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2025年4月
Episode4 伏線(「勇者、故郷に帰る。」シリーズ11作目)
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今から二百五十年前、一人の勇者によって魔王は倒された。
しかし、散り散りとなった魔王は闇へと還る際、捨て台詞というか、負け惜しみというか、嫌な予告を残していった。
「……我は決して滅びぬ! 三百年後、我は再び蘇らん!」と。
魔王が予告した復活の時まで、あと五十年ある。
まだ五十年もあると思うのか、もう五十年しかないと思うのかは個々のとらえ方によるであろう。
とりあえず、今のところはまだ地上では全体的に穏やかで平和な空気が流れていた。
※※※
とある村の青年・フェリックスは、村の長老の家に挨拶にやってきた。
彼が扉を叩くと、彼の幼馴染であり長老の孫娘でもあるプリシラが顔を見せた。
「あら、久しぶりじゃないの。何か用?」と、少しばかり面倒くさそうな声を出したプリシラであったが、少し離れた所にフェリックスの連れだと思われる二人――この村では見かけたことのない痩せぎすの中年男と黒いベールで顔を隠している女――がいることに気づき、声を落とした。
「……誰?」
「俺の嫁さんになる人とそのお父さんだよ。町に出稼ぎに行った時に運命の出会いをしちゃってさ。結婚する前に、きちんと長老に挨拶しとうこと思って……」
「へえ、あんたが一丁前に結婚ねぇ。村の中じゃあ、絶対に遅い方だと思っていたわ」
お前だってまだ独身だろ。まあ、お前……というか、お前の場合は家の事情で男を見極める目がより厳しくなっているんだとは思うが……といった言葉を飲み込むフェリックス。
「俺は早くに両親を亡くしたこともあって、とりわけ長老には昔から目をかけ、可愛がってもらっていた。俺は長老を本当のおじいちゃんみたいに思っている。だから……俺の嫁さんとお義父さんになる人たちを真っ先に長老に紹介したいんだ」
「ま、おめでとうと言っておくわ。とりあえず、三人とも中で待っていたら? 今、おじいちゃんを呼んでくるからさ」
プリシラの許可をもらったフェリックスは、二人を呼び寄せた。
こじんまりとしているも掃除が行き届いた清潔な応接間で待つ、自分たちの三人の元にプリシラがお茶と焼き菓子を持ってきてくれた。
口が悪くガサツなようでいても、一通りの気配りはできる女なのだ。
フェリックスの義父となる予定の男もまた、「恐れ入ります」とプリシラに向かって頭を下げ、ジェフ・チャーチという自らの名を名乗った。
そして、「娘の名はドナと申します」と傍らの娘(フェリックスの婚約者)に、ベールを取るように促した。
ドナがベールを取った。
そのドナの顔を見たプリシラは「!!!」と息を吞み、手のカップをガチャンと落としてしまった。
カップが床で砕け散ったというのに、プリシラはいまだドナの顔に釘付けになっていた。
しばしの間、時が止まっていた。
我に返ったプリシラが「し、失礼を……! すぐに淹れ直して……」と慌てて、足元に散らばる濡れた欠片を搔き集めようとした。
素手のうえに、あまりに慌てていたためか、苦痛に顔を歪めた彼女の指先からは血の玉がポツリと落ちた。
炊事場へと戻っていったプリシラをフェリックスが追う。
「手ェ、切ったんだろ? 大丈夫か?」
「大したことないわよ。それよりも……彼女たちの元に戻ったら? いくら幼馴染とはいえ、他の女を心配するところなんてあまり見せるもんじゃないわよ。ほんと、女心の分からない奴ね」
乾いた布巾を指先に巻いたプリシラは、赤い顔をしたまま、フェリックスを軽く睨んだ。
……と、不意に真面目な顔になったプリシラは声を潜めた。
「ねえ、あんた……騙されているんじゃないの?」
そのプリシラの言葉を聞いたフェリックスは、なぜか得意気な顔になった。
「お前もそう思うか? 見た目はごく普通で稼ぎもそう良いとは言えない俺が、あんな絶世の美女と結婚となったらさ」
「……だって、同じ人間とは思えないぐらいよ。顔の完成度が高過ぎるっていうか、あれだけ綺麗だと魔性の者にすら思えてくるわ」
プリシラの言う通り、フェリックスの婚約者・ドナは絶世の美女であった。
都会にいる身分も高く垢抜けた女たちですら、どれだけ厚く塗りたくったとしても、素顔のままのドナの美しさには誰一人として足元にも及ぼないであろう、と。
それほどの美女が俺の嫁さんなんだぜ。俺はある意味、国王陛下よりも幸せ者なのかもしれないな。毎日あの綺麗な顔を見ることができるなら”その他のことには”目を瞑るつもりだし……と。
指先に応急処置を施したプリシラが、再びお茶を淹れてきた。
「あの、お怪我は大丈夫でしたか? 驚かせてしまったようで申し訳ない……」
謝るジェフに、プリシラも頭を下げる。
「いえ、こちらこそ、失礼を……」
プリシラは、ドナの気分を害してしまったのではないかと彼女の様子をそっとうかがった。
驚かれることなど慣れっこなのかもしれないが、どんな理由であっても自分の顔を見て手にあった物を落とされるなんて、あまり気分の良いものではないだろうから。
しかし、ドナの反応は違っていた。
「おねぇさん、おゆび、いたいいたいしたったの?」
生まれたての太陽の光を浴びた湖のごとき瞳を輝かせたまま、ドナは舌ったらずな声で無邪気に聞いてきた。
プリシラは、この絶世の美女がどういった者であるのかを即座に悟った。
そして、プリシラの悟りを同じく悟ったらしい父親・ジェフが肩をすくめて言った。
「娘は、その……永遠に子どものままの心で生まれついたようでありまして……」
何と答えて良いのか、何と答えるべきなのか、プリシラの思考はまるで自分の尾を咥えてしまったヘビのごとく、グルグルと回り始める。
「あ、いえ……この村の者たちは皆、一つの家族であると思います。フェリックスのお嫁さんとそのお父さんにしたって、皆、温かく迎え入れてくれるはずです。私だって、そのつもりですから……」
プリシラの答えは、フェリックスにとっては百点満点であった。
さすが、長老の孫娘であり、そして……と思わずにはいられなかった。
だが、その”そして……”に続く、この家の秘密というか、この家系の者たちが守り続けていることを二人に話すのは、まだ早いかもしれないとも思った。
この村で暮らしていくうちに、遅かれ早かれいずれは知ることになるだろう。
なお、長老はまだ姿を見せない。
身支度に時間がかかっているのかもしれない。
しばしの沈黙が続く。
「あ! にゃあーんちゃんだぁ!!」
ドナが突然に立ち上がった。
え? この家って、猫、飼ってたっけ? とフェリックスが飼い猫の有無について思い出すよりも早く、 ドナは子どものようにバタバタと家の奥へと走って行った。
「え? ちょ、ちょっと……!」
「ドナ! 待ちなさい! よそのお宅にご迷惑は……!」
ドナを追いかけるプリシラとジェフの背中に、フェリックスも続く。
ドナは家の奥というか、この家の底、すなわち地下室へと続いているらしい階段を下りていった。
ここが噂の地下室か……とフェリックスは思った。
この家で遊んだことも、食事に呼ばれたことも幾度となくある。
しかし、そんな自分でさえ、この地下室へと足を踏み入れるのは初めてだ。
ここはこの家の聖域ともいえる場所であったのだから。
ドナの腕を掴まえたまま、ジェフはプリシラに平謝りをしてた。
当のドナは「だってぇ、にゃあんちゃんがいたんだもん。まっくろけっけのにゃあんちゃんが……」と、他人の家で自分がどれだけ失礼な振る舞いをしたのかすら全く理解していない。
自分が決めたこととはいえ、このドナを嫁にするという選択にフェリックスとて後悔の念がよぎらないわけではなかった。
いや、それよりも今はせっかくここに来たのだから……と、フェリックスは地下室を見回した。
よくよく見ると、ここは地下室というよりも半地下というべきかもしれない。
高い位置にある窓からは、太陽の光が……まるで荘厳な教会に差し込む救いの光のごとく差し込んでいた。
黴臭さや湿っぽさなどは微塵も漂っていない。
それどころか、お香のような良い香りが漂っている。
おそらくプリシラの手によるであろう日々の入念な手入れで、清浄な空間が作り上げられていた。
何より、この空間の中央に位置している寝台では男が眠っていた。
年は三十手前ぐらいであるだろうか?
長身のうえ、鍛え上げられた勇ましい体つき。
見紛うことなき生粋の戦士だと一目で分かる男。
微かな寝息を立てている男の長い睫毛の影が、ほんのりと薔薇色の染まっている頬に落ちていた。
俺がこの人に会ったのは今日が初めてだ。そして、今日が最後となるかもしれない。この人が目を覚ます頃には、長老はとうに世を去っているし、俺とプリシラにしたって、まだ存命中であるのかも際どいところだ……なぜなら、この人は……!
「本当に申し訳ございませんでした。あの、ええと……この方はもしや、お兄さんですか?」
ジェフの声にフェリックスの思考は中断された。
「いえ……この人は私の……」
「……その者はプリシラの曾祖父であり、私の父親だ」
プリシラの声を遮ったのは、長老であった。
いつの間にやら、長老が入口に立っていた。
見事な白髪と白髭を蓄えた長老は、ややおぼつかなさを感じさせる足取りながらも器用に杖を使い、階段を下りてきた。
「え? 父親って……」
頓珍漢に思える答えに、ジェフは長老への挨拶ならびに娘ともどもの非礼を先に詫びなければならないことを忘れてしまったらしい。
というよりも、目の前の白髪頭の老人は痴呆が進んでいると思ったようであった。
しかし、長老の肉体は時間の経過とともに衰えつつあっても、その心はそんじょそこらの老人など比にならぬほどにしっかりしていることをプリシラはもちろんのこと、フェリックスだって知っている。
確固たる目的のために。
そして、それを次の時代へと受け継いでいくために。
「……今から二百五十年前、一人の勇者の手によって魔王は倒された……しかし、散り散りとなった魔王は闇へと還る際、こう言った。『……我は決して滅びぬ! 三百年後、我は再び蘇らん!』と。私の父親は幼き頃より、魔王が残した捨て台詞が耳から離れなかった。今は平和で穏やかな時間が流れている……けれども、魔王は蘇り、再び人々を恐怖に陥れる時は確実にやってくる……それを阻止できるのは自分しかいない。だが、魔王が蘇る時にはもう、自分はこの世にはいない。そう考えた父は決意し、あの有名な『いばら姫』を眠りにつかせた妖精に頼みこみ、魔王が復活する時まで眠りにつくことを選択したのだ……」
長老の重々しい声が地下室に響く。
「父がその時の選択をした時、私はまだ八歳だった。私は懸命に懇願した。私と母を置いて行かないでくれ、自分たちの側にいてくれ、どうか同じ時代を生きてくれ、と。……しかし、父の決意は固かった。父は私だけの英雄になることより、世界の英雄となることの方を望み、選んだ……それだけのことだ」
長老の話を聞いていたプリシラの目に涙が滲んでいることに、フェリックスもジェフも気づいた。
誰かがいずれ復活する魔王を倒されなければならない。
だが、誰かがじゃなくて、他でもない自分がするんだと長老の父は眠りにつくことを選んだ。
しかし、見方を変えれば、勇者とならんがために家族を犠牲にしたとも言えよう。
自分の子ばかりか、曾孫にあたるプリシラにもその余波は及んでいる。
「……そうだったのですね。素晴らしいお父様です。並大抵の決意でできることではないですよ」
ジェフがかけた言葉が、長老にとっての百点満点であるのかは長老にしか分からない。
しかし、幼き日の長老が涙を流し苦しみ続けた時間が無駄ではなく、今から五十年後の未来へ向けて意味のある救われる時間であったことを望むばかりだ。
プリシラがジェフに言う。
「時折ですけど、曾祖父を眠りにつかせた妖精もこの家に様子を見に来てくれるんです。その妖精本人は、ゆうに千年は生きているとのことで……今から五十年後、私自身はどうなっているのかは分かりませんが、きっと彼女がすべてを見届けてくれるはずかと……」
と、その時だった。
……!!!
地下室の窓からヒュンと鋭い光が飛びこんできた。
綺麗に磨かれた床にバウンドしたその光は、キラキラときらめきながら人の形へと姿を変える。
女だ。
そう若くはないが老い過ぎてもいない女が現れた。
皺やくすみのある肌は見て取れるも、知性のある面差しはまずまず整っており美人の部類には入るだろう。
もしかして、このおば……いや、この人が例の妖精か? とフェリックスとジェフが察すると同時に、妖精の目がドナに釘付けになっていた。
単にドナの美貌に釘付けになっていただけなら、妖精のその顔に敵意や恐怖といった色は浮かばないであろう。
「いけない! ”そいつ”は……!!!」
妖精が言い終わらぬうちに、鋭い風が妖精の喉を裂いた。
いや、裂いたのではない。
妖精はその首ごと分断されてしまったのだ!
彼女の生首は後方の壁に音を立ててぶつかり、ゴロゴロと床を転がっていった。
その首が乗っていた箇所からは心臓が懸命に送り出した最後の血がドッと溢れ出る。
彼女の体はわずかに数歩踏み出すような動きを見せた後、うつぶせに倒れ伏した。
ドナがバッと飛び上がった。
言葉通り飛び上がったドナは、天井に大股開きの体勢でべたりと蜘蛛のようにはりつき、身悶えるようにくねり始めた。
みるみうるちに、ドナは先ほどまでのドナではなくなっていく。
蝙蝠を思わせる大きな羽がその背中に生えてきた。
なめらかな肌が、ヘドロのごとき肌へと変わっていく。
ヘビみたいに黄色く冷たい瞳は限界まで大きく見開かれ、口からは割れた長い舌をチロチロとのぞかせ始めた。
ついには衣服も全て弾け飛びんだ。
大きな乳房が揺れる。
けれども、下半身にある陰茎と睾丸も揺れた。
その陰茎は、みるみるうちに大きくなっていく――!
プリシラがあげた甲高い悲鳴に、フェリックスとジェフの叫びも重なる。
ドナは悪魔だった。
あの美しいドナ――プリシラにも「あれだけ綺麗だと魔性の者にすら思えてくる」とまで言われたドナ――の正体は、魔性どころか悪魔だったのだ!
「ふうう、お前らは騙せても、千年も生きた年増妖精まではさすがに騙せなかったか! 異変を察知してマッハで飛んできやがったとはよ。でもまあ、千年生きていようが何年生きていようが、終わる時はほんの一瞬だな。終わらせたのは他でもない俺だけど」
先ほどの拙さとあどけなさはどこへやら、耳障りなしゃがれ声のドナは、いいや半陰半陽の悪魔は、ジェフに――尻もちをつき、歯の根が合わないほどにガタガタと震えて、その股間を濡らしているジェフに――チラリと目をやった。
「ジェフ・チャーチよ。数か月も俺の芝居に付き合ってくれて礼を言うぜ。でも、よーく思い出せ。お前には”娘なんていなかったろ?” ……家族も定住地も持たず、いかにも真面目で物腰柔らかな独身中年男のお前は、父親役にうってつけだったんだよ。単体で乗り込むより、人間らしい血のあたたかさをすこしばかりまとって面食い男をかどかわした方がリアリティが増すからな。……でもよ、○○のふりをしたり、いもしない”にゃあーんちゃん”なんてアホらしい演技をする必要はなかったな。勇者志望の身のほど知らずがどんだけ厳重体制を敷かれて眠りについているかと思いきや、鍵すらかかっていない地下室で何も知らずに暢気におねんねとは……まったく、いくら魔王不在とはいえ、どいつもこいつも平和ボケかよ」
低く喉を鳴らした悪魔は、右手人差し指をククッと鉤のように曲げた。
途端、ブチュッと肉が裂ける音がし、何も知らずに眠っていた勇者の腹の中の物が部屋中に血しぶきとともに散らばった。
――!!!!!
悪魔は人差し指をクイクイと動かし、散らばった臓物の中からピンク色の細長いものを宙へと浮き上がらせた。
そして、それをクルクルとヘビのように自身の手に巻きつけた挙句、齧った。
「うえっ、まずっ……やっぱり腸なんて喰えたもんじゃねえな」
ゴミのように腸を床へと放り投げた悪魔は、勝ち誇ったように笑う。
いまや、この地下室は血と臓物のにおいが充満していた。
平和と希望ではなく、残酷な死と絶望がここを蹂躙していた。
「俺のスパゲッティになった野郎も勇者になるとか、魔王を倒すとか、俺にしかできないとか、よく言えたもんだよな(笑) 自分だけは特別ってか? 別に特別じゃねえし。自己評価高過ぎだろ(笑) 一番大切にしなければならねえ自分の子どもを、こんな白髪頭のヨボヨボジジイになるまで放置して哀しい瞳のまま人生を送らせておいてよ。いくら年を取ろうが、心の傷は消えねえもんだよな。自分の息子だけの英雄になることを選択していれば、天寿を全うして、墓ン中で『Requiescat in pace(”安らかに眠れ”の意。英語ではRest in peace)』な状態だったろうに」
にんまりとした悪魔は、次にプリシラに視線を移した。
「きゃあああ!!!」
プリシラの体は宙に浮いた。
そして、逆さになった。
空中に逆さ吊りとなったプリシラのしなやかな両脚が大きく左右に開かれ……プリシラは真っ二つになった。
「プリシラぁぁぁ!!!」
叫んだのは長老であったのか、それとも自分であったのかはフェリックスには分からなかった。
プリシラの中にあった物が、寝台に横たわったままの血みどろの勇者の死体へと降り注ぐ。
悪魔は、二つに分かれた彼女を左右のそれぞれの壁へとぶん投げた。
「ああ、気の毒なプリシラ嬢。この男の曾孫にさえ生まれなければこんな目に遭うことなどなかったのに。身の程知らずな野望と叶うはずもない泡沫の夢の犠牲となった哀れな娘よ(笑) 割ってしまったカップはもう元には戻らない(笑) 割れてしまったプリシラももう元には戻らにゃああい(笑)」
「……貴様ぁぁ!!!」
長老の怒声が――涙とともに絞り出された怒声が――下から悪魔を突き刺さんとした。
自身の目の前で父親と孫娘を殺害された今の長老の心にあるのは、死への恐怖など遥かに凌ぐほどの感情であることのは明白であった。
「そう親の仇みたいに睨むなって。あ、事実、俺はお前の親の仇であり孫の仇か(笑) 俺が全てを無駄にしちまったからなあ。実はよ、ジジイ……俺は少しばかりお前にシンパシーを感じてんだ。考えの浅い親を持つと互いに苦労するよな。”俺の親父も一時退場の際に、勇者に向かって余計なことを吐き捨てやがったからよ”。復活予告なんてダセえことせずに、軽く伏線はっとくか、何の前触れもなくサプライズ的に魔王復活って展開にした方が面白いだろうに。てめえが考えなしに復活予告なんてしやがったせいで、子の俺がその尻拭いを……物語で言うなら魔王復活後の本編に差し障りがあるかもしれねえ勇者の種をこうして地道にちまちまと潰しにかかるって”プロローグ”になったワケよ。ま、お前にとっては”エピローグ”だけどな」
こいつは魔王の子だったのだ!
それよりも奴の目は今、長老に向けられている。
そのことが何を意味しているのか、フェリックスにも分かった。
長老には昔から可愛がってもらったし、大変に世話にもなった。
股を裂かれ無惨に殺されたプリシラだって、大事な幼馴染だった。
だが、それとこれとは話は別だ。
あの悪魔は次に長老を殺るつもりだ。
奴が長老を手にかけているうちに逃げれば、自分は助かるかもしれないのだ。
相手は悪魔だ。勝てるわけがない。
千年も生きていた妖精ですら、瞬殺されてしまったのだ。
我先にと逃げ出したフェリックス、そしてジェフ。
彼らはもつれあうようにして、出口を目指す。
そんな二人の目の前で、出口の扉は無情にもバターンと閉じられた。
「おーい、お前らジジイほっぽって逃げるなよ。お年寄りには親切にって習わなかったか? ま、ガチギレして俺を睨みつけているジジイよりもここで逃げるお前らの方が幾分も人間らしくて、可愛いねえ(笑)」
ああ、もう駄目だ。
隣のジェフが泣き喚いた。
「ほ、本来ならっ、私だけはこの村ともこの家とも無関係だったはずですっっ!! だっ、だからぁ、助けてくださいっっ! 私だけは見逃してくださいっっ!!」
「……ンで、そんなこと言うんだよぉ! 俺だって死にたくない! 頼むから、殺さないでくれェェ! 生きたい! 生きていたいんだぁあ!!」
フェリックス自身も、懇願の喚きを口から迸らせていた。
「それはダメダメーん(笑) お前らから見た俺は、殺しにかかってきたやべえ奴だろうけど、俺は俺で自分の使命を果たしにきただけだっての。この状況を俺の側から見てみろよ、俺は親父……いや、偉大なる魔王様に立てつこうとしている不埒な輩を単独で倒しにきたんだ。魔界の奴らから見たなら、俺こそが勇者だろ? ……さあ、早いところ終わらせて、久々に魔界に帰るとするか。”勇者、故郷に帰る”ってわけだ」
(完)
しかし、散り散りとなった魔王は闇へと還る際、捨て台詞というか、負け惜しみというか、嫌な予告を残していった。
「……我は決して滅びぬ! 三百年後、我は再び蘇らん!」と。
魔王が予告した復活の時まで、あと五十年ある。
まだ五十年もあると思うのか、もう五十年しかないと思うのかは個々のとらえ方によるであろう。
とりあえず、今のところはまだ地上では全体的に穏やかで平和な空気が流れていた。
※※※
とある村の青年・フェリックスは、村の長老の家に挨拶にやってきた。
彼が扉を叩くと、彼の幼馴染であり長老の孫娘でもあるプリシラが顔を見せた。
「あら、久しぶりじゃないの。何か用?」と、少しばかり面倒くさそうな声を出したプリシラであったが、少し離れた所にフェリックスの連れだと思われる二人――この村では見かけたことのない痩せぎすの中年男と黒いベールで顔を隠している女――がいることに気づき、声を落とした。
「……誰?」
「俺の嫁さんになる人とそのお父さんだよ。町に出稼ぎに行った時に運命の出会いをしちゃってさ。結婚する前に、きちんと長老に挨拶しとうこと思って……」
「へえ、あんたが一丁前に結婚ねぇ。村の中じゃあ、絶対に遅い方だと思っていたわ」
お前だってまだ独身だろ。まあ、お前……というか、お前の場合は家の事情で男を見極める目がより厳しくなっているんだとは思うが……といった言葉を飲み込むフェリックス。
「俺は早くに両親を亡くしたこともあって、とりわけ長老には昔から目をかけ、可愛がってもらっていた。俺は長老を本当のおじいちゃんみたいに思っている。だから……俺の嫁さんとお義父さんになる人たちを真っ先に長老に紹介したいんだ」
「ま、おめでとうと言っておくわ。とりあえず、三人とも中で待っていたら? 今、おじいちゃんを呼んでくるからさ」
プリシラの許可をもらったフェリックスは、二人を呼び寄せた。
こじんまりとしているも掃除が行き届いた清潔な応接間で待つ、自分たちの三人の元にプリシラがお茶と焼き菓子を持ってきてくれた。
口が悪くガサツなようでいても、一通りの気配りはできる女なのだ。
フェリックスの義父となる予定の男もまた、「恐れ入ります」とプリシラに向かって頭を下げ、ジェフ・チャーチという自らの名を名乗った。
そして、「娘の名はドナと申します」と傍らの娘(フェリックスの婚約者)に、ベールを取るように促した。
ドナがベールを取った。
そのドナの顔を見たプリシラは「!!!」と息を吞み、手のカップをガチャンと落としてしまった。
カップが床で砕け散ったというのに、プリシラはいまだドナの顔に釘付けになっていた。
しばしの間、時が止まっていた。
我に返ったプリシラが「し、失礼を……! すぐに淹れ直して……」と慌てて、足元に散らばる濡れた欠片を搔き集めようとした。
素手のうえに、あまりに慌てていたためか、苦痛に顔を歪めた彼女の指先からは血の玉がポツリと落ちた。
炊事場へと戻っていったプリシラをフェリックスが追う。
「手ェ、切ったんだろ? 大丈夫か?」
「大したことないわよ。それよりも……彼女たちの元に戻ったら? いくら幼馴染とはいえ、他の女を心配するところなんてあまり見せるもんじゃないわよ。ほんと、女心の分からない奴ね」
乾いた布巾を指先に巻いたプリシラは、赤い顔をしたまま、フェリックスを軽く睨んだ。
……と、不意に真面目な顔になったプリシラは声を潜めた。
「ねえ、あんた……騙されているんじゃないの?」
そのプリシラの言葉を聞いたフェリックスは、なぜか得意気な顔になった。
「お前もそう思うか? 見た目はごく普通で稼ぎもそう良いとは言えない俺が、あんな絶世の美女と結婚となったらさ」
「……だって、同じ人間とは思えないぐらいよ。顔の完成度が高過ぎるっていうか、あれだけ綺麗だと魔性の者にすら思えてくるわ」
プリシラの言う通り、フェリックスの婚約者・ドナは絶世の美女であった。
都会にいる身分も高く垢抜けた女たちですら、どれだけ厚く塗りたくったとしても、素顔のままのドナの美しさには誰一人として足元にも及ぼないであろう、と。
それほどの美女が俺の嫁さんなんだぜ。俺はある意味、国王陛下よりも幸せ者なのかもしれないな。毎日あの綺麗な顔を見ることができるなら”その他のことには”目を瞑るつもりだし……と。
指先に応急処置を施したプリシラが、再びお茶を淹れてきた。
「あの、お怪我は大丈夫でしたか? 驚かせてしまったようで申し訳ない……」
謝るジェフに、プリシラも頭を下げる。
「いえ、こちらこそ、失礼を……」
プリシラは、ドナの気分を害してしまったのではないかと彼女の様子をそっとうかがった。
驚かれることなど慣れっこなのかもしれないが、どんな理由であっても自分の顔を見て手にあった物を落とされるなんて、あまり気分の良いものではないだろうから。
しかし、ドナの反応は違っていた。
「おねぇさん、おゆび、いたいいたいしたったの?」
生まれたての太陽の光を浴びた湖のごとき瞳を輝かせたまま、ドナは舌ったらずな声で無邪気に聞いてきた。
プリシラは、この絶世の美女がどういった者であるのかを即座に悟った。
そして、プリシラの悟りを同じく悟ったらしい父親・ジェフが肩をすくめて言った。
「娘は、その……永遠に子どものままの心で生まれついたようでありまして……」
何と答えて良いのか、何と答えるべきなのか、プリシラの思考はまるで自分の尾を咥えてしまったヘビのごとく、グルグルと回り始める。
「あ、いえ……この村の者たちは皆、一つの家族であると思います。フェリックスのお嫁さんとそのお父さんにしたって、皆、温かく迎え入れてくれるはずです。私だって、そのつもりですから……」
プリシラの答えは、フェリックスにとっては百点満点であった。
さすが、長老の孫娘であり、そして……と思わずにはいられなかった。
だが、その”そして……”に続く、この家の秘密というか、この家系の者たちが守り続けていることを二人に話すのは、まだ早いかもしれないとも思った。
この村で暮らしていくうちに、遅かれ早かれいずれは知ることになるだろう。
なお、長老はまだ姿を見せない。
身支度に時間がかかっているのかもしれない。
しばしの沈黙が続く。
「あ! にゃあーんちゃんだぁ!!」
ドナが突然に立ち上がった。
え? この家って、猫、飼ってたっけ? とフェリックスが飼い猫の有無について思い出すよりも早く、 ドナは子どものようにバタバタと家の奥へと走って行った。
「え? ちょ、ちょっと……!」
「ドナ! 待ちなさい! よそのお宅にご迷惑は……!」
ドナを追いかけるプリシラとジェフの背中に、フェリックスも続く。
ドナは家の奥というか、この家の底、すなわち地下室へと続いているらしい階段を下りていった。
ここが噂の地下室か……とフェリックスは思った。
この家で遊んだことも、食事に呼ばれたことも幾度となくある。
しかし、そんな自分でさえ、この地下室へと足を踏み入れるのは初めてだ。
ここはこの家の聖域ともいえる場所であったのだから。
ドナの腕を掴まえたまま、ジェフはプリシラに平謝りをしてた。
当のドナは「だってぇ、にゃあんちゃんがいたんだもん。まっくろけっけのにゃあんちゃんが……」と、他人の家で自分がどれだけ失礼な振る舞いをしたのかすら全く理解していない。
自分が決めたこととはいえ、このドナを嫁にするという選択にフェリックスとて後悔の念がよぎらないわけではなかった。
いや、それよりも今はせっかくここに来たのだから……と、フェリックスは地下室を見回した。
よくよく見ると、ここは地下室というよりも半地下というべきかもしれない。
高い位置にある窓からは、太陽の光が……まるで荘厳な教会に差し込む救いの光のごとく差し込んでいた。
黴臭さや湿っぽさなどは微塵も漂っていない。
それどころか、お香のような良い香りが漂っている。
おそらくプリシラの手によるであろう日々の入念な手入れで、清浄な空間が作り上げられていた。
何より、この空間の中央に位置している寝台では男が眠っていた。
年は三十手前ぐらいであるだろうか?
長身のうえ、鍛え上げられた勇ましい体つき。
見紛うことなき生粋の戦士だと一目で分かる男。
微かな寝息を立てている男の長い睫毛の影が、ほんのりと薔薇色の染まっている頬に落ちていた。
俺がこの人に会ったのは今日が初めてだ。そして、今日が最後となるかもしれない。この人が目を覚ます頃には、長老はとうに世を去っているし、俺とプリシラにしたって、まだ存命中であるのかも際どいところだ……なぜなら、この人は……!
「本当に申し訳ございませんでした。あの、ええと……この方はもしや、お兄さんですか?」
ジェフの声にフェリックスの思考は中断された。
「いえ……この人は私の……」
「……その者はプリシラの曾祖父であり、私の父親だ」
プリシラの声を遮ったのは、長老であった。
いつの間にやら、長老が入口に立っていた。
見事な白髪と白髭を蓄えた長老は、ややおぼつかなさを感じさせる足取りながらも器用に杖を使い、階段を下りてきた。
「え? 父親って……」
頓珍漢に思える答えに、ジェフは長老への挨拶ならびに娘ともどもの非礼を先に詫びなければならないことを忘れてしまったらしい。
というよりも、目の前の白髪頭の老人は痴呆が進んでいると思ったようであった。
しかし、長老の肉体は時間の経過とともに衰えつつあっても、その心はそんじょそこらの老人など比にならぬほどにしっかりしていることをプリシラはもちろんのこと、フェリックスだって知っている。
確固たる目的のために。
そして、それを次の時代へと受け継いでいくために。
「……今から二百五十年前、一人の勇者の手によって魔王は倒された……しかし、散り散りとなった魔王は闇へと還る際、こう言った。『……我は決して滅びぬ! 三百年後、我は再び蘇らん!』と。私の父親は幼き頃より、魔王が残した捨て台詞が耳から離れなかった。今は平和で穏やかな時間が流れている……けれども、魔王は蘇り、再び人々を恐怖に陥れる時は確実にやってくる……それを阻止できるのは自分しかいない。だが、魔王が蘇る時にはもう、自分はこの世にはいない。そう考えた父は決意し、あの有名な『いばら姫』を眠りにつかせた妖精に頼みこみ、魔王が復活する時まで眠りにつくことを選択したのだ……」
長老の重々しい声が地下室に響く。
「父がその時の選択をした時、私はまだ八歳だった。私は懸命に懇願した。私と母を置いて行かないでくれ、自分たちの側にいてくれ、どうか同じ時代を生きてくれ、と。……しかし、父の決意は固かった。父は私だけの英雄になることより、世界の英雄となることの方を望み、選んだ……それだけのことだ」
長老の話を聞いていたプリシラの目に涙が滲んでいることに、フェリックスもジェフも気づいた。
誰かがいずれ復活する魔王を倒されなければならない。
だが、誰かがじゃなくて、他でもない自分がするんだと長老の父は眠りにつくことを選んだ。
しかし、見方を変えれば、勇者とならんがために家族を犠牲にしたとも言えよう。
自分の子ばかりか、曾孫にあたるプリシラにもその余波は及んでいる。
「……そうだったのですね。素晴らしいお父様です。並大抵の決意でできることではないですよ」
ジェフがかけた言葉が、長老にとっての百点満点であるのかは長老にしか分からない。
しかし、幼き日の長老が涙を流し苦しみ続けた時間が無駄ではなく、今から五十年後の未来へ向けて意味のある救われる時間であったことを望むばかりだ。
プリシラがジェフに言う。
「時折ですけど、曾祖父を眠りにつかせた妖精もこの家に様子を見に来てくれるんです。その妖精本人は、ゆうに千年は生きているとのことで……今から五十年後、私自身はどうなっているのかは分かりませんが、きっと彼女がすべてを見届けてくれるはずかと……」
と、その時だった。
……!!!
地下室の窓からヒュンと鋭い光が飛びこんできた。
綺麗に磨かれた床にバウンドしたその光は、キラキラときらめきながら人の形へと姿を変える。
女だ。
そう若くはないが老い過ぎてもいない女が現れた。
皺やくすみのある肌は見て取れるも、知性のある面差しはまずまず整っており美人の部類には入るだろう。
もしかして、このおば……いや、この人が例の妖精か? とフェリックスとジェフが察すると同時に、妖精の目がドナに釘付けになっていた。
単にドナの美貌に釘付けになっていただけなら、妖精のその顔に敵意や恐怖といった色は浮かばないであろう。
「いけない! ”そいつ”は……!!!」
妖精が言い終わらぬうちに、鋭い風が妖精の喉を裂いた。
いや、裂いたのではない。
妖精はその首ごと分断されてしまったのだ!
彼女の生首は後方の壁に音を立ててぶつかり、ゴロゴロと床を転がっていった。
その首が乗っていた箇所からは心臓が懸命に送り出した最後の血がドッと溢れ出る。
彼女の体はわずかに数歩踏み出すような動きを見せた後、うつぶせに倒れ伏した。
ドナがバッと飛び上がった。
言葉通り飛び上がったドナは、天井に大股開きの体勢でべたりと蜘蛛のようにはりつき、身悶えるようにくねり始めた。
みるみうるちに、ドナは先ほどまでのドナではなくなっていく。
蝙蝠を思わせる大きな羽がその背中に生えてきた。
なめらかな肌が、ヘドロのごとき肌へと変わっていく。
ヘビみたいに黄色く冷たい瞳は限界まで大きく見開かれ、口からは割れた長い舌をチロチロとのぞかせ始めた。
ついには衣服も全て弾け飛びんだ。
大きな乳房が揺れる。
けれども、下半身にある陰茎と睾丸も揺れた。
その陰茎は、みるみるうちに大きくなっていく――!
プリシラがあげた甲高い悲鳴に、フェリックスとジェフの叫びも重なる。
ドナは悪魔だった。
あの美しいドナ――プリシラにも「あれだけ綺麗だと魔性の者にすら思えてくる」とまで言われたドナ――の正体は、魔性どころか悪魔だったのだ!
「ふうう、お前らは騙せても、千年も生きた年増妖精まではさすがに騙せなかったか! 異変を察知してマッハで飛んできやがったとはよ。でもまあ、千年生きていようが何年生きていようが、終わる時はほんの一瞬だな。終わらせたのは他でもない俺だけど」
先ほどの拙さとあどけなさはどこへやら、耳障りなしゃがれ声のドナは、いいや半陰半陽の悪魔は、ジェフに――尻もちをつき、歯の根が合わないほどにガタガタと震えて、その股間を濡らしているジェフに――チラリと目をやった。
「ジェフ・チャーチよ。数か月も俺の芝居に付き合ってくれて礼を言うぜ。でも、よーく思い出せ。お前には”娘なんていなかったろ?” ……家族も定住地も持たず、いかにも真面目で物腰柔らかな独身中年男のお前は、父親役にうってつけだったんだよ。単体で乗り込むより、人間らしい血のあたたかさをすこしばかりまとって面食い男をかどかわした方がリアリティが増すからな。……でもよ、○○のふりをしたり、いもしない”にゃあーんちゃん”なんてアホらしい演技をする必要はなかったな。勇者志望の身のほど知らずがどんだけ厳重体制を敷かれて眠りについているかと思いきや、鍵すらかかっていない地下室で何も知らずに暢気におねんねとは……まったく、いくら魔王不在とはいえ、どいつもこいつも平和ボケかよ」
低く喉を鳴らした悪魔は、右手人差し指をククッと鉤のように曲げた。
途端、ブチュッと肉が裂ける音がし、何も知らずに眠っていた勇者の腹の中の物が部屋中に血しぶきとともに散らばった。
――!!!!!
悪魔は人差し指をクイクイと動かし、散らばった臓物の中からピンク色の細長いものを宙へと浮き上がらせた。
そして、それをクルクルとヘビのように自身の手に巻きつけた挙句、齧った。
「うえっ、まずっ……やっぱり腸なんて喰えたもんじゃねえな」
ゴミのように腸を床へと放り投げた悪魔は、勝ち誇ったように笑う。
いまや、この地下室は血と臓物のにおいが充満していた。
平和と希望ではなく、残酷な死と絶望がここを蹂躙していた。
「俺のスパゲッティになった野郎も勇者になるとか、魔王を倒すとか、俺にしかできないとか、よく言えたもんだよな(笑) 自分だけは特別ってか? 別に特別じゃねえし。自己評価高過ぎだろ(笑) 一番大切にしなければならねえ自分の子どもを、こんな白髪頭のヨボヨボジジイになるまで放置して哀しい瞳のまま人生を送らせておいてよ。いくら年を取ろうが、心の傷は消えねえもんだよな。自分の息子だけの英雄になることを選択していれば、天寿を全うして、墓ン中で『Requiescat in pace(”安らかに眠れ”の意。英語ではRest in peace)』な状態だったろうに」
にんまりとした悪魔は、次にプリシラに視線を移した。
「きゃあああ!!!」
プリシラの体は宙に浮いた。
そして、逆さになった。
空中に逆さ吊りとなったプリシラのしなやかな両脚が大きく左右に開かれ……プリシラは真っ二つになった。
「プリシラぁぁぁ!!!」
叫んだのは長老であったのか、それとも自分であったのかはフェリックスには分からなかった。
プリシラの中にあった物が、寝台に横たわったままの血みどろの勇者の死体へと降り注ぐ。
悪魔は、二つに分かれた彼女を左右のそれぞれの壁へとぶん投げた。
「ああ、気の毒なプリシラ嬢。この男の曾孫にさえ生まれなければこんな目に遭うことなどなかったのに。身の程知らずな野望と叶うはずもない泡沫の夢の犠牲となった哀れな娘よ(笑) 割ってしまったカップはもう元には戻らない(笑) 割れてしまったプリシラももう元には戻らにゃああい(笑)」
「……貴様ぁぁ!!!」
長老の怒声が――涙とともに絞り出された怒声が――下から悪魔を突き刺さんとした。
自身の目の前で父親と孫娘を殺害された今の長老の心にあるのは、死への恐怖など遥かに凌ぐほどの感情であることのは明白であった。
「そう親の仇みたいに睨むなって。あ、事実、俺はお前の親の仇であり孫の仇か(笑) 俺が全てを無駄にしちまったからなあ。実はよ、ジジイ……俺は少しばかりお前にシンパシーを感じてんだ。考えの浅い親を持つと互いに苦労するよな。”俺の親父も一時退場の際に、勇者に向かって余計なことを吐き捨てやがったからよ”。復活予告なんてダセえことせずに、軽く伏線はっとくか、何の前触れもなくサプライズ的に魔王復活って展開にした方が面白いだろうに。てめえが考えなしに復活予告なんてしやがったせいで、子の俺がその尻拭いを……物語で言うなら魔王復活後の本編に差し障りがあるかもしれねえ勇者の種をこうして地道にちまちまと潰しにかかるって”プロローグ”になったワケよ。ま、お前にとっては”エピローグ”だけどな」
こいつは魔王の子だったのだ!
それよりも奴の目は今、長老に向けられている。
そのことが何を意味しているのか、フェリックスにも分かった。
長老には昔から可愛がってもらったし、大変に世話にもなった。
股を裂かれ無惨に殺されたプリシラだって、大事な幼馴染だった。
だが、それとこれとは話は別だ。
あの悪魔は次に長老を殺るつもりだ。
奴が長老を手にかけているうちに逃げれば、自分は助かるかもしれないのだ。
相手は悪魔だ。勝てるわけがない。
千年も生きていた妖精ですら、瞬殺されてしまったのだ。
我先にと逃げ出したフェリックス、そしてジェフ。
彼らはもつれあうようにして、出口を目指す。
そんな二人の目の前で、出口の扉は無情にもバターンと閉じられた。
「おーい、お前らジジイほっぽって逃げるなよ。お年寄りには親切にって習わなかったか? ま、ガチギレして俺を睨みつけているジジイよりもここで逃げるお前らの方が幾分も人間らしくて、可愛いねえ(笑)」
ああ、もう駄目だ。
隣のジェフが泣き喚いた。
「ほ、本来ならっ、私だけはこの村ともこの家とも無関係だったはずですっっ!! だっ、だからぁ、助けてくださいっっ! 私だけは見逃してくださいっっ!!」
「……ンで、そんなこと言うんだよぉ! 俺だって死にたくない! 頼むから、殺さないでくれェェ! 生きたい! 生きていたいんだぁあ!!」
フェリックス自身も、懇願の喚きを口から迸らせていた。
「それはダメダメーん(笑) お前らから見た俺は、殺しにかかってきたやべえ奴だろうけど、俺は俺で自分の使命を果たしにきただけだっての。この状況を俺の側から見てみろよ、俺は親父……いや、偉大なる魔王様に立てつこうとしている不埒な輩を単独で倒しにきたんだ。魔界の奴らから見たなら、俺こそが勇者だろ? ……さあ、早いところ終わらせて、久々に魔界に帰るとするか。”勇者、故郷に帰る”ってわけだ」
(完)
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