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2025年9月
Episode9 勇者失踪事件(「勇者、故郷に帰る。」シリーズ16作目)
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勇者ネイトが帰郷の道中にて忽然と姿を消してしまった。
新月の夜。
勇者ネイトは十二人の護衛とともに原野で野営をしていた。
長時間にわたっての移動で蓄積された疲労と、それを誤魔化すための深酒により、勇者ネイトも護衛たちも酩酊した状態であった。
ふらりと立ち上がった勇者ネイトが「ちょっと用を足してくる……」と言い残し、森の方角へと歩いて行った。
すぐに戻って来られるであろう、と護衛たちの誰もが思っていた。
しかし、あまりにも遅すぎる。
遅すぎると思った時には、”本当に”遅すぎたのだ。
一気に酔いもさめたどころか、顔面蒼白となった護衛たちは必死で勇者ネイトの名を呼び、彼の姿を血眼になって探した。
探し続けた。
……が、護衛たちは彼を見つけることはできず、まさに彼は忽然と姿を消したとしか言えない状況となってしまった。
勇者ネイトの失踪事件は、当然のごとく大騒ぎとなった。
護衛たちのあまりにもお粗末な護衛には非難が殺到し、彼ら全員が首を括ってお詫びしなければならないまでに追い込まれてしまっているのは当然のこと、失踪そのものにも様々な憶測が飛び交った。
最初に考えられたのは、森の奥に迷い込んでしまって遭難したか、森に棲んでいる獣に食い殺された説だ。
国王から命を受けた城の兵士たちが森の全ての木を根こそぐがごとき勢いで森一帯を捜索した。
けれども、勇者ネイトの遺体も、肉片や血痕、獣の爪で引き裂かれた衣服といったものも一切発見されなかった。
次に考えられたのは、何者かに襲われ、連れ去られたという説だ。
目的は金か、怨恨か、それとも可能性は低いが男が男に対しての性加害目的か?
だが、勇者ネイトが故郷へと持ち帰る報奨金は護衛たちが管理しており、用を足しに行った際には持っていなかった。
怨恨か性加害目的にしたって、勇者ネイトは魔王を倒し、その言葉通り勇者となった者である。
失踪当時も腰に剣を携帯していたし、いくら酔っていたとはいえ酒には相当強いようであったし、襲撃相手のレベルや人数にもよるがあの勇者ネイトがそうみすみすとやられてしまうとは考えられない。
それに護衛たちの誰一人として、争う声などは聞いていないとの証言だ。
となると、勇者ネイトが自ら姿を消したのか?
自発的な失踪。
しかし、この説も可能性が低いと思われた。
勇者ネイトは故郷に帰ることを非常に楽しみにしており、両親含めた家族や幼馴染や村の人たちのことを護衛たちにもしきりに話していた。
一刻も早く会いたくて会いたくて、たまらないようであった、と。
あの様子が勇者ネイトの演技でない限り、帰郷を目前に自ら姿を消すとは考えにくい。
そうなると、魔王からの報復か。
勇者ネイトに滅ぼされた魔王であるも、その魂までは完全に消滅しておらず、死霊となって勇者ネイトを憑り殺そうとしたのではないか?
だが、この説にも疑問が残る。
感覚的なものなのでうまく説明するのが難しいが、魔王が消滅した前と後では、この世界の雰囲気は明らかに違っている。
何もそういった方面に敏感な者たちでなく、第六感以上の力を持っていない者たちの大半がその空気の違いを如実に感じ取っていたのだ。
この世界にもう魔王はいない。
他でもない勇者ネイトが魔王を倒してくれたのだから。
そして……最後に残ったのは、十二人の護衛たちによる犯行説だ。
護衛中に何らかの事故で勇者ネイトが死亡してしまった。
もしくは、悪意を持って、勇者ネイトをどこかに監禁、あるいはすでに亡き者とし遺体を捨てた。
その犯行を隠すために護衛たちは皆、口裏を合わせて失踪という形にした。
現時点では最後の説が一番可能性が高く、真実味を帯びた考察であった。
勇者ネイトの失踪には、護衛たちが関わっている。
だが、十二人の護衛たちは皆、拷問一歩手前の取り調べを受け続けてはいるものの、彼らの犯行を裏付けるような供述や証拠といった綻びは一つとして見つからない。
勇者ネイトの失踪については、国王とて黙って見ているわけにはいかない。
ついに国王は、我が国一の力を持つと言われている占い師を城へと呼び寄せることにした。
件の占い師は、異様に頭と目が大きくて、痩せぎすのうえ背の低い男であった。
「皆は私のことを占い師と呼ぶようでありますが、正しくは”真実の伝達者”ですね。私は視えたものを……この水晶玉に映し出された光景を、そのままお伝えするだけでございますよ」
国王相手でも全く臆することなく、占い師は喋り続ける。
なお、この占い師は非常に気まぐれであり、自身の気の向いた案件しか受けぬ上に、報酬として提示する金額も法外であった。
「今までに私が視た光景の中には、それこそ酸鼻を極めるとしか言えない……悪夢どころか本物の地獄のごとき光景も幾つかございました。私も一生忘れることはできませんよ。私は自身の身も心も削ることを承知で視ることにしているのですよ。私は私で命を懸けて仕事をしておりますため、報酬につきましてはご理解いただきたいと……」
今回、国王へと提示した報酬は、国王ですら失踪者が勇者ネイトでなければあまりにも高すぎる――身分も功績もなく、いくらでも使い捨てできる民の一人であるなら絶対に出さぬ――と思うほどの額であった。
「何も分からないのが一番苦しいですからね。すべてが謎に包まれたまま、終わってしまうのは恐ろしいことです。……さて、それではさっそく、私の力で勇者ネイト様の行方を見て差し上げましょう」
城の広間にて占い師のリーディングもとい、ウォッチングが始まった。
「…………勇者ネイト様は生きておられます」
安堵のため息が広間全体に広がる。
だが、問題はどこで何をしているのか、ということだ。
「どれどれ、周りの状況を見てみましょうか……」
占い師は眼前の水晶玉に向かって、わざとらしく手をかざし、さらに力を込めるような仕草をした。
「…………こ、これは……!! ……っっ!!!」
占い師の両眼は驚愕に見開かれていた。
驚愕だけでなく、恐怖にもよっても見開かれていた。
世にも恐ろしいものを見たと言わんばかりに、脂汗を浮かべた顔は蒼白となり、ガタガタと全身を震わせ始める。
不意に異臭が漂った。
目から大粒の涙を流しながら、占い師は失禁していた。
「あ……あ……」と戦慄いたかと思えば、占い師は床へと崩れ落ちた。
水晶玉が床で砕け散る。
ケタケタギャハハハとけたたましく笑い出した占い師は、小便どころか大便までをも漏らし始めた。
それでも、彼は狂い笑うことを止めなかった。
止められなかった。
いったい何が視えたのだ?
何を視てしまったというのだ?
視る寸前に占い師は確かこう言っていたはずだ。
「今までに私が視た光景の中には、それこそ酸鼻を極めたとしか言えない、一生忘れることもできない悪夢どころか本物の地獄のごとき光景も幾つかございました」と。
陰惨な光景に全く免疫がないどころか、むしろ地獄を覗くことに多少は慣れていたであろう者ですらこうなってしまったとは……!
完全に壊れてしまった占い師からは何も聞きだすことはできず、それから幾日かが過ぎた頃。
再び失踪現場へと調査に向かっていた者たちが、一人の農夫の男を城へと連れ帰ってきた。
普段なら”農夫ごときの言うことには耳など貸すつもりは一切なく、ましてや土と肥料の臭いをさせた卑しい者を城の中に通すなんて前代未聞”といった風に極めて選民意識の強い国王であったが、今は藁にもすがる思いで話を聞いてみることにした。
聞けば、この農夫は勇者ネイトの失踪現場より、そう離れていない場所に居を構えているらしい。
失踪事件の夜に、妙なものを目撃したのだとも。
農夫の話を聞いた者たちも、その妙なものが勇者ネイトの失踪に全くの無関係であるとは思えなかったため、城にまで連れてきたとも。
国王の前へと通された農夫は、緊張と畏敬の念によってか、全身を小刻みに震わせながら言葉を紡ぎ出した。
「……あ、あの夜、あっしは……あ、いえ、わ、私は家の犬のけたたましく吠える声で目を覚ましたとです。いったい何事か、と家の外に出たところ、犬だけじゃなくて馬までもが揃いも揃って異様なほどに怯えて興奮しちまってて……こんなこと初めてで……そ、そんで犬が吠えている方角を見たあっしは信じられないものを目にしちまったんです」
農夫が唾を飲み込む。
「……わ、悪い夢を見ていたような気がすると言いますか、今でもあれは悪い夢であって欲しいと心底、願っちまってるぐらいなんですが…………なんと見たこともねえぐらい大きな皿が空を飛んでおりまして……」
大きな皿が空を飛んでいた?
「あれは間違いなく皿というか、あっしには皿としか例えようのねえものでした。鳥が空を飛ぶのは当たりめえですが、皿が空を飛ぶなんて……し、しかも……っ……その皿はまるで月みてえに輝いておったんです。あの夜は新月でございましたし、月と見間違えたわけでは断じてねえです。第一、その皿は横向きになって空を飛んでおったとです。……あ、あんな光景を見てしまったなんて、あっしは……」
農夫からの証言を聞いた国王はじめとする一同は、謎が深まるばかりで頭を抱えたというよりも、得体の知れぬ恐怖におのが身を浸されていくのをひしと感じていた。
だが、それからしばらくして事態は一変する。
勇者ネイトが帰ってきたのだ。
新たに迎えた新月の晩の翌朝。
失踪現場付近にて、ぐったりとした状態で全裸でうつ伏せに倒れていた勇者ネイトは、たまたま通りかかった旅商人の一行に発見された。
何はともあれ、勇者ネイトは生きて帰ってきた。
命があっただけでいい。
けれども、その何よりも大切な命の無事を手放しでは喜べない状態となってしまっていた。
勇者ネイトの胡桃色の頭髪は完全に艶を失ったばかりか、老人のように真っ白となり、まばらな枯草のごときものと化していた。
髪ばかりか彼の睫毛までもが真っ白になっていた。
輝いていた瞳は光を失って落ち窪み、頬は削げ、唇は乾ききってひび割れていた。
勇者ネイトの第一発見者である旅商人たち、そして彼を診察した医師たちによれば、彼の体の数か所に針でつつかれ広げられたかような傷跡が残っており、皮膚も一部剥がされていたと。
なお、陰毛は完全に剃り落とされ、性器にも損傷が確認されたと。
凄まじい拷問の数々が彼の身を襲ったのは明白であった。
けれども、いったい誰が何の目的で勇者ネイトにこんな非道なことをしたのかを聞くことはできなかった。
勇者ネイトは、もう言葉を話すことすらできない状態となっており、そのうえ”平べったくて丸い形状をしたもの”が視界に入った瞬間、金切り声をあげて暴れるようになってしまったのだから。
とりわけ食事が乗せられた白い皿がひとたび目に入れば、狂ったように泣き叫ぶのだ。
彼が怖がるようになったのは、それだけでない。
”子ども”を怖がるようになった。
一言で子どもといっても、その範囲は赤子からティーンエイジャーまでと幅広いが、彼が異常なまでに怖がるのは八歳前後と思われる子ども――まだ未発達のため体も薄く、手足も棒のように細い子ども――であり、特に男児を怖がっていた。
何かを思い出さずにはいられない……というより、何を思い出してしまうのであろうか?
勇者ネイトの心の傷は深すぎるというよりも、勇敢で義憤に満ちていた彼の心はどこか遠くへと行ってしまい、もう二度と戻って来ることができなくなっているのは明白だ。
そして……再び迎えた新月の晩に勇者ネイトはまたしても失踪してしまった。
彼自ら姿が消したのか、それとも”連れ戻されてしまった”のであろうか?
壊れてしまう前のあの占い師の言葉が、「何も分からないのが一番苦しいですからね。すべてが謎に包まれたまま、終わってしまうのは恐ろしいことです」という言葉が、国王たちの脳裏に怖気とともに蘇ってきた。
それから依然として勇者ネイトは行方不明のままとなっている。
(完)
新月の夜。
勇者ネイトは十二人の護衛とともに原野で野営をしていた。
長時間にわたっての移動で蓄積された疲労と、それを誤魔化すための深酒により、勇者ネイトも護衛たちも酩酊した状態であった。
ふらりと立ち上がった勇者ネイトが「ちょっと用を足してくる……」と言い残し、森の方角へと歩いて行った。
すぐに戻って来られるであろう、と護衛たちの誰もが思っていた。
しかし、あまりにも遅すぎる。
遅すぎると思った時には、”本当に”遅すぎたのだ。
一気に酔いもさめたどころか、顔面蒼白となった護衛たちは必死で勇者ネイトの名を呼び、彼の姿を血眼になって探した。
探し続けた。
……が、護衛たちは彼を見つけることはできず、まさに彼は忽然と姿を消したとしか言えない状況となってしまった。
勇者ネイトの失踪事件は、当然のごとく大騒ぎとなった。
護衛たちのあまりにもお粗末な護衛には非難が殺到し、彼ら全員が首を括ってお詫びしなければならないまでに追い込まれてしまっているのは当然のこと、失踪そのものにも様々な憶測が飛び交った。
最初に考えられたのは、森の奥に迷い込んでしまって遭難したか、森に棲んでいる獣に食い殺された説だ。
国王から命を受けた城の兵士たちが森の全ての木を根こそぐがごとき勢いで森一帯を捜索した。
けれども、勇者ネイトの遺体も、肉片や血痕、獣の爪で引き裂かれた衣服といったものも一切発見されなかった。
次に考えられたのは、何者かに襲われ、連れ去られたという説だ。
目的は金か、怨恨か、それとも可能性は低いが男が男に対しての性加害目的か?
だが、勇者ネイトが故郷へと持ち帰る報奨金は護衛たちが管理しており、用を足しに行った際には持っていなかった。
怨恨か性加害目的にしたって、勇者ネイトは魔王を倒し、その言葉通り勇者となった者である。
失踪当時も腰に剣を携帯していたし、いくら酔っていたとはいえ酒には相当強いようであったし、襲撃相手のレベルや人数にもよるがあの勇者ネイトがそうみすみすとやられてしまうとは考えられない。
それに護衛たちの誰一人として、争う声などは聞いていないとの証言だ。
となると、勇者ネイトが自ら姿を消したのか?
自発的な失踪。
しかし、この説も可能性が低いと思われた。
勇者ネイトは故郷に帰ることを非常に楽しみにしており、両親含めた家族や幼馴染や村の人たちのことを護衛たちにもしきりに話していた。
一刻も早く会いたくて会いたくて、たまらないようであった、と。
あの様子が勇者ネイトの演技でない限り、帰郷を目前に自ら姿を消すとは考えにくい。
そうなると、魔王からの報復か。
勇者ネイトに滅ぼされた魔王であるも、その魂までは完全に消滅しておらず、死霊となって勇者ネイトを憑り殺そうとしたのではないか?
だが、この説にも疑問が残る。
感覚的なものなのでうまく説明するのが難しいが、魔王が消滅した前と後では、この世界の雰囲気は明らかに違っている。
何もそういった方面に敏感な者たちでなく、第六感以上の力を持っていない者たちの大半がその空気の違いを如実に感じ取っていたのだ。
この世界にもう魔王はいない。
他でもない勇者ネイトが魔王を倒してくれたのだから。
そして……最後に残ったのは、十二人の護衛たちによる犯行説だ。
護衛中に何らかの事故で勇者ネイトが死亡してしまった。
もしくは、悪意を持って、勇者ネイトをどこかに監禁、あるいはすでに亡き者とし遺体を捨てた。
その犯行を隠すために護衛たちは皆、口裏を合わせて失踪という形にした。
現時点では最後の説が一番可能性が高く、真実味を帯びた考察であった。
勇者ネイトの失踪には、護衛たちが関わっている。
だが、十二人の護衛たちは皆、拷問一歩手前の取り調べを受け続けてはいるものの、彼らの犯行を裏付けるような供述や証拠といった綻びは一つとして見つからない。
勇者ネイトの失踪については、国王とて黙って見ているわけにはいかない。
ついに国王は、我が国一の力を持つと言われている占い師を城へと呼び寄せることにした。
件の占い師は、異様に頭と目が大きくて、痩せぎすのうえ背の低い男であった。
「皆は私のことを占い師と呼ぶようでありますが、正しくは”真実の伝達者”ですね。私は視えたものを……この水晶玉に映し出された光景を、そのままお伝えするだけでございますよ」
国王相手でも全く臆することなく、占い師は喋り続ける。
なお、この占い師は非常に気まぐれであり、自身の気の向いた案件しか受けぬ上に、報酬として提示する金額も法外であった。
「今までに私が視た光景の中には、それこそ酸鼻を極めるとしか言えない……悪夢どころか本物の地獄のごとき光景も幾つかございました。私も一生忘れることはできませんよ。私は自身の身も心も削ることを承知で視ることにしているのですよ。私は私で命を懸けて仕事をしておりますため、報酬につきましてはご理解いただきたいと……」
今回、国王へと提示した報酬は、国王ですら失踪者が勇者ネイトでなければあまりにも高すぎる――身分も功績もなく、いくらでも使い捨てできる民の一人であるなら絶対に出さぬ――と思うほどの額であった。
「何も分からないのが一番苦しいですからね。すべてが謎に包まれたまま、終わってしまうのは恐ろしいことです。……さて、それではさっそく、私の力で勇者ネイト様の行方を見て差し上げましょう」
城の広間にて占い師のリーディングもとい、ウォッチングが始まった。
「…………勇者ネイト様は生きておられます」
安堵のため息が広間全体に広がる。
だが、問題はどこで何をしているのか、ということだ。
「どれどれ、周りの状況を見てみましょうか……」
占い師は眼前の水晶玉に向かって、わざとらしく手をかざし、さらに力を込めるような仕草をした。
「…………こ、これは……!! ……っっ!!!」
占い師の両眼は驚愕に見開かれていた。
驚愕だけでなく、恐怖にもよっても見開かれていた。
世にも恐ろしいものを見たと言わんばかりに、脂汗を浮かべた顔は蒼白となり、ガタガタと全身を震わせ始める。
不意に異臭が漂った。
目から大粒の涙を流しながら、占い師は失禁していた。
「あ……あ……」と戦慄いたかと思えば、占い師は床へと崩れ落ちた。
水晶玉が床で砕け散る。
ケタケタギャハハハとけたたましく笑い出した占い師は、小便どころか大便までをも漏らし始めた。
それでも、彼は狂い笑うことを止めなかった。
止められなかった。
いったい何が視えたのだ?
何を視てしまったというのだ?
視る寸前に占い師は確かこう言っていたはずだ。
「今までに私が視た光景の中には、それこそ酸鼻を極めたとしか言えない、一生忘れることもできない悪夢どころか本物の地獄のごとき光景も幾つかございました」と。
陰惨な光景に全く免疫がないどころか、むしろ地獄を覗くことに多少は慣れていたであろう者ですらこうなってしまったとは……!
完全に壊れてしまった占い師からは何も聞きだすことはできず、それから幾日かが過ぎた頃。
再び失踪現場へと調査に向かっていた者たちが、一人の農夫の男を城へと連れ帰ってきた。
普段なら”農夫ごときの言うことには耳など貸すつもりは一切なく、ましてや土と肥料の臭いをさせた卑しい者を城の中に通すなんて前代未聞”といった風に極めて選民意識の強い国王であったが、今は藁にもすがる思いで話を聞いてみることにした。
聞けば、この農夫は勇者ネイトの失踪現場より、そう離れていない場所に居を構えているらしい。
失踪事件の夜に、妙なものを目撃したのだとも。
農夫の話を聞いた者たちも、その妙なものが勇者ネイトの失踪に全くの無関係であるとは思えなかったため、城にまで連れてきたとも。
国王の前へと通された農夫は、緊張と畏敬の念によってか、全身を小刻みに震わせながら言葉を紡ぎ出した。
「……あ、あの夜、あっしは……あ、いえ、わ、私は家の犬のけたたましく吠える声で目を覚ましたとです。いったい何事か、と家の外に出たところ、犬だけじゃなくて馬までもが揃いも揃って異様なほどに怯えて興奮しちまってて……こんなこと初めてで……そ、そんで犬が吠えている方角を見たあっしは信じられないものを目にしちまったんです」
農夫が唾を飲み込む。
「……わ、悪い夢を見ていたような気がすると言いますか、今でもあれは悪い夢であって欲しいと心底、願っちまってるぐらいなんですが…………なんと見たこともねえぐらい大きな皿が空を飛んでおりまして……」
大きな皿が空を飛んでいた?
「あれは間違いなく皿というか、あっしには皿としか例えようのねえものでした。鳥が空を飛ぶのは当たりめえですが、皿が空を飛ぶなんて……し、しかも……っ……その皿はまるで月みてえに輝いておったんです。あの夜は新月でございましたし、月と見間違えたわけでは断じてねえです。第一、その皿は横向きになって空を飛んでおったとです。……あ、あんな光景を見てしまったなんて、あっしは……」
農夫からの証言を聞いた国王はじめとする一同は、謎が深まるばかりで頭を抱えたというよりも、得体の知れぬ恐怖におのが身を浸されていくのをひしと感じていた。
だが、それからしばらくして事態は一変する。
勇者ネイトが帰ってきたのだ。
新たに迎えた新月の晩の翌朝。
失踪現場付近にて、ぐったりとした状態で全裸でうつ伏せに倒れていた勇者ネイトは、たまたま通りかかった旅商人の一行に発見された。
何はともあれ、勇者ネイトは生きて帰ってきた。
命があっただけでいい。
けれども、その何よりも大切な命の無事を手放しでは喜べない状態となってしまっていた。
勇者ネイトの胡桃色の頭髪は完全に艶を失ったばかりか、老人のように真っ白となり、まばらな枯草のごときものと化していた。
髪ばかりか彼の睫毛までもが真っ白になっていた。
輝いていた瞳は光を失って落ち窪み、頬は削げ、唇は乾ききってひび割れていた。
勇者ネイトの第一発見者である旅商人たち、そして彼を診察した医師たちによれば、彼の体の数か所に針でつつかれ広げられたかような傷跡が残っており、皮膚も一部剥がされていたと。
なお、陰毛は完全に剃り落とされ、性器にも損傷が確認されたと。
凄まじい拷問の数々が彼の身を襲ったのは明白であった。
けれども、いったい誰が何の目的で勇者ネイトにこんな非道なことをしたのかを聞くことはできなかった。
勇者ネイトは、もう言葉を話すことすらできない状態となっており、そのうえ”平べったくて丸い形状をしたもの”が視界に入った瞬間、金切り声をあげて暴れるようになってしまったのだから。
とりわけ食事が乗せられた白い皿がひとたび目に入れば、狂ったように泣き叫ぶのだ。
彼が怖がるようになったのは、それだけでない。
”子ども”を怖がるようになった。
一言で子どもといっても、その範囲は赤子からティーンエイジャーまでと幅広いが、彼が異常なまでに怖がるのは八歳前後と思われる子ども――まだ未発達のため体も薄く、手足も棒のように細い子ども――であり、特に男児を怖がっていた。
何かを思い出さずにはいられない……というより、何を思い出してしまうのであろうか?
勇者ネイトの心の傷は深すぎるというよりも、勇敢で義憤に満ちていた彼の心はどこか遠くへと行ってしまい、もう二度と戻って来ることができなくなっているのは明白だ。
そして……再び迎えた新月の晩に勇者ネイトはまたしても失踪してしまった。
彼自ら姿が消したのか、それとも”連れ戻されてしまった”のであろうか?
壊れてしまう前のあの占い師の言葉が、「何も分からないのが一番苦しいですからね。すべてが謎に包まれたまま、終わってしまうのは恐ろしいことです」という言葉が、国王たちの脳裏に怖気とともに蘇ってきた。
それから依然として勇者ネイトは行方不明のままとなっている。
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