さよなら、私の初恋の人

キムラましゅろう

文字の大きさ
9 / 10

さよなら、私の初恋の人

週明け、とうとうハロルドとエドモンズ公爵令嬢レティシアとの顔合わせの日となった。

その日もリリシャはいつも通りに登城し、いつも通りに皆と挨拶を交わし、いつも通りにハロルドの自室へと向かった。

朝、侍従に起こされたハロルドが朝食を終えてもうそろそろ自室に戻ってくる頃合いだ。

リリシャが今朝自邸の庭から摘んできた芍薬を花瓶に活けていると案の定ハロルドが部屋に戻ってきた。

『よかった……侍従さん、ちゃんとあの服を用意してくれたのね』

あの服とはもちろん、今日の顔合わせのためにリリシャが選んだシャンブレーシャツにグレンチェックのベストとテーパードパンツである。
事前に侍従に頼んでおいたのだ。
週明けには必ずこの服を着せて欲しいと。

リリシャはホッとしながらハロルドに朝の挨拶をする。

「おはようございます、ハロルド様。今日はとてもよいお天気ですわね」

「おはようリリ。キレイな花だね」

ハロルドがリリシャが手にしている花を見てそう告げた。

『ふふふ…かかりましたわね、ハロルド様』

リリシャは花を目にしたハロルドがそう言ってくれるのを見越してこの花を持参したのだ。

「ありがとうございます。でも……私ったらついうっかりして……」

「うっかり?珍しいなリリシャがうっかりなんて、どうしたの?」

「それが……この芍薬と共に活けようと思っていたアルケミラモリスを摘んでくるのを忘れてしまいましたの」

「へ~、そっか残念だったね」

なんの気なしにといった態でそう言ったハロルドにリリシャは笑顔で告げる。

「……残念だったね、で終わらせるおつもりですか?」

「え?」

「私はこの芍薬には絶対アルケミラモリスを合わせようと楽しみにしていましたのに、それが出来なくなってしまったのですよ?」

「それが?」

リリシャは花瓶をハロルドに押し付けた。

「今、王宮の南側の庭園もちょうどアルケミラモリスが見頃を迎えておりますわ」

「だから?」

「もう!察しがお悪い!ハロルド様、魔法のお勉強だけでなく女の言葉から真意を汲み取る術も学ばねばいけませんわよ!」

「な、なんだよ藪から棒に……リリ、何が言いたい?」

「午前中の語学の授業の後で結構ですから庭園でアルケミラモリスを摘んできて頂けませんこと?」

「ん?俺が?……まぁいいけど…じゃあせっかくだから散歩がてらリリも一緒に行かないか?」

「私はご遠慮いたしますわ」

「どうして?」

「その時刻は侍女さんたちの読書感想会に参加しますの」

「例の異色の恋愛小説GGLか」

「GGLはファンタジー小説だと申し上げているでしょっ」

「まぁいいよ。そういう事なら俺が取ってきてあげるよ。そのアルケミストってやつを」

「アルケミラモリスですわ」

リリシャはにっこりと笑ってそう告げた。

上手くいった。
上手くハロルドを南の庭園へと誘導できた。

リリシャは徐にハロルドに近づいた。

「……またボタンをかけ違えていますわよ。いつまでもこのような事ではハロルド様が困るんですからね」

そういってかけ違えられているボタンを直す。
ハロルドはいつものようにさせるがままでリリシャに返す。

「別に困らない。こうやってリリがかけ直してくれるから」

その言葉を聞き、リリシャの胸がぎゅっと苦しくなる。

「……私だっていつまでも、いくらでも、ボタンくらいかけ直して差し上げたいですよ」

「リリ?」

リリシャはボタンをかけ直し、ぽんとお腹を優しくたたいてハロルドに告げる。

「はい出来ました。それじゃあハロルド様、アルケミラモリスをお願いしますわね」

「あ、ああ……」

「ふふふ」

リリシャは精いっぱい微笑んだ。

ハロルドは訝しげな顔をしつつ、今日予定されている授業へと向かって行った。

その背中をリリシャは黙って見送る。

思わず彼を引き止めてしまいそうになる自分を律して。


ハロルドが語学の授業を受けている時、リリシャはせっかく王宮に来ているのだからという王妃の計らいで淑女教育を受けている。

以前はハロルドと共に様々な授業を受けていたが、ハロルドのレベルについていけなくなったリリシャのために特別なカリキュラムが組まれたのである。

ハイレベルな一般教養に加え、刺繍、レース編み、ピアノレッスンetc……毎日何かしらの授業を受けさせて貰っていた。

今日は友好国の歴史の授業であった。
それが終わり、その後の予定もないリリシャは一人ハロルドの部屋で読書をしていた。

もちろん、読書感想会に参加するなんて嘘だ。
感想会は主に侍女たちのおやつタイムに開かれる。
リリシャはその時間によく侍女の支度部屋にお邪魔してGGL談議に花を咲かせるのだ。


「ふぅ……」

リリシャは読みかけの本を閉じてため息をく。
さっきからちっとも文字が頭に入って来ない。

ハロルドはもう南の庭園へと行ったのだろうか。

語学の授業はとっくに終わっている時刻である。

ハロルドはハチャメチャな性格だが約束を違えるようなことはしない。
アルケミラモリスを摘んでくると約束したのだから必ず庭園に向かうはずだ。

もう、レティシア嬢と対面したのだろうか。

兄王子や父王のように一目惚れをしたのだろうか。


『でもまさか、ご令嬢の顔だけ見てすぐに戻って来たりはしないわよね?』

それも無きにしも非ずで、リリシャは急にそわっとした。

どうする?すぐに戻って来たら叱りつけて庭園に連れ戻す?
それともまた別の日に日程を組み直す?
騙し討ちのような形となったことをハロルドは怒るはずだ。
それを宥めなくてはならないのだから、今日のところはレティシア嬢にはお引き取り願おうか……?

その場合はどうするべきか、リリシャは部屋をウロウロしながら考えた。


しかしそんな心配は徒労に終わる。
ハロルドはすぐに戻ってくるようなことはなく、それどろこか午餐の時間になっても戻っては来なかった。

侍従に確認したところ、レティシア嬢と王家の図書室へと入ったきりだそうだ。

そんなに長くほぼ初対面の令嬢と共に時間を過ごすなんて……。

『……なんだ……ハロルド様はレティシア嬢をお気に召したのね……』

とんだ肩透かしである。

リリシャはがっかりしている自分に自嘲した。

ハロルドの幸せを願っていながら、心のどこかではハロルドが知らない令嬢をいきなりは受け入れられないのではないかと思っていたのだ。

いつまでも変わらない想いに囚われているのは自分だけだった。

ハロルドはきっと今日、新たな一歩を踏み出したのだ。
自分の人生の伴侶となる人と出会えた、そんな転機を迎えたのだろう。

「私も変わらないと……」


ハロルドへの想いは今日を限りに捨ててしまおう。

いつまでも叶わない初恋にしがみついているわけにはいかないから。


「さよなら、私の初恋……」

リリシャはそっと目を閉じる。

瞼に浮かぶは屈託なく笑うハロルドの顔。

リリシャはもう一度つぶやいた。

「さよなら、私の初恋の人」



結局、夕方リリシャが帰宅する時刻となってもハロルドは戻っては来なかった。

そんなにレティシア嬢が気に入ったのかと、ハロルドの分かりやすい性格にもはや笑ってしまう。

いつまでもこうしていても仕方がないので、リリシャは帰ることにした。
いつものように停車場まで行き、王宮が手配してくれている馬車に乗り込もうとした時、同じように馬車に乗ろうとしている令嬢に気がついた。

「エドモンズ公爵令嬢……」

今日、ハロルドが顔合わせをした彼の筆頭婚約者候補であるエドモンズ公爵令嬢レティシアの姿を目にして、リリシャは思わず口に出してしまった。

「あら、あなたは……たしか、ブラウン男爵令嬢リリシャ様でしたわね?」

リリシャの声に気づいたレティシアがわざわざリリシャの元へと近寄ってきた。
リリシャは慌てて謝罪をする。

「申し訳ありません、エドモンズ公爵令嬢。不躾にご尊名をお呼びしただけでなくきちんと紹介も受けておりませんのに勝手にお声かけをするような形になってしまい……」

それに対しレティシアはさほど気分を害した様子もなく笑みを浮かべた。

「紹介……というのは違うかもしれませんが、お互いの友人であるハロルド殿下に免じて許されるのではないかしら?ふふ」

「あ、ありがとうございます」

格下の男爵家の娘の無礼を彼女は大丈夫だと言って笑ってくれた。
レティシア嬢の穏やかな人柄にリリシャはホッとした。

そんなリリシャにレティシア嬢は言う。

「殿下はもうお戻りになられましたか?私は殿下のご好意で王家所蔵の貴重な文献を沢山拝見出来ましたけれど、殿下は図書室から転移魔法でどこかに行ってしまわれて……」

「どこかに行ったっ!?……あ、ご、ごめんなさい」

レティシア嬢の口から聞かされた事に驚いたリリシャが思わず大きな声を出してしまう。
今日はマナー違反のオンパレードである。
だけど慌ててリリシャがまた謝罪すると、レティシア嬢は小さく首を横に振り、笑みを浮かべた。

「いいのよ。驚いて当然だわ。最初庭園で私と出会でくわした時も殿下はとても驚かれていたわ。そしてその後すぐに真顔になられ、私にこう仰ったの」


リリシャに行けと言われた庭園にエドモンズ公爵家の娘がいた事で全て察したらしいハロルドがレティシア嬢に、

「エドモンズ公爵令嬢、すまないが顔合わせはこの一度限りにして貰いたい」

と言ったそうだ。

自分には心に決めた人がいると。
その人以外の人間と人生を共にするつもりはないと、レティシア嬢に言ったそうだ。

「でも私も、じつはこの縁談を断ろうと思っておりましたの」

「ええっ!?」

思いがけないレティシア嬢の言葉にリリシャはまた大きな声を出してしまう。
だけどもうそれに構う余裕はなかった。

レティシア嬢は今なんと?
縁談を断ろうと思っていたとは?

頭が混乱して四苦八苦するリリシャを見て、レティシア嬢は手短で簡潔にだが事情を説明してくれた。

なんでもレティシア嬢には夢があるのだそうだ。

その夢とは小説家になることであり、兄たちや母を味方につけて、今必死に父親を説得しているのだとか。

元来娘に甘い父親だからいずれは認めてくれそうなのだが、公爵家としても慣例の顔合わせだけは無視できないと父親は言ったそうだ。

なので一度だけ、とりあえず一度だけでも王子と顔合わせをして、後は体調不良とでもなんでも理由を作って候補者辞退を願い出るからと、父親である公爵に懇願されたらしい。

そうして臨んだ顔合わせで開口一番に聞かされたハロルドの言葉は、レティシア嬢にとっては渡りに船であったという。

「殿下はこれから行く所があると仰って、埋め合わせとして王家の図書室の鍵を貸して下さいましたの。おかげで小説のネタになるような貴重な資料を閲覧し放題でしたわ……でも、禁書や王族以外閲覧禁止図書の部屋には入れて頂けませんでした……」

「は、はぁ……それは……残念でしたわね……」

驚き過ぎて、もはやリリシャはそんな間の抜けた返事しかできなくなっていた。

「ハロルド殿下にくれぐれもよろしく」と言い残し、レティシア嬢は馬車に乗り込み公爵家へと帰って行った。


「どういうこと……?レティシア嬢と一緒に居たのでなければ、それじゃあ…ハロルド様は一体どこに……?」

茫然自失となるリリシャが馬車の前に立ち尽くす。

馭者が心配そうにリリシャを見るも、それに曖昧に笑って返す以外の余裕はリリシャにはなかった。


そしてその時、今リリシャの頭の中をいっぱいにしている人物の声が聞こえた。


「リリ」


「っ………!」



「リリシャ」


「…………」



リリシャは呆然としながらゆっくりと振り返る。


するとそこには、

両手で持ちきれないほどのアルケミラモリスを抱えたハロルドが立っていた。





───────────────────────



ちなみにリリシャが読もうとしていた本はもちろんGGL。
タイトルは【あしたのジジー】だそうです。


ふぅ、次回最終話です。

ギリ、ショートショートの話数に収まった?
(゚ロ゚;))((;゚ロ゚)ドキドキ
感想 200

あなたにおすすめの小説

さよなら私の愛しい人

ペン子
恋愛
由緒正しき大店の一人娘ミラは、結婚して3年となる夫エドモンに毛嫌いされている。二人は親によって決められた政略結婚だったが、ミラは彼を愛してしまったのだ。邪険に扱われる事に慣れてしまったある日、エドモンの口にした一言によって、崩壊寸前の心はいとも簡単に砕け散った。「お前のような役立たずは、死んでしまえ」そしてミラは、自らの最期に向けて動き出していく。 ※5月30日無事完結しました。応援ありがとうございます! ※小説家になろう様にも別名義で掲載してます。

すれ違う思い、私と貴方の恋の行方…

アズやっこ
恋愛
私には婚約者がいる。 婚約者には役目がある。 例え、私との時間が取れなくても、 例え、一人で夜会に行く事になっても、 例え、貴方が彼女を愛していても、 私は貴方を愛してる。  ❈ 作者独自の世界観です。  ❈ 女性視点、男性視点があります。  ❈ ふんわりとした設定なので温かい目でお願いします。

お飾りな妻は何を思う

湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。 彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。 次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。 そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。

王太子殿下との思い出は、泡雪のように消えていく

木風
恋愛
王太子殿下の生誕を祝う夜会。 侯爵令嬢にとって、それは一生に一度の夢。 震える手で差し出された御手を取り、ほんの数分だけ踊った奇跡。 二度目に誘われたとき、心は淡い期待に揺れる。 けれど、その瞳は一度も自分を映さなかった。 殿下の視線の先にいるのは誰よりも美しい、公爵令嬢。 「ご一緒いただき感謝します。この後も楽しんで」 優しくも残酷なその言葉に、胸の奥で夢が泡雪のように消えていくのを感じた。 ※本作は「小説家になろう」「アルファポリス」「エブリスタ」にて同時掲載しております。 表紙イラストは、雪乃さんに描いていただきました。 ※イラストは描き下ろし作品です。無断転載・無断使用・AI学習等は一切禁止しております。 ©︎泡雪 / 木風 雪乃

[完結]裏切りの果てに……

青空一夏
恋愛
王都に本邸を構える大商会、アルマード男爵家の一人娘リリアは、父の勧めで王立近衛騎士団から引き抜かれた青年カイルと婚約する。 彼は公爵家の分家筋の出身で、政争で没落したものの、誇り高く優秀な騎士だった。 穏やかで誠実な彼に惹かれていくリリア。 だが、学園の同級生レオンのささやいた一言が、彼女の心を揺らす。 「カイルは優しい人なんだろ? 君が望めば、何でもしてくれるはずさ。 でも、それは――仕事だからだよ。結婚も仕事のうちさ。 だって、雇い主の命令に逆らえないでしょ? 君に好意がなくても、義務でそうするんだ」 その言葉が頭から離れないリリアは、カイルの同僚たちに聞き込み、彼に病気の家族がいると知った。「治療費のために自分と結婚するの?」 そう思い込んだリリアに、父母がそろって事故死するという不幸が襲う。 レオンはリリアを惑わし、孤立させ、莫大な持参金を持って自分の元へ嫁ぐように仕向けるのだった。 だが、待っていたのは愛ではなく、孤独と裏切り。 日差しの差さない部屋に閉じ込められ、心身を衰弱させていくリリア。 「……カイル、助けて……」 そう呟いたとき。動き出したのは、かつて彼女を守ると誓った男――カイル・グランベルだった。そしてリリアも自らここを抜けだし、レオンを懲らしめてやろうと決意するようになり…… 今、失われた愛と誇りを取り戻す物語が始まる。

【完】お望み通り婚約解消してあげたわ

さち姫
恋愛
婚約者から婚約解消を求められた。 愛する女性と出会ったから、だと言う。 そう、それなら喜んで婚約解消してあげるわ。 ゆるゆる設定です。3話完結で書き終わっています。

報われない恋の行方〜いつかあなたは私だけを見てくれますか〜

矢野りと
恋愛
『少しだけ私に時間をくれないだろうか……』 彼はいつだって誠実な婚約者だった。 嘘はつかず私に自分の気持ちを打ち明け、学園にいる間だけ想い人のこともその目に映したいと告げた。 『想いを告げることはしない。ただ見ていたいんだ。どうか、許して欲しい』 『……分かりました、ロイド様』 私は彼に恋をしていた。だから、嫌われたくなくて……それを許した。 結婚後、彼は約束通りその瞳に私だけを映してくれ嬉しかった。彼は誠実な夫となり、私は幸せな妻になれた。 なのに、ある日――彼の瞳に映るのはまた二人になっていた……。 ※この作品の設定は架空のものです。 ※お話の内容があわないは時はそっと閉じてくださいませ。

【完結】他の人が好きな人を好きになる姉に愛する夫を奪われてしまいました。

山葵
恋愛
私の愛する旦那様。私は貴方と結婚して幸せでした。 姉は「協力するよ!」と言いながら友達や私の好きな人に近づき「彼、私の事を好きだって!私も話しているうちに好きになっちゃったかも♡」と言うのです。 そんな姉が離縁され実家に戻ってきました。