春を売るなら、俺だけに

みやした鈴

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【第一話】

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 まだ興奮が冷めやらないまま、俺は自宅へ帰るための電車に揺られていた。
 終電が近いこの時間、酔いを帯びた人間が乗客の半数を占めているのではないかと思わされるほど、車内にはアルコール臭が満ちている。

 いつもなら俺もそのうちの一人なのだが、今日は全く酒を入れてない、素面の状態だ。
 けれど彼らと同様に、足元が覚束なかったに違いない。

 乗り換えを済ませ最寄り駅に到着し電車から降りると、ふわりと若草の香りが鼻腔を擽った。
 酔っ払いの臭いとは大違いなその芳香に、俺は繁華街から離れたことを体感する。

 ただ、思考は繁華街に置き忘れたのではないかと思うほど、俺は仲間の事で頭がいっぱいだった。

「俺、仲間……いや、咲に甘いもの買ってくるって約束したけど、次は何を選んでいけばいいんだ? 俺、咲の事、まだ何も知らない」

 とぼとぼと歩いていれば、地域密着型の小さなケーキ屋が目に入る。
 営業時間はとっくに終わっているが、俺は空のショーケースを見て、次回の密会に思いを馳せていた。

「けど俺、あいつのこと気になるんだよな。エッチなこと、だって抵抗感があったけど、咲に対しては怖いって全く思わなかった。それどころか、美味しそうにケーキを食べる咲をみて、もっとこいつのこと知りたいって思って……」

 眼鏡をかけておとなしそうにしてる咲も、ブランド物の服に身を包んでギラギラしている咲も、気になって仕方ない。

「ただいまー」

 自宅へと着き鍵を開けると、既に玄関の照明は落とされていた。
 きっとみんな寝静まったのだろう。返事のない挨拶は静寂へと溶けていく。

 手洗いうがいを済ませ、二階へと繋がる階段を上り自室へ戻ると、俺はベッドに倒れ込み、スマートフォンをじっと眺めていた。

 こういう時って、次はいつ会う? って俺から連絡した方が良いのかな。だって咲も次はって言ってたもんな。

 そんなことをうだうだ考えていると、端末から軽快な通知音が鳴った。

「~~うわっ! なんだ、あれ、咲から……」

 思わず声を上げてしまった。メッセージの送信者はSと書かれたアカウント。
 そう、俺が思い描いていた相手その人だったからだ。

「今日はありがとう。剛の記念すべき第一歩を踏み出した日に乾杯。次は来週の木曜日とか予定空いてる?」

 俺はスマホに向かって「空いてる!」と思わず叫んでしまった。

 すると隣の部屋から妹の柔花が「なに兄貴、うるさいんだけど」とルームウェア姿で睨みをきかせてきた。

「あっ、悪ぃ」
「てか兄貴、タバコの臭いする。吸い始めたの? 家で吸うのは勘弁してよ」

 柔花は眉を顰め、汚いものを見るような目で見てくる。

「いや! 俺のじゃない」
「へぇ、なら女?」
「……ノーコメントで」

 思わず口ごもってしまうと、柔花は呆れたように大きなため息を吐いた。

「うわー。何真っ赤になってんの。別に女ができたのはいいけど、家に連れ込まないでね」
「分かってるって。ほら、出てけ出てけ」

 そう言って彼女を部屋から追い出すと、俺は咲からのメッセージに急いで返信する。

「こちらこそありがとう。来週の木曜、空いてる」

「じゃあ来週、また今日のホテルで。楽しみにしてる」

「俺も。ウマイ物用意していくから、覚悟しておけよな」

 そんなやりとりをしたら、咲から了解! と猫が敬礼しているスタンプが送られてきた。
 そのかわいらしさに俺は思わず破顔すると同時に、鼓動がドキドキと早鐘を打つのを感じる。

 この胸のときめきはなんだろう。まるで初恋みたいだ。

 なんて考えてハッとする。初恋? 俺の初恋って? と考えてフリーズした。

 確かに高校二年生までは彼女もいたし、前に付き合っていた彼女もそれぞれ愛していたはずだ。
 けれどそれも彼女らからの告白があったからで、俺から告白したことは一度もなかった。
 それなのに、仲間には自分から会いたいと誘ってしまいそうになる。

「あ~! 俺、変だ!」
「兄貴うるさい!」

 隣の部屋から俺の部屋に向けて壁を叩く音が響く。
 でも俺はそれどころじゃなかった。

 なんだこれ、俺が俺じゃないみたいだ。
 もちろん初めて性行為をしたから、相手の事が気になるっていうのはあるかもしれない。けれどそれだけじゃない。俺は仲間咲という人間に興味がある。

 次は何を買っていこう、どんな話をしよう。
 そう考えるだけで俺の胸は踊る。

 最初は眼鏡を外した時のギャップから。その時はただ面白いクラスメイトという感想に過ぎなかったはずだ。
 ただ今の俺はこうして仲間咲と親密になりたいと強く願うようになった。

 友人や恋人。そういった括りなんて関係ない。仲間咲だからこそ、次回がこんなに楽しみなんだ。

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