新・三国志 

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第1章 淮南・呉攻略編

第1章 第4節 淮南・呉攻略編 その4

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 第4節 淮南・呉攻略編 その4 

6月15日 
広陵が落ちたので沮授は劉備に報告し、軍議を開き5万の兵力を残して10万の兵で寿春攻略を側面から援護することになる。 

留守部隊は老練な馬篭が務めてくれ老獪な軍師として陳珪が補佐する。冷静な彼らならば孫策にも後れを取ることは無いだろう。 

建業には孫策軍が5万~7万ぐらいいるようで十分用心することも肝心だ。 

里仁は正式に降伏して関羽の人徳と武勇に憧れ養子となる。残る城兵5万余は宋王軍に従属し、広陵の復興の為馬篭の指揮下で働くことになる。 

沮授は関羽軍3万を先鋒に本隊5万を沮授が率い、後軍2万余は趙令が率いた。 

張飛と黄信は徐州の方がきな臭くなってきたので、洛陽より応援に来ていた徐晃、許著、焦触、張南の4将が率いる騎馬隊4万と手勢2万を合わせて6万余で共に徐州に向かった。 

広陵は降伏した里仁の軍5万が加わっているので心配はない。青洲方面で何らかの動きがあり、徐州北部の許、淡方面へ敵の軍が動いたようだ。 

又兗州方面でも冀州の袁紹軍がちょっかいを出している様だ。 

洛陽にいる涼王は随分劉備の事を心配しているようで洛陽の常備軍より10万近い戦力が出動していた。末弟の劉備は長男としても常に心配なようだ。 

一方汝南を攻める豫洲の軍15万余は6月20に出撃した。荊州よりの援軍5万余が少し遅れた為であった。 

逢紀は沮授の援軍を当てにしていた節があり、袁術が倒れて軍内が混乱している状況が 
密偵より齎されていた。袁術の3バカ息子は無能故に有能な里仁を切り捨てたようだ。 

援軍や食料の追加も送っていないことは街道を見張っている間諜がなぜ援軍を送らないのか不思議ですと報告していた。 

これで広陵は脆く数日で落ちるだろう、5万程の援軍を送っていれば広陵は半年は持ち堪えただろうに。粗暴な次男の袁休が里仁を嫌い排斥したようだ。 

愚かな袁術が病気で倒れなければ広陵ももう少し持ち堪えわが軍も苦戦しただろう。 

寿春には思った以上の戦力が集結していた。間諜の報告では慮江の予備軍5万を含め、広陵にも援軍を送らなかったので、25万近い戦力があった。 

こちらは荊州の援軍5万を加えても20万余で守る側の方が戦力が多いので、敵をつり出す工夫をしなければならない。 

先鋒の麹武率いる3万の軍に少し負けてもらう必要がある。密使を送るべく陽炎隊の式部を呼んだ。いろいろ言い含め菊武への伝言を頼む。 

菊武は素直で忠誠心が高い、頼めば答えてくれるだろう。しかし、配下の呂翔、や呂廣は若い分勝気だ、簡単に言う事を聞かないだろう。 

今回敗北を重ねることで敵にこちらが遠い遠征で疲れて弱っていると思わせ、油断を誘い、最終的な勝利を掴む切っ掛けになると説き。 

必ず劉備様に申請して功を認めさせると約束すると書かれてあった。菊武にも両名によく言い含めるようにも書いてある。 

これが戦の決め手になる!頼むぞ菊武と逢紀は祈った。 
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