見えない愛【なずみのホラー便 第32弾】

なずみ智子

文字の大きさ
1 / 1

見えない愛

しおりを挟む
「お父さん、お母さん……私、子供が出来たの。だから、この人と結婚するわ」

 ”2つ並んだ座布団”の1つにきちんと正座したヨウコは、そう言った。
 まだまだ子供だと思っていたヨウコが、いつの間にやら恋をして、子供までをもすでに胎内に宿していることに、私は驚き、私の傍らに座る妻も驚いたようであった。

 思えば、私たちがヨウコを、自分たちの娘として、この集落に連れてきた”あの夜”から、もう20年以上の歳月が経っている。

 私たち夫婦の唯一無二の愛しい子供となったヨウコ。
 ヨウコと私たちが初めて出会った日の光景は、私だけでなく妻の心のアルバムの中でも、まるでつい先刻のことのように、”痛みとともに”思い出せた。


※※※


 青空の下、今を盛りとばかりに咲き誇る桜。
 5才のヨウコは、当時の彼女の両親に連れられ、そして1才違いの兄と妹とともに、お花見に来ていた。

 こうして、単に言葉で表したなら「家族みんなでのお花見」といった幸せな光景を思い浮かべる者が大半であるだろう。
 しかし、私と妻が見た光景は、そうではなかった。

 ヨウコの兄はヨウコの父親と手を繋ぎ、ヨウコの妹はヨウコの母親と手を繋いでいた。だが、ヨウコはただ一人、彼らの後ろを遅れまいと、見失うまいと必死でついていっていた。

 ヨウコの両親は、他のお花見客たちと同様、自分たちのお花見席を確保し、レジャーシートを広げた。
 父親はヨウコの兄の手を、母親はヨウコの妹の手を、おしぼりで優しく拭いてやっていた。
 しかし、彼らはヨウコの手を拭いてやるどころか、彼女には彼女用のおしぼりを差し出すことすらしなかった。

 ヨウコの両手は汚れたままで、ヨウコの爪の間には垢がたまっていることが、やや離れたところから彼女を見ている私たち夫婦にもはっきりと分かった。
 いや、ヨウコの兄と妹が毎日きちんと入浴させてもらい、清潔な状態を保たれているのだと仮定したなら、ヨウコが入浴させてもらったのは、おおよそ数日前であると予測できた。まだ肌寒さがわずかばかり残る、この春先とはいえ、本来はサラサラしているはずのヨウコの髪の毛は、油でギトギトとなっていたのだから。


 この異様な光景に気づき始めたのは、私たち夫婦だけではなかったらしい。
 他の花見客たちも、眉を顰め、ヒソヒソしながら、ヨウコたち家族の方をチラチラと見ていた。

 いかにも裕福そうで身綺麗な家族。
 その家族の輪から外された異分子のごとく、痩せこけて薄汚れた女児がレジャーシートの片隅に肩を縮こまらせて座っている。

 異様なだけじゃなく、胸が悪くなるような光景だ。
 しかし、他の花見客たちは皆、見ないふりを決め込んだらしかった。なぜなら、自分たちの家族が、子供が、守るべき者が傍らにいるのだから。関わり合いになりたくないというのが、本音であったのだろう。


 楽しそうにキャッキャッと笑ったヨウコの妹が、小さな手よりお茶をうっかりこぼしてしまった。
 すると、ヨウコの母親は……
「ほら、駄目じゃないの。でも、仕方ないわね。あなたは悪くないのよ。ぜーんぶ、ヨウコが悪いのよ」
 片隅で1人、かろうじて与えられた塩むすびを、汚れた両手でモソモソと口に運んでいたヨウコを振り返った。

「ホントだな。ヨウコは本当にダメな子だ。妹がお茶を飲む邪魔をするなんてなぁ」
 同じくヨウコを振り返った父親が笑う。

 ヨウコはただ座っていただけだ。
 妹がお茶を飲むことを邪魔するなど物理的に不可能でしかない。これは私たち夫婦だけでなく、誰が見ても分かることだ。ヨウコに一切の非などなかった。

「えーと、じゃあ、お父さん、お母さん、僕が昨日、一人で遊んでいてプラモデルを壊しちゃったのも、ヨウコのせいってことなの?」
 ツヤツヤのウィンナーを齧りながら、ヨウコの兄が問う。
「うん、そうよ。あれも、ヨウコが悪いのよ。あなたたちは何も悪くないの。家で起こる全ての悪いことは、全部ヨウコが引き起こしているの」
 母親がにっこりと笑い、父親も「その通りだ」とにっこりと頷く。

 その言葉を聞いたヨウコの妹は、ツヤツヤのいちごを口に運びながらあどけない顔で言う。
「そうなんだね。ぜーんぶ、ヨウコお姉ちゃんがいけないんだね。ヨウコお姉ちゃんはいけない子なんだね」

 まるで”透明人間のようであった”ヨウコは、彼女に一切の責任のない非を問われる時だけ、家族に振り返られていた。

 
 何と言う、胸糞の悪い光景であるのか?!
 私の傍らで、涙をこらえ切れなかったらしい妻が鼻を啜る音が聞こえた。

 この家族は、ヨウコを生贄にして、ストレス解消ならびに家族間のバランスを保っているのだ。
 そして、まだヨウコと同じく子供である彼女の兄や妹も、親となる資格などないのに親となってしまった畜生のごとき者たちに洗脳されつつあるのだ。いや、まだ畜生たちの方が、自分の血を分けた子供を愛し守ろうとするだろう。


 私たち夫婦は、ヨウコを救い出す決意をした。

 ヨウコたちが住んでいる家を尾行して突き止めた私たちは、最初はヨウコだけをこっそり連れ去ろうかと考えていた。
 しかし、ヨウコがいなくなった後は、残された兄か妹のどちらかが”第2のヨウコ”となるかもしれない。
 それに、ヨウコの両親はそれぞれの見た目から推測するに、まだ充分に子作り可能な年齢だ。新たな子供を”第2のヨウコ”とするために、誕生させてしまう可能性だってある。


 私たち夫婦も、いかなる理由があろうと”殺人”は許されないことであると、理解はしているし、理性だって働く。
 けれども、家族間での虐待という地獄の中にいるヨウコを救い出すだけでなく、あの狂った親たちの被害者となる子供をこれ以上出さないために、そうすることが最善の策であると判断したのだ。
 この判断は、ヨウコが無事に20才を超えることができた今でも、間違ってはいなかったと正直なところ、思っている。


 夜、ヨウコの家へと忍び込んだ私は、リビングにいたヨウコの父親の首を背後から絞めた。
 そして、私の妻は、同じくリビングにいたヨウコの母親の首を背後から絞めた。

 奴らの殺し方については、妻ともいろいろ話し合ったが、絞殺が一番いいという結論が出た。なぜなら、血が出ないからだ。返り血を浴びないことは、私たち夫婦にとって、何よりも大切なのだ。

 ヨウコの両親を、それぞれ殺害した私たち夫婦。
 掃除が行き届いたリビングの床は、口から舌をはみ出させてだらしなく転がっているヨウコの両親の尿や便、口だけでなく耳や鼻から流れる液体で、みるみるうちに汚れていっていた。

 そして、ただらなぬ物音や呻きを聞いてしまったのか、就寝中であったらしいヨウコの兄と妹が、”私たちの足元で”事切れたばかりの両親が転がっているリビングへとやってきたのだ。

 しかし、私も妻も、ヨウコの兄と妹は殺さなかった。
 彼らはまだ子供なのだ。
 彼らも、歪んだ両親に洗脳されつつあったのは間違いないが、彼らのこれから先の人生において、良識と思いやりのある大人との”暮らし”や出会いによって、更生する余地があることを、私も妻も願わずにはいられなかったからだ。


 それから、私たち夫婦は、使い古されペタンコとなっている薄いタオルケットにくるまり、”2階の廊下で”目を固く閉じて眠っていたヨウコの元へと向かった。
 妻がヨウコを抱き上げ、胸の中で抱きしめた時、ヨウコは驚いた顔をしていた。だが、ヨウコは何よりも求めていた”ぬくもり”を感じたのか、妻の胸の中で声をあげて泣いた。
 それは私たちが血のつながりは無くとも、家族となった瞬間であった。目には見えなくても、確かな愛を感じた瞬間であった。


 私たちは、ヨウコを自分たちの娘として、この集落に連れてきた。
 最初は戸惑うことが多かったヨウコであったが、次第に私たちの集落での掟や生活の仕方を飲み込んでいったようであった。
 それは、私たちの集落にも数人はヨウコと同じ者がいたためであるだろう。
 さすがに、ヨウコを学校に行かせることはできなかったため、私たちは読み書きを教え、ヨウコはこの集落で20年以上の歳月を健やかに重ねていった。


 そして、ヨウコの両親を殺害し、ヨウコを現場から連れ去った私たちは夫婦の元には、警察の捜査の手すら伸びてくることはなかった。捜査の手が伸びてくるはずがないと存分に理解していたからこそ、私たちは凶行に及んだのだ。
 永遠の未解決事件となった”あの事件”の夜、現場付近で不審な者たちを見たという目撃情報も皆無であれば、殺害されたばかりの両親の元へと駆け付けてきたヨウコの兄や妹だって、私たち夫婦の姿を”見てはいない”のだ。見えるわけがないのだ。

 そう、私たち夫婦は”透明人間”なのだから。

 私たちの集落は、透明人間たちが集まり、自給自足で生活をしている。
 集落の中には、透明人間ではなく、自ら望んでこの集落に骨を埋めることを選択した”見える者”もいれば、ヨウコのように幼い頃に救い出されて、ここへとやってきた者もいたのだ。


※※※


 私たち夫婦の唯一無二の愛しい子供となったヨウコ。
 そのヨウコの傍らには、ヨウコのお腹の子供の父親であり、私たちの義理の息子となる同じ集落の若者が、きちんと正座して座っていることが”2つ並んだ座布団”の1つのへこみで分かった。

「お父さん、お母さん……私、本当に幸せだったよ。お父さんやお母さんの姿は見えなくても、2人のぬくもりを、優しい眼差しを、いつも感じていた。この目に見えなくても、2人からの愛を感じていた」

 ヨウコの目に涙が光る。
 私の傍らの妻がすすり泣く。なんと、義理の息子となる青年も、もらい泣きしているらしい音が聞こえた。

「これから、もっともっと幸せになるんだよ。ヨウコ……」

 何とか声を絞り出すことができた私の瞳からも、ついに涙が溢れ出した。
 私たち夫婦の”孫”が、ヨウコと同じく”見える者”であるのか、それとも私たち夫婦や義理の息子同様に透明人間であるのかは分からない。
 でも、私たちは愛し続けよう。愛は見えなくとも、言葉や眼差しで示すことができるのがから。


 滲んだ私の瞳に、窓の外に広がる青空が映った。
 その青空の下、この世のものも思えぬほど 絶佳な桜たちが、見えない愛に包まれた私たち家族を祝福するかのごとく咲き誇っていた。



―――完―――
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた

兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

悪役令嬢は手加減無しに復讐する

田舎の沼
恋愛
公爵令嬢イザベラ・フォックストーンは、王太子アレクサンドルの婚約者として完璧な人生を送っていたはずだった。しかし、華やかな誕生日パーティーで突然の婚約破棄を宣告される。 理由は、聖女の力を持つ男爵令嬢エマ・リンドンへの愛。イザベラは「嫉妬深く陰険な悪役令嬢」として糾弾され、名誉を失う。 婚約破棄をされたことで彼女の心の中で何かが弾けた。彼女の心に燃え上がるのは、容赦のない復讐の炎。フォックストーン家の膨大なネットワークと経済力を武器に、裏切り者たちを次々と追い詰めていく。アレクサンドルとエマの秘密を暴き、貴族社会を揺るがす陰謀を巡らせ、手加減なしの報復を繰り広げる。

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

処理中です...