【R15】魚(うお)に願いを【なずみのホラー便 第11弾】

なずみ智子

文字の大きさ
1 / 1

魚(うお)に願いを

しおりを挟む
 いつもの兄妹喧嘩で終わるはずであった。
 そのはずであった。



「ひどいよ! お兄ちゃん!」
 冷蔵庫近くのごみ箱の中をのぞきこんだチセが金切声をあげた。
 
「ん? なんだよ? お前、何そんなに怒ってんだよ?」
 チセとは1才違いで小学校4年生の兄・ケントが、心の底より不思議そうな声で彼女に問う。

「”何そんなに怒ってんだよ”じゃないよ! お兄ちゃん、私の分の納豆巻き食べたでしょ!! お母さんが1人1つずつ買ってきてたのに、お兄ちゃん私の分食べたでしょ!!!」

 ”チセの喚き”にケントはニヤッと笑う。
「だって、お前、なかなか食べなかったからさ……いらないかと思ってよ。俺は男だからお前より腹だって減るし。それに、食べ物ってのは賞味期限ってもんがあるんだぜ。納豆巻きしかり、卵しかり、お肉しかり、お魚サンしかりって具合にな♪ 食べ物を粗末にしちゃいけないから、俺の胃袋におさめさせてもらったんだよ」

「もう! 楽しみにしてたのに! 私、納豆巻き大好きなのにぃ!! 納豆巻きだけじゃないよ! お兄ちゃん、前にお父さんの友達がお土産にくれた海老せんべいだって、いっぱい食べてたじゃん!!!」
 食べ物の恨みは怖い。
 涙を滲ませ、地団太を踏み始めたチセに、ケントはわずかばかりたじろいだ。

 だが――
「あーはいはい。お兄ちゃんが悪かったよ。でも、あの納豆巻きはまた、お母さんが買ってきてくれるだろうから、そう気を落とすなって」
 玄関へとそそくさと逃げていくケント。
 もちろん、チセは追いかける。

「ついてくんなよ。今からマサやテツたちと遊ぶんだからよ。妹なんか連れていけるかっての」
「誰もついてなんかいかないよ。でも、ほんと”いつも”ひどいよ! お兄ちゃん!!」
 チセの蓄積されていた怒り。その噴火の勢いはなかなか静まらない。

「……機嫌直せよ。ガシャポンでお前の好きそうなの、出してきてやるから」
「いらない! そんなの!」
「あーそうかい」
 フンとそっぽを向いたチセ。
 バタンと閉じられた玄関のドアの向こうより、ケントがタタタタ、と駆けていく音が聞こえた。



「お兄ちゃんの馬鹿……」
 玄関にポツンと取り残されたチセが、わずかに滲んでいた涙をぬぐう。
 チセももう小学校3年生であるため、この程度のことで声をあげてワンワン泣きはしないも、兄・ケントに自分の気持ちを取り合ってもらえないのは、やはり悔しい。


 ふと、玄関を見回したチセ。
 その時、チセはふと”ある物”と目が合ったような気がした。
 それは靴箱の上に飾られている”魚の置物”であった。

 鈍色の鱗、ギョロリとした赤い目、開いた口から除く鋭い乱杭歯。
 しゃちほこを思わせるポーズで鎮座しているその魚は、どこかキュビズムを感じさせる不思議な雰囲気を漂わせている置物であった。
 
 さらに言うなら、この魚の置物は数か月前、家族皆で骨董市に行った時に見つけて、我が家に迎え入れたものでもあるのだ。
 一目見た瞬間、チセはこれがなぜかとっても気になり、金額も500円と高くはなかったため、チセ自ら何かに突き動かされるように両親にねだったことを今でも覚えている。
 兄・ケントは「げ……趣味悪ぃ」と笑い、父も「ん~もっと他に女の子らしいのあるんじゃないかな」と苦い顔をし、母も「芸術なのかもしれないけど、全く持って可愛くないね」と渋々この魚の置物を買ってくれた次第であった。


 それから、数か月――
 この置物の定位置は、玄関の靴箱の上となっていた。
 毎日、学校に行くチセを見送ってくれ、学校から帰ってきたチセを迎えてくれていたというのに、正直、チセは置物の存在などすっかり忘れていた。


 だが、今日はこうして魚の置物と目が合ってしまった。
 自分のつらい気持ちと悔しさをくみ取ってくれる同士が、そこにいたかのような心強さをチセは感じた。

「……お兄ちゃんなんて、酷い目に遭っちゃえばいいのに」
 思わずポツリと呟いてしまったチセ。
 しかし、返ってきたのは沈黙だ。

 当たり前だ。
 置物が喋ったりするわけがない。
 置物が自分の気持ちをくみ取ってくれるわけなどない。
 アホらしくなったチセは玄関正面の階段を駆け上がり、2階にある自分の部屋のドアをパタンと閉めた。




 宿題を済ませた後は、ベッドの上に寝転がり少女漫画やジュニア小説をパラパラとめくっていたチセ。
 少しウトウトとしかけた時、階下よりケントが帰ってきたらしい音が聞こえた。

「おーい、チセ」
 兄が自分の名を呼びながら、階段をトントンと上がってきているらしい音までも聞こえてきた。

――お兄ちゃんなんか、知るもんか……寝たふりちゃえ……!

 顔を枕にポフッとうずめ、瞳を閉じたチセ。
 しかし、彼女の束の間の狸寝入りは、部屋の外からの”ただならぬ兄の悲鳴”によって中断された。


「……お兄ちゃん!!!」
 部屋を飛び出したチセが見た光景。
 それは――!


「チセ! 来るな!!」

 階段が動いていた!
 本来動くはずなどない階段が、下へと向かって動いていたのだ!

 チセが見たのは、”リミッターなるものが吹っ飛んだエスカレーター”と化した階段と、その階段にて必死で上へと駆け上がろうとしている兄の姿であった。
 
 あと数段で、ケントは階段から抜け出せる。チセのいるところへと辿り着ける。
 しかし……
 ”下流へと向かう更なる激しい流れ”によって、ケントは再び階段の中の位置に戻されてしまった!


 チセが見たのは、それだけではなかった。
「!?!?!」
 なんと、階段の一番下で、信じられないほどに巨大化した”あの魚の置物”が、口をグワワッと開けている!
 幾本もの乱杭歯を鋭く光らせて!

 魚の口の横幅はもはや、下へと流れる階段と同等の大きさだ。
 階段の一段や二段は軽く飲み込めるほどに。
 いや、あの魚が飲み込もうとしているのは――その鋭き乱杭歯でバリバリと噛み砕こうとしているのは、兄のケントであることは間違いなかった。


「お兄ちゃあん!!!」
 身をかがめたチセは泣きながらケントに向かって手を伸ばした。
 階段の中ごろへと押し戻されたケントではあったが、また上へと駆け上がることができ始めていた。

「……チセっ!! お前は絶対に下りてくるな……っ…! そっ……そこで手を伸ばしてくれているだけでいいっ……! だから……っ!」
 言葉を絞り出すのも苦しいだろうに、ケントはチセを絶対に巻き込むまいとしている。

「お、お兄ちゃ……!」
 涙と鼻水でグシャグシャとなった顔で、必死でケントへと――まだまだ届かぬ手を伸ばすチセ。
 チセはハッとした。
 数刻前、自分があの魚の置物の前でポツリと呟いてしまった言葉を思い出す。
 ”……お兄ちゃんなんて、酷い目に遭っちゃえばいいのに”と。
 チセの呟きをしっかりと聞いていた魚の置物は、今まさに兄のケントを酷い目に遭わせようとしている!


「お願いぃ! やめてぇ! お兄ちゃんを助けてえええ!! こんなの嫌だぁぁ!」

 こんなことになるなんて思わなかった。
 今日もいつもの兄妹喧嘩で終わるはずであった。
 そのはずだった。


 だが、下へと流れる階段はその速さをますます増していく。
 階段の下方でバランスを崩し倒れ込んだケントのポケットより、小さな球体が――”ケントがチセへの詫びとして渡すつもりだったガシャポン”が転がり落ちていった。
 
 ガシャポンは、下で待ち構えている魚の口へと吸い込まれ――
 バリバリと得意気にそれを噛み砕く魚の咀嚼音は、チセがいるところまで聞こえ――



「いやああああああ!!!!!」

 チセの絶叫と、魚がついに”ケントの踵の骨”を噛み砕いた音のどちらが大きかったであろうか。
 ケントの血だらけの口から発せられし断末魔と、魚が彼の脚を、腰を、腹を、胸をと着実に噛み砕き続けていく音のどちらが大きかったであろうか。


 禍々しい魚の胃袋へとおさめられゆく兄に、妹の声はもう届きはしない……



―――fin―――
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

臣下が王の乳首を吸って服従の意を示す儀式の話

八億児
BL
架空の国と儀式の、真面目騎士×どスケベビッチ王。 古代アイルランドには臣下が王の乳首を吸って服従の意を示す儀式があったそうで、それはよいものだと思いましたので古代アイルランドとは特に関係なく王の乳首を吸ってもらいました。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

処理中です...