神殺しの英雄

淡語モイロウ

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第二章

#33

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   次の日も、エリックは朝から町へと出掛けていた。
 ただ、その足は淀みなく、目的地と定めた場所へと歩みを進めていく。
 昨日見かけた長蛇の列はなくなっていた。
 今日から作業に集中すると言っていたから、当分は見ることはないだろう・・・そう思い、目的地の小さな食堂に一歩足を踏み入れようとして、

「・・・」

 エリックは言葉を失った。目の前に広がる光景に。
 人がいた。もの凄い数の人々が店内にいた。
 いや、いたというより、ぎっちりみっちり詰まっていると表現した方が正しいか。
 昨日行列を成していた人々が全員この狭い店内に押し込められたかのような、凄まじい人口密度である。

「エリック!」

 誰かが自分の名前を呼んだ。しかし、誰が何処から呼んだのか見当がつかない。
 視線をせわしなく動かして、声の主を探す。
 すると、人の壁を押し退けて長身の美貌が現れた。
 アレクトラである。
 無理矢理に突破して来たらしく、結った黒髪が少し乱れているが、そんなことを気にも留めない様子でエリックの手を素早く掴んだ。

「来てくれたのね! 嬉しいわ!!」

 弾む笑顔と声で出迎えられて困惑するエリックに、突き刺さるいくつもの視線。
 店内を埋め尽くす人々ーーー全員が男である。
 敵意剥き出しーーー下手をするとそれは殺意と呼んでも差し支えない険しいもので、射殺さんばかりの視線の数々だった。
 だが、その視線攻撃も長くは続かない。
 エリックの全身をじろじろと遠慮なく眺めて、己と相手の格の違いを思い知らされたことにより戦意を喪失。
 更には、アレクトラがその腕に手を回して身体を密着させる様を目の当たりにした瞬間、彼らの心は砕かれた。
 意気消沈した体で、ぞろぞろと出て行く敗者然とした男たちを見送った後、アレクトラが寄せていた身体を離して息を吐く。

「ありがとう。助かったわ」

 礼を言われても、何もしていないエリックは怪訝な顔をするばかりである。

「色々とお誘いを受けちゃって・・・でも仕事に支障が出そうだから、そろそろお引き取り願おうと思ってたところなの」

 そこへ丁度エリックが訪れたので、利用するような真似をしてしまった。ごめんなさいと、今度は謝られて、エリックはますます反応に困ってしまう。
 これだけの美貌である。男が寄りつかないわけがない。
 アレクトラも色々と苦労しているのだと思うと、同じように容姿で面倒事をに巻き込まれがちなエリックは、少々同情にも似た感情移入をしてしまいそうになった。

「あ、待って」

 カウンター席の方へ歩き出そうとしたエリックを、アレクトラが腕を掴んで引き留めた。

「もし、良かったら・・・隣に居てくれない?」

 突然の申し出である。
 不思議そうにその理由を問いた気なエリックに、アレクトラは店の入り口に視線を向けた。
 そこには、まだ諦めきれない様子の、恨めしい視線の数々があった。
 今、エリックが離れたら、再び店内に踏み行ってきそうである。
 その執着は呆れに値する。
 頷いて了承したエリックを、アレクトラは自分の席まで引っ張っていき 自分が座っていた隣に椅子を移動させて着席を勧めた。
 エリックが腰掛けるのを見届けてから、アレクトラも自分の席に座ると、途中になっていた作業を再開する。

<言霊を以て命ずる。我が技を宿す力となれ>

 言霊の詠唱に反応したのは、手に持っていた彫刻刀だ。
 アレクトラの顔から笑みが消え、真剣みを帯びる。
 雑念を捨て去り作業に集中する刻印師の横顔を、エリックは静かに見つめるばかりであった。
 アレクトラは約定通り、エリックの双剣から刻印を施してくれている。
 彫刻刀が刃の表面を削り、痕を残していく。
 その際に生じる筈の、金属同士が擦れ合う不快音は、不思議と響いてこない。
 おそらくは彫刻刀に施した言霊の力に因るものであろう。
 エリックも刻印師の仕事を直に見るのは、これが初めてなので詳しいことはよく分からない。
 だが、アレクトラの刻印師としての腕が一流なのは、見ているだけで分かった。
 刻み込まれる流麗な書体。素人目から見てもかなりの手際の良さである。

「そんなに珍しい?」

 不意に声をかけられて、はたと我に返ったエリックは、食い入るように見つめ込んでいた自分に気付いた。

「悪い、邪魔したか?」

「ううん、平気。気にはなってないから」

 作業の手を止めないまま、アレクトラが言葉を返す。
 そうは言っても、やはり話しかけるのは集中の妨げになるだろう。
 それ以上エリックから話しかけることはなく、アレクトラも言葉を発することはなかった。
 店の入り口より視線を向けていた連中も、気付けばいなくなっている。
 静かな時間が流れる中で、エリックはここに来た目的を自分に再認識させた。
 刻印の処置が終わったら知らせてくれる。昨日アレクトラはそう言っていたので宿屋で大人しく待っていても良かったのだが、エリックにはどうしても気がかりなことがあった。
 昨日の連中ーーー酒楼閣の用心棒を名乗るゴロツキ共が、このまま大人しく引き下がっているわけはない。
 必ずまた、奴等はやって来るだろう。それも、今度は人数を増して。
 アレクトラは中々に強いが、多人数に囲まれればどうなるか分からない。
 何となく照れくさくて言えないが、心配だったのだ。
 あとは、そこに個人的な理由を付け加えるならば、刻印が完成するまで待ちきれなかった、というところだろう。
 腕を組み、入り口を睨むように見据えていたエリックが、ふと視線を感じた。
 カウンター席の向こう側ーーー煮炊きを行う調理場で、食堂の店主が何故か右手の親指を立てて片目を瞑って見せた。
 何かを応援している? ようにも見える仕草だったが、エリックにはそれが何に対するものなのか見当がつかず、首を傾げてから視線を元に戻した。
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