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第14話:届かなかった手紙
アルベルトは、これまで一度も足を踏み入れたことのない、本邸の隅にある屋根裏部屋にいた。
カビ臭い空気、傾いた簡素なベッド。公爵令嬢が住むにはあまりに惨めなその場所で、彼は一冊の古い日記帳を見つけた。
ページをめくる手が、止まらない。
『○月○日。今日も殿下は元気に演習へ。遠くから背中が見えた。それだけで私の胸の痛みは消える。神様、どうか明日も彼が笑えますように』
初期の端正な文字は、後半に進むにつれ、見るに耐えないほど大きく、歪に崩れていく。視力を失い、震える手で懸命に記されたその痕跡は、彼女の命の削り屑そのものだった。
『……文字が、よく見えません。でも、殿下の喉の痛みが私に移ったということは、殿下はもう苦しくないということ。……うれしい。代わってあげられて、本当によかった』
アルベルトは、胃の底からせり上がる吐き気を抑えられなかった。
彼が「体調がいい」とリリアーヌに感謝していたその裏で、この屋根裏の暗闇の中、エルゼは一人で血を吐き、視力を捧げ、彼のために微笑んでいたのだ。
日記の最後には、地下牢で彼が「死ね」と読み間違えた、あの唇の動きの答えが記されていた。
『もし、この声が届かなくなっても。もし、私があなたの前から消えても。……どうか、自分を責めないでください。あなたを愛したのは、私の勝手な幸せだったから』
「あああああぁぁッ!!」
アルベルトは日記を胸に抱き、床に突っ伏した。
独房であの日、彼女が必死に刻もうとした石畳の文字を思い出す。自分が「呪詛」だと断じ、軍靴で踏みにじったあの文字。あれは呪いなどではなく、死の淵にいた彼女が、自分に遺そうとした最後の「祈り」だったのだ。
自分が愛していたのは「自分を救った偽物」ではなく、自分を救うために「自分を犠牲にし続けた真実」を、その手で殺し続けてきたという事実。
「エルゼ……、すまない……、私は、私はなんてことを……!!」
嗚咽が、無人の屋根裏部屋に虚しく響く。
どんなに謝罪しても、失われた彼女の瞳にはもう、彼の姿は映らない。焼けた喉からは、二度と彼の名を呼ぶ声は聞こえない。
アルベルトは、自分自身が世界で最も忌むべき存在であることを、逃げ場のない真実として突きつけられていた。
カビ臭い空気、傾いた簡素なベッド。公爵令嬢が住むにはあまりに惨めなその場所で、彼は一冊の古い日記帳を見つけた。
ページをめくる手が、止まらない。
『○月○日。今日も殿下は元気に演習へ。遠くから背中が見えた。それだけで私の胸の痛みは消える。神様、どうか明日も彼が笑えますように』
初期の端正な文字は、後半に進むにつれ、見るに耐えないほど大きく、歪に崩れていく。視力を失い、震える手で懸命に記されたその痕跡は、彼女の命の削り屑そのものだった。
『……文字が、よく見えません。でも、殿下の喉の痛みが私に移ったということは、殿下はもう苦しくないということ。……うれしい。代わってあげられて、本当によかった』
アルベルトは、胃の底からせり上がる吐き気を抑えられなかった。
彼が「体調がいい」とリリアーヌに感謝していたその裏で、この屋根裏の暗闇の中、エルゼは一人で血を吐き、視力を捧げ、彼のために微笑んでいたのだ。
日記の最後には、地下牢で彼が「死ね」と読み間違えた、あの唇の動きの答えが記されていた。
『もし、この声が届かなくなっても。もし、私があなたの前から消えても。……どうか、自分を責めないでください。あなたを愛したのは、私の勝手な幸せだったから』
「あああああぁぁッ!!」
アルベルトは日記を胸に抱き、床に突っ伏した。
独房であの日、彼女が必死に刻もうとした石畳の文字を思い出す。自分が「呪詛」だと断じ、軍靴で踏みにじったあの文字。あれは呪いなどではなく、死の淵にいた彼女が、自分に遺そうとした最後の「祈り」だったのだ。
自分が愛していたのは「自分を救った偽物」ではなく、自分を救うために「自分を犠牲にし続けた真実」を、その手で殺し続けてきたという事実。
「エルゼ……、すまない……、私は、私はなんてことを……!!」
嗚咽が、無人の屋根裏部屋に虚しく響く。
どんなに謝罪しても、失われた彼女の瞳にはもう、彼の姿は映らない。焼けた喉からは、二度と彼の名を呼ぶ声は聞こえない。
アルベルトは、自分自身が世界で最も忌むべき存在であることを、逃げ場のない真実として突きつけられていた。
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