2 / 40
序章 「新たな風」
しおりを挟む
「佐々木さん、少しいいですか?」
夜勤前のナースステーション。書類の山にうんざりしていた雛は、不意にかけられた落ち着いた声に顔を上げた。
声の主は、ひと月前に赴任してきたばかりの循環器内科医、高橋聡。
端正な顔立ちと穏やかな眼差し。高橋医師は誠実な印象で、患者への接し方も優しく丁寧だった。
「はい、先生。どうかなさいましたか?」
雛は、完璧な笑顔を顔に貼り付けた。
「いつも助かります。佐々木さんがいると、本当に仕事がやりやすい」
不意にかけられた労いの言葉に、雛は少しだけ驚いて顔を上げた。
「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」
高橋は穏やかに微笑むと、本題を切り出した。
「実は個人的なお願いなのですが…」
高橋医師は少し照れたように口元を緩めた。
「私の大学の後輩が、先月こちらに引っ越してきたんです。まだこの街に知り合いが少ないようで」
雛は手を止め、医師の話に耳を傾けた。
「由美は大学の後輩でして。この春からアートギャラリーを開くことになったんです。」
「ただ、少し古風というか…清廉潔白すぎるところがありましてね。自分から積極的に輪を広げていくタイプじゃないので、少し寂しい思いをしているようなんです」
清廉潔白、と彼は言った。その言葉の響きに、雛の口の端が微かに吊り上がる。
(張りつめた清廉さがほどける“瞬間”を見たい)
高橋の言葉は続く。その口調には、まるでガラスケースの中に飾られた完璧な作品を眺めるような、奇妙な客観性が含まれていた。
「由美のことをぜひ佐々木さんに紹介したいと思っています。もし良ければ、休みの日にでも…」
突然の申し出に少し戸惑いながらも、雛は微笑んだ。
「もちろん、喜んでお会いしますよ。私も病院以外の友人は意外と少ないので」
高橋医師の表情が明るくなる。
「ありがとうございます。では、来週の土曜日はどうですか?由美のギャラリーの近くでランチでもどうでしょう」
雛は手帳を確認し、「土曜日なら大丈夫です」と返事をした。
(どんな人なんだろう。清廉潔白すぎる、って…)
雛は、高橋医師が語った「清廉潔白…」という言葉に、ほんの少しだけ興味を覚えた。
—
土曜日の正午、雛は待ち合わせの駅前カフェに到着した。
窓際の席で待っている高橋医師が手を振る。その隣に座っている女性の姿を認め、雛は思わず息を呑んだ。
「お待たせしました」
二人に近づきながらも、雛の視線は隣の女性に釘付けになっていた。
立ち上がって挨拶するその女性、水野由美は、少女のような透明感と、成熟した大人の女性が持つ凛とした佇(たたず)まいを完璧に両立させていた。
彼女が立ち上がった瞬間、ふわりと、雛の嗅覚に絡みついて離れない香りがした。それは、どこかの花の蜜のような甘さの奥に、こちらの本能を直接揺さぶるような、どこか危険な罠のような香りだった。
上質な生地だと一目でわかるスタイリッシュなワンピースは、彼女のしなやかな身体のラインを拾いすぎず、しかし隠しきれないほどの女性らしさを際立たせている。
ダークブラウンに微かに透けるボブヘアが、白い首筋のラインを驚くほど上品に引き立てていた。
「初めまして、水野由美です。聡からいつも話を聞いています」
その声は、涼やかで知性的だった。だが、雛の目は別の場所に釘付けになっていた。
ワンピースの胸元が、淑やかなデザインとは裏腹に、豊かな乳房の存在をはっきりと主張している。スカートから覗く脚は、細く、しなやかで、完璧な曲線を描いていた。
(この人…すごい…)
一見すると、清楚で、上品で、まさに「良家の子女」という言葉がぴったりの女性。しかし、その完璧すぎる外見が、逆に雛の暴きたいという衝動を掻き立てた。
(この人が、もし…)
あの涼やかな声は、快感に溺れるとき、どんな風に掠れて甘くなるのだろう。品のいいワンピースの下に隠された肌は、どれほど滑らかで、どんな色に染まるのだろうか。
知的で整った顔立ちが、理性を失ったとき、どんな表情を見せるのだろう。
(見てみたい…この人の、隠された一面を)
その想いが、雛の胸を熱く満たしていく。
「佐々木雛です。こちらこそ、よろしくお願いします」
なんとか平静を装って挨拶を返すと、由美の表情が、まるで硬い蕾が一気に満開になるかのように、鮮やかに変化した。今まで浮かべていた理知的な微笑みとは全く違う、抑えきれない歓喜そのものだった。
その瞳は、雛ただ一人を、まっすぐに射抜いていた。それはまるで、長い間探し求めていた魂の片割れにようやく巡り会えたような、切実で、どこか貪欲さすら感じさせる眼差しだった。
(うわ…、こんな顔もするんだ…)
込み上げてくる歪んだ欲望。この完璧な仮面を剥がして、誰も知らないような、淫らな顔を引き出してみたい。
その抗いがたい衝動が、雛の身体の奥深くで、熱く渦巻くのを感じていた。
高橋医師が、嬉しそうに続ける。
「由美もね、こちらに来てから話し相手がいなくて寂しがっていたんだ。雛さんがお友達になってくれたら、僕も安心です」
雛は、心の中の黒い妄想を完璧に隠し、人懐っこい笑顔を由美に向けた。
「もちろんです。由美さん、これから色々教えてくださいね」
三人はランチを楽しみながら会話を交わした。由美は帝都芸術大学出身で、海外でも活動経験があるという。話題は自然と芸術や文化に及び、雛は由美の知的な会話に引き込まれていった。
「佐々木さんは、芸術にも詳しいのですね」
「いえ、そんなことはないんです。でも、時々美術館に行くのは好きで」
「今度、私のギャラリーができたら、ぜひ来てください。まだ準備中なんですけど」
高橋医師は二人の会話に満足そうに微笑んでいた。昼食後、彼は病院への緊急呼び出しで先に帰ることになり、雛と由美は二人きりになった。
「お時間があれば、もう少しお付き合いいただけませんか?」由美が提案した。
「もちろん」
二人は近くの公園を散策しながら、より個人的な話をするようになった。由美は東京に来たばかりで友人が少ないこと、高橋との出会い、そしてギャラリーへの夢を語った。
雛も自分の仕事や日常について話した。ただし、仕事の話が中心で、恋愛や家族についてはまだ深く触れなかった。
「また会いましょうね」
別れ際、由美が言った。
「ぜひ。私も楽しかったです」
この出会いから、雛と由美は時々連絡を取り合うようになった。病院の近くでお茶をしたり、由美のギャラリー準備を手伝ったりと、自然と二人の距離は縮まっていった。
+++
10分おきに連続投稿しています。
夜勤前のナースステーション。書類の山にうんざりしていた雛は、不意にかけられた落ち着いた声に顔を上げた。
声の主は、ひと月前に赴任してきたばかりの循環器内科医、高橋聡。
端正な顔立ちと穏やかな眼差し。高橋医師は誠実な印象で、患者への接し方も優しく丁寧だった。
「はい、先生。どうかなさいましたか?」
雛は、完璧な笑顔を顔に貼り付けた。
「いつも助かります。佐々木さんがいると、本当に仕事がやりやすい」
不意にかけられた労いの言葉に、雛は少しだけ驚いて顔を上げた。
「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」
高橋は穏やかに微笑むと、本題を切り出した。
「実は個人的なお願いなのですが…」
高橋医師は少し照れたように口元を緩めた。
「私の大学の後輩が、先月こちらに引っ越してきたんです。まだこの街に知り合いが少ないようで」
雛は手を止め、医師の話に耳を傾けた。
「由美は大学の後輩でして。この春からアートギャラリーを開くことになったんです。」
「ただ、少し古風というか…清廉潔白すぎるところがありましてね。自分から積極的に輪を広げていくタイプじゃないので、少し寂しい思いをしているようなんです」
清廉潔白、と彼は言った。その言葉の響きに、雛の口の端が微かに吊り上がる。
(張りつめた清廉さがほどける“瞬間”を見たい)
高橋の言葉は続く。その口調には、まるでガラスケースの中に飾られた完璧な作品を眺めるような、奇妙な客観性が含まれていた。
「由美のことをぜひ佐々木さんに紹介したいと思っています。もし良ければ、休みの日にでも…」
突然の申し出に少し戸惑いながらも、雛は微笑んだ。
「もちろん、喜んでお会いしますよ。私も病院以外の友人は意外と少ないので」
高橋医師の表情が明るくなる。
「ありがとうございます。では、来週の土曜日はどうですか?由美のギャラリーの近くでランチでもどうでしょう」
雛は手帳を確認し、「土曜日なら大丈夫です」と返事をした。
(どんな人なんだろう。清廉潔白すぎる、って…)
雛は、高橋医師が語った「清廉潔白…」という言葉に、ほんの少しだけ興味を覚えた。
—
土曜日の正午、雛は待ち合わせの駅前カフェに到着した。
窓際の席で待っている高橋医師が手を振る。その隣に座っている女性の姿を認め、雛は思わず息を呑んだ。
「お待たせしました」
二人に近づきながらも、雛の視線は隣の女性に釘付けになっていた。
立ち上がって挨拶するその女性、水野由美は、少女のような透明感と、成熟した大人の女性が持つ凛とした佇(たたず)まいを完璧に両立させていた。
彼女が立ち上がった瞬間、ふわりと、雛の嗅覚に絡みついて離れない香りがした。それは、どこかの花の蜜のような甘さの奥に、こちらの本能を直接揺さぶるような、どこか危険な罠のような香りだった。
上質な生地だと一目でわかるスタイリッシュなワンピースは、彼女のしなやかな身体のラインを拾いすぎず、しかし隠しきれないほどの女性らしさを際立たせている。
ダークブラウンに微かに透けるボブヘアが、白い首筋のラインを驚くほど上品に引き立てていた。
「初めまして、水野由美です。聡からいつも話を聞いています」
その声は、涼やかで知性的だった。だが、雛の目は別の場所に釘付けになっていた。
ワンピースの胸元が、淑やかなデザインとは裏腹に、豊かな乳房の存在をはっきりと主張している。スカートから覗く脚は、細く、しなやかで、完璧な曲線を描いていた。
(この人…すごい…)
一見すると、清楚で、上品で、まさに「良家の子女」という言葉がぴったりの女性。しかし、その完璧すぎる外見が、逆に雛の暴きたいという衝動を掻き立てた。
(この人が、もし…)
あの涼やかな声は、快感に溺れるとき、どんな風に掠れて甘くなるのだろう。品のいいワンピースの下に隠された肌は、どれほど滑らかで、どんな色に染まるのだろうか。
知的で整った顔立ちが、理性を失ったとき、どんな表情を見せるのだろう。
(見てみたい…この人の、隠された一面を)
その想いが、雛の胸を熱く満たしていく。
「佐々木雛です。こちらこそ、よろしくお願いします」
なんとか平静を装って挨拶を返すと、由美の表情が、まるで硬い蕾が一気に満開になるかのように、鮮やかに変化した。今まで浮かべていた理知的な微笑みとは全く違う、抑えきれない歓喜そのものだった。
その瞳は、雛ただ一人を、まっすぐに射抜いていた。それはまるで、長い間探し求めていた魂の片割れにようやく巡り会えたような、切実で、どこか貪欲さすら感じさせる眼差しだった。
(うわ…、こんな顔もするんだ…)
込み上げてくる歪んだ欲望。この完璧な仮面を剥がして、誰も知らないような、淫らな顔を引き出してみたい。
その抗いがたい衝動が、雛の身体の奥深くで、熱く渦巻くのを感じていた。
高橋医師が、嬉しそうに続ける。
「由美もね、こちらに来てから話し相手がいなくて寂しがっていたんだ。雛さんがお友達になってくれたら、僕も安心です」
雛は、心の中の黒い妄想を完璧に隠し、人懐っこい笑顔を由美に向けた。
「もちろんです。由美さん、これから色々教えてくださいね」
三人はランチを楽しみながら会話を交わした。由美は帝都芸術大学出身で、海外でも活動経験があるという。話題は自然と芸術や文化に及び、雛は由美の知的な会話に引き込まれていった。
「佐々木さんは、芸術にも詳しいのですね」
「いえ、そんなことはないんです。でも、時々美術館に行くのは好きで」
「今度、私のギャラリーができたら、ぜひ来てください。まだ準備中なんですけど」
高橋医師は二人の会話に満足そうに微笑んでいた。昼食後、彼は病院への緊急呼び出しで先に帰ることになり、雛と由美は二人きりになった。
「お時間があれば、もう少しお付き合いいただけませんか?」由美が提案した。
「もちろん」
二人は近くの公園を散策しながら、より個人的な話をするようになった。由美は東京に来たばかりで友人が少ないこと、高橋との出会い、そしてギャラリーへの夢を語った。
雛も自分の仕事や日常について話した。ただし、仕事の話が中心で、恋愛や家族についてはまだ深く触れなかった。
「また会いましょうね」
別れ際、由美が言った。
「ぜひ。私も楽しかったです」
この出会いから、雛と由美は時々連絡を取り合うようになった。病院の近くでお茶をしたり、由美のギャラリー準備を手伝ったりと、自然と二人の距離は縮まっていった。
+++
10分おきに連続投稿しています。
0
あなたにおすすめの小説
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
女の子がほとんど産まれない国に転生しました。
さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。
100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳
そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。
当面は2日に1話更新予定!
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる