神殺しの英雄

淡語モイロウ

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第二章

#28

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 歩を進めるにつれて、周りの景観は徐々に人気のないものとなっていく。
 エリックが目指しているのは町外れの一角にあるという一軒家。
 そこに目当てとする人物がいると教えられたものの、首を傾げるばかりである。
 教えてくれた食堂の店主は、とにかくこの町に刻印師がいることをひた隠しにしようとしていた。
 食堂を去り際に、念には念を押すように三度も他言無用を強いてきたのだから、気にならないわけはない。
 疑問に耽るうちに、気付けば目的地であろう場所に辿り着いていた。
 住宅地を抜けた先に、まるでその一軒だけが除外されたように建つ家屋。
 未だ疑問を残しつつも、ここに来た目的を果たすための足を止めたのは、家屋より聞こえてきた激しい音だった。
 何かがぶつかる音。壊れる音。そして子供の泣き声。
 入り口の扉が勢いよく開き、誰かが出てくるよりも早くにエリックは家の外壁に張り付いて身を隠していた。
 そっと顔だけを覗かせると、下卑た笑い声を上げながら立ち去っていく男たち数人の後ろ姿が見える。
 善良な一般人、には到底見えなかった。

「父ちゃん、父ちゃん!」

 家屋の中からは必死な子供の声が聞こえて、エリックは室内へと踏み入る。
 中は酷い有様だった。
 まるで屋荒らしにでもあったかのように、家具は倒され、壊されて、壁や床に穴まで空いている始末である。
 そんな荒らされた室内で、一人の男性が倒れ込んでいる。傍らには少年が泣きながら座り込んでいた。
 すぐに駆け寄る。ほぼ間違いなく、この男性が刻印師のリセトという人物で間違いないだろう。
 手酷い暴行を受けたらしく、顔は腫れて口の端から血が出ている。何より右腕が痛むのか、左手で押さえながら苦悶の表情で呻き声を漏らしていた。
 さっき出て行った荒くれ者らしき男たちと部屋の惨状から、何が起きたのかは聞くまでもない。

「医者は?」

 突然問われて、少年が驚いたようにエリックを見る。

「この町に医者はいるのか? いるなら呼んできてくれ」

 見ず知らずのエリックに唐突に指示されて、少年は困惑している様子である。
 しかし、今、取るべき行動に気付いたらしく、涙を堪えて力強く頷いてから部屋を飛び出して行った。
 残ったエリックは部屋を見回してから、倒れているリセトへと視線を落とす。
 大丈夫か、などと問いかけるのは愚問に過ぎるだろう。
 どう見ても大丈夫ではない。
 大量に出血などはしていないようだが、怪我の度合いがどれほどなのか、医者ではないエリックには分からず・・・
 結局、この場で今、自分に出来ることはないと判断して、医者が来るのを待しかなかった。
 ややあって、戻ってきた少年が家の中に駆け込んでくる。数拍遅れて、大きな鞄を手に持った初老の男性が息を切らせて入ってきた。
 どうやらこの人物が医者らしい。部屋の荒れように驚きつつも、倒れているリセトを見つけるとすぐに駆け寄り、手当てを開始する。
 その間、エリックは壁際まで下がり、待つことにした。
 手当ては程なくして終わった。どうやら大した怪我はなかったようである。・・・右腕以外は。

「あんた、誰だい?」

 医者が帰った後、可能な限り片付けた室内でリセトはようやくエリックに尋ねた。
 その右腕には分厚く包帯が巻かれている。
 エリックはここに到達するまでの経緯を話した。
 全てを聞き終えたリセトが納得したとばかりに頷く。

「成る程。彼からの紹介なら、仕事を受けてやりたいのは山々なんだが・・・」

 言いかけて、包帯の巻かれた右腕を見下ろす。
 診断結果は骨折。とてもじゃないが、刻印を施せる状態ではなかった。

「さっきの奴らは何だったんだ?」

 ここに至り、ようやくエリックは立ち去っていった暴漢たちの正体について尋ねた。

「朱楼閣に雇われた用心棒・・・という名のゴロツキ共さ。私が隠れて刻印を施しているのがバレて、ね」

「・・・災難だったな」

 取って付けたようなエリックの言葉に、リセトは苦笑を浮かべる。

「いや、そうでもない。本来なら私は投獄されているところを腕一本の怪我で済んだんだ。むしろ幸運なことだよ」

 何とも不可解なリセトの言葉に首を傾げていたエリックだったが、それが意味するところを察した途端、思わず声を上げていた。

「あんた、まさか・・・資格証もっていないのか!?」

 刻印師は資格職である。その職名を名乗って活動するには確たる証明が必要となる。
 もし、エリックが罪の所在を明るみにすれば、リセトが先程自分で言った通り投獄されてもおかしくはない。事の次第によっては極刑に科される可能性だってある。
 それだけ、刻印を無資格で施すことは重罪とされているのが今の世の中だ。
 勿論、エリックはそのことを公表する気はない。リセトもそんなエリックの人柄を見抜いたからこそ、打ち明けたのだろう。
 しかし、二人の間で無言の内に交わされた了解の意に気付いていない第三者は、声を上げて割り入ってきた。

「違うよ! 父ちゃんはちゃんと資格証を持った、歴とした刻印師だ! でも・・・ある日突然、無くなっちゃったんだ!」

 リセトの傍らに立っていた少年が、断固として否を唱える。
 その頭にそっと、リセトは左手を置いた。

「絶対に、あいつらの仕業なのに・・・」

 悔しげに顔を歪めて、足下に視線を落とす少年の頭を慰めるように優しく撫でてから、リセトはエリックに言った。

「残念だが、あんたの要望は叶えてあげられそうにない。腕がこんなんじゃあ、ね・・・」

 包帯の巻かれた右腕に視線を向けながら申し訳なさそうに言った後、リセトは目を伏せながら言葉を続ける。

「刻印師はすべからく、持てる技術を人々のために広く使うべし・・・そう教えられた通り、今までやってはきたが、もう限界らしい。刻印師家業は、今日で辞めにする」

 突然の宣言にエリックは驚いたが、それ以上に驚いていたのはリセトの傍らに立つ少年である。

「うちには母親がいないんだ。私までいなくなったら、息子は一人になってしまう」

 咄嗟に反駁しようとした少年ーーーリセトの息子は、慈しみの言葉に何も言えずに声を詰まらせた。

「本当にすまない・・・」

 エリックに頭を下げて謝ってから、リセトは大粒の涙を零して泣く息子を左腕だけで抱き締めた。
 そんな二人の様子に、エリックはただ途方に暮れて立ち尽くす他なかった。
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