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第18話:後悔という名の毒
王宮の地下、禁忌書庫の空気は凍てついていた。
アルベルトは、血走った瞳で棚を漁り、ついにその「呪具」を見つけ出した。それは、聖女の家系が代償を移し替える際、魔力の流れを記録・調整するために用いる、鈍色に輝く石の首飾りだった。
「……これだ。これを使えば……あの子の『真実』が分かるのだな」
傍らに控える老魔導師は、震える声で彼を止めた。
「殿下、およしください! それは魔力の履歴を、術者の肉体に直接再現するもの。他人の十年分もの痛みを一度に受ければ、正気ではいられません……!」
「構わん。正気など、とうに失っている」
アルベルトは迷うことなく、その首飾りを自らの喉に押し当てた。
刹那――世界が爆ぜた。
「……っ!! あ、あああああああああぁぁぁぁッ!!!」
凄まじい衝撃が、アルベルトの全身の神経を焼き切るように駆け巡る。
視界が真っ赤に染まり、次の瞬間には真っ白な空白へと放り出される。それは、エルゼが十年間、彼に隠して耐え続けてきた「代償」の奔流だった。
最初に来たのは、焼けるような熱だ。
彼が幼い頃、火遊びで負ったはずの火傷。本来なら数日で治ったはずのその痛みが、何倍にも膨れ上がって彼の腕を焦がす。当時のエルゼが、誰にも知られず袖の下で包帯を巻き、震えていた記憶が彼の中に流れ込む。
(痛い……痛いよ、アルベルト様……。でも、あなたが泣いていないなら、私は大丈夫……)
少女の細い声が、脳裏で直接響く。
アルベルトは床に這いつくばり、血を吐きながら絶叫した。だが、痛みは止まらない。
次に来たのは、肺を握りつぶされるような窒息感。
彼が戦場で敵の毒矢を受けた時の記憶だ。
矢が刺さる衝撃。毒が全身を回る痺れ。呼吸ができず、ただ死を待つはずだった恐怖。
それらすべてを、エルゼは隣の部屋で、寝台の端を指が白くなるまで握りしめながら、一人で引き受けていた。
「は、ぁ……がはっ……、エル、ゼ……! すまない……! こんな、こんな地獄を……お前に……!!」
だが、肉体的な痛み以上に、アルベルトの心を完膚なきまでに打ち砕いたのは、呪具が再現した「感情」の履歴だった。
アルベルトがリリアーヌを抱きしめた時の、胸を掻きむしるような孤独。
アルベルトがエルゼを「汚らわしい」と罵った時の、張り裂けんばかりの絶望。
そして、彼が「お前など死ね」と言い放ったあの夜。
エルゼが自分の喉を焼き切りながら、それでもなお「どうか、彼が明日も笑えますように」と、純粋な祈りだけを捧げていた――その無垢すぎる愛。
「やめてくれ……! もういい、分かった……! 私が殺してくれ……っ!!」
アルベルトの目からは、血の混じった涙が溢れ出した。
呪具の反動で、彼の黒髪はみるみるうちに白銀へと染まっていく。エルゼの苦痛と同期し、彼の肉体もまた、彼女と同じ「代償の器」へと変質していく。
朦朧とする意識の中で、彼は幻影を見た。
ボロボロの服を纏い、血の滲んだ手で自分の傷を撫でようとして――「汚れるから」と、その手を引っ込める幼いエルゼの姿。
彼女は、一度も彼を恨んでいなかった。
一度も、自分の痛みを分かってほしいなどと願っていなかった。
ただ、彼が痛くないこと。彼が幸せであること。それだけが、彼女を支える唯一の酸素だったのだ。
「……あ、……ぁぁ……」
アルベルトは、動かなくなった指で床を掻いた。
十年の地獄。その一分、一秒すべてに、彼女の献身が詰まっていた。
術が解け、静寂が戻ったとき。
王太子の姿は、どこにもなかった。
そこには、髪の半分が白銀に染まり、廃人のように震えながら、ただひたすらに「エルゼ」の名を呼び続ける、一人の壊れた男が横たわっているだけだった。
「……エルゼ。……会いたい……。頼む、私を……殴ってくれ……。……許さないで、くれ……」
アルベルトは、震える手で自身の胸にある「白銀の痣」を強く、爪が食い込むほどに握りしめた。
そこに宿る彼女の鼓動だけが、今の彼に残された唯一の救いであり、同時に終わりのない、最も残酷な毒だった。
アルベルトは、血走った瞳で棚を漁り、ついにその「呪具」を見つけ出した。それは、聖女の家系が代償を移し替える際、魔力の流れを記録・調整するために用いる、鈍色に輝く石の首飾りだった。
「……これだ。これを使えば……あの子の『真実』が分かるのだな」
傍らに控える老魔導師は、震える声で彼を止めた。
「殿下、およしください! それは魔力の履歴を、術者の肉体に直接再現するもの。他人の十年分もの痛みを一度に受ければ、正気ではいられません……!」
「構わん。正気など、とうに失っている」
アルベルトは迷うことなく、その首飾りを自らの喉に押し当てた。
刹那――世界が爆ぜた。
「……っ!! あ、あああああああああぁぁぁぁッ!!!」
凄まじい衝撃が、アルベルトの全身の神経を焼き切るように駆け巡る。
視界が真っ赤に染まり、次の瞬間には真っ白な空白へと放り出される。それは、エルゼが十年間、彼に隠して耐え続けてきた「代償」の奔流だった。
最初に来たのは、焼けるような熱だ。
彼が幼い頃、火遊びで負ったはずの火傷。本来なら数日で治ったはずのその痛みが、何倍にも膨れ上がって彼の腕を焦がす。当時のエルゼが、誰にも知られず袖の下で包帯を巻き、震えていた記憶が彼の中に流れ込む。
(痛い……痛いよ、アルベルト様……。でも、あなたが泣いていないなら、私は大丈夫……)
少女の細い声が、脳裏で直接響く。
アルベルトは床に這いつくばり、血を吐きながら絶叫した。だが、痛みは止まらない。
次に来たのは、肺を握りつぶされるような窒息感。
彼が戦場で敵の毒矢を受けた時の記憶だ。
矢が刺さる衝撃。毒が全身を回る痺れ。呼吸ができず、ただ死を待つはずだった恐怖。
それらすべてを、エルゼは隣の部屋で、寝台の端を指が白くなるまで握りしめながら、一人で引き受けていた。
「は、ぁ……がはっ……、エル、ゼ……! すまない……! こんな、こんな地獄を……お前に……!!」
だが、肉体的な痛み以上に、アルベルトの心を完膚なきまでに打ち砕いたのは、呪具が再現した「感情」の履歴だった。
アルベルトがリリアーヌを抱きしめた時の、胸を掻きむしるような孤独。
アルベルトがエルゼを「汚らわしい」と罵った時の、張り裂けんばかりの絶望。
そして、彼が「お前など死ね」と言い放ったあの夜。
エルゼが自分の喉を焼き切りながら、それでもなお「どうか、彼が明日も笑えますように」と、純粋な祈りだけを捧げていた――その無垢すぎる愛。
「やめてくれ……! もういい、分かった……! 私が殺してくれ……っ!!」
アルベルトの目からは、血の混じった涙が溢れ出した。
呪具の反動で、彼の黒髪はみるみるうちに白銀へと染まっていく。エルゼの苦痛と同期し、彼の肉体もまた、彼女と同じ「代償の器」へと変質していく。
朦朧とする意識の中で、彼は幻影を見た。
ボロボロの服を纏い、血の滲んだ手で自分の傷を撫でようとして――「汚れるから」と、その手を引っ込める幼いエルゼの姿。
彼女は、一度も彼を恨んでいなかった。
一度も、自分の痛みを分かってほしいなどと願っていなかった。
ただ、彼が痛くないこと。彼が幸せであること。それだけが、彼女を支える唯一の酸素だったのだ。
「……あ、……ぁぁ……」
アルベルトは、動かなくなった指で床を掻いた。
十年の地獄。その一分、一秒すべてに、彼女の献身が詰まっていた。
術が解け、静寂が戻ったとき。
王太子の姿は、どこにもなかった。
そこには、髪の半分が白銀に染まり、廃人のように震えながら、ただひたすらに「エルゼ」の名を呼び続ける、一人の壊れた男が横たわっているだけだった。
「……エルゼ。……会いたい……。頼む、私を……殴ってくれ……。……許さないで、くれ……」
アルベルトは、震える手で自身の胸にある「白銀の痣」を強く、爪が食い込むほどに握りしめた。
そこに宿る彼女の鼓動だけが、今の彼に残された唯一の救いであり、同時に終わりのない、最も残酷な毒だった。
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