ゾンビの坩堝

GANA.

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ゾンビの坩堝【3】

ゾンビの坩堝(17)

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 入室するや、摩擦係数の高い息づかいが奥から聞こえる。こちらの食事を奪っておいて、そんな態度か……手前の間仕切りカーテンの内側では、天気は下り坂だという予報がつけっぱなしのテレビから流れ、椀と皿、コップがみっともなく転がっていた。シーツに染みは残っていたが、どうやら念入りになめ取ったらしく米一粒見当たらない。唾液が付いているかと思うと虫唾が走り、ふつふつとのぼせてくる……あいつをどうにかしないと……食器類をつまんでトレイに載せ、毒づきながら奥の分を引き上げる。
 そうして通路で待っていると、配膳車がまたコアラに引かれてきた。指導員の姿はない。隣室のジャイ公、ミッチー……はあ、はあ、と急いで戻ってきたウーパーが、セルフサービスよろしく食器類とトレイを返却する。空になったディアの分もミッチーの手で返された。自分もそれらに倣い、配膳車がデイルームの方に消えてまもなく、あちこちから歯ブラシとコップを手に被収容者が出てくる。シグナルを出し合って混雑回避しているかのような動き……それを横目に通路の壁にもたれ、背中を手すりでこすってしゃがんだ。
 こんな環境じゃ、まともに闘病なんてできやしない……――
 部屋移動が無理なら、通路で寝起きしたっていい……とにかくあいつとの関係を絶たなければ……隣からジャイ公がミッチーと出てきたので、自分は膝を抱えてダンゴムシになった。マール、マール、マール……ふたりは歯磨きに行ってしまい、自分はとりあえず室内に戻ったが、途切れ途切れのうなりで居心地が悪くてたまらない。
 自分はテレビのボリュームを上げ、壁のリハビリメニューの脇に両手をついた。壁腕立て伏せを、いち……にぃ……やがて、ひいひい言い出す筋肉、ぎし、ぎし、ときしむ関節……胸が苦しくなり、二十を経て、三十を超えたところで自分は壁にもたれかかった。たかが壁腕立て伏せなのに……あえいでいると、にわかにフロア――北館が、腹ごなしを始めた感じがする。あちこちの部屋から、引きずったりちぐはぐだったりの足音があっちの方へ……そして、がらっと隣から大股歩きが近付いてきて、片引き戸がノックもなく開けられた。
「おい」
 ミッチーが戸当りに手をつき、たちの悪い生徒指導的な目つきで室内をざっと見て、紫煙を吐くように続ける。
「もう済んだのか、部屋の掃除」
 えっ、と戸惑うとミッチーは露骨にあきれ、左右の腕をぐるり、ぐるりと回すジャイ公を振り返った。
「常識だろ」首をストレッチし、ジャイ公はさも当然そうに言った。「自分の部屋は自分できれいにする。みんな、やってることだぞ」
 ほうき、ちりとりで床掃除、ちり紙で床頭台やテレビを拭くそうだ。購買部から雑巾、洗剤などを購入して行う者もいるという。そんな話、指導局から聞いていない……ジャイ公は腕組みし、新入りだから仕方ないよな、と訳知り顔で言った。
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