新・三国志 

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第1章 争乱編

第1章 第3節 争乱編 その8

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新・三国志 第1章 争乱編 その8

183年1月15日
宋王劉備が襲撃され、洛陽でも宋王宮が襲撃され劉備の従兄劉盆子が暗殺され、劉表の次男劉綜と劉焉の一族劉当が負傷した事が公になり洛陽の宮廷は大騒ぎとなる。

呉王も徐州国境で劉備軍と戦った事の証拠が挙げられ、呉王も追及されるが病と称して出仕しなくなる。

寿春太守袁術も追及され、彼も寿春へ逃げて籠ることになる。袁術は秦王に謝りまくり広陵の半分を割譲し、精兵2万予と莫大な賠償金を支払い和解した。

袁術も引退し一族の袁球索を寿春太守として引責を果たした形になる。呉王劉千も引退し長男の劉宗総が呉王となる。

一方燕王劉角は今回の事は円岳が領土的野心を持って徐州を侵略したと言い訳し、円岳を切り捨てる.

この為円岳は朝鮮半島に逃れた。逃げなければ反逆罪で一族諸共絞首刑になってしまう。

円岳は青洲太守をはく奪され1門と2万余の手勢と朝鮮半島の楽浪郡に逃れて劉合に保護された。

朝鮮半島と遼東、満州は幽州太守劉合が遠征で加えた地域だ。遼東の公孫淵を討ち、朝鮮の扶余、高句麗、3韓諸国を従えていた。

燕王劉合はその性根に問題はあるが、中々の武勇を持つ覇者としての片りんを持っていた。

新たな呉王劉宗総は武勇はあるが猪突猛進の猪武者だったので、自ら墓穴を掘って1年後呉王の地位を失う。

新たに秦王の第14子である劉秀が呉王となった、太原太守や金城太守など北辺の太守を歴任し手柄を挙げて中々のやり手であり劉備より5歳年長である。

彼は3男車騎将軍劉星覇の配下で国防大学を出て直ぐに従軍したので劉備は会ったことがなかったが、剽軽で下の者には優しい良い兄らしい。

青洲太守は宮廷内の力のバランスで劉合の一族である劉十択が任命された。彼は余り見た事が無い。刑部に聞くと青洲の暗殺部隊の元締めの長らしい。

若くて美形だが、ゾッとする様な冷たい視線をする余り相手をしたくない要注意の一人らしい。まだ25歳だが既に年齢の5倍以上の殺人を行っていた。

アサシン能力に長けた刑部の様な力を持つ者と考えればよいだろう。できれば1対1で会いたくない人物の筆頭だ。

こうして内乱後の人事は固まったようだ。燕王劉合は油断ならない強敵である。

彼は幽州と青洲の2州を手に入れ、袁紹の勢力を合わせれば4州となるその戦力も30万の兵を動員できるだろう。

本国の秦王は新年会後秦王と二人になった時に言われたのだ。漢帝国本国としては手助けはしないと言っていた。

自分の道は自分で切り開け玄徳と秘かに言われた非常に重い言葉だ。

彼にはそれ程自分に自信を持っていないので、ジイや軍師らに相談した。








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