上 下
5 / 26

05

しおりを挟む
「久し振りの家ね……」

 領地にある実家に来るのは数年振りになる。
 ふぅ、と一息入れてから、家へと入ると、突然ギュッと腰に重みを感じた。

「おかえりなさいっ、お姉様!」
「ただいま、ルィン」

 まだ十歳になったばかりの弟ルィンは私とは違ってほとんどを領地で過ごしているから、滅多に会えない。それでも王都の家でしか会えない私をとても慕ってくれてる優しい子だ。
 婚約破棄を申し入れて、次の日には領地にやってきた。お父様がなるべく遠くにいたほうが安全だと言うから。なにから離れるのかはわからないけど、お父様の言うことだし、私もこれ以上リアム様の近くにいるのは苦しかったからお父様の言う通り領地にやってきた。
 久し振りの領地だけど、ルィンが歓迎してくれてホッとする。

「お姉様が領地に来るなんて初めてだよね! すっごく嬉しい!」
「ありがとう。ルィンにそう言ってもらえて、私こそ嬉しいわ」

 頭を撫でると満面の笑みを浮かべてくれるルィンに私も自然と笑みが浮かぶ。
 ルィンはすごいな。こうやって周りの誰かを笑顔にしてくれる。
 ルィンが生まれてからは一度も来たことがなかった生家に足を踏み入れると、カツンとヒールと音が響いた。

「シルヴィア。どうしてここに来たのかしら? もう二度とこの家には来ないのではなかったの?」
「申し訳ございません、お母様。挨拶だけでもしようとこちらに来たのですが、お母様の気分を害してしまいました」
「全くよ。ああ、こんな不出来な娘がわたくしにいるなんて、許せない……」

 母の言葉に弟は恐れたように私へと身をすり寄せる。
 お母様は、私が胸に傷をつけたその日から、私のことが嫌い。
 私と弟が十歳も歳が離れているのは、私を愛せなくなった母の精神を安定させるために弟を作ったから。本当だったら私は一人っ子で、リアム様は我が家に婿入りする予定だった。けれどそれがダメになったから、リアム様は継ぐ者がいなくなった公爵家に養子に入り、私はその妻となる予定だった。

「それに婚約破棄ですって? あなたのような欠陥品を引き受けてくださるのなんてリアム殿下以外いらっしゃらないのに……。我が家から修道院に入る娘が出るなんて最悪よ!」

 ルィンは初めて知ったようで、目を見開いて私を見ている。私は困って笑うしかない。
 お母様が私のことを快く思っていないのは昔からだし、ルィンも薄々は知っていただろう。なんてたって、私とお母様はほとんど顔を合わせないのだから。
 実際、顔をしっかりと合わせたのは二年前の私の成人の儀のとき。建国記念パーティーのときでさえ、お母様とは会話がなかったのだから、お母様の私嫌いは徹底されていると思う。

「すべて私の不徳にいたすところです。申し開きもございません」
「当たり前でしょ。そもそもあなたのような欠陥品がリアム殿下の婚約者だなんて身の程知らずだったのよ。当然の結果ね」

 その通りで、何も言えない。

「お母様! 久し振りのお姉様に対して少し意地悪が過ぎます! それでなくても王都から領地まで来て疲れてるのに……」
「まぁ! ルィンはいつも一緒のわたくしよりもたまにしか会わない姉の味方になるというの?」
「そういうわけでは……」

 困ってしまったルィンの肩にポンと手を置いてふるふると首を振る。するとルィンは「お姉様……」と悲しそうに呟いた。
 私とお母様の確執のせいで、ルィンに悲しい思いをさせてしまって本当にダメな姉だ。ルィンだって、本当だったら私とお母様に仲良くしてもらいたいだろうに。

「いいのよ、ルィン」
「お姉様……」
「お母様。わたくしは離れの小屋をお借りします。王太子殿下とエスタ様の結婚式が済めば、すぐにでも修道院に向かいますので、どうかその間だけでも小屋に住み着くことをお許しください」

 ドレスの裾を持ち上げてお辞儀をする。しばらく頭をあげなかった。するとカツンとヒールの音が響いて、その場からお母様が消える。
 なにも言わなかったということは、存在を無視するということ。つまり、小屋を借りても問題なしね。
 お母様のお許しを得たことにホッとする。もしもダメだと言われてしまったら、宿にでも泊まろうと思っていたから。別にいいのだけど、すぐにこの家を出る身としてはあまり余計なことにお金を使いたくない。

「お姉様、修道院に行ってしまうの?」

 ポツリとルィンが呟いた。
 そういえば手紙は二通用意して、お母様の方には婚約破棄の件と修道院へ入る件のことは書いたけど、ルィンには領地に泊まるということしか書いてなかった。
 失敗したな、と思う。ルィンは姉思いの優しい子。私が修道院に行くと知ってしまったら、止めようと思ってくれるだろう。

「あのね、ルィン……」
「やだ! 修道院って大変なんだよ! ぼくたちと会えなくなるんだよ! あと二年経ったらぼくも王都に行って、お姉様と暮らせるのに……。やだやだ! 修道院に行っちゃやだ!」

 私のドレスに顔を埋めて、イヤイヤと首を振るルィンに頭に手を置きながら考える。
 さて、どうしよう……。


「お姉様とピクニックだなんて初めてですね!」

 次の日のピクニックで妥協してもらった。ルィンも大人っぽく見えてもまだ子どもね。
 もちろん二人きりじゃない。護衛が三人と人とメイドが二人。本当だったら護衛が五人になるところだったけど、ここは王都と違って危険は少ない。お父様の領地経営は立派で、貧富の差は少ない。国の中でも住みたい領地一番だと言われてる。宰相職も忙しいのに、立派なお父様だと思う。
 この国には宰相職に就いてる貴族は三人いて、お父様は第三宰相。他の国は宰相職に就くのは一人だけだから、それと比べたら忙しくないのかもしれない。それでも、やっぱりお父様は立派だ。

「むー、やっぱりお姉様と二人きりがよかった」
「申し訳ございません、坊っちゃま。この辺りは平和とはいえ、護衛もなしに二人きりでのお出かけは危険でございます」
「そうよ、ルィン。わがまま言ってはダメよ。みんなお仕事なんだから」
「はーい。ね、お姉様。この先に綺麗な泉があるんだ! お姉様は知ってる?」
「泉?」

 にこにことルィンが私に訊ねる。
 泉というと、あそこのことだろうか。領地に住んでいたときに一度だけリアム様と行ったことのある綺麗な泉。
 曖昧に首をかしげると、ルィンはいたずらっ子のような満面の笑みを浮かべた。

「じゃあね、僕が案内してあげるね。お姉様も絶対気にいるよ! ずっとここにいたくなるよ!」

 ルィンにそう言われて気づいた。ルィンは私が修道院に入ることを誤魔化されてくれたんだな、って。
 私なんかよりもよっぽど大人の対応だ。
 私の手を握り、先導するルィンに笑みを浮かべる。こうして私に気を遣ってくれるルィンがとても優しくていい子だと思う。
 私もしっかりしなくちゃ。

「ええ。ルィン。そんな素敵な泉を早く見たいわ」
「うん! あのね、たまにユニコーンも出るって噂なんだよ。僕は見たことないけど、街の女の子で見たことがあるって子がいるんだって」

 ユニコーン。それってとても危険な幻獣じゃなかったっけ?
 そんなところにルィンと一緒に行っていいのかと不安になっていると、後ろから着いてきているメイドの一人が私に耳打ちする。

「ユニコーンはただの噂なので問題ないかと。ただ馬を見間違えたとの情報が入っております」
「そう。それならいいわ。ありがとう」

 この土地に住んでいるメイドがそう言うならそうなのだろう。

 たしかにユニコーンは見てみたい気がするけど、あれは処女以外の人間には獰猛と言われているからルィンたちが危険だわ。
 またいつか機会があればいいなと思うけど、そんな機会は二度と訪れないだろう。
 修道院に入ってしまえば外に出ることは生涯ないと言われている。それほど、修道院の戒律は厳しいらしい。

「ほら、ここだよ、お姉様。家からもすっごく近いでしょう?」

 途中まで馬車を使ったとはいえ、本当にすぐ近くにその泉はあった。キラキラと水に光が反射して、大きな木が泉を隠していた。
 やはり、幼い頃に来たことのある泉だ。
 幼いときに来た時はもっと遠くにある泉だと思っていたのに、敷地内にあったなんて。

「すごく……綺麗だわ……」
「でしょ? たまにね、友達とピクニックするんだぁー」

 そう言いながらルィンはメイドたちが簡易テーブルを取り出しピクニックの用意をしているのをいそいそと手伝い始める。
 おそらくルィンの言ってる友達は貴族ではないのだろう。
 そっか。ルィンは友達がいるのね。一人じゃなくてよかった。

「楽しそうね」
「うん! あ、でもお母様には内緒にしてね? バレたらきっと怒られちゃう!」
「ええ、もちろんよ」

 お母様は生粋の貴族だから、ピクニックなんて絶対に嫌がるし、ルィンの友人に平民がいたなんて知ったら烈火のごとく怒るだろう。
 そんな秘密を私に教えてくれたルィンに嬉しくなっていると、ピクニックのメインイベントとも呼べるお弁当の準備が整った。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

やり直すなら、貴方とは結婚しません

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,043pt お気に入り:4,316

異世界ライフは山あり谷あり

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:1,208pt お気に入り:1,552

【完結】魔王様、溺愛しすぎです!

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:312pt お気に入り:4,862

異世界転生雑学無双譚 〜転生したのにスキルとか貰えなかったのですが〜

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:1,172pt お気に入り:33

聖女召喚に巻き添え異世界転移~だれもかれもが納得すると思うなよっ!

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:1,327pt お気に入り:846

婚約破棄されたら、国が滅びかけました

Nau
恋愛 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:99

婚約破棄されたけど前世が伝説の魔法使いだったので楽勝です

sai
ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:1,810pt お気に入り:4,186

恋愛短編まとめ

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:149pt お気に入り:561

処理中です...