった。

「まさか! 安心なさって、エミル。母は必ず、無事にあなたやフランの元に戻りますわ!」

 アリツェは努めて明るい声を出し、エミルに笑いかける。ここで悲しい表情を浮かべては、ますますエミルを不安にさせてしまうから。

「でも、でも……」

 エミルはぶんぶんと頭を振って、ますますきつくアリツェの足にしがみついた。アリツェも思わず泣きだしそうになるが、鋼の意思でぐっと我慢をする。ここでアリツェまで泣いてしまえば、台無しになってしまう。

「大丈夫だ、エミル。母上はとても強い。それこそ、ボクなんかよりもね」

 とその時、部屋の入口からドミニクの声が聞こえてきた。どうやら今日の執務を終えて、戻ってきたところのようだ。

「父上……。うわーんっ!」

 エミルはドミニクの元へ駆けだし、その胸に飛び込んだ。

 ドミニクはひょいっとエミルを抱き上げ、頭を何度も撫でる。

「安心しなさい、エミル。きっと母上はお務めを果たしてお戻りになる。世界を救った英雄として、きっと……」

 嗚咽を漏らすエミルに、ドミニクは優しく語り掛ける。エミルは相変わらず頭を振っているが、それでも幾分かは落ち着いてきたように見えた。

「……ドミニク、くれぐれも、子供たちを」

 アリツェは言葉を詰まらせながら、ドミニクに語り掛けた。

 後ろ髪を引かれる心苦しさは消えない。だが、グリューンにはドミニクが残る。子供たちを一人ぼっちにさせるわけではない。

「任せてくれ! 君に危険な役割を押し付けてしまっているんだ。後顧の憂いくらいは、きれいに断って見せるさ!」

 ドミニクは片目をぱちりとつむり、にこやかに笑いながら力強く口にした。
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