わたくし悪役令嬢になりますわ! ですので、お兄様は皇帝になってくださいませ!

ふみきり

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終章 『新・精霊たちの憂鬱』

2 愛するわが子に託しますわ

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 なんだか、身体がふわふわする。

 アリツェは手に力を籠め、身体を起こそうとした。

「アリツェっ!」

「母上!」

 心地の良い、聞き覚えのある声が、アリツェの耳に飛び込んでくる。

「……わたくし、いったい」

 力を入れたはずの腕がガクンと折れ、アリツェはバランスを崩す。だが、すかさず横から手が伸びてきて、アリツェはがっしりと抱えられた。

「わーん、母上―っ!」

 とそこに、小さな男の子が泣きわめきながら、アリツェの腰辺りにしがみついてきた。

「あら、エミル……。それに、ドミニク、サーシャ、フランまで……」

 アリツェはぐるぐると周囲を見回し、目を見開いた。

 わずかに身が揺れる感覚から、ここが大きめの馬車の中だとわかる。

 アリツェの身体を横から支えているドミニク、腰にしがみつくエミル、アリツェの横たわる座席とは別のシートに座り、フランティシュカを抱いているサーシャ。なぜここに、家族が勢ぞろいしているのだろうか。

「よかった……。本当に、よかった、アリツェ……」

 ドミニクはアリツェの肩を抱きながら、涙を流している。

 いったい、この状況は何だ。なぜ、ドミニクは泣いている?

「奥様は、ずっと眠っておいでだったんです。こうして再びお目覚めになられて、私、なんと申し上げればよいか……」

 サーシャの目尻にも、涙が浮かんでいた。

「あぁ……、そうでしたわね。あの時の、後遺症……」

 アリツェはようやく思い至った。なぜ、ドミニクたちが泣いているのかを。

 昏睡状態に陥り、皆に心配や苦労を掛けていたのだ。

「それにしても、ここは馬車の中ですわよね。旅行……というわけではなさそうですが」

 アリツェは小首をかしげ、身体を支えているドミニクに顔を向けた。

「あぁ、それはね……」

 ドミニクはアリツェが昏睡した以後の出来事について、順を追って説明をはじめた。

『龍』の撃破、『四属性陣』構築のための世界会議、聖堂の建築場所の選定などなど……。

「なるほど、周辺地域全体で『四属性陣』を……」

 アリツェは口をぽかんと開けた。なんともまあ、壮大な計画だった。

 会議の結果、国家の枠組みまで大きく変わっている。ラディムたちの苦労が、しのばれるようだ。

「それで、ボクたちはフェイシア王国南部に新たに領地をもらい、陣展開のための南の指定地として、聖堂を建設することになったんだ」

 ドミニクは荷物から地図を取り出し、加増された王国南部の公爵領を指示した。飛び地になっていたが、グリューンとはそれ程離れていない。

「グリューンを離れても大丈夫ですの?」

 今、こうしてアリツェ以下領主一家の全員が、領都グリューンを離れている。領政などに滞りが出ないか、アリツェは心配になる。

「あとはシモンとガブリエラがいる。あの二人に任せておけば、まぁ大丈夫だろう」

 ドミニクは笑った。アリツェを安心させようとしているのか、頭を優しく撫でてくる。

「聖堂ができたら、領都を移すことになるかもしれないね」

 聖堂のある地に、精霊使いが常駐しなければならない。つまり、精霊使いを抱える公爵一家が、グリューンから聖堂建設地に引っ越す必要がある。領主が引っ越すのであれば、領都機能も一緒に移動させるのが、筋だろう。

「お話を聞く限りにおいては、致し方なさそうですわね。すこし、さみしいですわ」

 アリツェは苦笑した。

 グリューンには、幼少期のつらい思い出もあるが、それ以上に愛着もある。できれば、離れたくはない。だが、世界の行く末を考えれば、わがままも言っていられない。

「グリューンは交通の要衝。副領都に変わったとしても、寂れる心配はないさ」

 ドミニクの言葉に、アリツェはうなずいた。

 たしかに、ヤゲル王国との玄関口にあたるグリューンは、政治的機能を失ったとしても、経済の中心地として栄え続けるに違いない。

「ところでアリツェ、身体は大丈夫なのかい? 聖堂ができたら、『四属性陣』のために大量の霊素を溜めてもらいたいんだけれど」

 ドミニクは一転、心配げな表情を浮かべて、アリツェの顔を覗き込んだ。

「あっ!」

 アリツェはハッとして、声を張り上げた。

「ごめんなさい……。実はわたくし、もう二度と精霊術は使えないのですわ」

 ローブの胸元をぎゅっと握りしめ、アリツェは弱々しく頭を振った。

 おぼろげながら、眠りに落ちる前の状況も思い出す――。

「あの時、『龍』を封じるために、わたくしはカレルお父さまから受け継いだ《祈願》の技能才能を使いました」

 実父カレル・プリンツ前辺境伯から与えられた《祈願》。アリツェは『龍』の分厚い霊素の膜を剥がすため、その《祈願》の力を使った。我が身を代償に……。

「結果、ペナルティとして、こうして今まで昏睡状態に陥ったことに加え――」

 アリツェは一旦言葉を切り、ゴクリとつばを飲み込む。

「霊素をもすべて、失いました……」

「なんだって!?」

 目を大きく見開いているドミニクの顔を、アリツェはまじまじと見つめた。

 昏睡から目覚めた段階で、自身の体内に霊素がない事実に、アリツェは気付いていた。今、改めて自身のステータスを表示させてみたが、やはり現在値、最大値とも零になっている。これではもう、精霊術は使えない。

 傍にはペスとルゥも控えているが、その声はもう聞こえなかった……。篤い絆は感じるものの、精神リンクは途切れている。念話も通じない。

「これをご覧になってください」

 アリツェは懐から、布に包まれた物体を取り出した。包み布を丁寧に外し、中身をドミニクに見せる。

「あぁ、あの戦いのときに割れた、アリツェの『精霊王の証』だね」

「これが転生のキーアイテムになっていたのは、ドミニクもご存知でしたよね?」

 アリツェが問うと、ドミニクはうなずいた。

「割れたことにより、悠太様の力の一部が、完全に消失したようですわ。……主に、精霊使い関連のものが」

 アリツェは『精霊王の証』を持つ手とは逆の手で、胸元をぎゅっと握りしめた。胸が、締め付けられるように痛い。

 この世に生を受けてから二十年余り。常に供にあった霊素が、今はもう無い。
喪失感が大きかった。

「そうだったのか……」

 ドミニクは神妙な顔つきで、割れた『精霊王の証』の表面に触れた。

「しかしそうなりますと、聖堂を建てたとして、精霊使いの工面はどういたしましょうか……」

 アリツェがつぶやくと、ドミニクはびくっと身体を震わせた。

「そうか……。『四属性陣』を使えるだけの精霊使いが、いないのか」

 ラディムたちはアリツェの精霊術を前提に、『四属性陣』の構築を考えていたはずだ。だが、今のアリツェは、もはや精霊使いとは呼べない。

 かといって、シモンやガブリエラでは、『四属性陣』を展開できるほどの大規模な精霊術は使えない。腕輪で不足の霊素を補ったとしても、生まれついての精霊術の才能が転生者たちには遠く及ばないため、厳しそうだった。

 ドミニクは頭を抱え、「ラディムに相談しなければ」とつぶやいた。

「母上……」

 と、その時、アリツェの腰にしがみついていたエミルが口を開いた。「ぼくがやるよ」と。

「エミル……。本気ですの?」

 アリツェは大きく目を見開き、愛する息子の顔をまじまじと見つめた。

「はいっ! いずれは母上の後を継いで、精霊使いになるはずだったんです。ぼくに任せて!」

 エミルはニッと笑い、胸を力強く叩いた。

 アリツェはドミニクと顔を見合わせ合い、どうしたものかと考え込んだ。

 確かに、エミルはアリツェの精霊使いとしての才能を、色濃く引き継いでいる。生まれついての霊素や精霊術の才能は、転生者に引けを取らない。将来的には、第一級の精霊使いにすべく、アリツェが英才教育を施すつもりであった。

 だが、エミルはまだ四歳の幼児。そんな重責を担わせて良いものだろうか。

 しかし、エミル以外に適任がいないのもまた、事実であった。事は公爵家内で済む話でもない。この世界全体の問題だ。

 かわいそうだが、エミルに頑張ってもらうしかないのかもしれない。

「各地の聖堂がすべて完成し、陣の準備が整うまでは、おそらくあと三、四年はかかる。その間に、エミルにできるかぎりの教育を、施すしかないかな」

 ドミニクもあきらめ顔で、エミルの頭を撫でている。

 東西南北の各聖堂が完成する頃には、エミルも今のマリエくらいの年齢になる。六歳のマリエの身体でも大規模精霊術に耐えられた実績がある以上、エミルにもできると信じるほかない。

「少し早いですが、わたくしの精霊使いとしてのすべての知識を、エミルに与えましょう」

 やる以上は、全力でエミルを支援するだけだ。

 できるだけつらい思いをさせないよう、これからのアリツェの人生を、エミルに捧げる。

 アリツェは、決意した。

「新たな国家の枠組みに、精霊使いによる『四属性陣』のための聖堂建設……。お兄様も、頑張ってくださったのですね」

 これほどのお膳立てをするために、ラディムはどれだけの苦労をしたのだろうか。

 我が身を犠牲にしてまで、希望を繋いだ甲斐があった。双子の片割れの努力を想い、アリツェは胸が熱くなる。

「新たな世界が、はじまったんだ」

 ドミニクはアリツェとエミルの肩を掴むと、グイっと引き寄せた。

 アリツェは上目遣いで、ドミニクの引き締まった顔を見つめる。

「すべての人々が手を取り合って、この世界を、崩壊から救おう!」

 ドミニクの掛け声に応じて、アリツェはうなずき、拳をぎゅっと固めた――。
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