死ぬ瞬間にだけ、愛してほしい

しょくぱん

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第17話:真実の重圧

 その日の離宮は、窓を叩く激しい雨音に支配されていた。
 アルベルトは、自室の椅子に深く腰掛け、暗闇の中で一点を見つめていた。その瞳には、かつて王族として持っていた傲慢な光はなく、ただ底知れない虚無と、自身の心臓が刻む「見知らぬ鼓動」への違和感だけが宿っている。

「……リリアーヌ、ここへ来い」

 低く、地を這うような声に呼ばれ、金髪を美しく整えたリリアーヌが、微かに肩を震わせながら入室してきた。彼女は最近、焦っていた。アルベルトを救った功績で「聖女」としての地位を不動のものにしたはずなのに、肝心のアルベルト本人が、自分を見るたびに吐き気を催すような拒絶の目を向けてくるからだ。

「アルベルト様、お呼びでしょうか。お体は……まだ疼きますの? さあ、わたくしの祈りで、その不快な鼓動を鎮めて差し上げますわ」

 リリアーヌが、いつものように慈愛に満ちた笑みを浮かべ、アルベルトの胸元に手を伸ばそうとした。その瞬間、アルベルトが彼女の手首を鋼のような力で掴み上げた。

「……っ! 痛いですわ、アルベルト様! 何を……!」

「祈れ。今、ここでだ」

 アルベルトの瞳が、獣のような鋭さでリリアーヌを射抜く。

「お前は私を救ったと言った。ならば、なぜお前が触れるたび、私の心臓はこれほどまでに悲鳴を上げる? なぜ、お前の魔力はこれほどまでに……『他人事』のように冷たく、浅ましいのだ?」

「そ、れは……殿下がまだお疲れだからですわ! わたくしの力は……っ」

「試させてもらう」

 アルベルトは、傍らに置いていた古い書物をリリアーヌの前に投げ出した。それは、聖女の家系にのみ伝わる、魔力の系譜を鑑定する魔道具の一種だった。

「これに魔力を流せ。もし、私の体の中に流れているこの『命の核』が、お前の魔力と同一のものであるならば、この石は黄金に輝くはずだ。だが……」

 アルベルトの指先が、リリアーヌの喉元に触れる。

「もし、お前が私に嘘をついているのだとしたら。この命が、お前の犠牲になった『誰か』のものであるとしたら。……私は、お前を万死に値する大罪人として処刑する」

「……あ、……ぁ……」

 リリアーヌの顔から、一気に血の気が引いた。彼女にそんな力はない。これまでは、エルゼから吸い上げた魔力を自分という「フィルター」を通してアルベルトに流し込んでいただけだ。だが今、アルベルトの体内にあるのは、フィルターを通さない純粋なエルゼの「魂の核」そのもの。リリアーヌの濁った魔力が合うはずもなかった。

「流せ。さもなくば、今ここでその首を撥ねる」

 アルベルトの殺気に、リリアーヌはついに理性の糸を切らした。彼女は床に崩れ落ち、狂ったように叫び始めた。

「無理ですわ! 無理に決まってますわ!! あの女が……あの不気味なエルゼが、勝手に自分の命を全部差し出したんですもの! わたくしの魔力なんて、もう届くはずがないわ!」

「……何だと?」

 アルベルトの全身が、一瞬で凍りついた。

「どういう意味だ。今、何と言った」

「……っ! ああ、もういいわ! ええ、そうですわよ! 殿下をずっと癒やしてきたのは、わたくしではなく、あのアリのような女、エルゼよ! 殿下が戦場で負った傷も、病の痛みも、全部あの女に流し込んでいただけ! 殿下が『癒やされた』と感じていたその瞬間、エルゼは隣の部屋で血を吐いてのたうち回っていたんですわ!!」

 リリアーヌの口から溢れ出したのは、あまりにも醜悪で、あまりにも残酷な真実の濁流だった。

「殿下が彼女を『汚らわしい』と打つたび、彼女は殿下の拳の痛みまで引き受けて泣いていましたわ。殿下が彼女に『死ね』と言ったあの晩、彼女は殿下のために毒を煽って、自分の声を焼き切ったんです! 全部、全部あの子が勝手にやったことよ! わたくしはただ、それを有効活用して差し上げただけ……ッ!!」

 ドクン。
 アルベルトの胸の中で、エルゼの鼓動が、悲鳴のように激しく跳ねた。

「……私が、……彼女を……」

 視界が真っ赤に染まった。
 脳裏に浮かぶのは、地下牢で、雨の廊下で、絶望的な瞳を向けながらも、決して自分を恨まなかった白銀の少女の姿。
 自分が「初恋の面影がない」と罵り、土足で踏みにじってきたあのボロボロの手が、実は自分の命を、魂を、10年間ずっと、たった一人で支え続けてきた唯一の手だった。

「私は……何をしてきたんだ……」

 アルベルトは、自分の手を見つめた。
 この手で、彼女の頬を打った。
 この手で、彼女を汚物のように突き放した。
 この手で、自分を救い続けてきた聖女を、魔女だと決めつけ、地獄へ突き落とした。

「……ああ、ああああああああああああッ!!!」

 アルベルトは、自らの髪を掻きむしり、獣のような咆哮を上げた。
 怒りではない。それは、自分という存在そのものへの、耐え難いほどの嫌悪と絶望だった。
 リリアーヌが必死に命乞いをする声も、もはや耳には届かない。

 アルベルトの胸に刻まれた白銀の痣が、真実を理解した主の絶望に呼応するように、黒ずんだ毒の色を帯びて脈打ち始める。

 彼女は、何も言わなかった。
 声を奪われ、光を奪われ、命さえも差し出したその瞬間まで、彼女はただ、自分を生かすことだけを願っていた。
 自分が浴びせ続けた数えきれないほどの罵倒を、彼女はどんな思いで受け止めていたのか。
 
「殺してくれ……。誰か、私を殺してくれ……ッ!!」

 アルベルトは、床に額を打ち付け、子供のように号泣した。
 救われたはずのこの体は、今や一秒ごとに、愛した女性を殺し続けているという「罪の証明」へと成り果てていた。
 
 雨音は、さらに激しさを増していく。
 それはまるで、10年もの間、たった一人で耐え忍んできたエルゼの、音のない涙のようだった。
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