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その時はちゃんと……
「またもう、よくそんなに食べられるわね」
夜の帳もすっかり下りた時刻。
王宮内の食堂は夜番や住み込みで働く者の夕食時でごった返していた。
その中の一画、テーブル席の一つでツェリシアは同じ六傑の一人であるシスター・ウルフと共に食事をしていた。
ツェリシアが言い訳するように答えた。
「だって食べても食べても満腹にならないんだもの」
ツェリシアの前には、本日のツェリシアチョイスのディナーが所狭しと並んでいる。
ブロッコリーとベーコンのキッシュ
トマトと玉ねぎのマリネ風サラダ
鴨の香草ロースト
ムール貝のリゾット
かぼちゃのクロケット
パリパリのバケット
香味野菜のコンソメスープ
ミートグラタン
ハニーレモネード
実に四人分は有ろうかという食事量がツェリシアの一食分だ。
「そんな華奢な体のどこにこれだけの量が収まるわけ?貴女の全身が胃袋なの?」
シスター・ウルフ(本名コリンヌ)が信じられないといった顔つきでツェリシアを見る。
「さあ?」
ツェリシアは本当に良く食べる。
適合者に選定される前から胃腸が丈夫な事もありよく食べる子だったのだが、奈落を体内に入れてから更に大食漢となった。
これは間違いなく奈落の影響だ。
奴の中が空っぽだから、もっと満たせと要求してくるのだ。
食べた物が奈落に吸収されているのかはわからないが、とにかく食べても食べても満腹にはならない。
ツェリシアの生活費は全て国が出しているので、国庫を空にするほど食べてやってもいいのだが、それではツェリシアが異常であると自ら知らしめてしまう事になる。
ツェリシアが奈落適合者でしかも既に封緘者と定められている事は誰にも知られてはいけないので、ギリギリのラインで食事量を抑えていた。
四~五人前程度なら、高魔力保持者ならあり得ない量ではないだろうから。多分。
ぱくぱくと食事を続けるツェリシアに、シスター・ウルフはニヤリと口の端を上げて言った。
「……最近、イイ事あっただろうから、余計に食事が美味しいんじゃない?」
「ヒヒホホ?」
ツェリシアが咀嚼しながら聞き返すと、シスター・ウルフは更に含みのある笑顔を向けて来た。
「匂いが変わったもの。近頃のツェリシアからはコイスルオトメの香りがするわ」
「え?ホント?」
ツェリシアは思わず自分の腕を鼻に近付けて体臭を嗅いだ。
「私のこの鼻は誤魔化せないわよ?なんたって聖狼様が憑依されてるんだからね」
「それは知ってるけど……」
シスター・ウルフは国教会が認める聖女だ。
洗礼式の時に国の守り神である聖狼ケンウルフの加護が降りた。
聖狼ケンウルフは風の精霊が憑依した狼だ。
どういう経緯でそうなったのかは謎だが、
450年前の王の友人が、国王就任の祝いとしてその聖狼を贈ったのだそうだ。
聖狼“ケンウルフ”という、真面目に付けたのかそれともふざけて付けたのかわからない名前もその男が付けたらしい。
やがてその聖狼も歳を取り、肉体が老いて朽ちても魂だけはこの国に留まり、気まぐれに聖職者に加護を与えて自身の能力を憑依させるそうなのだ。
シスター・ウルフも数少ないその一人で、当代では唯一の聖狼の憑依者だ。
人並み外れた嗅覚を授かり、邪念を持つ者や、悪霊が憑いたモノなど識別、そして物事の本質なども匂いを嗅ぐ事でわかるらしい。
あと異常に足が早く、穴掘りが上手い。
シスター曰く、人の感情にも匂いがあるのだそうだ。
同じ聖職者であり六傑の仲間であるミルソン司祭の匂いは胡散臭い偽善者の匂い、
聖騎士ブルサスの匂いは喧しい単細胞の匂いプラス実質的な脂臭い体臭がすると言っていた。(キツイ……)
「今のツェリシアちゃんからは甘酸っぱ~い恋の匂いがするもの♡」
「えーホントにぃぃ?ハニーレモネードを飲んでるからじゃないの?」
ツェリシアはわざと惚けてみせた。
だって……自覚はあるから。
その時、ツェリシアの背後からアルトの声がした。
「お待たせツェリ。デザートを持って来たよ」
「やった!ありがとうアルト」
デザートと聞き、ツェリシアがパッと笑顔になる。
ゴトリ。
と音を立てて、調理で使う大きめボウルがツェリシアの目の前に置かれた。
「わぁっ♡」
「………なにソレ」
置かれたボウルに思わず感嘆の声を上げるツェリシアとは対照的に、シスターが眉根を寄せてアルトに尋ねた。
「ベリートライフル・ツェリシアスペシャルですよ」
「トライフルって、そんなバケツみたいな大きさのボウルに入ってる物だっけ?そして置く時にゴトリなんて音を立てる物だっけ?」
シスターが凝視しながら言うと、何故かツェリシアがドヤ顔で答えた。
「アルトが食堂の厨房を借りて、わざわざわたし用に作ってくれたのよ。これなら何個も食器を汚さなくてもイイでしょ?」
「あ、そう……良かったわね」
シスターは半目になって言った。
これ以上ツッコんでも無駄だと思ったようだ。
「じゃあいただきます!」
「どうぞ召し上がれ…あ、ツェリ、待って」
そう言うとアルトはツェリシアの隣に座って髪を一纏めにした。
「髪にクリームが付きそうだったよ」
「ありがとう、アルト」
ニッコリ微笑んで礼を告げてからツェリシアはトライフルを口に運んだ。
「!美味し~いっ!ねぇ、シスターも一緒に食べましょうよ、アルトも」
それを聞き、シスターはハンカチで口元を抑えながら答えた。
「……結構よ、さっきからツェリシアが食べてるのを見てるだけで胃がはち切れそうなんだから……」
「俺もいいよ。ツェリのために作ったんだから全部食べていいよ」
「え~……じゃあお言葉に甘えて」
そう言ってツェリシアはパクパクとトライフルを食べ始めた。
「ん~~~♪♪♪」
ひと口ひと口を嬉しそうに食べるツェリシアを見つめるアルトに、シスターが話しかけた。
「……偉大な精霊魔術師サマは調理も出来るのね」
「うちの師匠、お菓子作りが得意なんですよ。昔はしょっちゅう作ってくれて。それを見ているうちに作り方を覚えました」
「へ~楽しいお師匠さんね」
「楽しい事を見つけて生きるのが大好きな人ですからね、そういえば貴女に加護を与えた聖狼に“ケンウルフ”なんてふざけた名前を付けたのもうちの師匠らしいです」
「えっ!?」
驚いたシスターが思わず大きな声を出す。
それが事実なら、アルトの師匠とやらは450年前から生きている事になる。
一体なんの冗談だ。
「冗談ですよ」
「やっぱり。驚かさないでよ」
「すみません」
柔らかく微笑んで謝辞を口にするアルトを見て、シスターは思った。
『どうも得体の知れない匂いがする人物ではあるのよねー……ツェリシアに向ける笑顔以外は温度を感じさせないし、それに……なんだろうこの匂い、現在のものとも過去のものとも未来のものとも言えないような匂いがする……」
シスターの心の内を感じ取ったのか、アルトは更にニッコリと微笑んだ。
それを見てシスターは肩を竦めた。
「まぁ今はいいわ、貴方に害意がない事だけは確かだから。私はもう行くわね、ツェリシアの事をよろしく」
「もちろんです」
「シスター、もう戻るの?」
ツェリシアがトライフルを食べる手を止めてシスターに言った。
シスターは優しく微笑んでツェリシアを見た。
「明日は経典の整理があるのよ。早く休んで明日に備えるわ。後は貴女の忠実な僕にバトンタッチ」
そう言ってシスターは食堂を出て行った。
「チュウジツなシモベ……」
ツェリシアはちらりとアルトの方を見る。
アルトは特に気にした様子もなく、ツェリシアが食べ終えた食器をトレイにまとめていた。
台拭きまで厨房から持って来てテーブルを拭いたりまでしている。
汚したのはツェリシアなのに。
『…………いけないわ。超絶美形な精霊王(ツェリシアの勝手な妄想)と話を付けれるほどの人物に、こんなお母さんみたいな事をさせていては……』
アルトの面倒見の良さは昔からで、
10年ものブランクを微塵も感じさせない世話焼きっぷりについつい甘え過ぎてしまっていた。
アルトだって年若い青年。
婚約者も恋人も居ないなら、早々に見つけて青春を謳歌した方が良いに決まっている。
いずれ居なくなるツェリシアの介護をしている場合ではないのだ。
よく見れば食堂のあちらこちらで、アルトに向けて秋波を送っている侍女や女性文官や女性騎士達がいる。
アルトさえその気になれば、すぐに相手は見つかるだろう。
『よし!ここはひとつ、このツェリシアさんがひと肌脱ごうじゃないの!』
アルトには幸せなって欲しい。
『アデリオールにいるコルベールのおじ様とおば様に可愛い孫を一日でも早く見せてあげないとダメよアルト!』
ツェリシアはもっと自分がしっかりして、アルトが安心して他の女性に目を向けられるようにしなければと思った。
つきん。
いや、これは決して胸の痛みなどではない。
これはそう、ただの心筋の痛みだ。
ツェリシアはトライフルをつつく手を止める事もなく、パクパクと景気良く食べながら、まずは唯一の友人と呼べるエリーゼをもう一度ちゃんと紹介しようと思い付く。
その様子を見てアルトが言った。
「……また良からぬ事を考えてるんだろ」
「えっ!?良からぬ事っ!?考えてないわ、良い事なら考えているけど」
「……とりあえず、今思い付いた企みはやめておく事だ」
「た、企むなんてっ……」
『なぜわかった!?読心術でも使えるの!?』
ツェリシアはアルトの気を逸らして誤魔化すために違う話題を振ってみた。
「そういえば何故アルトがこの国に派遣される事になったの?アデリオールなら他にも沢山の精霊魔術師が居るでしょう?」
ツェリシアの質問にふいに表情を固くしてアルトは答えた。
「……俺が封滅魔術に特化してるからだそうだ」
「……え?」
「アブラス側からの希望は、精霊の扱いに長けた者と、対象を封じ込めて一瞬で消滅させる術を持つ者を送って欲しいとの事だったそうだ。そこで両方出来る俺が選ばれた」
「……な、何を封滅するように言われたの……?」
ツェリシアは声が震えるのを必死に堪えて尋ねる。
「………言いたくない」
「人?」
「言いたくない」
人なんだ。
つまり、アルトは、精霊喰らいとはまた別件で、ある人間を封滅するためにこの国に呼ばれたんだ。
一瞬で髪の毛一本残さず消さなくてはならない人間、
それは厄災を封緘した封緘者しかいないだろう。
つまり、アルトは………
『ああ……あなたなんだ……』
その思いはすとん、とツェリシアの中で落ち着いた。
アルトは、厄災を封じ込めた後の封緘者に引導を渡す役目でこの国に来たのだ。
『あなただったのね』
でも不思議と悲しくはなかった。
むしろこのタイミングで再会させてくれて、神さまに感謝したいくらいだ。
『だって、どうせ殺されるなら、あなたがいい』
不義理をした過去を相殺させて貰えるから。
支度金を返さず、国にわたしの親権を渡す為に多額の金銭を要求し、婚約解消の手続きもきちんとせずに放置していた両親。
『わたしの母と義父が犯した罪をちゃんと償わせて貰えるから』
ツェリシアは今こそ鋼の心で鉄壁の笑顔を武装した。
そして胸の内を悟られないよう美味しそうにトライフルを食べ続ける。
ツェリシアが封緘者だと知った時、アルトは驚くだろう。そして悲しむだろう。
でもきっと……それしか道は無いとすぐに理解し、
ツェリシアが苦しまないように最善の方法で殺してくれるだろう。
『アルトの事だ、痛くも怖くも無い、わたしに優しい殺し方を選択してくれるはず』
他の者ではそうはいかないかもしれない。
だから、これでいいのだ。
ゴメンねアルト。
お願いねアルト。
だから……だから、いずれ時が来たら、
その時はちゃんと殺してね
夜の帳もすっかり下りた時刻。
王宮内の食堂は夜番や住み込みで働く者の夕食時でごった返していた。
その中の一画、テーブル席の一つでツェリシアは同じ六傑の一人であるシスター・ウルフと共に食事をしていた。
ツェリシアが言い訳するように答えた。
「だって食べても食べても満腹にならないんだもの」
ツェリシアの前には、本日のツェリシアチョイスのディナーが所狭しと並んでいる。
ブロッコリーとベーコンのキッシュ
トマトと玉ねぎのマリネ風サラダ
鴨の香草ロースト
ムール貝のリゾット
かぼちゃのクロケット
パリパリのバケット
香味野菜のコンソメスープ
ミートグラタン
ハニーレモネード
実に四人分は有ろうかという食事量がツェリシアの一食分だ。
「そんな華奢な体のどこにこれだけの量が収まるわけ?貴女の全身が胃袋なの?」
シスター・ウルフ(本名コリンヌ)が信じられないといった顔つきでツェリシアを見る。
「さあ?」
ツェリシアは本当に良く食べる。
適合者に選定される前から胃腸が丈夫な事もありよく食べる子だったのだが、奈落を体内に入れてから更に大食漢となった。
これは間違いなく奈落の影響だ。
奴の中が空っぽだから、もっと満たせと要求してくるのだ。
食べた物が奈落に吸収されているのかはわからないが、とにかく食べても食べても満腹にはならない。
ツェリシアの生活費は全て国が出しているので、国庫を空にするほど食べてやってもいいのだが、それではツェリシアが異常であると自ら知らしめてしまう事になる。
ツェリシアが奈落適合者でしかも既に封緘者と定められている事は誰にも知られてはいけないので、ギリギリのラインで食事量を抑えていた。
四~五人前程度なら、高魔力保持者ならあり得ない量ではないだろうから。多分。
ぱくぱくと食事を続けるツェリシアに、シスター・ウルフはニヤリと口の端を上げて言った。
「……最近、イイ事あっただろうから、余計に食事が美味しいんじゃない?」
「ヒヒホホ?」
ツェリシアが咀嚼しながら聞き返すと、シスター・ウルフは更に含みのある笑顔を向けて来た。
「匂いが変わったもの。近頃のツェリシアからはコイスルオトメの香りがするわ」
「え?ホント?」
ツェリシアは思わず自分の腕を鼻に近付けて体臭を嗅いだ。
「私のこの鼻は誤魔化せないわよ?なんたって聖狼様が憑依されてるんだからね」
「それは知ってるけど……」
シスター・ウルフは国教会が認める聖女だ。
洗礼式の時に国の守り神である聖狼ケンウルフの加護が降りた。
聖狼ケンウルフは風の精霊が憑依した狼だ。
どういう経緯でそうなったのかは謎だが、
450年前の王の友人が、国王就任の祝いとしてその聖狼を贈ったのだそうだ。
聖狼“ケンウルフ”という、真面目に付けたのかそれともふざけて付けたのかわからない名前もその男が付けたらしい。
やがてその聖狼も歳を取り、肉体が老いて朽ちても魂だけはこの国に留まり、気まぐれに聖職者に加護を与えて自身の能力を憑依させるそうなのだ。
シスター・ウルフも数少ないその一人で、当代では唯一の聖狼の憑依者だ。
人並み外れた嗅覚を授かり、邪念を持つ者や、悪霊が憑いたモノなど識別、そして物事の本質なども匂いを嗅ぐ事でわかるらしい。
あと異常に足が早く、穴掘りが上手い。
シスター曰く、人の感情にも匂いがあるのだそうだ。
同じ聖職者であり六傑の仲間であるミルソン司祭の匂いは胡散臭い偽善者の匂い、
聖騎士ブルサスの匂いは喧しい単細胞の匂いプラス実質的な脂臭い体臭がすると言っていた。(キツイ……)
「今のツェリシアちゃんからは甘酸っぱ~い恋の匂いがするもの♡」
「えーホントにぃぃ?ハニーレモネードを飲んでるからじゃないの?」
ツェリシアはわざと惚けてみせた。
だって……自覚はあるから。
その時、ツェリシアの背後からアルトの声がした。
「お待たせツェリ。デザートを持って来たよ」
「やった!ありがとうアルト」
デザートと聞き、ツェリシアがパッと笑顔になる。
ゴトリ。
と音を立てて、調理で使う大きめボウルがツェリシアの目の前に置かれた。
「わぁっ♡」
「………なにソレ」
置かれたボウルに思わず感嘆の声を上げるツェリシアとは対照的に、シスターが眉根を寄せてアルトに尋ねた。
「ベリートライフル・ツェリシアスペシャルですよ」
「トライフルって、そんなバケツみたいな大きさのボウルに入ってる物だっけ?そして置く時にゴトリなんて音を立てる物だっけ?」
シスターが凝視しながら言うと、何故かツェリシアがドヤ顔で答えた。
「アルトが食堂の厨房を借りて、わざわざわたし用に作ってくれたのよ。これなら何個も食器を汚さなくてもイイでしょ?」
「あ、そう……良かったわね」
シスターは半目になって言った。
これ以上ツッコんでも無駄だと思ったようだ。
「じゃあいただきます!」
「どうぞ召し上がれ…あ、ツェリ、待って」
そう言うとアルトはツェリシアの隣に座って髪を一纏めにした。
「髪にクリームが付きそうだったよ」
「ありがとう、アルト」
ニッコリ微笑んで礼を告げてからツェリシアはトライフルを口に運んだ。
「!美味し~いっ!ねぇ、シスターも一緒に食べましょうよ、アルトも」
それを聞き、シスターはハンカチで口元を抑えながら答えた。
「……結構よ、さっきからツェリシアが食べてるのを見てるだけで胃がはち切れそうなんだから……」
「俺もいいよ。ツェリのために作ったんだから全部食べていいよ」
「え~……じゃあお言葉に甘えて」
そう言ってツェリシアはパクパクとトライフルを食べ始めた。
「ん~~~♪♪♪」
ひと口ひと口を嬉しそうに食べるツェリシアを見つめるアルトに、シスターが話しかけた。
「……偉大な精霊魔術師サマは調理も出来るのね」
「うちの師匠、お菓子作りが得意なんですよ。昔はしょっちゅう作ってくれて。それを見ているうちに作り方を覚えました」
「へ~楽しいお師匠さんね」
「楽しい事を見つけて生きるのが大好きな人ですからね、そういえば貴女に加護を与えた聖狼に“ケンウルフ”なんてふざけた名前を付けたのもうちの師匠らしいです」
「えっ!?」
驚いたシスターが思わず大きな声を出す。
それが事実なら、アルトの師匠とやらは450年前から生きている事になる。
一体なんの冗談だ。
「冗談ですよ」
「やっぱり。驚かさないでよ」
「すみません」
柔らかく微笑んで謝辞を口にするアルトを見て、シスターは思った。
『どうも得体の知れない匂いがする人物ではあるのよねー……ツェリシアに向ける笑顔以外は温度を感じさせないし、それに……なんだろうこの匂い、現在のものとも過去のものとも未来のものとも言えないような匂いがする……」
シスターの心の内を感じ取ったのか、アルトは更にニッコリと微笑んだ。
それを見てシスターは肩を竦めた。
「まぁ今はいいわ、貴方に害意がない事だけは確かだから。私はもう行くわね、ツェリシアの事をよろしく」
「もちろんです」
「シスター、もう戻るの?」
ツェリシアがトライフルを食べる手を止めてシスターに言った。
シスターは優しく微笑んでツェリシアを見た。
「明日は経典の整理があるのよ。早く休んで明日に備えるわ。後は貴女の忠実な僕にバトンタッチ」
そう言ってシスターは食堂を出て行った。
「チュウジツなシモベ……」
ツェリシアはちらりとアルトの方を見る。
アルトは特に気にした様子もなく、ツェリシアが食べ終えた食器をトレイにまとめていた。
台拭きまで厨房から持って来てテーブルを拭いたりまでしている。
汚したのはツェリシアなのに。
『…………いけないわ。超絶美形な精霊王(ツェリシアの勝手な妄想)と話を付けれるほどの人物に、こんなお母さんみたいな事をさせていては……』
アルトの面倒見の良さは昔からで、
10年ものブランクを微塵も感じさせない世話焼きっぷりについつい甘え過ぎてしまっていた。
アルトだって年若い青年。
婚約者も恋人も居ないなら、早々に見つけて青春を謳歌した方が良いに決まっている。
いずれ居なくなるツェリシアの介護をしている場合ではないのだ。
よく見れば食堂のあちらこちらで、アルトに向けて秋波を送っている侍女や女性文官や女性騎士達がいる。
アルトさえその気になれば、すぐに相手は見つかるだろう。
『よし!ここはひとつ、このツェリシアさんがひと肌脱ごうじゃないの!』
アルトには幸せなって欲しい。
『アデリオールにいるコルベールのおじ様とおば様に可愛い孫を一日でも早く見せてあげないとダメよアルト!』
ツェリシアはもっと自分がしっかりして、アルトが安心して他の女性に目を向けられるようにしなければと思った。
つきん。
いや、これは決して胸の痛みなどではない。
これはそう、ただの心筋の痛みだ。
ツェリシアはトライフルをつつく手を止める事もなく、パクパクと景気良く食べながら、まずは唯一の友人と呼べるエリーゼをもう一度ちゃんと紹介しようと思い付く。
その様子を見てアルトが言った。
「……また良からぬ事を考えてるんだろ」
「えっ!?良からぬ事っ!?考えてないわ、良い事なら考えているけど」
「……とりあえず、今思い付いた企みはやめておく事だ」
「た、企むなんてっ……」
『なぜわかった!?読心術でも使えるの!?』
ツェリシアはアルトの気を逸らして誤魔化すために違う話題を振ってみた。
「そういえば何故アルトがこの国に派遣される事になったの?アデリオールなら他にも沢山の精霊魔術師が居るでしょう?」
ツェリシアの質問にふいに表情を固くしてアルトは答えた。
「……俺が封滅魔術に特化してるからだそうだ」
「……え?」
「アブラス側からの希望は、精霊の扱いに長けた者と、対象を封じ込めて一瞬で消滅させる術を持つ者を送って欲しいとの事だったそうだ。そこで両方出来る俺が選ばれた」
「……な、何を封滅するように言われたの……?」
ツェリシアは声が震えるのを必死に堪えて尋ねる。
「………言いたくない」
「人?」
「言いたくない」
人なんだ。
つまり、アルトは、精霊喰らいとはまた別件で、ある人間を封滅するためにこの国に呼ばれたんだ。
一瞬で髪の毛一本残さず消さなくてはならない人間、
それは厄災を封緘した封緘者しかいないだろう。
つまり、アルトは………
『ああ……あなたなんだ……』
その思いはすとん、とツェリシアの中で落ち着いた。
アルトは、厄災を封じ込めた後の封緘者に引導を渡す役目でこの国に来たのだ。
『あなただったのね』
でも不思議と悲しくはなかった。
むしろこのタイミングで再会させてくれて、神さまに感謝したいくらいだ。
『だって、どうせ殺されるなら、あなたがいい』
不義理をした過去を相殺させて貰えるから。
支度金を返さず、国にわたしの親権を渡す為に多額の金銭を要求し、婚約解消の手続きもきちんとせずに放置していた両親。
『わたしの母と義父が犯した罪をちゃんと償わせて貰えるから』
ツェリシアは今こそ鋼の心で鉄壁の笑顔を武装した。
そして胸の内を悟られないよう美味しそうにトライフルを食べ続ける。
ツェリシアが封緘者だと知った時、アルトは驚くだろう。そして悲しむだろう。
でもきっと……それしか道は無いとすぐに理解し、
ツェリシアが苦しまないように最善の方法で殺してくれるだろう。
『アルトの事だ、痛くも怖くも無い、わたしに優しい殺し方を選択してくれるはず』
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