妹ばかり可愛がる両親と婚約者に愛想を尽かして家を出たら、世界最強の竜騎士に「ずっと探していた」とプロポーズされました。

しょくぱん

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第8話:元婚約者の後悔、縋りつく哀れな男

ランバート伯爵邸での夜会から数日。王都の話題は、ミーナの無様な自滅と、私の「測定不能」な魔力の噂で持ち切りだった。
 
 かつて私を「無能」と蔑み、石を投げた人々は、今や手のひらを返したように私を称賛し、ライネルト公爵邸には連日のようにすり寄るための手紙が山をなしている。
 
 シグルド様はそれらすべてを「不浄な紙屑だ」と切り捨て、私の目に触れる前に暖炉へと放り込んでいた。
 
 そんなある日の午後。シグルド様が軍の執務で席を外していた時、応接間に招かれざる客が現れた。
 
「エルサ!会いたかった、私の愛しいエルサ!」
 
 聞き覚えのある、薄っぺらで不快な声。
 
 そこに立っていたのは、かつての私の婚約者――ジェイク・フォン・バートリ子爵だった。
 
 彼は以前のような傲慢な態度はどこへやら、やつれた顔に必死の笑みを貼り付け、両手を広げて私に歩み寄ってくる。
 
「……バートリ子爵。何の御用でしょうか。ここは公爵邸です、不審な真似をすれば衛兵に捕らえられますよ」
 
 私はソファから立ち上がることなく、冷ややかな視線を向けた。
 
 かつてはこの男に捨てられた際、世界が終わるような絶望を感じた。けれど今、目の前にいる男を見ても、心には一欠片の揺らぎさえ起きない。
 
 ただ、不潔な汚物を見るような不快感があるだけだ。
 
「子爵だなんて他人行儀な!君のジェイクだよ。あの時は悪かった。ミーナの毒牙に惑わされ、本心ではないことを言ってしまったんだ。私が本当に愛しているのは、君だけなんだよ!」
 
 ジェイクは私の足元に跪こうとした。
 
 その必死な姿には、愛など微塵もない。あるのは、最強の魔力を持つ私を再び手に入れ、シグルド様という巨大な後ろ盾からのおこぼれに預かりたいというだけだ。
 
「ミーナのせいにするのですか?あの日、雨の中で私を突き飛ばし、『無能は家畜小屋で十分だ』と言い放ったのは、紛れもない貴方自身だったはずですが」
 
「それは……あれは照れ隠しというか、その、君を奮い立たせるための愛の鞭で……!」
 
 あまりの言い草に、私は呆れを通り越して笑いが込み上げてきた。
 
「愛の鞭、ですか。では、その鞭を振るった相手に、今は縋りつこうというのですね。あまりに無様ですわ、ジェイク様」
 
「頼む、エルサ!君が戻ってくれないと、バートリ家は……父上が公爵閣下に睨まれて、商権をすべて止められてしまったんだ!君が、君の一言があればすべて元通りになるんだ!」
 
 やはり、それが目的か。
 
 シグルド様は、私が知らないところで、すでにこの男の家門を追い詰めていたのだ。
 
 ジェイクは私のスカートの裾に手を伸ばそうとした。その不浄な手が私に触れようとした、その瞬間。
 
「――その手を、今すぐ引け。さもなくば、腕ごと焼き切るぞ」
 
 応接間の扉が音を立てて開き、冷酷な重低音じゅうていおんが室内の空気を一瞬で凍りつかせた。
 
 シグルド様だ。
 
 彼はまだ軍服を脱ぐ暇もなかったのか、血と鉄の匂いを微かに纏わせ、猛獣のような足取りで入ってきた。
 
「し、シグルド公爵閣下……!これは、その、昔馴染みの挨拶を……!」
 
 ジェイクは跳ね起きるように後退りし、顔色を土色に変える。
 
 シグルド様は私の隣に座ると、当然のように私の肩を抱き寄せ、その首筋に顔を埋めた。
 
 それは、ジェイクに見せつけるためのだった。
 
「昔馴染み?貴様が、俺のエルサを傷つけ、泥の中に放置した男か。よくもまあ、生きてこの屋敷の敷居を跨げたものだ」
 
 シグルド様の手が、私の腰で微かに震えている。それは怒りを抑えきれないための震えだ。
 
「閣下、誤解です!私は彼女の才能を信じて……!」
 
「黙れ、蛆虫が。貴様の声を聞くだけで、エルサの耳が汚れる」
 
 シグルド様が指を鳴らすと、影から黒衣の騎士たちが音もなく現れた。
 
「この男を地下牢へ運べ。エルサを不快にさせた罪、そして公爵夫人となる女性に不当に接触した不敬罪で、徹底的に|教育をしてやれ。バートリ家の爵位剥奪の手続きも、予定通り進めろ」
 
「な……爵位剥奪!?待ってください、エルサ!助けてくれ!」
 
 ジェイクは騎士たちに引きずられながら、無様に私の名前を叫び続けた。
 
 だが、その声が聞こえなくなるまで、私は一度も彼を振り返ることはなかった。
 
 残された静寂の中で、シグルド様は私の頬を両手で包み、祈るように額を合わせた。
 
「すまない、エルサ。こんな不快な思いをさせてしまった。俺がもっと早く、あの男を始末しておくべきだった」
 
「……いいえ、シグルド様。私、あの方に何を言われても、もう何とも思わなかったんです。それよりも、貴方の手がこんなに温かいことが、嬉しいんです」
 
 私の言葉に、シグルド様の瞳に切なげな、それでいて狂おしいほどの愛着が灯る。
 
 彼は私の唇に、吸い付くような深い口づけを落とした。
 
「愛している、エルサ。貴女の過去も、現在も、未来のすべてを、俺が奪い尽くしてやる」
 
 彼の独占欲は、もはやとどまるところを知らなかった。
 
 それは恐怖を伴うほどに重いが、私にとっては、世界で唯一確かな「愛」の重みだった。
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