17 / 30
第17話:真実の重圧
その日の離宮は、窓を叩く激しい雨音に支配されていた。
アルベルトは、自室の椅子に深く腰掛け、暗闇の中で一点を見つめていた。その瞳には、かつて王族として持っていた傲慢な光はなく、ただ底知れない虚無と、自身の心臓が刻む「見知らぬ鼓動」への違和感だけが宿っている。
「……リリアーヌ、ここへ来い」
低く、地を這うような声に呼ばれ、金髪を美しく整えたリリアーヌが、微かに肩を震わせながら入室してきた。彼女は最近、焦っていた。アルベルトを救った功績で「聖女」としての地位を不動のものにしたはずなのに、肝心のアルベルト本人が、自分を見るたびに吐き気を催すような拒絶の目を向けてくるからだ。
「アルベルト様、お呼びでしょうか。お体は……まだ疼きますの? さあ、わたくしの祈りで、その不快な鼓動を鎮めて差し上げますわ」
リリアーヌが、いつものように慈愛に満ちた笑みを浮かべ、アルベルトの胸元に手を伸ばそうとした。その瞬間、アルベルトが彼女の手首を鋼のような力で掴み上げた。
「……っ! 痛いですわ、アルベルト様! 何を……!」
「祈れ。今、ここでだ」
アルベルトの瞳が、獣のような鋭さでリリアーヌを射抜く。
「お前は私を救ったと言った。ならば、なぜお前が触れるたび、私の心臓はこれほどまでに悲鳴を上げる? なぜ、お前の魔力はこれほどまでに……『他人事』のように冷たく、浅ましいのだ?」
「そ、れは……殿下がまだお疲れだからですわ! わたくしの力は……っ」
「試させてもらう」
アルベルトは、傍らに置いていた古い書物をリリアーヌの前に投げ出した。それは、聖女の家系にのみ伝わる、魔力の系譜を鑑定する魔道具の一種だった。
「これに魔力を流せ。もし、私の体の中に流れているこの『命の核』が、お前の魔力と同一のものであるならば、この石は黄金に輝くはずだ。だが……」
アルベルトの指先が、リリアーヌの喉元に触れる。
「もし、お前が私に嘘をついているのだとしたら。この命が、お前の犠牲になった『誰か』のものであるとしたら。……私は、お前を万死に値する大罪人として処刑する」
「……あ、……ぁ……」
リリアーヌの顔から、一気に血の気が引いた。彼女にそんな力はない。これまでは、エルゼから吸い上げた魔力を自分という「フィルター」を通してアルベルトに流し込んでいただけだ。だが今、アルベルトの体内にあるのは、フィルターを通さない純粋なエルゼの「魂の核」そのもの。リリアーヌの濁った魔力が合うはずもなかった。
「流せ。さもなくば、今ここでその首を撥ねる」
アルベルトの殺気に、リリアーヌはついに理性の糸を切らした。彼女は床に崩れ落ち、狂ったように叫び始めた。
「無理ですわ! 無理に決まってますわ!! あの女が……あの不気味なエルゼが、勝手に自分の命を全部差し出したんですもの! わたくしの魔力なんて、もう届くはずがないわ!」
「……何だと?」
アルベルトの全身が、一瞬で凍りついた。
「どういう意味だ。今、何と言った」
「……っ! ああ、もういいわ! ええ、そうですわよ! 殿下をずっと癒やしてきたのは、わたくしではなく、あのアリのような女、エルゼよ! 殿下が戦場で負った傷も、病の痛みも、全部あの女に流し込んでいただけ! 殿下が『癒やされた』と感じていたその瞬間、エルゼは隣の部屋で血を吐いてのたうち回っていたんですわ!!」
リリアーヌの口から溢れ出したのは、あまりにも醜悪で、あまりにも残酷な真実の濁流だった。
「殿下が彼女を『汚らわしい』と打つたび、彼女は殿下の拳の痛みまで引き受けて泣いていましたわ。殿下が彼女に『死ね』と言ったあの晩、彼女は殿下のために毒を煽って、自分の声を焼き切ったんです! 全部、全部あの子が勝手にやったことよ! わたくしはただ、それを有効活用して差し上げただけ……ッ!!」
ドクン。
アルベルトの胸の中で、エルゼの鼓動が、悲鳴のように激しく跳ねた。
「……私が、……彼女を……」
視界が真っ赤に染まった。
脳裏に浮かぶのは、地下牢で、雨の廊下で、絶望的な瞳を向けながらも、決して自分を恨まなかった白銀の少女の姿。
自分が「初恋の面影がない」と罵り、土足で踏みにじってきたあのボロボロの手が、実は自分の命を、魂を、10年間ずっと、たった一人で支え続けてきた唯一の手だった。
「私は……何をしてきたんだ……」
アルベルトは、自分の手を見つめた。
この手で、彼女の頬を打った。
この手で、彼女を汚物のように突き放した。
この手で、自分を救い続けてきた聖女を、魔女だと決めつけ、地獄へ突き落とした。
「……ああ、ああああああああああああッ!!!」
アルベルトは、自らの髪を掻きむしり、獣のような咆哮を上げた。
怒りではない。それは、自分という存在そのものへの、耐え難いほどの嫌悪と絶望だった。
リリアーヌが必死に命乞いをする声も、もはや耳には届かない。
アルベルトの胸に刻まれた白銀の痣が、真実を理解した主の絶望に呼応するように、黒ずんだ毒の色を帯びて脈打ち始める。
彼女は、何も言わなかった。
声を奪われ、光を奪われ、命さえも差し出したその瞬間まで、彼女はただ、自分を生かすことだけを願っていた。
自分が浴びせ続けた数えきれないほどの罵倒を、彼女はどんな思いで受け止めていたのか。
「殺してくれ……。誰か、私を殺してくれ……ッ!!」
アルベルトは、床に額を打ち付け、子供のように号泣した。
救われたはずのこの体は、今や一秒ごとに、愛した女性を殺し続けているという「罪の証明」へと成り果てていた。
雨音は、さらに激しさを増していく。
それはまるで、10年もの間、たった一人で耐え忍んできたエルゼの、音のない涙のようだった。
アルベルトは、自室の椅子に深く腰掛け、暗闇の中で一点を見つめていた。その瞳には、かつて王族として持っていた傲慢な光はなく、ただ底知れない虚無と、自身の心臓が刻む「見知らぬ鼓動」への違和感だけが宿っている。
「……リリアーヌ、ここへ来い」
低く、地を這うような声に呼ばれ、金髪を美しく整えたリリアーヌが、微かに肩を震わせながら入室してきた。彼女は最近、焦っていた。アルベルトを救った功績で「聖女」としての地位を不動のものにしたはずなのに、肝心のアルベルト本人が、自分を見るたびに吐き気を催すような拒絶の目を向けてくるからだ。
「アルベルト様、お呼びでしょうか。お体は……まだ疼きますの? さあ、わたくしの祈りで、その不快な鼓動を鎮めて差し上げますわ」
リリアーヌが、いつものように慈愛に満ちた笑みを浮かべ、アルベルトの胸元に手を伸ばそうとした。その瞬間、アルベルトが彼女の手首を鋼のような力で掴み上げた。
「……っ! 痛いですわ、アルベルト様! 何を……!」
「祈れ。今、ここでだ」
アルベルトの瞳が、獣のような鋭さでリリアーヌを射抜く。
「お前は私を救ったと言った。ならば、なぜお前が触れるたび、私の心臓はこれほどまでに悲鳴を上げる? なぜ、お前の魔力はこれほどまでに……『他人事』のように冷たく、浅ましいのだ?」
「そ、れは……殿下がまだお疲れだからですわ! わたくしの力は……っ」
「試させてもらう」
アルベルトは、傍らに置いていた古い書物をリリアーヌの前に投げ出した。それは、聖女の家系にのみ伝わる、魔力の系譜を鑑定する魔道具の一種だった。
「これに魔力を流せ。もし、私の体の中に流れているこの『命の核』が、お前の魔力と同一のものであるならば、この石は黄金に輝くはずだ。だが……」
アルベルトの指先が、リリアーヌの喉元に触れる。
「もし、お前が私に嘘をついているのだとしたら。この命が、お前の犠牲になった『誰か』のものであるとしたら。……私は、お前を万死に値する大罪人として処刑する」
「……あ、……ぁ……」
リリアーヌの顔から、一気に血の気が引いた。彼女にそんな力はない。これまでは、エルゼから吸い上げた魔力を自分という「フィルター」を通してアルベルトに流し込んでいただけだ。だが今、アルベルトの体内にあるのは、フィルターを通さない純粋なエルゼの「魂の核」そのもの。リリアーヌの濁った魔力が合うはずもなかった。
「流せ。さもなくば、今ここでその首を撥ねる」
アルベルトの殺気に、リリアーヌはついに理性の糸を切らした。彼女は床に崩れ落ち、狂ったように叫び始めた。
「無理ですわ! 無理に決まってますわ!! あの女が……あの不気味なエルゼが、勝手に自分の命を全部差し出したんですもの! わたくしの魔力なんて、もう届くはずがないわ!」
「……何だと?」
アルベルトの全身が、一瞬で凍りついた。
「どういう意味だ。今、何と言った」
「……っ! ああ、もういいわ! ええ、そうですわよ! 殿下をずっと癒やしてきたのは、わたくしではなく、あのアリのような女、エルゼよ! 殿下が戦場で負った傷も、病の痛みも、全部あの女に流し込んでいただけ! 殿下が『癒やされた』と感じていたその瞬間、エルゼは隣の部屋で血を吐いてのたうち回っていたんですわ!!」
リリアーヌの口から溢れ出したのは、あまりにも醜悪で、あまりにも残酷な真実の濁流だった。
「殿下が彼女を『汚らわしい』と打つたび、彼女は殿下の拳の痛みまで引き受けて泣いていましたわ。殿下が彼女に『死ね』と言ったあの晩、彼女は殿下のために毒を煽って、自分の声を焼き切ったんです! 全部、全部あの子が勝手にやったことよ! わたくしはただ、それを有効活用して差し上げただけ……ッ!!」
ドクン。
アルベルトの胸の中で、エルゼの鼓動が、悲鳴のように激しく跳ねた。
「……私が、……彼女を……」
視界が真っ赤に染まった。
脳裏に浮かぶのは、地下牢で、雨の廊下で、絶望的な瞳を向けながらも、決して自分を恨まなかった白銀の少女の姿。
自分が「初恋の面影がない」と罵り、土足で踏みにじってきたあのボロボロの手が、実は自分の命を、魂を、10年間ずっと、たった一人で支え続けてきた唯一の手だった。
「私は……何をしてきたんだ……」
アルベルトは、自分の手を見つめた。
この手で、彼女の頬を打った。
この手で、彼女を汚物のように突き放した。
この手で、自分を救い続けてきた聖女を、魔女だと決めつけ、地獄へ突き落とした。
「……ああ、ああああああああああああッ!!!」
アルベルトは、自らの髪を掻きむしり、獣のような咆哮を上げた。
怒りではない。それは、自分という存在そのものへの、耐え難いほどの嫌悪と絶望だった。
リリアーヌが必死に命乞いをする声も、もはや耳には届かない。
アルベルトの胸に刻まれた白銀の痣が、真実を理解した主の絶望に呼応するように、黒ずんだ毒の色を帯びて脈打ち始める。
彼女は、何も言わなかった。
声を奪われ、光を奪われ、命さえも差し出したその瞬間まで、彼女はただ、自分を生かすことだけを願っていた。
自分が浴びせ続けた数えきれないほどの罵倒を、彼女はどんな思いで受け止めていたのか。
「殺してくれ……。誰か、私を殺してくれ……ッ!!」
アルベルトは、床に額を打ち付け、子供のように号泣した。
救われたはずのこの体は、今や一秒ごとに、愛した女性を殺し続けているという「罪の証明」へと成り果てていた。
雨音は、さらに激しさを増していく。
それはまるで、10年もの間、たった一人で耐え忍んできたエルゼの、音のない涙のようだった。
あなたにおすすめの小説
奪われる人生とはお別れします 婚約破棄の後は幸せな日々が待っていました
水空 葵
恋愛
婚約者だった王太子殿下は、最近聖女様にかかりっきりで私には見向きもしない。
それなのに妃教育と称して仕事を押し付けてくる。
しまいには建国パーティーの時に婚約解消を突き付けられてしまった。
王太子殿下、それから私の両親。今まで尽くしてきたのに、裏切るなんて許せません。
でも、これ以上奪われるのは嫌なので、さっさとお別れしましょう。
◇2024/2/5 HOTランキング1位に掲載されました。
◇第17回 恋愛小説大賞で6位&奨励賞を頂きました。
◇レジーナブックスより書籍発売中です!
本当にありがとうございます!
幼馴染が最優先な婚約者など、私の人生には不要です。
たると
恋愛
シュタイン伯爵家の長女エルゼは、公爵子息フィリップに恋をしていた。
彼の婚約者として選ばれた時は涙を流して喜んだが、その喜びもいまは遠い。
『君は一人でも大丈夫だろう。この埋め合わせは必ずする。愛している』
「……『愛している』、ですか」
いつも幼馴染を優先するアルベルトに、恋心はすっかり冷めてしまった。
幼馴染しか見えない婚約者と白い結婚したので、夜明け前にさよならしました
ゆぷしろん
恋愛
公爵令嬢レティシアは、家同士の都合で伯爵アルフレッドに嫁ぐ。
けれど夫は結婚後もずっと幼馴染のシルヴィばかりを優先し、婚礼の夜から夫婦として触れ合おうともしなかった。名ばかりの妻として伯爵家を支え、領地経営まで立て直しても、彼にとってレティシアは“都合のいい伯爵夫人”でしかない。
やがて結婚一周年の夜、アルフレッドが自分を手放す気はない一方で、幼馴染を屋敷に迎え入れようとしている会話を聞いてしまったレティシアは、ついに決意する。
――もう、この結婚には見切りをつけよう。
夜明け前、彼女は離縁の準備を整え、伯爵邸を出奔。
身を寄せた北の港町で薬舗を手伝いながら、自分の力で生きる穏やかな日々を手に入れていく。そこで出会ったのは、身分ではなく一人の女性として彼女を尊重してくれる青年医師ノアだった。
一方、都合よく尽くしてくれる妻を失ったアルフレッドは、ようやく自分が何を失ったのかを思い知ることになる。
幼馴染ばかりを優先する婚約者との白い結婚に終止符を打ち、傷ついた公爵令嬢が新天地で本当の幸せを掴む、離縁から始まる逆転ラブストーリー。
【本編完結】初恋のその先で、私は母になる
妄夢【ピッコマノベルズ連載中】
恋愛
第19回恋愛小説大賞にて、奨励賞を受賞いたしました。読者の皆様のおかげです!本当ありがとうございます。
王宮で12年働き、気づけば28歳。
恋も結婚も遠いものだと思っていたオリビアの人生は、憧れの年下公爵と一夜を共にしたことで大きく動き出す。
優しく守ろうとする彼。
けれどオリビアは、誰かに選ばれるだけの人生を終わらせたいと思っていた。
揺れる想いの中で、彼女が選んだのは――
自分の足で立ち、自分の未来を選ぶこと。
これは、一人の女性が恋を通して自分を取り戻し、母として、そして一人の人間として強くなっていく物語。
※表紙画像はAI生成イラストをつかっています。
【完結】愛とは呼ばせない
野村にれ
恋愛
リール王太子殿下とサリー・ペルガメント侯爵令嬢は六歳の時からの婚約者である。
二人はお互いを励まし、未来に向かっていた。
しかし、王太子殿下は最近ある子爵令嬢に御執心で、サリーを蔑ろにしていた。
サリーは幾度となく、王太子殿下に問うも、答えは得られなかった。
二人は身分差はあるものの、子爵令嬢は男装をしても似合いそうな顔立ちで、長身で美しく、
まるで対の様だと言われるようになっていた。二人を見つめるファンもいるほどである。
サリーは婚約解消なのだろうと受け止め、承知するつもりであった。
しかし、そうはならなかった。
旦那様は離縁をお望みでしょうか
村上かおり
恋愛
ルーベンス子爵家の三女、バーバラはアルトワイス伯爵家の次男であるリカルドと22歳の時に結婚した。
けれど最初の顔合わせの時から、リカルドは不機嫌丸出しで、王都に来てもバーバラを家に一人残して帰ってくる事もなかった。
バーバラは行き遅れと言われていた自分との政略結婚が気に入らないだろうと思いつつも、いずれはリカルドともいい関係を築けるのではないかと待ち続けていたが。
「離縁状の印が乾く前に、王太子殿下から花束が届きました」〜五年間「置物」と呼ばれた侯爵夫人、夫が青ざめるのは王家との縁が切れてからでした〜
まさき
恋愛
侯爵夫人として過ごした五年間、夫に名前を呼ばれたことが一度もなかった。
愛人を夜会に連れてきた翌朝、私は離縁状を置いて屋敷を出た。
夫は「すぐ戻る」と思っていたらしい。
でも届いたのは、王太子殿下からの白薔薇だった。
「五年、待ちすぎました。今度こそ私の隣に」
幼馴染の殿下は、いつも私を「アメリア」と呼んでくれた。
ただそれだけで、五年分の何かが、ほどけていった。
夫が全てを失うのはこれからの話。
私が本当の笑顔を取り戻すのも、これからの話。
『婚約者を大好きな自分』を演じてきた侯爵令嬢、自立しろと言われたので、好き勝手に生きていくことにしました
皇 翼
恋愛
「リーシャ、君も俺にかまってばかりいないで、自分の趣味でも見つけて自立したらどうだ?正直、こうやって話しかけられるのはその――やめて欲しいんだ……周りの目もあるし、君なら分かるだろう?」
頭を急に鈍器で殴られたような感覚に陥る一言だった。
彼がチラリと見るのは周囲。2学年上の彼の教室の前であったというのが間違いだったのかもしれない。
この一言で彼女の人生は一変した――。
******
※タイトル少し変えました。
・暫く書いていなかったらかなり文体が変わってしまったので、書き直ししています。
・トラブル回避のため、完結まで感想欄は開きません。