『無価値な置物』と捨てられた宮廷調香師~絶望の匂いしか知らない私が、盲目の辺境伯様に「君こそが光の香りだ」と抱きしめられるまで~

しょくぱん

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王都の崩壊

第18話:消えた「身代わりの盾」

 王宮の地下、最深部。そこには代々の王家が秘匿してきた「国の霊脈」を監視する大魔導具が存在する。
 カイルがエルゼを追い出し、イザベルが瘴気を暴発させたあの日から、この部屋の魔導針は振り切れたまま戻ることはなかった。

「……ありえない。こんな数字、何かの間違いだ!」

 王立魔導院の賢者たちが、顔を青白くさせて計器を叩いていた。
 彼らは今まで、エルゼを「ただの調香師」だと侮っていた。王太子の傍らで、控えめに花の香りを漂わせているだけの、従順な娘だと。

「賢者様、どういうことですか! 説明してください!」

 血走った目で怒鳴り込んできたカイルに、賢者の筆頭である老魔導師が、震える手で羊皮紙を差し出した。

「殿下……。我々は、とんでもない過ちを犯していたようです。エルゼ・ベルンシュタイン嬢……彼女は単なる調香師ではなかった。彼女自身が、この国全土から湧き出る瘴気を吸い上げ、体内で無害化する『生ける浄化の盾』そのものだったのです」

「……何だと?」

「見てください。この霊脈のログを。過去十年、彼女が王宮に入ってから、この国の瘴気濃度は異常なまでに低く保たれていました。彼女は、王宮の華やかな香りの裏で、毎日、常人なら数秒で発狂する量の毒を、一人で飲み込み続けていたのですよ……!」

 カイルの喉が、ヒュッと鳴った。

 彼は思い出した。エルゼが時折、顔色の悪いまま「少し休ませてください」と懇願してきたことを。彼はそれを「虚弱な女だ」と一蹴し、「婚約者の務めを果たせ」と社交界に連れ回していた。
 彼女は、死ぬほどの激痛に耐えながら、カイルの隣で「国の汚れ」を浄化し続けていたのだ。

「彼女という盾がいなくなった今、王宮に溜まっていた数十年分の負のエネルギーが、一気に噴出しています。イザベル様がされたことは……あろうことか、その溢れ出た猛毒に火をつけたに等しい」

「……あいつを戻せば、また元通りになるんだろう!? 彼女をあの地下室に戻し、また瘴気を吸わせれば……!」

 カイルの言葉に、賢者は悲しげに首を振った。

「無理です。彼女の体は、追放された時点で限界を超えていました。それでも国が保っていたのは、彼女の『祈り』があったからだ。……愛した男に、そして愛した国に裏切られた彼女が、再びその命を削ってまで、我々を守る理由がどこにありましょうか?」

「黙れ! 理由など、私が作ってやる!」

 カイルは賢者の胸ぐらを掴み、突き飛ばした。
 彼の耳には、もう正論など届かない。
 自分たちがエルゼに残忍な仕打ちをしたという罪悪感を消す方法はただ一つ。彼女を再び「道具」として手元に置き、支配下に置くことだけだ。

 ◇◇◇

 その頃、王都の街中では「避難」を通り越した「大脱走」が始まっていた。

「逃げろ! 王宮から黒い霧が来ているぞ!」
「もうダメだ、家畜が全部死んじまった!」

 貴族たちも、私財を馬車に詰め込み、門番の静止を振り切って街を出る。彼らが向かう先は、ただ一つ。
 「香りの聖女」が住むという、辺境伯領。
 
 皮肉なことに、カイルが「ゴミ捨て場」として選んだその場所だけが、今やこの国で唯一、呼吸ができる場所となっていた。

 ◇◇◇

 辺境伯領、離宮のテラス。
 エルゼは、ジークヴァルトが淹れてくれた紅茶の香りを静かに楽しんでいた。

「……エルゼ。王都の使者が、すぐそこまで来ているようだ。それも、ただの使者ではない。武装した騎士団だ」

 ジークヴァルトが、低く冷たい声で告げる。
 エルゼはカップを置いた。その指先は、もう震えていなかった。
 隣に、自分を信じ、命をかけて守ると言ってくれる人がいる。それだけで、彼女の心にはどんな瘴気も通さない、本当の結界が張られていた。

「ジークヴァルト様。私、彼らに言わなければならないことがあります」

「ああ。好きにするがいい。お前の後ろには、常に俺がいる」

 離宮の正門へと続く一本道。
 もうもうと土煙を上げ、カイルの命を受けた騎士団が姿を現した。
 
 かつてエルゼを泥の中に突き飛ばした、傲慢な王都の象徴が、今度は「救い」を求めて、あるいは「奪う」ために、牙を剥いてやってくる。
 
 本当の「ざまぁ」は、ここからが本番だった。
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