足跡を辿って

清水さわら

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Scene2

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 綺麗な花に棘がある理由を、今更になって知ることとなった。
 きっかけは彼女の存在である。
 青白い陶器に桜の花弁で色付けした薄い唇を描き。意志の強そうな切れ長の目を付け加え。墨に浸した絹糸を上から被せれば、おおかた白鳥迦夜という人物の顔が出来上がる。おまけに赤い縁の眼鏡をかけてやればより完成に近づく。
 天然には見えないほど均整のとれた顔つきには、冷たい美しさがあった。
 触れてしまえば、そこから人肌の温もりによって溶けてしまいそうで。何人も寄せ付けない弱さを持っているようだった。
 その弱さで己を守っていると、そう感じていた。
 ただこの印象も、すぐに変えられることになるわけだが。
 見せかけの弱さから想像もできない強さが、彼女の芯に根付いていたのだ。
 綺麗な花に棘があるのは、きっと、儚げで可憐な花弁を気高い存在へと引き上げるために存在しているのだろう。自分を護るためでも、他者を傷つけるためでもない。花を手折る人間が勝手に、その気高き形を棘と表現したに過ぎないのだ。
 白鳥迦夜に出会ったのは、文芸部に入部するために部室へ訪れた時だった。
 今日から新入生はどこかの部活に所属することを強いられるため、放課後になると彼らは教室を飛び出し、それぞれ参加する部活へと歩みを進める。
 漏れなく俺もそのうちの一人で、期待と不安を緊張で混ぜ合わせた心持ちのまま、実習棟の一角にある教室の前へとやってきた。
 四月半ばだというのに、廊下の底には未だ冬の名残が未練がましくもへばりついており、足先から寒気が伝わってくる。
 ここら一帯は文化部の部室になっているらしく、道すがら見てきた教室のネームプレートには「美術部」や「吹奏楽部」といったメジャーなものから。「占い同好会」やら「映画研究部」などの少し風変りな部活も存在していた。
 中には「琵琶湖調査研究部」や「滋賀の歴史同好会」なんかの、あまりにローカルで奇天烈な部活もあって、我が校の行き過ぎた自由な校風が見て取れた。琵琶湖にネッシーとか探しに行くのだろうか。未確認生物はまだしも、埋蔵金が見つかったときは是非とも俺に一報を入れてほしいもんだ。
 とにかく部活の数が多く、小さな同好会を含めれば嫌でも自分に合った部活動が見つかることだろう。
 しかしながらその母数の多さゆえに、各部活に所属する部員の数はそう多くない。
 現に廊下の掲示板に張られた部活の勧誘ポスターには、もう誰でもいいから来てくれみたいな、節操のない文言で新入生を釣ろうとするもので溢れていた。野球部なんかは坊主にしなくていいからとまで書いてある。テニス部は「週二日、一時間~でもオッケー!」って、バイトじゃないんだから。
 どこもかしこも人手不足らしく、目の前にある文芸部も例外ではないようだった。
 日焼けによって黄ばんでいる扉にそっと近づき、聞き耳を立てるも、話声すら聞こえない。耳に届くのは遠慮がちに奏でられる吹奏楽部の音色と、誰かが廊下を走る足音だけ。放課後の喧騒と呼ぶにはあまりに寂しい。
 教室の窓はというとすべて曇りガラスになっており、中を見ることはできない。
 外部から得られた情報は、ただ静寂であるという点のみであった。
 得てして、こういう静けさを破るとき、どうも二の足を踏んでしまうのはなぜだろうか。静けさが持つ魔力めいた恐怖は人を臆病にさせる。
 なんにせよ、どうせ入るつもりで来たのだから、今更どうこうしたところでなにか変わることもない。
 そう言い聞かせ、軽く深呼吸して肩の力を抜く。
 冷たい空気が肺に満たされるのを感じながら、不規則なリズムでノックすると中からどうぞという声が返ってきた。優しげな女性の声である。
 不良が弱小部をたまり場にいているみたいな、漫画的展開がなさそうなことに安堵し、扉に手をかける。
 先の声をもとに人物像を頭の中で作り上げ、三つ編みおさげ女子という典型的な文学少女を想像してから、軽いはずの扉をゆっくりと開けていった。
 斯くして。想像していた人物は半分は当たりで、半分は外れという結果になった。
 最初に目が捉えたのは、教室の奥に佇む一人の女子生徒だった。
 黒のセーラー服と黒のハイソックス。さらに腰まで届く黒い髪の毛。
 彼女は黒尽くしのいで立ちで、蛍光灯の光を浴びていた。頭に天使の輪が出来ている。
 ただ、服の袖から伸びた細い指や、思わず絵にしたくなるような輪郭を持つ横顔。スカートとソックスに挟まれた脚は、未だ踏まれたことのない処女雪の如く真っ白で、あまりのハイコントラストな風景に眩暈さえ覚えるほどだった。
 彼女がかけている赤い縁の眼鏡だけが、持ち主である人物が生気を宿している証明になっていた。死者はなにも見る必要ないからな。
 侵入者に対して彼女は身じろぎ一つせず、じっと目を伏せていた。写真家がここにいたならば即座にその姿を切り取り、世界の平和を希う天使というタイトルで、浮世離れした美しさを永久に保存していたことだろう。
「こんにちは」
 声をかけられた。
 気づくと目の前に、俺が想像していたような文学少女が立っていた。声の感じからしても、ノックに返事をしてくれたのはこの人らしい。
 惜しくも三つ編みではなかったが、ややウェーブのかかった髪を横で束ねて前に下ろしている姿は柔和な表情と声音にマッチしていて、それだけで相手を安心させる効果がありそうだった。
「はじめまして。文芸部ってここで合ってますよね……」
「ええ。ここが文芸部の部室です。入部希望者ですか? でしたらこちらにどうぞ」
 言って、文学少女はにこやかな表情を浮かべて教室の奥へと案内した。
 教室は至って普通の大きさで、中央に机と椅子が数組あり、他はパソコン本体とモニターがあるだけの殺風景な部屋だった。
 そして、挨拶をくれた生徒以外にも二人の生徒が椅子に座っており、一人はポニーテールの溌溂そうな女子と、もう一人はパーマをかけた面構えのいい男子だった。
 恐らく先輩であろう二人に軽く会釈しつつ、床に這われたケーブル類を躱しながら移動する。
「……ども」
 隣に立つ例の女子に軽く挨拶してみたが反応はなく、閉じられた目が開くことはなかった。
 あまりの黙殺ぶりに、わけもなく罪悪感を掻き立てられる。時に人間というものは、無自覚に誰かを傷つけていることもあるわけだが、この罪悪感はそこから来ているのだろうか。近づいて声をかけるだけで傷つかれるなんて、最近の世の中は生きにくい。
 返事がない。ただの屍のようだと表現するにはまだ生気があるようにも見えるが、人間離れしている点において、彼女は屍と同じであるようにも思われた。
 文学少女は一度廊下に出て周囲を確認し、今度は教壇にあがってこちらに向かい一礼した。ああどうもご丁寧にどうもどうも。
「もしかしたら、まだ入部希望の方が来られるかもしれませんが、先に自己紹介を始めたいと思います」
 柔らかい声で固い前置きをしてから、自己紹介が始まった。
「はじめまして。文芸部部長の円山和まるやまのどかです。三年なので、新入生のお二人とは一年間だけのお付き合いになりますが、どうぞよろしくお願いします」
 丁寧に頭を下げる文学少女こと、円山部長に釣られるようにしてこちらも一礼する。
 円山部長も黒い制服に黒いタイツ。黒い髪をしていた。だというのに、隣に比べて異質なまでの黒を感じないのは、髪の色や肌の色素がもっと人間味あふれるものだったからだろう。
「こちらのお二人は二年生です。では、柳さんと浅小井さんもお願いします」
 そう言って教壇から退き、傍にある椅子へと腰を下ろした。
 三年という肩書と、相応の歳であるはずの円山部長は、下級生に対しても丁寧な口ぶりであった。低姿勢な態度で、きっちり頭まで下げている。
 中学のときはバスケ部だった俺からすれば、こういうちぐはぐな上下関係は奇妙に映った。
「おっけー。じゃ、あたしからね」
 ポニテ女子が手を挙げ、椅子から立ち上がって教壇へと登る。擬音をつけるならトテテという具合だろうか。
 使われそうにない教卓が、彼女の小さな体躯のほとんどを隠すが、あふれ出んばかりの活発さは、いたずらに上げられた肩や口角から簡単に読み取れた。
柳風香やなぎふうかです! 好きな食べ物はお菓子です! 甘いのもしょっぱいのもいけます」
 声を張り上げて主張する柳先輩。
「こう見えても君たちより先輩なのできちんと敬うように」
 俺たちに白い歯を見せて快活な笑みをつくる。軽く脱色された髪が元気に跳ねる。
 大人びた印象を受ける円山部長とは違って、身長も低く童顔で、言動にも幼さの残る柳先輩は実年齢よりも若く見積もられることが多いのだろう。本人にもその自覚があったらしい。かと言って、それが重大なコンプレックスになっているというわけでもなく、むしろ誇らしげに反らされた胸を見れば、彼女が幼稚さを勲章のように飾り付けているみたいだった。
 ……いや、別にやましい気持ちがあって胸に目がいったのではない。むしろ、円山部長の豊かなふくらみの方が好みなので、そっちの方なら先ほどからちらちら見ている。これは男の遺伝子に組み込まれた本能なので仕方ない。砂漠で井戸を探す放浪者の如く、俺たち男はいつだって心のオアシスを探し求めているのだ。
 いつも思うことだが、やはり男というものはアホなのかもしれない。
「では、そんな偉大な先輩から有難いお言葉を後輩くんたちへ送ります」
 柳先輩は態度を改め、普段から鍛えられていそうな表情筋を操って真剣な面持ちを作り出した。
 彼女が偉大な人間であるかどうかは、俺たちがこれから過ごしていくであろう日常の中で定義付けられていくものと思っていたが、どうやら違うらしい。
「まずここに一つのクッキーがあります。チョコ味で美味しいんだよね」
 恐らく有難いお言葉とは関係なさそうな情報を継ぎ足しながら、制服のポケットから一つの個包装されたクッキーを取り出した。
 高々と掲げられたそれを、俺の隣を除いた一同が認識したことを柳先輩が確認すると満足げに頷いた。
「手品をお見せします!」
 え、有難いお言葉はどこへ?
 自信満々に告げ、もう一度ポケットへ仕舞うと、その上から手で叩いた。
 それからおもむろにクッキーを取り出すと、ヘンゼルとグレーテルに渡せば有効活用してくれそうな形になったクッキーが現れた。
「幸せはこのように分けることは出来ても、増やすことは出来ません!」
 どこかで聞いたことがあるような言葉だった。というかこれ、手品ですらない。叩いたら消えるとかじゃないのかよ。食べやすくなっただけじゃないか。
 高らかに宣言する姿には威厳などなく、空気を読んだ円山部長が叩く乾いた拍手だけが、彼女に最低限の尊厳を与えた。
「つまり、幸せは早い者勝ちなんだよ。決まった量の幸せをどうやって確保するかが大事」
 円山部長の拍手に気を良くしたのか、柳先輩は指を振りながら演説する。売れないタレントが書いた自己啓発本に影響を受けがちな、無能の上司がいる部署に配属された社員の気分だ。
「だから、あたしは自分が食べる分のお菓子はきちんと確保しているの」
 そう言って教卓の中をごそごそ漁ると、数袋のお菓子を取り出して、元居た席へ戻っていそいそ机に詰め込んだ。文芸部はやけに大きなハムスターを飼っているみたいだ。おいおいここペット禁止じゃねえのかよ。じゃあ猫飼おうぜ猫。
「みんなでお金を出し合って買っているんです。頭を使うとどうもお腹が空いてしまって」
 円山部長が口元に手をやって、恥ずかし気に説明する。
「お二人も遠慮なく食べてくださいね。……あ、そうだ。黙認されているとは言え、校則には違反しているので内緒でお願いします」
 小声で話す円山部長は両手の人差し指で口の前に小さなバツをつくる。こうも可愛くお願いされてしまっては、男として最低でも三度は頷かなければあるまい。ちなみに数に意味はない。
 しきりに頷いていると柳先輩は一仕事終えた満足げな笑みを浮かべつつ「次は浅小井くんね」と、前に座る男子を指さした。
 にしても、柳先輩。ちょっと独り占めしすぎでは? 机から幾つものお菓子の袋が飛び出していた。この文芸部には文字通りの意味での独占禁止法を制定すべきである。
 指名された浅小井と呼ばれる二年生は鼻を鳴らし、不機嫌さを隠さずに歪められた口を開いた。
浅小井輔あさごいたすく
 それだけ言って彼は、机の下に設置されたパソコンの本体から伸びるヘッドホンを装着して、マウスを片手になにやら操作し始めた。
 ……どうやら今ので自己紹介は終わりらしい。
 浅小井先輩は顔と同様に声も異性から好かれそうな、ハスキーな声音を持っていた。纏っている気だるげな雰囲気も、見る人によっては魅力的に映ることだろう。
「わー、態度わるーい。そんなんじゃ後輩くんたちに嫌われるよ」
 柳先輩からの茶化しにも応じず、無言でモニターを注視する。それだけで聞こえていない事実を築き上げた。
「……マルちゃんにも嫌われるかもね」
 無視を決め込まれても柳先輩は臆することがない。恐れを知らず、加減の大切さも知らない無邪気さで浅小井先輩をからかった。
 すると、先ほどよりも幾分か小声だったはずなのに、ヘッドホンを付けている浅小井先輩は怒りを孕んだ鋭い目つきで目の前の人物を睨んだ。
「やーん。部長、浅小井くんが怖いですぅ」
 柳先輩は実に嬉しそうにきゃっきゃとはしゃぎながら、苦笑を浮かべて見守っていた円山部長の影に隠れた。
「相変わらず仲がよろしいですね」
「まー、幼馴染だからね。部長が知りたいのであれば、今度特別にたっくんの恥ずかしい黒歴史とか教えますよ」
「うーん……。浅小井さんに悪いので遠慮しておきます」
 不意に、より渋さが増した苦笑いを浮かべる円山部長と目が合う。
 そのとき、彼女がこれまで積み重ねて形成されてしまった、遠慮の塊とも言うべき性格を感じ取った。
 最初から断るつもりだったろうに、悩む振りをして二人の下級生どちらにも配慮する円山部長の苦労は、俺と本人くらいしか気づいていないだろう。
 この人たちと出会ったのは今日が初めてだというのに、三人の関係性がなんとなく見えてきた気がする。
 柳先輩が言ったマルちゃんたらいう即席麺のような名前は誰のことだか分からないが、たっくんというのは浅小井輔の名前からきているのだろう。
 にまにまとした笑みと、より激情が込められた視線が交差すること数秒。折れたのは浅小井先輩の方だった。
 小さなため息を一つ吐いて、それきりまたモニターへ視線が注がれる。
 太陽の傾きは時間が経つにつれて西へと落ち込み、教室に差し込まれる日差しが増していく一方であるはずなのに、この教室は例外であるようだった。
 冷えて乾き始めた空気をいち早く察知して色を変える紅葉のように、円山部長はやや赤みがかった頬で俺たち二人に話しかけた。
「騒々しくてすみません。いつもこういう調子なんです」
「ああ、いえ。賑やかでいいと思いますよ」
 無意識に円山部長のフォローをする。まあ、賑やかというか騒々しいって感じだけど。
 本心ではないことを言ったせいでぎこちない笑みしか作れないが、それでも円山部長には何か伝わったらしく、お互い苦笑して頷き合った。この人とはなんとなくだが、うまくやっていけそうな気がする。
「では、お二人も自己紹介をお願いできますか」
 断る理由などなく、躊躇う必要もないので口を開きかけて、少し迷った。
 最早この教室の備品と化し始めている芸術的な像が隣にいることを失念していたため、配慮という概念も頭から消え失せてしまっていた。
「先にするか……?」
 別にそこまで気を遣う必要もないだろうと、頭の中でもう一人の自分が言っていそうだが、同級生どころか同じ人間とは思えない造形の持ち主が隣にいれば遠慮の一つもしたくなるというものだ。
「……」
 相変わらずの寡黙っぷりだった。この年頃はいつでも誰に対しても姦しくあるものだと思っていたが、ただの偏見だったようだ。
 ふっ。と、小さく息を吐いて先輩方と向き合う。
桜宮雪路さくらみやゆきじです。中学ではバスケ部に入ってました。文芸のことはよく分かっていないですけど、これから学んでいこうと思ってます。よろしくお願いします」
 一礼して自己紹介を終える。
 我ながら自分に合っていない真面目さで挨拶したものだと思う。ただ、今後の自分が定義づけされていくキャラクターが変なものにならないよう、初々しさに託けて生真面目な生徒のふりをしたって罰は当たるまい。ただの人間に興味はないなどとふざけ倒した自己紹介はラノベの中だけで結構。
「桜宮さん……ですね。ここにもバスケ部はあるのに、どうして文芸部に入部しようと思ったんですか?」
「それはまあ、なんというか。単純に興味があったからですかね」
「そうでしたか。文芸に興味を持ってもらえて嬉しいです」
 円山部長は目を細め、頬の筋肉をゆるやかに持ち上げた。
 薄っぺらい動機であるにも関わらず我がことのように喜ぶ姿は、彼女に人格者という肩書を付与するのに十分な理由だった。
 和やかな春の日差しみたいな、温かい微笑みを向けられて思わず目を逸らした。
 嘘を言ったわけではない。興味があるのは本当だ。
 バスケ部で味わう肉体的苦痛には辟易しており、かねてより興味のあった文化部に入部するのはなにも可笑しなところはない。
 だというのに。嘘は言っていないはずなのに。
 自尊心によって飲み込んでしまった別の理由の存在が、今になって居心地悪そうに胸の奥で蟠った。
「お、文学少年デビューだね。いえい!」
 円山部長の後ろに立っていた柳先輩がこちらに向かってピースサインを示す。消しゴムくらいしか握りこめなさそうな、小さな手だった。
 ここでピースを返すわけにもいかず。苦笑いで返すと、得意げにうんうんと頷いていらっしゃる。彼女の場違いなほどに溌溂な表情や態度を見ていると、バスケ部にもそういやこんな人がいたなと思い出される。
 浅小井先輩の方は俺に興味などないのか、聞こえていないのか。忙しそうにマウスとキーボードを操作していた。
「これからよろしくう!」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
 底抜けに明るい柳先輩の発言もあって、時間に置いてけぼりをくらっていたこの教室にも西日が差し込み始めたようで、徐々に暖かみのあるものへと変化していった。
「つまらない理由ね」
 ところが完全に暖まる前に、時間すら凍結させてしまいそうな冷え切った声音によって、再び冷たい空間へと変貌する。
 発言の主は隣からだった。
 振り向くと、今まで目を閉ざしていた彼女が重たそうなまつげを持ち上げていた。
白鳥迦夜しらとりかよです。在学中に商業作家デビューします」
 岩にまで染み入る、静かだが芯のある声だった。
 現実味のない宣言を受けて、俺たち一同は口を開けたまま黙るしかなかった。先ほどまで聞こえていたパソコンを操作する音も消えている。
 教室にいる全員の視線を華奢な体で一身に受け止める白鳥からは、傲慢さも卑屈さも感じられない。
 彼女の風貌は冷たい印象を受けるのに、眼鏡の奥に据えられた瞳だけは、かまくらの中で揺らめくランプの灯火のように、確かな熱を帯びていた。
 私は本気で言っているのだと、その瞳が物語っていた。
 静寂が支配した世界が数秒経ち、口に出した夢物語の言葉を嘘として引っ込ませることも、冗談という形に変化させることも難しくなってきた頃。
 いち早く我に返ったのは円山部長だった。
「ええっと。……意識が高いのはいいことですね。先輩から聞いた話ですが、昔にも在学中に新人賞を獲った生徒がいるみたいですし。もしかしたら白鳥さんもデビューできるかもしれませんね。頑張ってください」
 にこやかに話す、お人好しな円山部長に悪気などないのだろう。
 しかしながらその言い方は、あくまで己を鼓舞するために。あるいは努力するために叶うはずのない目標を掲げているのでしょうと言っているようだった。
 かと言って誰も円山部長を責めることはない。
 誰もが考えるより前に、意識的にだろうが無意識的にだろうが、白鳥の目標を否定するからだろう。
 そんなことは無理に決まっていると。
 ただ、白鳥はそんな発言を受けても表情は崩れない。代わりに、俺の表情は苦み走った顔になっていただろう。俺は決してこいつを笑わない。いや、笑えない。
「ふん。大層なことを」
 浅小井先輩はモニターを見つめたまま鼻を鳴らした。整った顔立ちの中で口だけが歪な形をしていた。
「出来もしないことを言うべきじゃないぞ。後輩くん」
「ただの一方的な宣言です。先輩が気にする必要はないかと」
「……」
 真っ向から否定しにかかった浅小井先輩であったが白鳥に冷たくあしらわれ、彼女を一瞥してまた作業に戻った。
「白鳥ちゃん。結構自信ありげだね。なにか小説書いてたりするのかな」
「……ウェブに掲載されているのなら幾つか」
「おー。桜宮くんは?」
「えっ。俺もまあネットにあげてはいますけど」
 柳先輩から急に話を振られて反射的に答えてしまう。
 しまったと思ってももう遅い。
 サバンナで獲物を見つけた猛獣のように、柳先輩の瞳が鈍い光を放つ。
「よし。じゃあ後輩くんたちの実力がどれほどのものか。お姉さんに見せなさい」
 柳先輩はそう言って俺たちの前にまで来ると、一歳差の小さなお姉さんに威厳を持たせるために、腰に手を当てて胸を張った。
 こちらを見上げる表情は期待に満ちていた。
 故に、自分の内から湧き上がってくる羞恥と恐怖がありありと感じられた。やだなーこわいなー。
「そう言われても……。まだ全然完結してないですよ」
「いいのいいの。ちょこっと見せてくれるだけでいいから。というか、文芸部にいたらみんなに書いたやつ見せ合ったりするし、今のうち慣れとこうよ。ねっ」
 じゃあ桜宮くんからね。と、柳先輩は言って強引に俺の背中を自分の席にまで押しやる。
 小さな体のどこからそんな力が出てくるのか。意外にも柳先輩は力が強かった。彼女の肩を解剖すれば小さな重機が出てくるかもしれない。
 どうにか適当なことを言って逃れられないものか。考えているうちにも押し込まれ、とうとう椅子に座ってしまった。
 あまりの強引なやり口に、抗議の視線の一つでも送ろうと振り返る俺の眼前に柳先輩の顔が現れた。
「はやくはやく!」
 柳先輩は座る俺の肩に手を当て、尻と椅子を圧着させるように上から圧力をかけてきた。
 言動こそ子どもじみているが。いや、子どもじみているが故に、こうした不意を突く可愛らしさに異性であることを感じてしまう。やだ俺ってばちょろい。
 抗議というにはいささか弱弱しい視線を柳先輩に送って、代わりにわざとらしいため息をついた。
「わかりましたから。見せますから。だから押さないでください」
「ふっふっふ。逃げようとしても無駄ですぜ旦那」
 調子づいてきた柳先輩を止める者などおらず。
 この状況を覆せそうな円山部長を見ると、彼女は申し訳なさそうな表情で手を合わせ、口だけで「ごめんなさい」と謝っていた。
 それを見て僅かに首を振り、モニターに映し出される検索エンジンに投稿サイトの名前を入れる。
 すると見慣れた画面に移りかわり、そこから今度は小説のタイトルを入れて目的のものを映し出した。
「これです」
「お、見せて見せて」
 上から圧力をかけていた柳先輩は、今度は横から圧力を加え始め、結果として椅子から弾き出された俺は所在なげに彼女の傍らに突っ立つ。
 髪が纏め上げられたことによって見えるうなじが目に入って、適当に視線をさ迷わせる。やだ俺ってば思春期真っ盛り。
「白鳥ちゃんもはやくはやく」
「いえ、私は……」
「いいからいいから」
 同じ言葉を連続して並べるのが、どうやら柳先輩の口癖であるようだった。
 柳先輩は近くにいた白鳥の手首を掴むと、小さな椅子に二人で座り始めた。相変わらず強引である。
 あ、そうだ。強引なヒロインとちょろい主人公のラブコメってどうよ。ヒロインの言動全てに惚れてしまう主人公とか、それただの現実にいるモテない男子高校生じゃねえか。おい、誰がモテない男子高校生だ。青春はまだ始まったばかり。焦る時間じゃない。
 クールな表情を決め込んでいた白鳥だったが、無理やり手を引かれると眉間に皺を寄せて、人間味あふれる表情に変わっていった。
「うーん。なるほどなあ」
 片方の手で白鳥の手首を掴み、もう片方の手でマウスを乱暴に操作する柳先輩は何事か唸っている。
 その隣では実に嫌そうに、眉をひそめて画面を注視する白鳥の姿があった。
 心臓が早鐘を打つ。
 髪の生え際あたりから汗が吹き出し、自然と掌は握りこまれていた。
 唇が乾燥して何度か舌で舐めていると、隣に円山部長がやってきた。
「大丈夫ですか……?」
 よほど不自然な態度をとっていたのか、心配そうに下から顔を覗き込まれてしまった。あ、その角度いいですね。いい感じに胸チラしてますよ!
「ああ、いえ。大丈夫ですよ」
 素直な優しさが妙に受け入れがたく、顔を背けて答える。
 円山部長の表情は見えない。たぶん、少し傷ついた、眉尻が下がった表情をしていることだろう。
 頭の中で想像した円山部長の像を見て、固く目を瞑った。それでも一度生み出した像は目の前から消えることはなかった。くっ。俺の罪悪感が強すぎる。
 ネットに掲載しているわけだから、今までにだって誰かに読まれていたのだろうが、目の前で実際に読まれることになると、その事実が羞恥心へと姿を変えて、背筋やもみ上げに不要な掻痒感を与えた。
 たぶん、これがもし完結している物語ならば、もう少し気楽に構えることができただろう。
 完結しているということは、少なくとも自分の中ではこの物語に対してある種の自信を持つことができたはずだ。完結までこぎ着けた執着心と、途中で挫折しなかった志の高さがもたらす自信が。
 だが、これは違う。途中で筆を折ったあとの、謂わば自己満足の成りそこないのような代物である。
 これを他者に見られて、図太くも感想を期待できるほどの性格は持ち合わせていない。
 ああ、これも消しておけばよかったと思っても後の祭り。
 もはや二人はある程度まで読み進めており、あとはその記憶が薄れゆくのを待つのみとなった。俺は柳先輩のうなじと円山部長の胸チラは墓に入るまで忘れないけどな!
 そういう諦めにも似た気持ちを抱くと同時に、隣に立ってこの文章はこういうことを表していて、この描写は今後のこういう場面で必要になってきて。と、訊かれてもいないことを詳らかに説明したい気持ちに駆られてしまう。
 要は言い訳したいのだ。傷を和らげるために。
「うーむ。白鳥ちゃんはどう思った?」
「私は別に」
 柳先輩の優しさなのか、あるいは彼女ですら口に出せそうにない出来映えに周りに意見を求めているのか。白鳥に尋ねる。
 胃の中にある何かが上ってくる感覚がした。
 話を振られた白鳥は嫌そうに顔を背け、横で立ち尽くす俺と目が合った。
 態度も声音も冷気を纏った雪女みたいな彼女だったが、歪められた柳眉や生気が宿っている目を見ていると、白鳥に対する印象はもう少し変えた方がいいのかもしれない。
「な、なんだよ」
 いつまで経っても目を逸らさない白鳥に根負けして、意味もなく視線を虚空へ移した。ヘタレめ。
 野生動物みたいだな。と、心の中で表する。ただそれも強ち間違いではなかったらしい。
 視線を逸らした敗者の俺に対して、白鳥は容赦なく牙をむいた。
「つまらないわね」
 たったの一言。
 それだけで俺の視界を揺らすのには十分だった。さてはこいつ手練れのボクサーだな。顎にパンチを貰ったかと思った。
「冒頭の掴みはまだしも、その後の長ったらしい説明がひどく不快だわ。つまらない」
 声の調子は先とあまり変わらない。
 しかし、改めて白鳥の顔を見れば、眼鏡の奥で相手を射殺さんばかりに鋭く細められた目があった。
「読者を楽しませる気なんてさらさらない。自分が傷つかないために卑しくも弁明しているようにか見えない出来ね。つまらない」
 透明なベールで刃物を包んだ美しい凶器のような声で、白鳥は容赦なく俺を攻撃する。
 さっきからつまらないつまらないって、お前は排水溝業者か。などと本当につまらないツッコミでも言えば、今度は物理的に抹殺されそうな雰囲気がある。
 それでも心の中で道化を演じていないと、膝をついてしまいそうなほど、白鳥の指摘は痛切に感じた。
「それと、形容詞の羅列が目障りだわ。曖昧な基準の中で形容詞を用いられても読者は具体的に想像できないもの」
「そ、それはあれだ」
「どれ?」
 無意識に口をついて出た、見切り発車の自己弁護に対して、白鳥は食い気味で問い直してきた。本当に容赦がない。
 問われ、頭の中で言い訳を構築していく。そう、これは愚にもつかない言い訳だ。でも、言わなければ気が済まなった。
「ウワバミの絵みたいなもんだ。その中身を想像できないのは、読者が大人になってしまったってだけだ」
「名作を言い訳代わりに用いるのはやめなさい。読者に理解してもらおうとする努力を放棄するなんて作家として最低のクズね」
 出来損ないの言い訳はすぐさま切り捨てられた。
 ウワバミの絵ってなんのこと? って白鳥が疑問に聞き返してきたら適当に話を逸らして誤魔化せたかもしれないが、さすがにメジャーな童話なだけあって、どういう内容であるか把握しているらしい。
 それにしてもクズって。
「なんでだよ。努力はしてんだろ。ラノベだから平易な文章で書いているし。あとは……。そうだ。転生させてる」
 それ以外は特になかった。
 昨今のウェブ小説は転生させていれば人権を与えられる風潮がある。それ以外のジャンルは基本的に見向きもされない。ラブコメがちらほらランキングに上がっていたりする程度だろうか。
 つまり読者が求めているのはまだまだ転生モノで、その需要に対して供給する努力はしている。
 白鳥は頭痛でもするのかこめかみに手をやり、ため息をついて立ち上がった。
「実質一つじゃない。それもライトノベルだから平易な文章で書くという名の言い訳に過ぎない。貴方のそれは平易な文章ではなく稚拙な文章と言うのよ。こういう幼稚なものしか書けないことを、ライトノベルだからと言い訳するのは聞くに堪えないわ。まさか、ライトノベル作家なら文章のレベルが低くても良いだなんて思ってないわよね」
 まくし立てながら白鳥は俺を睨みつける。えっ。違うの? ゆあーんゆよーんゆやゆよんって感じの擬音を並べるだけでは駄目なのか。またこいつ名作を汚しましたよ。それと中原中也はラノベ作家じゃない。
 いつしか俺たちは互いに容易く触れ合える距離にまで近づき、相手の目を見て離さなかった。
 頬や額に熱を感じながら、一方で指先は冷え切っていた。
 瞳に宿った熱によって冷たい仮面を溶かした白鳥は、疼痛を堪えるような表情でなにかを訴えていた。
 どこにも不備は認められない。完成された陶器に致命的なヒビが入ったかの如く。白鳥の眉間に刻まれた皺を見ると不安でもあり、恐ろしくもあった。
 たじろぎ、後ずさりそうになる足を踏ん張りながら、乾いた口を開く。
「……口悪すぎだろ」
 とうとう相手の態度を非難する、逃げの一手が出た。論点のすり替えである。
 もともと反論できる材料などなかった。白鳥の言い分は恐らく正しい。
 ただそれを真実として飲み込むには、あまりに歪な形をしていた。俺はなんでもかんでも飲み込めるウワバミじゃない。
「ネットのバッシングに比べれば優しいものよ。もっとも。貴方のこれは批判すら頂けない代物でしょうけど」
「そういう余計な一言が気に食わねえんだよ。人のやる気削いで楽しいか」
「やる気? この更新頻度でやる気があると言うのかしら」
「それは……」
 言葉に詰まる。
 そこに載せている小説は一か月前に三日間だけ書くことのできた物語で、当然、更新はその約一か月前で止まっている。
「スランプってやつだ」
 口にして、白鳥から目を離した。
「書きたいけど書けないんだから仕方ないだろ」
「本当にやる気のある作家ならどんな状態でも書き上げて見せるわ。たとえどんなに調子が悪くとも。非難されようとも。貴方のそれは偽物よ」
 切実に、ともすれば泣き出しそうな声だった。
 驚いて白鳥を見ても、そこにあるのは変わらない、俺を敵視する表情だった。
 頭の中でここ一か月の夜が思い浮かび、すぐに消えていった。
 次の句は出てこなかった。
「だから。中途半端な覚悟しかないのなら。貴方は……」
 今まで淀みなく言葉にしてきた白鳥が不意に口を閉じる。ほんの少し下を向いたことで眼鏡のレンズが光り、彼女の瞳は隠された。
 沈黙が支配する教室。俺はそこに、引導を渡そうとする白鳥の幻聴を聞いた。
 覚悟。と、彼女は言った。
 俺を中途半端な覚悟で挑んでいると評する白鳥は持っているのだろうか。ひと月前まで義務教育に甘んじていた人間が、その言葉の意味と重みを知って。それでもなお、過不足のない覚悟を持てるのだろうか。
 もしも、彼女が肌身離さず覚悟とやらを持てているのであれば。いったいなにを経験すれば、あるいは目の前にすれば、覚悟が整うというのだろう。
 いや、もしもだなんてことはない。
 あの宣言に。あの声に。あの瞳に。躊躇いや曇りなどあっただろうか。恐らくはそれが答えだ。
 俺よりも背が低く。きっと筋力も劣っていて。押せば倒れて砕け散りそうな弱さを纏いながら。芯に鋼よりも固い意志を潜ませている。
 そんな彼女の姿が眩しく見えた。
 気づけば太陽が傾きを変え、教室の中をより一層明るくしていた。
「ま、まあまあお二人とも、落ち着いてください」
 俺と白鳥の間に円山部長が割って入った。
 ずっと俺の隣で、寒さの夏はオロオロ歩く宮沢賢治ばりにオロオロしていた彼女だったが。年長として、部長として、場を収めるためにタイミングを計って来たらしい。急ごしらえの微笑みが痛々しい。
「すいません。ちょっと熱くなったみたいで……」
「いえいえ。謝ることないですよ。全然……」
「空気悪いっすよね……」
「ああ、いや、そんな……」
「……」
「……」
 もはや誰の顔も見られたもんじゃない。穴があったら入りたい。なかったら琵琶湖に入りたい。
 木目調の床に目を這わせながら、申し訳なさに頭が下がっていく。
「葬式か!」
 定番のツッコミが教室に響く。
 出所はもちろん柳先輩からだった。彼女の前に静寂が持つ恐ろしさなど皆無のようだった。
「二人とも白熱したバトルだったね。いいじゃん。言いたいことは言うべきだよ。若いうちはどんどんぶつかって逞しくなるものだよ」
 幾人もの横綱や大関を輩出した相撲部屋の親方みたいに、腕を組んで熱く語っている。
 正直言ってその意見には同意しかねるものの、どんなときでも平常運転な柳先輩の態度には信頼できるものがある。
 頼りないのか頼れるのか。まだ判別のつかない不思議な先輩を見ていると可笑しさがこみあげてくる。
「だからこれ持って。ほい」
 細められた視界に柳先輩から片手が差し出される。
 いまいち要領を得ない。接続詞が持つ意味を考えながら、差し出された手から一つの鍵を受け取った。
「ここの教室の真上にパソコンとモニターが置いてる教室があるから、桜宮くんと白鳥ちゃんで一組ずつ持ってきて。机と椅子はこっちで用意するから」
「え? ああ、はい。いいですけど……。え?」
 誰と誰だって? 訊くまでもない。
「あの、柳さん。それはちょっと」
「ほらさっさと行った行った」
 円山部長の制止を振り切り、柳先輩はどすこいどすこいという掛け声とともに俺たち二人を教室から追い出した。決まり手。送り出し。
「それじゃあ、あとよろしく」
 最後に、今どき見ないウィンクを決めて扉を閉めると、軽やかな足音を鳴らして帰っていった。
 ちなみに浅小井先輩は終始パソコンの作業に没頭していた。存外、仕事熱心な人なのかもしれない。
 廊下に弾き出された俺と白鳥は身じろぎせず、互いに無言のまま数秒の時を過ごした。
 先ほどまで熱されていた分、このひんやりとした廊下に出ると頭から血の気が消えうせるようにして冷えていった。
 もしかしたら外の空気を吸って来いという柳先輩の気遣いだったのかもしれない。
 それでも組み合わせだけは、もう少し考えてほしかった。
 遠くで歓声と拍手の音が聞こえた。他の部活動も賑わい始めたようだ。こっちは賑わいというより争いという感じだが。
 上へと続く階段を目指して歩きだす。数秒遅れて後ろから軽い足音が、一定のリズムと俺との距離を保ってついてきた。
 教室に戻るという手も考えたが、たぶんここで戻ると、彼女とはずっとこのままの距離でいる気がした。
 そうなってくると柳先輩はともかく、苦労人である円山部長に心配をかけてしまうのは忍びない。
 パタパタという情けない足音を響かせながら、とりあえず進むべき道を歩いた。
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