春を売るなら、俺だけに

みやした鈴

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【第一話】

紫煙に巻かれる俺たちは.IV

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 仲間と俺の口唇が何度となく重なり、ちゅっ、ちゅっと軽い音が立つ。
 人とキスをするのなんていつぶりだろう。久しく感じていなかった他人からの刺激に、俺の腰が浅く跳ねるのが分かる。
 しばらく浅いくちづけを続けると、ようやく俺はその行為に慣れてきた。恐る恐る瞼を開けば、仲間は愉快そうに眼を細めている。
 かと思えば、いたずらに俺の唇に熱い吐息を吹きかけた。条件反射で開いてしまった口内へと仲間の舌が侵入してくるのは瞬時の出来事だ。

「ンんっ!?」

 予想外の出来事に俺は思わず唇を閉じようとするが、一度中へ入った仲間のそれを押し返すことは出来ない。
 上顎をなぞられたかと思えば、歯列を確かめるように一つ一つ撫でる。しまいには涎で濡れた舌を吸引され、こくりと唾液を飲み干されてしまった。そうなるともう俺は身体に力が入らなくなっていた。

 駄目だ。身体が熱い。
 こうして迫られるのは怖いことだと思っていたはずなのに、仲間には心の奥底に眠る欲望を刺激されてしまうのはなぜだろう。
 俺は必死になって理由を考える。
「ただ流されました」なんて、矜持が保たれないし、仲間にも失礼じゃないか。

 そんな俺の思案をよそに、仲間はいつの間にかベッドから降り、俺の股の間に座り込んでいた。太ももを撫でる手つきのいやらしさに戸惑うものの、ここで思考を放棄してしまうのはいけないと、欠片しか残っていない理性が囁いてくる。

「どうしたの? 彼方くん。難しい顔してるけど」
「……仲間について、考えてた」
「そりゃあ、ここには僕たちしかいないのに、ほかの人の事を考えてたら驚いちゃうな」
「茶化すなって。言っただろ? エッチが怖いって。でも、なんで仲間を前にしたらこう身体が反応しちゃうのかって」

 俺は真剣に悩んでいるのに、仲間は興味深そうに口角を上げて見せる。声には出さないものの、面白がっているのは明白だ。

「勃起した理由を探してたんだ。そう難しく考えなくていいよ。だってこれは、生理現象なんだから。例えば水を飲んだらトイレに行きたくなる。それと同じだよ。性器に触れられたら、そこに熱が集中してしまう。ね、簡単な事でしょう?」

 そうあっけらかんと言って見せる仲間は、俺の下着越しに、男性器の裏筋を根元から先端にかけてつぅっとなぞって見せた。

 生理現象。確かにその一言で型はつく。
 それなら、女に触れられても性器が勃ち上がらなかったのはどうしてだ?

 そこで俺は股に挟まる仲間へ視線を投げる。瞬間、バチリと視線が交わった。
 挑発的に弧を描く瞼と、薄く開かれた唇。陶器のような白い肌に、少しだけ朱が差している。

 そしてふわりと漂う、ホワイトムスクの芳香。けれど香水だけじゃない。彼自身が放つ甘くやわらかい匂いは、俺の理性のブレーキを壊していくようだ。

 そういえば聞いたことがある。相手から香る匂いに惹かれたとき、それは本能が相手を求めている証拠だと。

 今まで顔の好みや匂いなど気にしたことは無かった。
 けれど今になってわかる。俺は仲間の美しい顔立ちや、心を淡く擽られるような香り。それに儚くも妖艶で、物腰がやわらかいわりに挑発的な性格。
 そのすべてに、無意識下に惹かれているのかもしれない。

 今まで付き合ってきた彼女の事も勿論愛していたつもりだ。でもここまで強く感情を揺さぶられることは無かった。

 一目惚れだなんて、信じては来なかった。けれど、そう言ってられなくなったのも事実だ。
 実際、理性ではなくもっと心の奥深くで相手に惹かれてしまうという事例が、俺の中で発生しているのだから。

「彼方くん。覚悟は決まった?」

 ちょうど俺の心の声を読んだのではないかというタイミングで仲間は俺に伺ってくる。

「……一つだけ、確認したいことがあるんだ」
「何?」

 俺は深く息を吐いて、仲間の腕を軽く引いた。すると彼も意図を察したようで、俺の股の間から立ち上がる。目前で組まれた彼の冷たい手を両手でぎゅっと握りしめると、仲間は感情の読めない顔で俺を見下ろしてきた。

「もし俺が仲間と身体を重ねたとして、お前を傷付けてしまったときに、俺は責任を取れない。それが、一番怖いんだ。だから少しでも不安があるなら、『実践授業』は中止してくれ」

 きっと俺の声は震えていたに違いない。
 こんな自分の内側をすべてさらけ出すような告白。緊張で歯を食いしばってしまう俺に、仲間は冷めた声で疑問を投げかけた。

「傷付けてしまうって、例えばどんな風に?」
「体調不良を引き起こしたり、実際にけがをさせてしまったとき。あとは、身体だけじゃない。心に傷を背負わせてしまったりとか。そういう事」

 降ってくるのは、呆れを含んだため息。
 背筋に冷や汗が流れる。くだらないと、馬鹿にされるのだろうか。
 けれどこれだけは譲れなかった。この感情をうやむやにしてしまっては、俺の根幹が揺るいでしまうから。

 祈る様にぎゅっと目を瞑れば、仲間は俺の手を振りほどいた。
 仲間と仲良くなりたい。その気持ちは本当だ。けれど、彼はもう俺に見向きもしなくなるかもしれない。

 きっと拒絶が返ってくるであろう次の一手に怯えていれば、俺の予想に反して、仲間はベッドに座る俺をぎゅっと抱きしめた。

「ねぇ。良い事教えてあげようか。男同士ってさ、妊娠しないんだよ」

 突然の行動に思わず瞬きを数度繰り返すと、仲間はそっと俺の耳元に唇を寄せ、悪戯っぽく囁いた。

「え? それは、分かってる。けど、いきなりどうしたんだ? 俺は妊娠の話なんてしてない――」
「彼方くんが女性を抱けなかった理由。その一つが『責任を取れない』という事だって言うのは分かった。けれど、男同士ならその心配はない。たとえここで体を重ねたとしても、君の心配する万が一は起こりえないよ。それに、僕は男だし、女性よりは頑丈に出来てる」

 俺の本質的な恐怖を見抜かれ、ヒュッと喉が鳴った。
 この男は、俺の事をどこまで知っているのだろう。
 何もかも見透かされていそうで、気が付けば自分を偽ることが出来なくなっていた。

「だからといって、エッチって、互いが好き同士でするものだろ?」
「彼方くんってすごく責任感が強いんだね。そこは君の美点だと思う。……‥けどね、身体でしか自分の価値を感じられない人間も、確かにいるんだよ」

 仲間はベッドに投げ出された俺の手に指を絡め、水かきをつうっとなぞる。
 たったそれだけの仕草なのに、俺の身体はびくりと跳ねた。
 きっと彼は話題を逸らしたいのだろう。けれどここまで心の内をさらけ出してしまったのであれば、俺も自分の正義を貫きたい。

「でも、俺が身体よりも心を大切にしたいって気持ちは、きちんと話せば分かってくれるはずだ」
「分かってくれる相手が居なかったから、今もなお恋人がいないんでしょ? それにさ、どうして今彼方くんの身体が反応してるんだと思う?」
「それは……」

 こうも理屈で責められては、もう何も言えなくなってしまう。
 最初は仲間の身体に触れることが恐ろしかった。けれど今は彼の心に。いや。仲間咲という存在に恐怖を覚えてしまう。

「ねぇ。僕に対しては責任を取る事はしなくて良いよ。だって、僕たちの間に未来なんか無い。だからさ、一度、試してみようよ。本当に君が『誰かを愛せる』のか」

 どうして仲間はここまで自暴自棄になっているのか。
 彼の声には俺に対する苛立ち、そして自嘲の色が同時に浮かんでいる。
 指先は重なっているのに、心はまるでどこか遠くに置いて来たみたいだ。
 そんな仲間に、俺は何ができるのだろう。

「俺は仲間の事を利用したくない。まだ話して少ししか経ってないけど、お前のこと、もっと知りたいと思ったから」
「それなら尚更、だよ。僕はセックスでしか好意を受け入れられないから。だからさ、僕と仲良くなりたいなら、今ここで抱いて見せてよ」

 すると彼は、自分の着用しているバスローブをはらりと脱いで見せた。

 仲間の一糸纏わぬ姿に、俺は思わず見入ってしまう。浴場や体育の着替えとは違う、あからさまに性行為を匂わせたその動作に、どうしていいのか分からない。

 それに仲間は自身の身体は頑丈に出来ているといったものの、その肌は不健康なほどに白かった。抱きしめただけで折れてしまいそうなほどに痩せた身体には、数か所赤い鬱血痕が残されている。

「ッ! ……どうしても、その選択肢しか取れないのか?」

 ハッとして仲間から視線を逸らす。
 けれど彼はそんな俺の行動を許さないと言わんばかりに、氷のように冷え切った両手で頬を包み込んで、自分の方へと向かせた。

「うん。口先だけの関係なんて、僕は信じられないから」

 俺はこの男を直視できない。
 もう、俺に出来ることは彼を抱くことだけなのだろうか。

「……本当はさ、仲間に触れるのが、めちゃくちゃ怖い。けど、俺は仲間の事が知りたいから。その為には踏み出すしか、無いんだよな?」
「いい子だね。僕は君が思っている以上に強くできているから。気負わずに、おいで?」

 するとようやく仲間の口元に笑みが浮かんだ。それは彼の手のように、温度をもたないものだったけれど。

「最後に聞くけど、仲間はそれで良いのか?」
「……そうだね。僕には、それしかないから」
「分かった。それなら、俺も覚悟を決める。仲間。俺に、まだ知らないことを教えて欲しい」

 これは仲間に流された訳じゃない。自分の意志で、彼を抱くのだ。
 理性とか、本能とか、常識とか、正義とか。
 様々な感情が渦巻く中、俺はそれらに呑まれないように必死だった。

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