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第一章

わたくし、おそばにいたいんです ③

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隠し通路の行き止まりの扉を開けるとそこは人目につかない回廊の一画であった。

人の気配がないかを確認した侍女がそっと扉を開ける。

決して他者に見られないよう細心の注意を払って扉の外に出た。

そこから階段を幾つか上がり、
長い廊下を渡ったところで太王太后が待つ部屋の前に到着した。

侍女が扉をノックすると中から別の侍女が扉を開けた。

派手さは無く、しかし質の良い最上級品ばかりで設えられた応接間の中央のソファーにその人は座っていた。

イズミルはソファーに近づくとうやうやしく礼を取る。

「太王太后様、お待たせして申し訳ございません。今日はわたくしの為にお時間をいただき、誠に有難うございます」

イズミルを見遣ったその人物は、柔らかな微笑みを零す。

「他人行儀な挨拶はやめて頂戴。
とうとう迎えた今日という日に立ち会えて感無量というべき心境なのだから」

太王太后リザベル。
国王グレアムの祖母であり、イズミルにとっては母方の遠縁にあたる人でもあった。
御年おんとし八十ウン歳。
体格はややふくよかで大柄。
性格は気取らず、大らかにして大胆。
誰もが魅了されるチャーミングな女性だ。
幼い頃に母と別れたイズミルに惜し気ない愛情を注いでくれた。


「苦節8年…!ようやく陛下のお側で大恩に報いる日が来ました。これも全て、リザベル様がお支えくださったおかげでございます…!」

両手を胸に当て感慨深く訴えるイズミルの肩を抱き、リザベルは言った。

「あなたの揺るがぬ信念には本当に驚かされるわ。さすがはジルトニア大公家の忘れ形見と言うべきかしら」

「ここで信念を曲げて自身の幸せを優先したら、亡き父や母、そして兄に顔向けが出来ませんもの」

迷いのない強い瞳でリザベルを見つめる。
リザベルは少し困ったように優しく微笑みながらイズミルの頬に触れた。

「でもあなたの家族は本当なら、自分の幸せを優先して欲しいと思うでしょうね…」

「リザベル様…」

「さぁ、でもここまできたら後戻りは出来なくてよ。話は全て通してあるから、すぐにでも向かいましょう」

イズミルは力強く頷いた。

「ご尽力、感謝いたします…!」

「あなたの事はワタクシの遠縁の娘だと伝えてあります。まぁそれは事実だしね。名はイズー=アリスタリアシュゼットシュタインと名乗りなさい。アリスタリアシュゼットシュタイン家は…あぁもう長いわね、あなたの母方の親戚筋。偽名だと疑われてもいくらでも辻褄は合わせられます。それでは、覚悟はよいですね?」

「はい…!」

イズミルが頷くのを見て、
リザベルは優雅な足取りで国王の側近達の控え室へと向かった。

「まずは側近の長を務める者と
 引き合わせましょう」

控え室の前で、太王太后付きの侍女が先ん出て扉をノックする。

ややあって一人の青年が扉を開けた。

背が高く、灰色の髪に切長の瞳。
薄い唇になぜか知性を感じる、そんな印象の美男子であった。

その青年を見て、リザベルがさも驚いたというような口振りで声を掛けた。

「アラ、まさか最側近のオルガ卿自らお出迎えとは畏れ多いこと!」

リザベルのその揶揄いを含んだ鷹揚なもの言いには慣れているのか、一瞬眉を寄せただけで直ぐさま青年は臣下の礼を取る。

「お約束の時間通りにいらした太王太后様をお待たせするわけにはまいりませんからね」

「まぁ、それではずっと扉の前で張り付いて待っていてくれたのかしら?」

リザベルは生真面目そうな青年を揶揄いながら、自身の手を差し伸べた。

「……どうぞ中へ」

青年はリザベルの手を取り、
室内へとエスコートする。

(どうやらお二人は旧知の仲のご様子ね。リザベル様にイジられ慣れているような感じだわ)

二人のやり取りを見てそんな事を思いながイズミルも後に続いた。

この部屋は国王の執務室の隣、
側近達の控え室。
窓際に配置された応接用のソファーに
リザベルは腰を下ろす。

本来ならイズミルも着座出来る身分であるのだが、リザベルの後ろに侍女と共に立った。

不要な前置きは置かず、
リザベルは要件を切り出した。

「以前から話をしていた、
ワタクシの名代を連れて来ました。
名はイズー=アリスタリアシュゼットシュタイン。ワタクシの遠縁にあたる娘であり、ワタクシ同様の教育を受けております。王室規範改定の臨時補佐官として、近習きんじゅうの末席にでもおいて頂戴。イズー、ご挨拶を」

リザベルに促され、
イズミルは前へと進み出た。

「お初にお目にかかります。
イズー=アリスタリアシュゼットシュタインと申します。陛下の腹心であらせられる
ランスロット=オルガ卿でいらっしゃいますね」

イズミルは全神経を集中させ姿勢を正し、
ゆったりと微笑んだ。

「……よくご存知で」

初対面にも関わらず青年……ランスロットの視線は少々不躾であった。
ほんの一瞬だがイズミルの容貌をチェックしたのが分かった。

そして他の者には聞こえない程
小さく舌打ちをしたのだ。

(……ん?)

幸か不幸かイズミルはそれに気付いてしまったが、笑顔は崩さなかった。

これもまぁ想定内といえば想定内である。

国王の最側近とされるこの男が警戒するのも頷ける。
きっとこの時点では、
リザベルが王室規範改定に事寄せ、自身の名代と銘打って妃候補を送り込んで来たとでも思っているのだろう。


ランスロット=オルガ。

シュトレン伯爵オルガ家の三男で、
国王と同じ28歳。

生母が国王の乳母で幼い頃から共に育った乳兄弟だという。

(たしかランスロット様が生まれた直後にお父上である前伯爵が亡くなられ、爵位はご長男であるお兄様が襲爵されているのよね。その時にお母様が乳母としてお城に召し抱えられたと聞いたわ。経済状況が良いとは言えなかったオルガ家の内状を鑑みたリザベル様のご推挙だったと…なるほどね)

妃の座を狙っているかもしれない女性補佐官など一蹴したいところを、
大恩あるリザベル様直々の推薦である事から無下に出来なかったというわけか。

ただでさえ規範改定の他に様々な執務で多忙を極めているというのに、
女性不信を拗らせた国王の近くにわざわざ女性を配して問題が起きるのは御免被こうむりたいというのだろうが…

(今ここで、どれだけわたしが二心ふたごころなく純粋に陛下のお役に立ちたいと語ったところで信用なんてして貰えないでしょう。態度で、行動で認めて貰う他ないわ)

イズミルはしっかりとランスロットを 
見据えて言った。

「オルガ卿、わたくしは太王太后様の名代としてこちらに参った以上、太王太后様の顔に泥を塗るような事だけはしたくありません。思うところはあるでしょうが、どうかわたくしを存分に使い、お役立てくださいませ」

真摯な気持ちを言葉に込めて、
イズミルは力強く言った。

その時である。


「これはどういうことか」


一瞬でこの場を支配する冷たい声が聞こえた。

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