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第二章:冷徹皇帝と、癒えゆく心
第12話:皇帝の安らぎ
ジークハルト様が私を抱きしめる腕の力が、次第に抜けていくのを感じた。
彼の頭が私の肩に預けられ、規則正しい、けれど深い吐息が耳元を掠める。
「……陛下?」
そっと声をかけたが、返事はない。
驚いたことに、彼は私に抱きついたまま、立った状態で寝入ってしまっていた。
慌ててセバスを呼び、彼を寝室の寝台まで運んでもらった。
豪華な天蓋付きのベッドに横たわったジークハルト様の顔は、驚くほど幼く見えた。眉間の皺が消え、冷徹な皇帝の仮面が剥がれ落ちたその素顔は、ただの「ひどく疲れ切った一人の青年」だった。
「……セバス。陛下はいつも、どのくらいお休みになられているのですか?」
私が小声で尋ねると、セバスは悲しげに目を伏せた。
「アリア様。陛下は、ここ数年、まともに眠られたことがございません。あの呪いによる魔力の暴走は、横になるとさらに激しく彼を苛むのです。一日の睡眠が、椅子に座ったままの一時間程度……という日も珍しくはありませんでした」
私は絶句した。
常に張り詰めた神経、止まらない激痛。そんな状態で、彼はあの大帝国の政務を完璧にこなしていたというのか。
「ですが……今夜は違います。アリア様が側にいてくださるだけで、陛下の魔力は湖の凪のように静まっておられる。……お願いです。今夜だけは、陛下の側にいて差し上げてはいただけませんか」
忠臣の切実な願いを、断れるはずもなかった。
私は彼の枕元に椅子を引き寄せ、その大きな手をそっと握った。
彼の手は、レオンの手とは違っていた。
レオンの手はいつも剣を振るうことだけを考え、硬い蛸に覆われていたけれど、どこか空虚だった。
ジークハルト様の手も剣を握る人のそれだが、指先には知性と、そして私を壊れ物のように扱う繊細な優しさがあった。
(……この人は、ずっと一人で戦ってきたのね)
私は彼の手の甲に自分の頬を寄せ、眠りに落ちるまで光を送り続けた。
不思議なことに、力を注いでいるはずの私まで、深い安らぎを感じていた。
「必要とされている」という感覚が、これほどまでに心を温めるものだとは知らなかった。
翌朝。
窓から差し込む朝日に目を覚ますと、すぐ目の前に氷蒼色の瞳があった。
「……起きたか」
ジークハルト様が、寝台に伏せて寝ていた私の髪を、愛おしそうに撫でていた。
その瞳は、昨日までとは見違えるほど澄み渡っている。
「陛下、おはようございます。……体調はいかがですか?」
「最高だ。……これほど深く、泥のように眠ったのは、呪いを受ける前……いや、生まれて初めてかもしれん」
彼は上体を起こすと、私の手を引き、自分の方へと引き寄せた。
まだ寝起きの熱を含んだ彼の体温が、すぐ近くにある。
「アリア。君はやはり、私の『聖域』だ。……だが、同時に困ったことになった」
「え……? 何か不手際がありましたでしょうか」
不安になって聞き返すと、彼は苦笑して、私の額に軽く唇を落とした。
「君がいないと、もう二度と眠れそうにない。……責任を取って、ずっと私の側にいろ。これは命令ではなく、一人の男としての懇願だ」
心臓が跳ねた。
こんなにも真っ直ぐに、情熱的に求められることに、私の心はまだ戸惑っている。
けれど、握りしめられた手の温もりだけは、本物だと信じられた。
その頃、王国のレオンは――。
「クソッ! なぜだ! なぜ傷が開く!」
彼は鏡の前で、血の滲む包帯を剥ぎ取り、叫んでいた。
アリアという「安全装置」を失った彼の体は、かつて彼女が中和していた「魔力の反動」をダイレクトに受け始めていた。
彼の誇る剣技は、アリアの加護があって初めて成立する、体に無理を強いるものだったのだ。
加護のない今、剣を振るうたびに、彼の筋肉は内側から裂け、魔力が血管を焼き切っていく。
「アリアだ……あの女の嫌がらせに違いない! 俺に何か呪いをかけやがったんだ!」
自分の傲慢さが招いた結果だとは露ほども思わず、レオンは失いゆく「無敵の自分」に、狂気じみた焦りを募らせていた。
彼の頭が私の肩に預けられ、規則正しい、けれど深い吐息が耳元を掠める。
「……陛下?」
そっと声をかけたが、返事はない。
驚いたことに、彼は私に抱きついたまま、立った状態で寝入ってしまっていた。
慌ててセバスを呼び、彼を寝室の寝台まで運んでもらった。
豪華な天蓋付きのベッドに横たわったジークハルト様の顔は、驚くほど幼く見えた。眉間の皺が消え、冷徹な皇帝の仮面が剥がれ落ちたその素顔は、ただの「ひどく疲れ切った一人の青年」だった。
「……セバス。陛下はいつも、どのくらいお休みになられているのですか?」
私が小声で尋ねると、セバスは悲しげに目を伏せた。
「アリア様。陛下は、ここ数年、まともに眠られたことがございません。あの呪いによる魔力の暴走は、横になるとさらに激しく彼を苛むのです。一日の睡眠が、椅子に座ったままの一時間程度……という日も珍しくはありませんでした」
私は絶句した。
常に張り詰めた神経、止まらない激痛。そんな状態で、彼はあの大帝国の政務を完璧にこなしていたというのか。
「ですが……今夜は違います。アリア様が側にいてくださるだけで、陛下の魔力は湖の凪のように静まっておられる。……お願いです。今夜だけは、陛下の側にいて差し上げてはいただけませんか」
忠臣の切実な願いを、断れるはずもなかった。
私は彼の枕元に椅子を引き寄せ、その大きな手をそっと握った。
彼の手は、レオンの手とは違っていた。
レオンの手はいつも剣を振るうことだけを考え、硬い蛸に覆われていたけれど、どこか空虚だった。
ジークハルト様の手も剣を握る人のそれだが、指先には知性と、そして私を壊れ物のように扱う繊細な優しさがあった。
(……この人は、ずっと一人で戦ってきたのね)
私は彼の手の甲に自分の頬を寄せ、眠りに落ちるまで光を送り続けた。
不思議なことに、力を注いでいるはずの私まで、深い安らぎを感じていた。
「必要とされている」という感覚が、これほどまでに心を温めるものだとは知らなかった。
翌朝。
窓から差し込む朝日に目を覚ますと、すぐ目の前に氷蒼色の瞳があった。
「……起きたか」
ジークハルト様が、寝台に伏せて寝ていた私の髪を、愛おしそうに撫でていた。
その瞳は、昨日までとは見違えるほど澄み渡っている。
「陛下、おはようございます。……体調はいかがですか?」
「最高だ。……これほど深く、泥のように眠ったのは、呪いを受ける前……いや、生まれて初めてかもしれん」
彼は上体を起こすと、私の手を引き、自分の方へと引き寄せた。
まだ寝起きの熱を含んだ彼の体温が、すぐ近くにある。
「アリア。君はやはり、私の『聖域』だ。……だが、同時に困ったことになった」
「え……? 何か不手際がありましたでしょうか」
不安になって聞き返すと、彼は苦笑して、私の額に軽く唇を落とした。
「君がいないと、もう二度と眠れそうにない。……責任を取って、ずっと私の側にいろ。これは命令ではなく、一人の男としての懇願だ」
心臓が跳ねた。
こんなにも真っ直ぐに、情熱的に求められることに、私の心はまだ戸惑っている。
けれど、握りしめられた手の温もりだけは、本物だと信じられた。
その頃、王国のレオンは――。
「クソッ! なぜだ! なぜ傷が開く!」
彼は鏡の前で、血の滲む包帯を剥ぎ取り、叫んでいた。
アリアという「安全装置」を失った彼の体は、かつて彼女が中和していた「魔力の反動」をダイレクトに受け始めていた。
彼の誇る剣技は、アリアの加護があって初めて成立する、体に無理を強いるものだったのだ。
加護のない今、剣を振るうたびに、彼の筋肉は内側から裂け、魔力が血管を焼き切っていく。
「アリアだ……あの女の嫌がらせに違いない! 俺に何か呪いをかけやがったんだ!」
自分の傲慢さが招いた結果だとは露ほども思わず、レオンは失いゆく「無敵の自分」に、狂気じみた焦りを募らせていた。
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