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Episode5 勇者、故郷に帰る。PART2 オムニバスホラー3品

Episode5-A 墓場にいる勇者カレブ

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 勇者カレブ。
 見事に魔王を倒し救世主となった彼は、勲章と報奨金を手に、数年ぶりに故郷へと帰った。

 故郷では妻マージョリーが彼の帰りを待っていた。
 今年、三十八才になるカレブが、同い年のマージョリーと結婚したのは三十三才の時だ。
 家を離れていたこの数年、妻は寂しい思いをさせてしまっていただろう。
 村人たちからの盛大な歓迎の真っただ中にいる今はいろいろと落ち着かないも、もうしばらくすれば旅立ち前とそう変わらぬ日常が――妻と二人で穏やかに暮らす日常――が戻ってくるに違いない。

 しかし、そうはいかなかった。
 民たちからの感謝と尊敬、讃美を一心に集めている勇者カレブは、今やまさに時の人。
 道を歩けばサインや握手を求められるのはもちろんのこと、自宅の呼び鈴も昼夜問わず鳴らされる。
 そればかりか各地より、勇者カレブの姿を一目でいいから拝みたい、と馬車に乗って村を訪れる者たちもひっきりなしであったのだから。

 「勇者様!」「勇者様だ!」と涙目で崇め奉られることに、最初のうちは嫌な気はしなかったカレブではあるも、こうも毎日、サイン会に握手会、トークショーetcと続くと疲れる。
 疲労困憊。身も心も休まる時がない。

 魔王を倒したこと自体は、カレブは後悔などしてはいない。
 しかし、有名人となってしまったことの煩わしさと怖さを彼はこれでもかと知ってしまった。
 原因は、カレブの”勇者としての成功”そのものにあるわけではない。
 彼の成功を最大限に、骨の髄までむしゃぶりつくすがごとく利用せんとしている妻マージョリーにあったのだ。

 そう、サイン会に握手会、それにトークショーまでも、マージョリーが中心となってスケジュールを組み進めていたのだから。
 彼女は自らトークショーの司会をするばかりか、村の人脈を利用し大々的な宣伝活動までも行っていた。
 ”会いに行ける勇者カレブ”を求めてやってきたツアー客たちで大盛況となった村の宿屋からも、マージンを受け取ってもいるようだ。
 ちゃっかりしているというよりも、かなりのやり手だ。

 カレブ自身が”注目され続ける”のが何ら苦にならないタイプ、それどころか妻とタッグを組んで、金儲けと宣伝活動に精を出すタイプなら問題はなかったのだが、そうではなかった。
 ある夜のこと、ついにカレブは音を上げた。
 ベッドに腰を掛けたカレブは、ジンジンと痛む右手を、井戸で汲んできた冷たい水で浸した布でくるんでいた。
 彼の痛みと疲労を知っているのか、それとも知らないふりをしているのか、同じくベッドに腰掛けたマージョリーはゆったりと髪を梳かしている。

「マージョリー……お金はもう腐るほどあるというか、俺が持って帰って来た報奨金だけで十分に暮らしていけるだろう。毎日毎日、握手会だのサイン会だので右手が痛いんだよ。トークショーだって、毎回毎回、同じことばかり話しているんだ。ほんの少しでいいから俺を休ませてくれ……俺がこの村に帰ってからというもの、俺が”俺の自由に過ごせた日”なんて一日だってなかったんだから」

 カレブを横目でジロリと睨むマージョリー。

「あなた、よくそんなこと言えるわね」

「……お前に寂しい思いをさせたのは、すまなかったと思っている。でも、俺はもうどこにも行かない。旅は終わった。俺が乗っていた船は港で錨を下ろした。そしてもう、その船が出港することは二度とない。だから俺は、これからお前と二人だけの時間を大切に……」

「そういう意味じゃないわ。あなたは、自分の客観的な価値も、世の中の流れってものも何も分かっていないのね」

 ハーッと溜息をついたマージョリー。

「あなたが勇者になれたのは、生まれつきの才能や努力なんかじゃなくて、単なる運でしょ。あなたより優れた資質を持つ男は五万といたでしょうに。そのうえ、あなたは不細工ではないけど、そう見栄えがいいわけでもない。どこの村にでも一人や二人はいる量産型のおっさんでしかないわよ。でも、あなたには”勇者カレブ”という最大のアピールポイントがある……だから、世の人々の”勇者カレブ”への讃美と記憶が新鮮な今のうちに、がっつり稼いでおかなきゃ。世の人々の興味や話題なんて、目まぐるしく変わっていくものよ。あなたより若くて見栄えのいい新しい勇者が次々にポンポンと現れる可能性だってあるんだから」

 いや、勇者が……というよりも”魔王”がそんなに次々にポンポン現れるわけなどない思うのだが……
 口を開きかけたカレブを、マージョリーが押し倒した。
 カレブの上に乗っかったマージョリーは、慣れた手つきで自身の寝間着の胸元をはだけた。

「さあ、今夜も”する”わよ」

「ちょ、勘弁してくれ。本当に疲れているんだ。手も痛いし」

「あなたは子供は授かりものだからいてもいなくてもどちらでもいいって言っていたけど、私は一日でも早く子供が欲しいの。”あなたの子供”が。私だって、それほど若いわけじゃないんだから急がなきゃ。あなたは寝転がったまま、精を出してくれるだけでいいから」


※※※


 それから数か月が経った。
 勇者フィーバーは、なおもまだ続いていた。
 サイン会に握手会、トークショーのみならず、「勇者カレブと楽しむバーベキュー」や「勇者カレブと楽しむ花火大会」なんてイベントまでもが、超多忙なカレブの日常に組み込まれてしまった。

 それだけでは済まなかった。
 マージョリーは稼いだ金を元に、高名な文筆家、画家、彫刻家数人に仕事の依頼までしていた。
「あなたの自伝を後世に残しておかなきゃ」勇者の旅路だけでなく、幼き頃のことや結婚までの経緯までカレブに振り返らせた。カレブが口述したそれらの記憶を、文筆家は時系列や地名に矛盾がないかを確認したうえ、ややドラマティックに味付けし本にするのだ。
 画家と彫刻家は言わずもがな、マージョリーの指示のもと”少しばかり”美化した勇者カレブの姿を後の世に残すこととなる。


 さらに蓄積されゆく疲労とストレス。
 それらは取り除かれることも、癒されることもなく、カレブの身と心に重く沈殿していく。
 けれども、マージョリーはカレブの懇願に、耳も心も傾けることはない。
 カレブの死んだ魚のような目を見ることもない。 

 自分の思い通りに他人を動かさなければ気が済まない女。
 家族である夫を、無数の金が眠っている扉の”鍵”としか思っていない女。

 マージョリーはこんな女だったのか?
 ”勇者の妻”となったことで、彼女は変わってしまったのか?
 それとも、彼女の元々の本性が剥き出しになっただけなのか?

 カレブがマージョリーと結婚したのは三十三才の時であり、村の同年代の者たちに比べるとやや晩婚ではあったものの、もう少し独り身でいたなら(容姿的な意味ではなく)もっと良い女と生涯をともにできる出会いがあったかもしれないのに。

 いや、そもそも、カレブはそれほど”妻という存在”を必要としていなかったのだ。
 昔だって独身でも何ら問題はなかったし、結婚への焦りなどもなかった。
 マージョリーに押し切られるような形で結婚してしまったことに、今は後悔しかない。

 どこか遠いところ――自分の顔も名前も、そして勇者としての成功すらも知る者がいないところ――へと行き、犬でも飼って、たまに魚釣りに行って、ゆっくりと穏やかに暮らしたい。自由の中で生きたい。それが、カレブのささやかであり、たった一つの夢となっていた。

 だが、彼はその夢が永遠に叶うことがないと知っている。
 夢は夢でしかない。
 なぜなら、マージョリーが身籠ってしまったのだから。

 マージョリー念願の懐妊。
 「勇者に第一子誕生?!」と村はさらなるビッグウェーブに沸き立った。
 村をあげての盛大なパーティーが開催され、カレブはマージョリーが用意した原稿を渡され、”父親となる喜びに満ち溢れたスピーチ”までさせられた。 

 自分の子供が妻の腹の中に宿っているというのに喜べぬカレブ。
 そんな彼に、マージョリーは”勝者の笑み”で言い放った。

「カレブ、あなたはずっと”勇者カレブ”でいてね」
 それはつまるところ、”逃げるなんて許さないわよ。自分の子供を身籠った妻を捨てた男なんて、勇者どころか、単なる無責任な人でなしでしかないわよ”という牽制だ。

 生きながらにして”人生の墓場”の住人となってしまったカレブ。
 それだけでない。毎日の食事の時間が心身ともに苦痛なのだ。

「マージョリー……食事を作ってもらえるのはありがたいんだが、もう少し薄味にしてくれないか? 肉だって脂身がやたら多いし、塩辛かったり、コッテリした味付けの食事ばかりだと、正直、俺だって若い頃みたいにすぐに消化できなくて、胃にもたれるんだよ。そもそも、お前だって忙しいのに、わざわざ俺の分だけ別に作るなんて大変だろう。俺もお前と同じメニューで構わないから」

「ダメよ。あなたは勇者なんだから、私が考えた勇者専用のスペシャルメニューを食べてもらわないと」

 そんなマージョリーが自身の口にバクバクと運んでいるのは、カレブの”それ”とは正反対な、主食・主菜・副菜のバランスがしっかりと取れていることが一目で分かるヘルシーなメニューであった。


※※※



 マージョリーのお腹がますます前へとせり出し、カレブの体がますます重くなってきた夜のことだった。
 夜中、猛烈な喉の渇きによって目を覚ましてしまったカレブは、ベッドからのそりと身を起こした。
 まるで墓場から蘇った吸血鬼が血を欲するように、カレブは水を欲していた。

 明かりの灯った台所の隙間より、マージョリーと姑(マージョリーの母)の声が聞こえてくる。
 今現在、この家には姑が同居中であった。
 姑自身はすでに未亡人で、一人娘がもうすぐ出産、その後のアフターケアや子育てのことを考えたら、一緒に住んだ方がいいだろうということで、一応は家の主であるカレブの意見も聞かずにズカズカと上がり込んできたうえ、家の鍵を勝手に共有しているのだ。
 正直、カレブは姑が苦手であった。
 娘のマージョリーと母娘というよりかは姉妹みたいな距離感であるのはさておき、耳を疑うようなことを平気で口にするのだ。
 マージョリーがカレブと結婚した当初は「あんな将来性のない冴えない男に、うちの娘はもったいないよ。早いうちにサクッと死んでくれりゃあ再婚できるのに」と村の者たちに愚痴を言っており、カレブが勇者となってから帰郷してからというもの「さすが私の娘、男を見る目は確かだね。それに(カレブの)生死が分かるまで再婚しなくて正解だったさ」と村の者たちに得意げに自慢していたのを、カレブは知っていた。


 台所から聞こえてくる彼女たちの声に耳を澄ますカレブ。
 いや、耳など澄まさなくても、彼の耳に二種類の声は突き刺さってきた。

「お母さん、私、お腹の中の子供は絶対に男の子だと思うの」

「勇者二世かい? その子は、生まれた時から大勢の人に注目される人生を歩むだろうね。さすが、あんたの息子で、私の孫だといったところだね」

「ええ、そうよ。この子には、勇者としての英才教育を小さい時から施す予定なの。武術に剣術、弓術……オールマイティにみっちりと教え込むつもりよ。お金はたっぷりあるんだし、腕の立つ教師を幾人でも雇えるわ。それに万が一、この子が女の子であったなら、ひたすら美貌を磨かせるわ。私みたいに”勇者の妻”になれるように、肌には傷一つつけることなく、極限まで美しく育てあげるの」


 マージョリーの言葉を聞いたカレブは、思わずクッと笑いを漏らしてしまいそうになった。
 親として生まれてくる子供に夢を抱いてしまうのは分かる。

 だが、マージョリーは以前にカレブにこう言っていた。
 カレブが勇者になれたのは、単なる”運”であったと。
 そのうえ、カレブは不細工ではないけど、そう見栄えがいいわけでもない。
 それは事実である。だが、そういうマージョリーとて客観的にみて醜女ではないけれども、美女でもない。並の器量の女だ。

 けれども、彼女たちは自己評価がやたら高いのであろうか?
 マージョリーも姑も、生まれてくる子供は健康で優秀で人並み以上の素晴らしい資質や美貌を備えているはずだと、信じて疑わないようであった。

 さらに言うなら、彼女たちは新たなる魔王の出現をも望んでいる。
 人々の平和や命を脅かす恐ろしい魔王であっても、彼女たちにとっては、金儲けと顕示欲を満たすための駒の一つとしかとらえていないのであろう。


 その時、不意に食器がカチャンとぶつかり合う音が聞こえた。
「お母さん、気を付けて」とマージョリー。

「カレブが使っていた食器とか、着ていた服とかも、いずれはオークションにかけたり、展示するつもりよ。カレブは無駄な物は持たないから、私物はそんなに多くないけど。本当に何でも金になるし、世の大半の人ってあんまり深く物事を考えないから、”世の中の流れ”に流されていることにも気づかないまま興味深々で群がってくるわよ。ゆくゆくはこの家自体も、展示場にする予定よ。『これが勇者カレブが眠っていたベッドだ!』って具合にね(笑) 」

 マージョリーは、利益目的の強引な夫婦生活を営んだベッドですら、衆目に晒すプランを立てていた。

「でもね、マージョリー、他の女には気を付けるんだよ。勇者の子供を身籠った女が他にいれば、あんたのお腹の中にいる子供の価値も半減するんだ」

「ええ、分かってるわ。でも、カレブに浮気なんてする度胸ないわよ。それに淡泊だし。そもそも、カレブはそう遠くないうちに……ね? 英雄(勇者)も長く生きると、晩節を汚す可能性も無きにしも非ずだから、そうなる前に、塩分が多くて高カロリーの食事漬けにして……ね?」
 
「そうだね、マージョリー、あんたの言う通りだ。早死にしてくれた方が、希少価値が増すってモンだよ。やっぱり、世の注目を浴び続けるには、多少の”悲劇”がブレンドされていた方がいいね」

「”最愛の妻と大切な一粒種”を残し、この世を去った悲劇の勇者カレブ。『彼は墓場から、私たち家族を見守ってくれているのです』って具合にね」

 妻のクスクス笑いに、姑のそっくりな”それ”が重なった。
 カレブは拳を握りしめた。
 その強さは、彼の自身の拳を今にも砕け散らさんばかりあった。
 乾ききった喉から迸る叫びを堪え、彼は一歩を踏み出した。


――fin――
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