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撤退か降伏か

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撤退か降伏か、どちらも不名誉な選択だが、無駄に兵を犠牲にしたくないという思いがある。しかし、撤退して、この敗走の責任を押し付けられて、難癖付けられて祖国が攻められるのは軍師はいやだった。
敗走した原因が自分たちにないことを証明してみろとか、言われるかもしれないが、とりあえず、今は無駄な死者を一人でも減らす撤退戦に徹していた。勇者たちが戻ってきて、一時的に押し返したようになったが、強化役の神官と治癒役の賢者を触手にさらわれたためその優勢は一時的となり、軍師の目の前で負傷者が量産されていた。
小さな軍師は、とにかく、全滅を避けるため兵を鼓舞し、門へと徐々に引き下がった。
生きていれば、弁明の機会も再起の可能性もあると、巨人のこん棒で吹き飛ばされる兵たちを目撃しながら必死に指示を出し続ける。
強化の神聖魔法が切れて、疲労が見える勇者は、それでも聖剣を振り回して鬼神のごとく戦っていた。短槍を吸血鬼の姫に折られ、死んだ手近な兵士の剣を拾い奮戦を続ける女戦士。赤備えの皇女も傷ついた兵に肩を貸しながら後退に手をかしている。一人でも多く無事に人間界に撤退させるため、軍師は頑張っていた。
勇者たちが本来の実力を出せたら、違っていただろうが、賢者と神官を失った勇者たちには明らかに勢いがなく、それをいいことに人狼やコボルト、トロールたちが人間たちを追い詰めていた。
無様ではあるが、小さな軍師は、皆が門をくぐるまではと戦場に踏みとどまる。が、急に忠犬の騎士の脇に抱きかかえられたので小さな軍師は困惑した。
「こ、こら、な、なにをする・・・」
「我々で、最後です」
ブンと唸る巨人の斧を交わして、人間界へと続く門に飛び込む。
情けない敗走なのは分かっているが、いくら小さいとはいえ小脇に抱えられての撤退とは、惨めだったが、門の闇を抜けて人間界側に出ると、先に逃げていた兵士たちが拍手で軍師を迎えた。
小さな軍師はしんがりを見事に勤めて、多くの兵士を人間界に生きて返したのだ。
後世、彼女の生涯をまとめた書物で、必ず取り上げれる撤退戦の幕は閉じた。
「追手は?」
「いえ、追撃はないようです」
「おい!」
「はい?」
「いつまで抱えている。皆が笑っているぞ」
小さいと皆知っていたが、その人形のように小脇に抱えられた姿はさらに愛くるしく見えた。
「失礼」
騎士は謝罪しながら彼女を地面に下した。軍師は怒りたかったが、別のことを口にした。
「まだ、油断するな、元気な者は敵の追撃がないか門を見張れ、負傷者の治療を優先」
「誰か、この近くの砦に救援の要請をしたか」
「いえ、まだ、みな休んでいて、伝令を出しておりません」
近くにいた兵が、手短に軍師に答えた。
「ばかもの! 急ぎ人を出し、薬や包帯、ケガ人を見れる医者の手配を頼め」
「は、では私が」
生き残りで比較的無傷な兵が自ら志願して、門に比較的近い砦に向かって駆け出していた。
改めて生き残った者たちを見る。ほとんどみな疲れて地面にぺたんと座っているが、賢者を除く勇者たちは健在だ。
門の向こうに賢者と神官を残してしまったが、あの状況では仕方ない。
門の守護に三千はいたはずだ。軍師の見たところ、その大部分が無事に門をくぐって命からがら人間界に帰還したようだ。とりあえず、全滅ではない。しかし、勝ち負けでいえば、完敗だろう。
小さな軍師はぺたんと地面に座り込んだ。のちに、この生き残りが軍師を支える精鋭部隊に育つのだが、今はみな疲れて地面に座り込んで休むので精一杯だった。

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