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番外編 アリツェと地下迷宮
4 苦境に陥りましたわ……
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アリツェは周囲をぐるりと見まわした。
ガブリエラの言葉が事実なら、ここにエミルがいるはずだ。
「あ、でも……」
ガブリエラは表情を曇らせる。
「あの子の霊素にしては、ちょっと弱々しいかな。もしかして、別の場所に移動した?」
口元に手を当てながら、ガブリエラは小首をかしげた。
今のアリツェには、霊素を細かく感知する力がない。
ザハリアーシュの腕輪の効果で、近くにいる者の霊素は、ある程度判別できる。だが、遠く離れてしまえば、もうわからない。
霊素をたどったエミルの追跡には、ガブリエラの霊素感知力がどうしても必要だった。
「たぶんなんだけれども……。あの奥の扉あるじゃない。あの先に、強い霊素反応を感じるのよ。エミルの霊素の痕跡も、あっちに向かって伸びているかな」
アリツェたちが部屋に侵入した側と正反対の側にある、ひときわ大きな鉄製の扉を、ガブリエラは指さした。
「ちょっと待ってください。ということは、エミルの他に、傍に強い霊素を持ったものの存在が?」
「確証はないけれど、答えは『はい』かな」
「このダンジョンは魔獣の巣窟だ。いやな予感がするぞ……」
悠太に言われるまでもない。一刻も早く、後を追わなければとアリツェは思う。
エミルが魔獣に食べられでもしたら、取り返しがつかない。
「悠太様、ガブリエラ。急ぎましょう!」
アリツェたちはうなずきあうと、奥の扉に向けて駆けだした。
だが、その瞬間――。
「え!?」
突然、浮遊感に襲われた。
気付けば、床が抜けている。
まさかこんなところで、落とし穴の罠に引っかかろうとは……。
アリツェはなす術もなく落下しながら、無事に着地できるよう『精霊王』に祈った――。
★ ☆ ★ ☆ ★
「いてて……」
傍で悠太のうめき声が聞こえた。
アリツェはすばやく自分の身体の様子を確認する。
外傷はない。幸い、軽い打ち身程度で済んだようだ。頑丈な身体に感謝する。
それにしても、結構な時間落下した感覚がある。そのわりには、受けた衝撃は大したことがなかった。
地面にそっと手を触れる。今までの地下道と同じ、苔むした石畳だった。
この固さの地面にまともに落下していれば、生きてはいられないはず。
――あの落とし穴の罠も、この特殊空間の不思議な現象と言ったところでしょうか。部屋の奥に進ませないようにしたかった?
不思議と、何者かの意図を感じる。本当にこの地下迷宮は、いったい誰が、何の目的で作ったものなのだろうか。
それとも、システムバグの偶然の産物?
ここに、ゲーム管理者のヴァーツラフ――幼女マリエさえいれば、もう少し詳しい状況が分かったのかもしれない。
「悠太様、お怪我はありませんか?」
「あぁ、だいじょう……ぶっ!」
立ち上がろうとした悠太は、苦しげな声とともによろめいた。
右肩を抑えている。服の一部が裂け、血がべっとりと滲み出していた。どうやら、落下の際に肩から落ちたようだ。
「くそっ、肩をやられちまった。これじゃ、剣を振るえないぞ……」
悠太は顔をしかめながら、服の袖口を裂いて作った端切れを、傷口に当てた。
「ガブリエラ、治療を――」
精霊術での治療を頼もうと、アリツェはガブリエラの姿を探した。
「あら? ガブリエラはどこに……」
ガブリエラが見当たらない。今この場にいるのは、アリツェ、悠太、ペスのみだ。
足元に何かの気配を感じた。目を向けると、ガブリエラの使い魔のうちの一匹、手乗り文鳥のシータが、アリツェのローブを突いている。
「シータ、ご主人の居場所、わかります?」
アリツェが尋ねるも、シータは否を返す。
ガブリエラとはぐれたようだ。
落とし穴の罠にはまっている最中に、またしても時空のゆがみが生じたのだろうか。
「まずいな。精霊使いがいないんじゃ、魔獣に襲われたら危険だぞ。オレもどうやら、戦えそうにない」
悠太は悔しそうに顔を歪めた。
「そう、ですわね……。ガブリエラなしでは、悠太様の治療もできません。対魔獣も苦戦は免れないでしょう。シータのみでも、魔獣の霊素の被膜は破れるでしょうが、効率はどうしても落ちますわね……」
シータには、魔獣との連戦時に施された精霊具現化が、まだ残っていた。当面の間は、初戦のような霊素の被膜を破れずになす術がなくなる、といった事態にはならないだろう。
だが、ガブリエラと合流できなければ、霊素の補給ができない。いずれはガス欠になり、魔獣への対抗手段がなくなるのは目に見えている。
――どうすべきでしょうか……。ここに留まるか、先へ進むか。
アリツェは胸元に手を置き、目を閉じた。考えを整理する。
この場にとどまったとして、ガブリエラと合流できる可能性は低いと思う。シータがガブリエラの気配を感じられていない以上、相当に離れた場所に飛ばされたとみて間違いない。
先に進むにしても、無駄に魔獣と戦闘を重ねれば、なけなしの霊素もあっという間に枯渇しかねない。
「進むも地獄、留まるも地獄。困りましたわね……」
アリツェは見上げた。
落とし穴があったはずの場所は、もうすでにただの天井に変化していた。元居たガラス柱の並んだ部屋へは、戻ろうと試みたところで無理そうだ。
そもそも、精霊術が使えなければ空も飛べない。
急がなければいけない。エミルの身が心配だ。
エミルの傍には、得体のしれない大きな霊素反応があると、ガブリエラは言っていた。その霊素反応に悪意があれば、エミルの命は……。
しかし、進むか留まるかの判断がつかない。エミルを助けるには、どちらを選べばよいのか。
焦燥感が、アリツェの胸をぎゅうっときつく締め付ける。
アリツェは胸元を握り締めようとした。
だが、悩んだ時にいつもすがっていた胸元のペンダントは、もうない。ペンダントトップにしていた『精霊王の証』は、エウロペ山火口の戦いで、真っ二つに砕けてしまったのだから……。
「奥へ進もう。ここに留まっていちゃ、ダメな気がする」
悠太は肩をおさえながら立ち上がった。
時折頬を引きつらせているのは、痛みをこらえているのだろうか。
「しかし……」
「ここは、時空のゆがみで飛ばされた場所だろ? で、その時空のゆがみは、まさに今、オレたちのいるこの場所の真上にあったわけだ。なら、ここに居続けたら、再びその歪みに巻き込まれる危険性が、ありそうじゃないか?」
悠太は天井を見上げ、頭を振った。
悠太の言うとおり、確かにこの場所に留まっていたら、再び開いた時空のゆがみに、飲み込まれる恐れがあるかもしれない。であるならば、先に進むべきだ。
アリツェも納得し、悠太にうなずいた。
★ ☆ ★ ☆ ★
「悠太様、下がっていてくださいませ!」
アリツェは叫び、前に出ようとする悠太を制する。
剣もろくに握れない状態の悠太を、戦いの矢面に立たせるわけにはいかない。
アリツェは目の前の虎型の魔獣を睨みつけながら、背負った薙刀を手に取り、構える。
肩にはシータが、今にも飛び掛からんと翼を大きく広げていた。
悠太の傍には、ペスが護衛で付いている。悠太は「すまない」と口にしつつ、ペスとともに後方へ下がった。
「シータ、霊素を節約したいですし、急所周辺の霊素の膜を、ピンポイントで剥がしてもらえませんか?」
ガブリエラのやっていたように、魔獣の全身の霊素被膜すべてを剥がそうとすれば、使い魔側の消費する霊素量も馬鹿にならない。これから何連戦するかがわからない以上、できるだけ消耗は抑えたい。
狙うは胸部。槍で心臓を一突きにしたかった。
シータは高らかに鳴き声を上げ、アリツェの肩から飛び立った。そのまま一直線に、魔獣の胸に飛び込んでいく。
同時に、アリツェも同じ場所めがけて駆けだした。薙刀を腰だめに構え、突撃する。
魔獣の咆哮にもひるまず、シータが敵の懐に入り、胸部周辺の霊素膜にひびを入れた。すぐさまシータは上空に舞い上がり、魔獣の腕による攻撃を避ける。
攻撃が空振りに終わった魔獣は、バランスを崩し、動きが止まった。
アリツェは隙を逃さず、できた霊素膜のひびに向かって、身体ごと槍の穂先を突き立てた。
「おわりですわっ!」
掛け声とともに、赤い血しぶきが舞った。
一度霊素の被膜を破ってしまえば、あとは霊素なしでもダメージを与えられる。
アリツェは魔獣の体内にめりこんだ薙刀の穂先を回転させ、肉を引き裂いていく。
魔獣は心臓を潰され、出血おびただしい。すでに虫の息になっていた。
アリツェはとどめとばかりに、ぐいっと薙刀を押し込んだ。穂先が貫通し、魔獣の背側に刃が飛び出す。
瞬間、魔獣は地面に倒れた。
アリツェは素早く薙刀を引き抜き、血を拭う。
「ふぅ、今のような戦い方で、なんとかいけそうですわね……」
さすがに、ガブリエラと悠太がいた時ほどの楽勝とはいかない。
だが、どうにか戦えそうな手ごたえは得られた。クラスが純粋な戦闘職に変わったこともあり、スタミナも増した気がする。
アリツェはわずかに自信をつけて、先を急いだ。
★ ☆ ★ ☆ ★
以後も、散発ながら魔獣の待ち伏せを食った。しかし、幸いにも複数の魔獣が同時に襲ってくることもなかったため、うまくしのいでいた。
霊素の消費を節約しているため、シータの精霊具現化も、もうしばらくは持ちそうだった。
「順調、と言えるのでしょうか?」
アリツェはほうっと息をついた。
身につけている青いローブは、度重なる接近戦で、返り血をだいぶ浴びていた。乾いた血で、ところどころどす黒い染みを作っている。
気分は悪いが、ぜいたくも言えない。着替えなど持ってきてはいないし、たとえ持ってきていたとしても、着替える時間も惜しい。
「どうだろうな。魔獣とは単体でしか遭遇していない。ラッキーなだけじゃないか? ガブリエラとの合流はまだできていないし、油断はするな」
悠太の言葉に、アリツェは神妙にうなずいた。確かに、油断は禁物だ。
たまに顔を歪める様子から、悠太は傷の痛みにだいぶ難儀をしているようだ。治してあげたいが、ガブリエラのいない今、どうしようもない。
シモンが作るマジックアイテムの回復薬を、いくつか持ち込んでおくべきだったと後悔する。
「悪いな、足手まといになっちまって。ちくしょう……」
「そんな……。けがは不可抗力なんですもの、気に病まないでください!」
うなだれる悠太に、アリツェは努めて明るい調子で声を掛けた。
悠太はケガをしたくてしたわけではない。責める理由なんて、あるわけがない。悠太には飄々とした態度でいてほしいとアリツェは思う。しおらしい姿なんて、悠太には似合わなかった。
ズズ……、ズ……。
とその時、何やらものを引き摺るような音が聞こえた。
アリツェが音の方角に目線を向けると、トカゲ型の魔獣の姿が目に飛び込んできた。
「悠太様、下がっていてくださいませ! また、魔獣ですわ!」
アリツェは声を張ると、薙刀を握り締めて魔獣に向かった。
これまでどおり、アリツェはシータと連携を取り、最小限の霊素消費で魔獣と対峙する。今回はそれほど身体の大きくない魔獣だ。早々に決着をつけられるだろう。
アリツェはシータを空に飛ばし、自身は薙刀を振りかぶって突進した。狙いは、トカゲの頭部。
魔獣は大口を開き、炎を吹き出してきた。
アリツェは右に飛び、直撃を避ける。
わずかにローブの裾が触れるも、延焼するまでには至らなかった。焦げ臭さを振り払いながら、アリツェは再びトカゲの正面に回り、突き進む。
同時に、上空からシータが、トカゲの頭頂部に向かって一直線に降下してきた。
くちばしが魔獣に触れるか触れないかのところで、甲高い金属音が鳴り響く。
瞬間、霊素の膜にひびが入った。
シータはすぐさま翼をはためかせ、上空へと舞い上がる。
アリツェは隙を逃さず、薙刀を上段に構えた。
地面を蹴る。上空に飛び上がり、そのまま落下の勢いに任せて、霊素の裂け目に刃を叩きつけた。
パリンという音とともに、刃先が霊素の膜を突き抜け、魔獣の頭に突き刺さる。
「ギャアアアアアアッ!」
魔獣は咆哮をあげ、再び炎を吹き出した。
アリツェは薙刀から手を離し、大きく左に飛んだ。炎に先ほどの勢いはなく、今度は難なく避けられる。
吐き出された炎が消えたところで、ドシンと大きな音が響く。魔獣は倒れ、そのまま動かなくなった。
アリツェは魔獣の傍に寄って、手放していた薙刀の柄に手を掛ける。
とその時――。
「アリツェ! 来てくれ!」
悠太の怒声が響き渡り、アリツェは慌てて振り返った。
いつの間にか背後から、ライオン型の魔獣が現れ、悠太の右足に噛みついていた。
「いけませんわ!」
アリツェは叫ぶと、薙刀を素早く構えなおし、魔獣に向かって一閃した。『槍士』のクラス奥義、《槍技衝撃波》の発動だ。
魔獣とアリツェとの距離は、かなり離れていた。単に駆けていくよりは、遠距離の衝撃波で魔獣の体勢を崩し、悠太から離れるように仕向けたほうが良いと考えての一撃だった。
アリツェの意図どおり、衝撃波を食らった魔獣はのけぞり、悠太から離れた。
「今、行きますわ!」
アリツェは声を張り上げながら、吹き飛ばされてうずくまる魔獣に向かって駆けだした。
走りながら、ちらりと悠太の様子を窺う。
噛まれた脚から血が大量に流れ出しており、身動きが取れそうにない。悠太に魔獣の注意が向かわないよう、気を配る必要があるなとアリツェは心にとめた。
「シータ! お願いしますわ!」
アリツェは臨時ではあるが、頼れる相棒のシータを呼んだ。しかし、なぜだか返事がない。
このままシータの援護なしに魔獣に突撃すれば、霊素の被膜ではじかれるだけに終わる。だが、勢いに任せて突進していたため、急には止まれなかった。
――仕方がありませんわ。効かないとはわかりつつも、一発当てて、反動で距離を取り直しましょう。
アリツェは薙刀を腰だめに構え、力任せに突っ込んだ。
とその時、魔獣が急に起き上がり、アリツェに飛び掛かってきた。
「きゃあっ!」
思いがけない魔獣の行動に、アリツェはパニックに陥りそうになる。だが、すんでのところで踏みとどまり、回避行動に入った。
ブンッと空気を切り裂く音とともに、魔獣の太い腕がアリツェの顔面を狙って振り抜かれた。
――いけない!
回避できないと思った。
アリツェは慌てて薙刀を正面に構え、魔獣の腕を止めようと試みる。
――当たる!
衝撃に備え、アリツェは全身に力を入れた。瞬間――。
「ギャアアッ!」
魔獣は叫び、アリツェから離れた。
魔獣の腕が一部、ぐにゃりとつぶれていた。アリツェの構えていた薙刀の柄に触れた部分だ。
アリツェは眼前の状況に戸惑い、薙刀と地面を転がりまわる魔獣との間で、視線を行ったり来たりさせた。
「ぼうっとしているな、アリツェ! それは『槍士』が持つ、確率発動の貫通攻撃だ! 霊素の被膜関係なく攻撃が入るので、魔獣はそれでダメージを受けたんだ!」
悠太の叫び声に、アリツェはハッとなって薙刀を構えなおした。
とそこに、翼を赤く染めたシータが戻ってきた。
どうやら先ほどのトカゲ型の魔獣の返り血を浴び、一時的に飛べなくなっていたようだ。
今もフラフラと危なっかしく飛んでいるが、目の前の魔獣一匹をしとめるくらいなら、なんとかなりそうだった。
地面で暴れている魔獣の隙をついて、アリツェはシータとともにとどめを刺した。
アリツェは魔獣の死体の後始末も早々に、すぐさま、悠太の元に駆け寄った。
悠太の脚は出血がひどかった。魔獣に噛みつかれた部分の肉はえぐれており、直視に堪えない。
ぼろ布できつく締め付け、どうにか止血を施した。だが、この状態では歩けないのではないかと、不安になる。
――ここまで来て……。いったい、どうしましょう!
先行きに、アリツェは目の前が真っ暗になる思いだった。
ガブリエラの言葉が事実なら、ここにエミルがいるはずだ。
「あ、でも……」
ガブリエラは表情を曇らせる。
「あの子の霊素にしては、ちょっと弱々しいかな。もしかして、別の場所に移動した?」
口元に手を当てながら、ガブリエラは小首をかしげた。
今のアリツェには、霊素を細かく感知する力がない。
ザハリアーシュの腕輪の効果で、近くにいる者の霊素は、ある程度判別できる。だが、遠く離れてしまえば、もうわからない。
霊素をたどったエミルの追跡には、ガブリエラの霊素感知力がどうしても必要だった。
「たぶんなんだけれども……。あの奥の扉あるじゃない。あの先に、強い霊素反応を感じるのよ。エミルの霊素の痕跡も、あっちに向かって伸びているかな」
アリツェたちが部屋に侵入した側と正反対の側にある、ひときわ大きな鉄製の扉を、ガブリエラは指さした。
「ちょっと待ってください。ということは、エミルの他に、傍に強い霊素を持ったものの存在が?」
「確証はないけれど、答えは『はい』かな」
「このダンジョンは魔獣の巣窟だ。いやな予感がするぞ……」
悠太に言われるまでもない。一刻も早く、後を追わなければとアリツェは思う。
エミルが魔獣に食べられでもしたら、取り返しがつかない。
「悠太様、ガブリエラ。急ぎましょう!」
アリツェたちはうなずきあうと、奥の扉に向けて駆けだした。
だが、その瞬間――。
「え!?」
突然、浮遊感に襲われた。
気付けば、床が抜けている。
まさかこんなところで、落とし穴の罠に引っかかろうとは……。
アリツェはなす術もなく落下しながら、無事に着地できるよう『精霊王』に祈った――。
★ ☆ ★ ☆ ★
「いてて……」
傍で悠太のうめき声が聞こえた。
アリツェはすばやく自分の身体の様子を確認する。
外傷はない。幸い、軽い打ち身程度で済んだようだ。頑丈な身体に感謝する。
それにしても、結構な時間落下した感覚がある。そのわりには、受けた衝撃は大したことがなかった。
地面にそっと手を触れる。今までの地下道と同じ、苔むした石畳だった。
この固さの地面にまともに落下していれば、生きてはいられないはず。
――あの落とし穴の罠も、この特殊空間の不思議な現象と言ったところでしょうか。部屋の奥に進ませないようにしたかった?
不思議と、何者かの意図を感じる。本当にこの地下迷宮は、いったい誰が、何の目的で作ったものなのだろうか。
それとも、システムバグの偶然の産物?
ここに、ゲーム管理者のヴァーツラフ――幼女マリエさえいれば、もう少し詳しい状況が分かったのかもしれない。
「悠太様、お怪我はありませんか?」
「あぁ、だいじょう……ぶっ!」
立ち上がろうとした悠太は、苦しげな声とともによろめいた。
右肩を抑えている。服の一部が裂け、血がべっとりと滲み出していた。どうやら、落下の際に肩から落ちたようだ。
「くそっ、肩をやられちまった。これじゃ、剣を振るえないぞ……」
悠太は顔をしかめながら、服の袖口を裂いて作った端切れを、傷口に当てた。
「ガブリエラ、治療を――」
精霊術での治療を頼もうと、アリツェはガブリエラの姿を探した。
「あら? ガブリエラはどこに……」
ガブリエラが見当たらない。今この場にいるのは、アリツェ、悠太、ペスのみだ。
足元に何かの気配を感じた。目を向けると、ガブリエラの使い魔のうちの一匹、手乗り文鳥のシータが、アリツェのローブを突いている。
「シータ、ご主人の居場所、わかります?」
アリツェが尋ねるも、シータは否を返す。
ガブリエラとはぐれたようだ。
落とし穴の罠にはまっている最中に、またしても時空のゆがみが生じたのだろうか。
「まずいな。精霊使いがいないんじゃ、魔獣に襲われたら危険だぞ。オレもどうやら、戦えそうにない」
悠太は悔しそうに顔を歪めた。
「そう、ですわね……。ガブリエラなしでは、悠太様の治療もできません。対魔獣も苦戦は免れないでしょう。シータのみでも、魔獣の霊素の被膜は破れるでしょうが、効率はどうしても落ちますわね……」
シータには、魔獣との連戦時に施された精霊具現化が、まだ残っていた。当面の間は、初戦のような霊素の被膜を破れずになす術がなくなる、といった事態にはならないだろう。
だが、ガブリエラと合流できなければ、霊素の補給ができない。いずれはガス欠になり、魔獣への対抗手段がなくなるのは目に見えている。
――どうすべきでしょうか……。ここに留まるか、先へ進むか。
アリツェは胸元に手を置き、目を閉じた。考えを整理する。
この場にとどまったとして、ガブリエラと合流できる可能性は低いと思う。シータがガブリエラの気配を感じられていない以上、相当に離れた場所に飛ばされたとみて間違いない。
先に進むにしても、無駄に魔獣と戦闘を重ねれば、なけなしの霊素もあっという間に枯渇しかねない。
「進むも地獄、留まるも地獄。困りましたわね……」
アリツェは見上げた。
落とし穴があったはずの場所は、もうすでにただの天井に変化していた。元居たガラス柱の並んだ部屋へは、戻ろうと試みたところで無理そうだ。
そもそも、精霊術が使えなければ空も飛べない。
急がなければいけない。エミルの身が心配だ。
エミルの傍には、得体のしれない大きな霊素反応があると、ガブリエラは言っていた。その霊素反応に悪意があれば、エミルの命は……。
しかし、進むか留まるかの判断がつかない。エミルを助けるには、どちらを選べばよいのか。
焦燥感が、アリツェの胸をぎゅうっときつく締め付ける。
アリツェは胸元を握り締めようとした。
だが、悩んだ時にいつもすがっていた胸元のペンダントは、もうない。ペンダントトップにしていた『精霊王の証』は、エウロペ山火口の戦いで、真っ二つに砕けてしまったのだから……。
「奥へ進もう。ここに留まっていちゃ、ダメな気がする」
悠太は肩をおさえながら立ち上がった。
時折頬を引きつらせているのは、痛みをこらえているのだろうか。
「しかし……」
「ここは、時空のゆがみで飛ばされた場所だろ? で、その時空のゆがみは、まさに今、オレたちのいるこの場所の真上にあったわけだ。なら、ここに居続けたら、再びその歪みに巻き込まれる危険性が、ありそうじゃないか?」
悠太は天井を見上げ、頭を振った。
悠太の言うとおり、確かにこの場所に留まっていたら、再び開いた時空のゆがみに、飲み込まれる恐れがあるかもしれない。であるならば、先に進むべきだ。
アリツェも納得し、悠太にうなずいた。
★ ☆ ★ ☆ ★
「悠太様、下がっていてくださいませ!」
アリツェは叫び、前に出ようとする悠太を制する。
剣もろくに握れない状態の悠太を、戦いの矢面に立たせるわけにはいかない。
アリツェは目の前の虎型の魔獣を睨みつけながら、背負った薙刀を手に取り、構える。
肩にはシータが、今にも飛び掛からんと翼を大きく広げていた。
悠太の傍には、ペスが護衛で付いている。悠太は「すまない」と口にしつつ、ペスとともに後方へ下がった。
「シータ、霊素を節約したいですし、急所周辺の霊素の膜を、ピンポイントで剥がしてもらえませんか?」
ガブリエラのやっていたように、魔獣の全身の霊素被膜すべてを剥がそうとすれば、使い魔側の消費する霊素量も馬鹿にならない。これから何連戦するかがわからない以上、できるだけ消耗は抑えたい。
狙うは胸部。槍で心臓を一突きにしたかった。
シータは高らかに鳴き声を上げ、アリツェの肩から飛び立った。そのまま一直線に、魔獣の胸に飛び込んでいく。
同時に、アリツェも同じ場所めがけて駆けだした。薙刀を腰だめに構え、突撃する。
魔獣の咆哮にもひるまず、シータが敵の懐に入り、胸部周辺の霊素膜にひびを入れた。すぐさまシータは上空に舞い上がり、魔獣の腕による攻撃を避ける。
攻撃が空振りに終わった魔獣は、バランスを崩し、動きが止まった。
アリツェは隙を逃さず、できた霊素膜のひびに向かって、身体ごと槍の穂先を突き立てた。
「おわりですわっ!」
掛け声とともに、赤い血しぶきが舞った。
一度霊素の被膜を破ってしまえば、あとは霊素なしでもダメージを与えられる。
アリツェは魔獣の体内にめりこんだ薙刀の穂先を回転させ、肉を引き裂いていく。
魔獣は心臓を潰され、出血おびただしい。すでに虫の息になっていた。
アリツェはとどめとばかりに、ぐいっと薙刀を押し込んだ。穂先が貫通し、魔獣の背側に刃が飛び出す。
瞬間、魔獣は地面に倒れた。
アリツェは素早く薙刀を引き抜き、血を拭う。
「ふぅ、今のような戦い方で、なんとかいけそうですわね……」
さすがに、ガブリエラと悠太がいた時ほどの楽勝とはいかない。
だが、どうにか戦えそうな手ごたえは得られた。クラスが純粋な戦闘職に変わったこともあり、スタミナも増した気がする。
アリツェはわずかに自信をつけて、先を急いだ。
★ ☆ ★ ☆ ★
以後も、散発ながら魔獣の待ち伏せを食った。しかし、幸いにも複数の魔獣が同時に襲ってくることもなかったため、うまくしのいでいた。
霊素の消費を節約しているため、シータの精霊具現化も、もうしばらくは持ちそうだった。
「順調、と言えるのでしょうか?」
アリツェはほうっと息をついた。
身につけている青いローブは、度重なる接近戦で、返り血をだいぶ浴びていた。乾いた血で、ところどころどす黒い染みを作っている。
気分は悪いが、ぜいたくも言えない。着替えなど持ってきてはいないし、たとえ持ってきていたとしても、着替える時間も惜しい。
「どうだろうな。魔獣とは単体でしか遭遇していない。ラッキーなだけじゃないか? ガブリエラとの合流はまだできていないし、油断はするな」
悠太の言葉に、アリツェは神妙にうなずいた。確かに、油断は禁物だ。
たまに顔を歪める様子から、悠太は傷の痛みにだいぶ難儀をしているようだ。治してあげたいが、ガブリエラのいない今、どうしようもない。
シモンが作るマジックアイテムの回復薬を、いくつか持ち込んでおくべきだったと後悔する。
「悪いな、足手まといになっちまって。ちくしょう……」
「そんな……。けがは不可抗力なんですもの、気に病まないでください!」
うなだれる悠太に、アリツェは努めて明るい調子で声を掛けた。
悠太はケガをしたくてしたわけではない。責める理由なんて、あるわけがない。悠太には飄々とした態度でいてほしいとアリツェは思う。しおらしい姿なんて、悠太には似合わなかった。
ズズ……、ズ……。
とその時、何やらものを引き摺るような音が聞こえた。
アリツェが音の方角に目線を向けると、トカゲ型の魔獣の姿が目に飛び込んできた。
「悠太様、下がっていてくださいませ! また、魔獣ですわ!」
アリツェは声を張ると、薙刀を握り締めて魔獣に向かった。
これまでどおり、アリツェはシータと連携を取り、最小限の霊素消費で魔獣と対峙する。今回はそれほど身体の大きくない魔獣だ。早々に決着をつけられるだろう。
アリツェはシータを空に飛ばし、自身は薙刀を振りかぶって突進した。狙いは、トカゲの頭部。
魔獣は大口を開き、炎を吹き出してきた。
アリツェは右に飛び、直撃を避ける。
わずかにローブの裾が触れるも、延焼するまでには至らなかった。焦げ臭さを振り払いながら、アリツェは再びトカゲの正面に回り、突き進む。
同時に、上空からシータが、トカゲの頭頂部に向かって一直線に降下してきた。
くちばしが魔獣に触れるか触れないかのところで、甲高い金属音が鳴り響く。
瞬間、霊素の膜にひびが入った。
シータはすぐさま翼をはためかせ、上空へと舞い上がる。
アリツェは隙を逃さず、薙刀を上段に構えた。
地面を蹴る。上空に飛び上がり、そのまま落下の勢いに任せて、霊素の裂け目に刃を叩きつけた。
パリンという音とともに、刃先が霊素の膜を突き抜け、魔獣の頭に突き刺さる。
「ギャアアアアアアッ!」
魔獣は咆哮をあげ、再び炎を吹き出した。
アリツェは薙刀から手を離し、大きく左に飛んだ。炎に先ほどの勢いはなく、今度は難なく避けられる。
吐き出された炎が消えたところで、ドシンと大きな音が響く。魔獣は倒れ、そのまま動かなくなった。
アリツェは魔獣の傍に寄って、手放していた薙刀の柄に手を掛ける。
とその時――。
「アリツェ! 来てくれ!」
悠太の怒声が響き渡り、アリツェは慌てて振り返った。
いつの間にか背後から、ライオン型の魔獣が現れ、悠太の右足に噛みついていた。
「いけませんわ!」
アリツェは叫ぶと、薙刀を素早く構えなおし、魔獣に向かって一閃した。『槍士』のクラス奥義、《槍技衝撃波》の発動だ。
魔獣とアリツェとの距離は、かなり離れていた。単に駆けていくよりは、遠距離の衝撃波で魔獣の体勢を崩し、悠太から離れるように仕向けたほうが良いと考えての一撃だった。
アリツェの意図どおり、衝撃波を食らった魔獣はのけぞり、悠太から離れた。
「今、行きますわ!」
アリツェは声を張り上げながら、吹き飛ばされてうずくまる魔獣に向かって駆けだした。
走りながら、ちらりと悠太の様子を窺う。
噛まれた脚から血が大量に流れ出しており、身動きが取れそうにない。悠太に魔獣の注意が向かわないよう、気を配る必要があるなとアリツェは心にとめた。
「シータ! お願いしますわ!」
アリツェは臨時ではあるが、頼れる相棒のシータを呼んだ。しかし、なぜだか返事がない。
このままシータの援護なしに魔獣に突撃すれば、霊素の被膜ではじかれるだけに終わる。だが、勢いに任せて突進していたため、急には止まれなかった。
――仕方がありませんわ。効かないとはわかりつつも、一発当てて、反動で距離を取り直しましょう。
アリツェは薙刀を腰だめに構え、力任せに突っ込んだ。
とその時、魔獣が急に起き上がり、アリツェに飛び掛かってきた。
「きゃあっ!」
思いがけない魔獣の行動に、アリツェはパニックに陥りそうになる。だが、すんでのところで踏みとどまり、回避行動に入った。
ブンッと空気を切り裂く音とともに、魔獣の太い腕がアリツェの顔面を狙って振り抜かれた。
――いけない!
回避できないと思った。
アリツェは慌てて薙刀を正面に構え、魔獣の腕を止めようと試みる。
――当たる!
衝撃に備え、アリツェは全身に力を入れた。瞬間――。
「ギャアアッ!」
魔獣は叫び、アリツェから離れた。
魔獣の腕が一部、ぐにゃりとつぶれていた。アリツェの構えていた薙刀の柄に触れた部分だ。
アリツェは眼前の状況に戸惑い、薙刀と地面を転がりまわる魔獣との間で、視線を行ったり来たりさせた。
「ぼうっとしているな、アリツェ! それは『槍士』が持つ、確率発動の貫通攻撃だ! 霊素の被膜関係なく攻撃が入るので、魔獣はそれでダメージを受けたんだ!」
悠太の叫び声に、アリツェはハッとなって薙刀を構えなおした。
とそこに、翼を赤く染めたシータが戻ってきた。
どうやら先ほどのトカゲ型の魔獣の返り血を浴び、一時的に飛べなくなっていたようだ。
今もフラフラと危なっかしく飛んでいるが、目の前の魔獣一匹をしとめるくらいなら、なんとかなりそうだった。
地面で暴れている魔獣の隙をついて、アリツェはシータとともにとどめを刺した。
アリツェは魔獣の死体の後始末も早々に、すぐさま、悠太の元に駆け寄った。
悠太の脚は出血がひどかった。魔獣に噛みつかれた部分の肉はえぐれており、直視に堪えない。
ぼろ布できつく締め付け、どうにか止血を施した。だが、この状態では歩けないのではないかと、不安になる。
――ここまで来て……。いったい、どうしましょう!
先行きに、アリツェは目の前が真っ暗になる思いだった。
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