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 五月二十八日、清さんが死んだ。脳梗塞だった。俺は二回目の彼の死に呆然とした。この前の奇跡は起きるのだろうか。二回目の葬儀後、やっぱり俺は火葬場で泣いて泣いて、彼の両親に慰められていた。


 目を覚ましてスマホを確認する。
「戻ってる!!」
 あの日は残業して社内の備品整理で一人いるときに倒れて発見が遅れたせいだったので、いつもより早く会社に到着して、一人仕事をする清さんのところに直行した。
「おはようございます! 清さん、病院行きましょう!」
「はぁ?」
 見た目は全く普段通りで、数時間後に倒れるとは思えない。
「なんだ、この間のやつか?」
 意外にも彼は覚えていてくれたらしい。はい、と頷きデスク越しに頭を下げた。
「お願いします! 病院行ってください!」
「あー…別に悪いところないんだが…」
 ぽりぽりと頭を掻く。
「今日の夜、時間はわかりませんが脳梗塞で倒れます。発見が遅れて間に合わなくなるんです。病院行って現時点でわかるかは俺にはわからないんですが、ここにいるより絶対いいはずです」
「…竹内、お前さぁ。そんなんで仕事抜けられると思うか?」
「俺二回目ですよ! 二回あなたの葬儀に出席して泣いてるご両親見てるんです!」
 清さんはご両親のことを言うと珍しく動揺した。二人の特徴を話すとなんで知ってるんだと言った。
「だからもう二回目なんですって!」
「朝から大声出すな…」
「俺は清さんに死んでほしくないんです!」
「…お前の方が病院行った方がいいんじゃねーのか」
 真剣な眼差しで彼を見つめるが、病院へ行くとは言ってくれなかった。他の人達が来たので話は終わりだと清さんは俺を追い払う。どうしたらいいのだろう。気付くのが遅れて間に合わなかったのなら、何かあったらすぐ救急車を呼べば助かるのだろうか。病院に行ってくれないのならばそうするしかない。俺は清さんを見張ることに決めた。
「清さん、備品整理俺も手伝います!」
「あぁ? 自分の仕事終わったんなら帰れ。俺が怒られる」
「朝言ったでしょ! 信じてくれなくてもいいですから、せめて一緒にいさせてください!」
 忘れてたといった顔で彼は口をへの字に曲げる。清さんはバツが悪いときはこういう顔をする。表情筋が死んでいるようで、割とわかりやすいのだ。俺はそんな彼が可愛くて好きだ。
「二人でやれば早く終わるでしょうし、ね、俺残業つけなくていいですから」
「それはだめだ。わかったから残業つけとけ。さっさと終わらせるぞ」
「はい!!」
 今社内に二人きりだと思うと少しどきどきした。いやもしかしたら倒れるかもしれないんだ。すぐに救急車を呼べるように番号を入力しておこうとスマホを操作しポケットに入れると作業を続ける。
「清さんいつも遅くまで仕事してしんどくないですか?」
 作業しながら反対側にいる彼に話し掛ける。
「慣れだ。それにいつもって訳じゃない」
「そうですか? 俺清さんが早く帰ってるの見たことないですよ」
「定時日にはちゃんと帰ってる」
「ほんとですかそれ…」
「独り身だから早く帰ってもなぁ」
「付き合ってる人いないんですか?!」
 清さんを見るといつもより更に不機嫌そうな顔で俺を見ていた。
「いないと悪いか?」
 結婚はしていないということしか知らなかったので、フリーだということは朗報だった。つい顔がにやけてしまう。
「そんなことないです! 俺もいませんし!」
「若いんだから今のうちにちゃんと遊んどけ」
 ふっと彼は笑った。どきりと心臓が高鳴る。今彼に告白したらどうするだろう。社内ではなんだかんだ一番彼と話していると思うけれど、ただの後輩としてしか見られていないだろうか。同性婚も当たり前の時代だ。彼の恋愛対象はどちらなのだろう。
 突然どさりと音がした。慌てて彼の方へ向かうと頭を抑えて倒れている。
「清さん!!」
 俺は即スマホで救急車を呼んだ。
「救急車お願いします! 三十四歳男性です! 脳梗塞です、早く!」
 揺らさない方がいいのだろうか。でも外に出た方がいいか。そうだ警備員に手伝ってもらおう。
「清さん、ちょっとだけ待っててくださいね!」
 急いで警備員を呼んで二人で彼を救急隊が来たらすぐに運んでもらえるよう、頭を固定してそっと会社の入口まで運んだ。
「清さん、もう救急車来ますからね! 死なないで!」



「──病院…?」
 見慣れない白い天井をぼんやり眺めていると、竹内が泣きそうな顔で覗き込んだ。
「清さん…! よかったぁ…」
 どうなってるんだと言いたかったがうまく声が出ない。竹内はにこりと笑うと席を外した。
「ちょっと待ってて下さいね、先生呼んできますから」
 結局彼の言う通りになった訳か。医者の説明もぼんやり聞きながら、その後ろで竹内がふんふんと頷いているのでなんだか吹き出しそうになった。どうしてお前がそんなに得意げな顔をしているのか。
「──ですので、月曜には退院してもらって大丈夫です。食生活やストレスなんかも影響しますので無理はなさらないように」
「はい、ありがとうございました!」
 だからなんでお前が、と笑いを噛み殺す。
医者と看護師が出て行ってから、竹内は心配そうな顔でこちらへ来た。
「先輩、脳動脈瘤が破裂寸前だったって。発見が早かったから後遺症はないと思うって」
 あぁ、と掠れた声で返事をする。
「お前、仕事は…」
「今日土曜だから大丈夫ですよ」
 そうか倒れたのは金曜だったかと頷く。もしかしてあれからずっと付き添ってくれていたのか。
「…ありがとな」
「そんな…気にしなくて大丈夫ですよ。助かってよかったです」
 竹内はほんとよかった、と涙ぐむ。入社当時からこの男は俺よりでかい図体の癖にすぐに泣く。表情も目紛しく変わりさながら大型犬のようだった。そんな彼を実はとても好ましく思っている。二回も訳の分からないことを言い出したときは頭大丈夫かと思ったが、二回とも救われたのは事実だ。
 麻酔がまだ残っているせいか思考がうまくまとまらない。
「…寝る」
「俺一旦帰りますから、ゆっくり休んでて下さい」
 半分寝ながら彼の言葉を聞いていた。




 その日の夕方頃俺はまた病院に来た。到着したときには幸いにももう上体を起こし水も飲んでいた。よかったら追加で、とペットボトルの水を渡す。
「コーヒー飲みてぇ」
「まだダメですよ」
 苦笑しながら椅子に腰掛け、彼が倒れてから考えていたことを伝えようと思った。
「清さん、俺言いたいことがあるんですけど」
「…なんだぁ?」
 じっと清さんが俺を見る。ゆっくり寝たせいかいつもより目の隈がましな気がする。
「俺に清さんを守らせて下さい!」
 そう言って頭を下げる。
「はぁ?」
 清さんは不審な顔をしている。
「あ、その、二度あることは三度あるっていうか、いや二度とこんなことは起きないのがいいんですけど。俺っ…」
 覚悟を決めろ、俺。言うんだ彼に俺の気持ちを。
「俺っ、清さんのことが好きなんです! 付き合ってください! そんで清さんのことを守ります!」
 清さんが最初に死んだとき、告白しなかったことを後悔した。なんとなく漠然と清さんがいる毎日は続くと思っていたのだ。それが突然なくなって、何故か彼の死を回避して安心していたけれど二度目の彼の死を見てそんな考えは甘かったのだと思った。彼がいなければ何の意味もないのに。
「別にいいけど」
「えっ?! それはどっちの…?!」
 付き合ってもいいけど、なのか守ってもらわなくていいけど、のどちらだと彼を見ると顔が真っ赤になっていた。
「だからぁ、…別に付き合ってやっても、いい」
「えっ!?」
 信じられなくて思わず自分の両頬を叩いた。ドン引きした顔で俺を見ている。
「清さん…俺超嬉しいです」
 思わず涙が出て慌てて拭う。
「んなでかいナリですぐ泣くなよ」
「だってぇ…まさかオッケーしてもらえるなんて…」
「俺と付き合おうなんて若い癖に物好きだなぁ」
 ふっと清さんは笑った。俺はそっと清さんの細い手を握る。
「俺は清さんだから好きになったんです」
 彼は口は悪いが理不尽なことは言わない。誰かがミスをしても悪態を吐きながらもいつも皆の尻拭いを遅くまでやっているし、面倒な仕事があれば率先して自分でやる優しいところも知っている。垂れ目なのに目付きが悪いところもだいたいへの字になっている薄い唇もタイピングも速く綺麗な字を書く小さな手も、たまにしか見ることができない笑顔も全部が好きだ。
「…お前趣味悪いなぁ」
「清さんこそ俺なんかでいいんですか」
 自分でいうのもなんだが、俺は仕事ができる方ではない。やる気はあるがよくミスをして怒られている。
「竹内はなぁ、昔飼ってた犬に似てるんだよな」
「い、犬…」
 まぁ付き合えるならなんでもいいやと思った。いつもの仏頂面に戻った彼を見て嬉しさが込み上げたところで、看護師さんが面会時間が終わることを告げに来た。
「清さん、明日も来ますね。なんか必要な物とかあれば買ってきますよ」
「あー…別に明日は来なくていいぞ」
「絶対来ます!!」
 好きにしろと言われたので手を振って病室を後にした。
 告白してよかった。これで俺と清さんは恋人同士だ。三度目は絶対に起こさせない。何があっても守ってみせる。俺は心の中で固く誓った。


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