上 下
256 / 272
第二十三章 火口での攻防

4 いざ火口にて!

しおりを挟む
「アリツェ!?」

 ドミニクの声が響き渡った。

 アリツェは自らの右肩に目を遣った。投げナイフのようなものが、ざっくりと刺さっている。

 ローブに血がにじみ出してくると同時に、鋭い痛みが襲い掛かってきた。

「こんな物騒なものを用意していたなんて、危ないですねぇ」

 背後からケタケタと、不気味な笑い声が聞こえた。

「誰だ!」

『四属性陣』から退避するために陣外で待機していたドミニクが、誰何の声を上げながらアリツェのそばへと駆け寄る。

「誰? フッフッフ、誰ですかねぇ……」

 つぶやきながら、一人の男が物陰から姿を現した。

 純白の法衣に身を包んだ、初老の男――。

「大司教!?」

 ドミニクとラディムが、ほぼ同時に叫び声を上げた。

 探し人本人が、アリツェたちの目の前に堂々とその身を晒す。

 アリツェはすぐさま、周囲の霊素反応を探った。だが、これといったものは感じない。大司教単身で乗り込んできたのだろうか。

 アリツェは肩に刺さったナイフを引き抜き、布を当てて止血をする。光の精霊術で治したいが、いまは『四属性陣』発動直後のために、全霊素を使い切っていた。

 ズキズキと脈打つ痛みに、アリツェは顔をゆがませる。背中に脂汗が流れ出た。

「マリエがあなたたちの手に落ちたと聞き、警戒はしていました。ですが、まさか本当に、こんな辺境くんだりまで来るとはね……」

 大司教は、さも呆れたと言わんばかりに苦笑した。

「それにしても、妨害したのにもかかわらず、その物騒な精霊術はきちんと発動するんですねぇ。ますます危険だ」

 大司教は一転して、険しい表情を浮かべながら、陣の中央にできたクレーターを鋭い目つきで凝視した。

 大司教の言うように、妨害を受けたにもかかわらず、『四属性陣』は効果を完全に発揮した。陣中央付近の地面は、誘導されていた二体の魔獣ともども、強大な霊素に押しつぶされ、跡にはぽっかりと、大きな穴が開いている。

 一度、『精霊王の証』を通じて精霊術が発動されれば、物理的な手段ではもはや止められないのだろう。

「大司教! いい加減に、年貢の納め時だ! わが軍門に下れ!」

 ラディムは叫ぶと、剣を抜いて大司教に向かって駆けだそうとした。

「何をバカな……。では、私はこれで失礼しますよ」

 大司教は忍び笑いをしつつ、振り返った。そのまま、元いた物影へと姿を消した。

「ま、待て!」

 ラディムは声を張り上げるも、「くっ、陣発動後の硬直か……」とつぶやき、その場から一歩も動けない。

 霊素が一気に空っぽになった影響で、全身の筋肉がこわばり、思うように体が動かせなかった。状況は、アリツェやクリスティーナ、マリエも同様だ。

「逃げられるわ!」

 クリスティーナの声に、アリツェはハッとしてドミニクに顔を向けた。

「ドミニク! お願いします!」

 アリツェはドミニクの手を軽く握りしめる。

「わかっている、任せてくれ!」

 ドミニクは胸を叩くと、剣を引き抜いて大司教の後を追った。あっという間に物影に入り込み、アリツェたちの視界から消える。

 アリツェはごくりとつばを飲み込んだ。負ったケガのためか、はたまた暑さのためか、喉が異常に乾く。顔をしかめながら、ドミニクが消えた物影をキッと睨みつけた。

 数分もすると、少量の霊素が回復し、身体が動くようになった。アリツェはドミニクの無事を祈りつつ、肩の傷の応急処置を始めた。






 霊素が尽きたアリツェたちは、岩場の一角にキャンプを設営して、つかの間の休息をとった。

 ケガをしているため、霊素を回復させて治療をしなければ、先に進めない。それに、大司教を追ったドミニクも、まだ戻ってきていなかった。

 しばらく地面に座り込み、目を瞑って霊素の回復に専念する。今は動かず、休まなければならない。

 とそこに、何者かの接近してくる足音が聞こえた。

 アリツェは目を開き、音の方向へと視線を送る。ドミニクだった。

「ドミニク! どうでしたか!」

 アリツェは傷口に当てた布を片手で抑えつつ、立ち上がった。

「すまない、逃げ切られたよ。向こうさん、この辺の地理には相当に詳しいみたいだ。複数の横穴を活用して逃げ回られて、見失った……」

 ドミニクは悔しそうに顔を歪めて、靴底で地面を蹴り飛ばした。

 一方で、アリツェはほっと息をつく。

 あの時、身動きが取れるのはドミニクだけだった。だが、霊素のないドミニクを単独で行かせて、はたしてよかったのかとの不安な気持ちを、アリツェはどうしてもぬぐいきれなかったからだ。

 追跡は、残念な結果に終わった。しかし、こうしてドミニクが無事、無傷で帰ってきたのは、アリツェにとっては僥倖だ。

「そこは仕方がない。奴がこの辺りにいることを知れただけでも、十分すぎる収穫さ」

 ラディムも労うように、ドミニクの肩にぽんっと軽く手を置いた。

 そのまま、アリツェたちは地面に座り直して、休息の続きをする。

「それにしても、まさか陣を妨害してくるとはねぇ。ただ、あの程度の妨害では、一度発動した陣が中断されないってわかったのは、結果としては朗報だね」

 マリエは、『四属性陣』の跡地にちらりと目を遣った。

 マリエの言うとおり、発動後の陣が妨害に強い点は吉報だ。

 陣発動後の陣模様や精霊使いたちに対する護衛行動は、ドミニク一人に頼りっきりになる。陣の維持にそれほど重きを置かなくて済むとわかっただけでも、ドミニクはかなり動きやすくなるだろう。

「ねぇ、これからどうする?」

 クリスティーナはラディムの顔を覗き込んだ。

「大司教を追うのは当然として、手分けをすべきか?」

 ラディムは上目遣いに空を見上げ、「うーん」と唸り声を上げる。

「大司教相手に、強力な『四属性陣』は不要だと思う。ばらばらに探したほうがいいかもしれないねぇ。ドミニクの話だと、横穴網がかなり複雑みたいだし」

 そう口にしたマリエは、ラディムに微笑を向けながらうなずいた。

「ただ、大司教が逃げた方向が、ちょっと気になるんだよね」

 ドミニクが口を挟んだ。

「どういうことですか、ドミニク」

「火口側にどんどん向かっていた。無策で突っ込むのは、危険じゃないかな?」

 アリツェが発言の意図を確認すると、ドミニクは少し難しい表情を浮かべた。

 エウロペ山脈は、いくつかの活火山の複合体だ。大司教はそのうちの一つの火口に向かって進んでいった、とドミニクは言う。

 火口に何があるのかはわからない。アジトでもあるのだろうか。それとも、何らかの罠が仕掛けてある?

 アリツェはぐるぐると考えを巡らせる。

「例の儀式って、もしかして、火口のマグマのエネルギーを利用するものだったりして。この世界のマグマって、余剰地核エネルギーの集合体みたいなものなんでしょ?」

 クリスティーナは唇に人差し指を当てながら、上目遣いで考え込んでいる。

「情報がなさ過ぎて、わからないな。マリエ、何か心当たりはないのか?」

「うーん、僕にも……」

 ラディムに話を振られたマリエも、腕を組んで唸った。とその時、何かに気づいたのだろうか、マリエは顔を上げ、目を見開いた。

「そういえば、関係があるのかわからないけれど、『龍』がどうのと言っていたような気がする!」

「『龍』? もしかして、精霊王のことか?」

 ラディムは首をかしげながら、マリエに問うた。

「ごめん、陛下。そこまでは……」

 マリエは肩をすくめ、頭を振る。

「案外、精霊王降臨の儀式だったりしてね」

 クリスティーナは苦笑しながら口にした。

「まさか! 精霊王様は、世界再生教の敵じゃないですか」

 アリツェは納得がいかず、思わず身を乗り出して、クリスティーナの顔を見つめた。

 確かに『龍』と言われれば、この世界の大半の人間は、精霊教のご神体の『龍』を思い浮かべる。加えて、横見悠太の記憶の中にある、VRMMO《精霊たちの憂鬱》での『精霊王』の姿もまた、『龍』だった。

 だが、大司教は精霊教を憎み、敵としていた世界再生教の幹部だ。敵対宗教のシンボルをこの世に降臨させて、はたして何の意味があろうか。

「そんなにいきりたたないでよ。単なる思い付きなんだから」

 クリスティーナは両手を首の後ろで組んで頭を乗せると、つぶやいた言葉とともに、「ハァー……」とため息を漏らした。

「大司教の意図はわからない。だが、我々は先に進まなければいけない。手分けをして、奴をさっさと見つけ出そう」

 ラディムは両の拳をぎゅっと握りしめる。

「……ただ、火口に向かうって言うのなら、むしろ僕たちはばらけないほうがいいかもしれないよ」

 マリエはわずかに考え込むしぐさをすると、アリツェたちをぐるりと見渡した。

「なぜだ?」

 マリエの意図がわからないのだろう、ラディムは不満げな表情を浮かべている。

 アリツェも同感だった。手分けをして探さなければ、いつまでたっても大司教に行きつけない気がする。

「せっかく火口に行くのなら、『四属性陣』を使うべきだからさ。火口は余剰地核エネルギーが噴き出すホットスポット。霊素の消費にもってこいの場所だ」

 マリエは胸の前で両手を合わせると、そのまま上に向かってぱっと掌を広げた。エネルギーが爆発する様を表したいのだろうと、アリツェは理解をする。

「なるほどね。大司教捕縛のついでに、大量の地核エネルギーも消費してしまおうってわけか」

「そういうこと。それに、大司教の罠が仕掛けられているとすれば、単独行は危険すぎるっていう理由もある」

 ラディムが頷くと、マリエは嬉しそうに口元を緩ませた。

「では、私たち精霊使いは火口へ一直線に、横道は使い魔たちに探ってもらう。これでいいか?」

 ラディムはアリツェたちに視線を向けて、改めて方針を提案する。

 精霊使いは精霊術発動のために一匹だけ使い魔を伴い、まとまって行動する。一方で、残りの使い魔はアリツェたちに代わって、それぞれバラバラに動いてもらう。

 結局、探す主体が精霊使いから使い魔に変わっただけで、手分けをして大司教を探す方針に変わりはなかった。

 特に異論も出ず、アリツェたちは全員首肯した。

「ボクはどうする?」

 一人、議論の外にいたドミニクが口を挟んだ。

「ドミニクは、私たちの護衛を頼む」

「承知したよ」

 ラディムの言葉に、ドミニクは胸に手を当てながら大きくうなずく。

「では、アリツェの傷を治し次第、行くぞ!」

 ドミニクの掛け声とともに、アリツェたちは右手を大きく天に突きあげた。






「暑い……ですわ」

 アリツェは噴き出す汗を、手拭きの布で何度もぬぐった。

「もう火口ね。真っ赤に燃え盛るマグマが、すぐ手の届きそうな距離に……」

 クリスティーナは手のひらで顔を仰ぎつつ、眼下に見える赤い塊を注視している。

 ちらちらと見える噴火口には、遠目からでもふつふつとマグマがたぎっているのがわかる。うっかり落ちでもすれば、ひとたまりもないだろう。

「外套に水の精霊術をかけておりますが、きついですわ……」

 アリツェは身にまとう外套の裾を指でつまんだ。

 生地の周囲には、精霊術による水の膜がうっすらと見える。だが、その水膜の一部が、歩くたびに熱によって蒸発させられて、発生した白い水蒸気がアリツェの身を包んでいた。

 湿度が上がるため、外套に護られていない部分では、酷い蒸し暑さを感じる。不快感極まりなかった。

 岩壁に沿って火口に向かうらせん状に続く道を、アリツェたちは黙々と降った。

 しばらく進むと、最前列のラディムから叫び声が上がった。

「おい、あれを見ろ!」

 ラディムは火口を指さしている。

 アリツェはすぐさま身を乗り出し、ラディムの指し示す先を覗き見た。

 一人の老人が立っていた。

「大司教、ですわね」

 純白のローブに身を包んだ白髪の男は、どう見ても大司教本人だった。

 大司教は火口の淵に立ち、何やらぶつぶつとつぶやいている。

「奴の動きが怪しい、急ぐぞ!」

 ラディムは叫び、一気に火口へ向かって走り出した。

 アリツェも必死に後を追う。

「大司教! もう逃がさないぞ!!」

 ラディムは腰に下げた剣を引き抜くと、大司教との距離を縮めるべく、突進していった。
しおりを挟む

処理中です...