とある男のプロローグ

サイ

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第二章

十話

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「あ゛~、ごくらく~……」

ジャンさんが部屋を出て行った後、1人反省会を終えた俺は今、念願の風呂に入ってお決まりのセリフを吐いていた。
何せ昨晩はモブソンに零されたビールやら殴り倒された時に着いた土埃やらで酷く汚れた服のまま眠ってしまったし、熱を出して汗をかいたのか、体がべたついていて気持ち悪かったのだ。
それに何より、待ちに待った湯船をお預けされっぱなしだったのだ。
時間があるなら入るしかないだろう。
行商の移動中は体を拭いたり川で行水することしか出来ず、町や村の宿では共同シャワーを浴びる事しかできなかった。
その上、シャワーを浴びると言っても人前で顔を晒すことのできない俺は深夜、お湯の出ない時間帯にコッソリ浴びるしかなくて……本当に辛い3ヵ月間だった。
この世界に来て風呂に入れなかった事が一番の苦痛だったかもしれない。
日本人から風呂を取り上げるなんて、それは最早虐待なのでは?
なんて考えながら、浴室に白い湯気と共にほくほくと立ち込める爽やかな果物の香りを大きく息を吸い込んで頬を緩める。

「ちょっと高かったけど買って正解だったな、入浴剤。」

前に見た目はイチゴで味や触感はリンゴな謎フルーツが名産の村に立ち寄った際に商魂たくましい店主にゴリ押しされて買わされた……もとい買った物だ。
使う機会もなく持て余していたのだが、捨てずに持っておいてよかった。
心なしか肌艶が良くなった気がする。
フルーツと同じ赤色に染まったお湯を見下ろし、ふと思い出す。
昨日出会ったあの男の髪は、もっと深く暗い色をしていたなぁ、と。

「雰囲気に流されてスルーしてたけど、結局何だったんだろう。」

昨日は色々と混乱して流されに流されてしまったが、こうして冷静に思い返してみると本当に謎な邂逅だったと思う。
俺は彼を知らない。
それなのに俺はあの時、彼とは初対面でないことを確信していた。
あんな特徴的な人、一度でも会っていたら忘れられるはずがないのに。

「忘れてしまった……か。」

絞り出すように告げられたあの言葉。
あの時俺はこの言葉が真実だと思ったし、それは今も変わらない。
俺は何らかの理由で彼を忘れてしまっている……根拠はないけどそんな気がする。
両手に透き通った赤いお湯をすくい上げ、ジッと見下ろす。

「赤。」

今まで、この色を意識したことは一度もなかった。
特に好きな色って訳でもないし、俺のラッキーカラーでもない。
そもそもラッキーカラーなんてないし、もしあったら俺の人生はもっとマシな物になっているはず。

「赤………んんー。」

何がこんなに引っかかるのか。
指を広げると、掌に溜まっていた赤い色は瞬く間に零れ落ちていく。
その光景にドキリと胸が鳴る。

「夢だ。」

そう言えばアルさんの家で初めて目を覚ます前、夢を見たんだ。
確か赤い光に、必死に手を伸ばす夢。
でも届かなくてそれで、それでその後………えっと。

「んんん~、思い出せない!」

色々考えた果てに夢とか……アホか。
苛立つまま乱暴に吐き捨て、お湯の中に潜る。
真っ赤な視界の中、天井のライトがユラユラと輝いて、吐き出した空気がその光に向けて一目散に駆け上っていく。
そうだ。
思い出せないなら、無理に思い出す必要なんてないじゃないか。
だって彼はあれ以上の追及をしようとはしなかったし、連絡手段どころか名前すら教えないままにアッサリ去ってしまった。
きっと俺に記憶がなかったからどうでもよくなったんだ。
本当に出会ったことがあったとして、俺みたいな奴との思い出なんてどうせ大したことは無いはずだし。
見覚えのある顔を見かけたからつい懐かしくなって声を掛けただけだったんだろう。
そうだ、きっとそうに違いない。
そもそも俺なんかに執着してくれていると思う方が不自然なんだから。

「ぷはっ!」

水中から顔を出し、空気を吸い込む。

「やめやめ。もう会う事もないんだし。」

何だか妙に不貞腐れたような自分の声には気付かないフリをして、額に張り付く前髪をかき上げる。
と、そこへ。

「おーい、起きてるかぁ!」

浴室の外で、オーナーの呼ぶ声が小さく聞こた。
慌てて湯船から上がってバスローブを纏い浴室から飛び出すと、控えめなノックの音と共に「出直すかぁ……」なんて呟き声が扉越しに聞こえた。
ヤバい、そう言えば今日はオーナーが俺をどこかに連れて行くって言ってた気が……
昨日は色々あり過ぎてすっかり忘れていた!

「オーナー!待って!」

言いつけを忘れた上に上司を待たせるなんてとんでもないと慌てて扉を開くと、紙袋を手に下げたオーナーがギョッとして俺を部屋に押し込んで後ろ手に扉を閉めた。

「おま、ば、何つー格好で!」
「あ……顔、隠すの、忘れた。」
「いや、それよりも……はぁ、いや、何でもない。とにかく、風邪引いちまうから頭を拭きなさい。」

溜息と共にがっくりと脱力したオーナーは、フックに掛けていたタオルを投げ寄越してくれた。

「ありがとう。あと、ごめん、待たせた。」
「いや、特に時間は指定されてないから問題ねぇよ。」

指定されてない……って、どういう事だろう。
てっきりキャラバンの仕事関連でどこかに連れて行かれるのかと思っていたが、違うのか?
ガシガシと頭を拭きながらオーナーを見やると、俺の疑問を察したのか彼は困ったように頬を掻きながら答えてくれた。

「実を言うと俺の上司、と言うか社長……に、なるのか?まぁ、そんな人にお前を合わせなきゃならないんだ。」
「ぇえ?なんで?」
「うーん、俺もただ連れてくるように言われただけで、詳しくは知らないんだ。」
「????」

益々よく分からない。
もしもその社長さんが新入社員全員と顔合わせるしていると言うなら納得だが、オーナーの様子からそうではないようだ。
更に首を傾げる俺には構わず、オーナーは紙袋からゴソゴソと何かを取り出して言った。

「まぁ一応俺たちのボスだから、失礼のないようにしなきゃと思ってな。ほらよ。」
「あ……これ。」

差し出されたのは、服だった。
黒のスラックスと、真っ白な絹でできたゆったりとしたワイシャツ。
それは俺がキャラバンに拾われた時に着ていた服だ。
今までは支給された仕事着しか着ていなかったので従業員用の衣裳部屋に仕舞い込んでいたのだが、わざわざ持って来てくれたのか。

「あの時穿いてた革靴はボロかったから、こっちを穿きな。」

そう言って、上等そうな黒い革靴も渡された。
確かにアルさんからもらった靴は森を彷徨った時にすっかりダメになってしまっていたからな。
思い出として残してはいるけれど、もう穿くことはできない。

「オーナー、ありがとう。後で、お代、払う。」
「いらねぇよ。」
「え?だめだめ、払う。」
「いや、本当にいらん。と言うか、貰ってくれ。」
「えっと……うん、ありがとう?」

頑なに首を振るオーナーに渋々と頷いて靴を受け取る。
駄菓子をくれることはしょっちゅうだったが、こんな高価な物を渡すなんてどうしたのだろうか。
それに妙に表情も暗くていつもより元気が無いように見える。

「オーナー、体調、悪い?」
「ん?いや?体は絶好調だけど?」

成る程、心はそうでもないって事か。
これから社長に会わなきゃいけないんだし、緊張でもしているのかもしれないな。
なんて一人納得しながらバスローブの前を開く。

「ゴフっ!」
「??」

突然噎せたオーナーに驚いて振り向くと、彼は真っ青な顔をして俺から顔を背けていた。

「オーナー?」
「いや、何でもない!何でもないから早く服を着てくれ!」

謎に怒られた。
あ、いや、違う、謎じゃない。
きっと俺の体をモロに見てしまったんだろう。
怪我をしてまだ碌に動けなかった頃、俺の体を拭いたり風呂に入れてくれていたアルさんが何の反応もしていなかったからすっかり忘れていた。
普通の人からしたら、この体は見ていて気分のいい物ではない事を。
改めて自身の体を見下ろして、顔を顰める。
産毛すらない子供のような体に散らばる細々とした裂傷や火傷の痕。
背中には鞭の痕が幾筋か、大きく残っているはずだ。

「きったねー体。」

これ以上見ていたくなくて、さっさと服を纏ってオーナーに声を掛ける。

「服、着た。」
「あ、あぁ……」

少しほッとしたような顔で振り返ったオーナーは、俺を見るなり満足そうに笑って言った。

「久しぶりだな、そのお坊ちゃんスタイル。」
「お坊ちゃん、違う。」
「はいはい。でも、随分髪が伸びたなぁ……」

しみじみと述べられた言葉に、目元を越してしまった前髪を摘まんで同意する。
アルさんのところにいた時はハサミがあったから自分で切っていたけど、ここ3ヵ月はそれどころじゃなかったからすっかり放置してしまっていた。
後ろ髪なんて今にも肩に付きそうだ。

「後で、切る。」
「折角綺麗な色してんのに、勿体ねぇよ。あ、ちょっと待てよ?」

そう言って、彼は靴の包箱を括っていた白いリボンを取り上げ、大分水気の取れた髪をハーフアップに結んでくれた。

「お!いいね、上品に見える。」
「見える、だけ?」
「だけ!」
「……」

悪気の無い顔で言われては閉口するしかない。
まぁ、似合うって言ってくれてるんだし素直に喜んでおこう。

「そう言えば、オーナー。」
「ん?」
「社長、どんな、人?」

何となしに尋ねた質問に、オーナーは難しい顔をして答えた。

「ん~、俺もガキの時分に一度しか会った事がなくてなぁ……まぁ、見た目ちょっと怖いが、悪い人……………では、ないぞ?うん、多分。恐らく。きっと。」

何その歯切れの悪い反応、怪しすぎるんですけど。
いや待てよ?
ガキの時分に会った……って、事はまさか。

「社長、組織の、人?」
「え!?いや!?はははは、違うが!?」

突然何言い出すんだもー、なんてわざとらしく笑って俺の背中をバシバシ叩くオーナーをジトリと睨む。
オーナーの幼い頃と聞いて以前語ってくれた組織に拾われた話を思い出したので軽くカマを掛けたつもりだったが、盛大に引っかかってくれた。
全く、何て嘘や誤魔化しの下手な人なんだ。
よくそんなので商人なんてやってこられたな。
彼の場合は狡賢さよりもその人柄の良さで人々の信頼を勝ち得ているのは承知しているが、今に限ってはもっと上手に騙してほしかった。
お陰で軽い挨拶に向かうつもりが地獄への散歩(帰還できるかは不明)にしか思えなくなってしまったじゃないか。
しかし……組織について未だ何も調べがついていない状態でいきなりそのボスと対面って、どうなっているんだ。
俺をご指名だと言うの意図がいよいよ以って分からず再度首を傾げる。

「…………ま、いっか。」

オーナーも詳しい事情は知らないって言うし、ここで考えても仕方ない。
日頃から世話になっているオーナーの顔を潰す訳にもいかないし、どの道俺には“行く”と言う選択肢しかない。
そもそも俺はそんなに頭が良くないのだから考えるだけ無駄と言うものだ。
何だか、この世界に来てからの俺ってずっと行き当たりばったりだなぁ……なんて考えながら、目を合わせようとしないオーナーと連れ立って部屋を後にした。


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