寿司と私

21小淵

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魂の味

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 寒気と肩の痛みに耐えきれず目を開ける。どうやら、椅子にもたれかかったまま眠ってしまっていたらしい。何か夢を見ていた気がするが、口の中の甘酸っぱい匂いと倦怠感から、思考が止まってしまう。
 携帯で時刻を確認すると、もう7時23分であった。6時50分のアラームは自分で止めていたらしい。
 ペットボトルの水を取ろうとして、踏み出した足が食べかけのポテトチップスを踏み潰す。ポテトチップスの残骸をごみ箱に放り投げる。
 余計なことを考えなくても済むように、次にやることを頭の中でリストにしておく。
 ・水を飲む。
 ・薬をビンの中に戻す。
 ・歯を磨く。
 ・靴下を履く。
 ・スーツを着る。
 ・鍵を閉める。
 いつもの退屈な日が始まる。
 

 ・利用者の電話番号を打ち込む。
「小林君、明日の飲み、来る?」
 電灯が一定に保たれた冷たい光を垂れ流す。
 ・利用者の性別をクリックする。
「すみません、明日は予定があって、すみません」
 最初はこういうことは、積極的に行くようにしていた。
 ・利用者の住所を打ち込む。
「小林さん、会議、45になりました。」
 会社の人と仲良くなろうともした。
「了解です」
 カタカタとわざとらしく鳴るタイピングの音が、空間内を満たしていく。
 ・利用者の年齢を打ち込む。
 仕事には慣れた、社内で浮いた存在というわけでもない、会社は就活で恐れていたようなブラック企業でもなければ、汗臭いベンチャー企業というわけでもない、むしろ一般的に見ればかなり優良な会社だろう。
 ・電話を掛ける。
 でも何か、、何かが足らない。
 消毒液とコーヒーの混じった匂い
「小林さん。▼。$&()よ#L」
 私は、冷めた人間なのだろうか。
 ひんやりと冷たいデスクの感触
 ・メモを書く。
「はい、l4&)ぃr!8」
 お金をもらえば責任感がわくと思っていた。
 向こうのデスクの意味のつかめない談笑
 飲み会に参加すれば、仕事への情熱がわいてくると思っていた。
 白くなってゆく視界
 働き始めればすべてが変わると思っていた。
 すべてまやかしの妄想であった。
 ・メモを山口さんに渡す。
 もはや考えることすら面倒になってしまった。
 ・利用者の電話番号を打ち込む。
 ・・・・・

 パソコンをシャットダウンして、残り半分になったお茶を飲み干す。
 時刻は7時30分。別に残業すべき仕事などなかったが、定時に帰るのが忍びなく、何となく残ってしまった。
 わざと音を立てながら帰りの支度をする。
「お疲れ様です、お先に失礼します。」
「お疲れ様」
 モニターと向かい合ったままの人達が面倒そうに言う。
 この人たちは私が会社に残ろうが、早く帰ろうが、どっちでもよかったんだと思う。
 本当は自分がそこまで気にされてないことなんてわかっている。しかし、いつもと違うことをして目立ってしまうのがたまらなく嫌に感じ、自分で考えて行動することができなくなってしまった。
 きっと僕を苦しめているのは会社の人ではなく、可哀そうな自分を憐れむ歪んだ自己愛と、そんな自分を変えようとしないだらしのなさなのだろう。
 ため息を吐きながら、家に向かって歩く。いつも通り、自動的に。

「おっさん、危ねぇー!!」
 後頭部に強い衝撃が走り、その勢いのまま地面に顔面から倒れこむ。その理不尽な痛みに大人になって初めて、うずくまって泣き叫びたくなる。いったい何なのか、私がそんなに悪いことをしたというのか、これが、無気力に生きている罰だというのだろうか。
「おっさん大丈夫か?」
 まだ2月だというのに半袖短パンにサンダルを履き、頭に鉢巻を巻いた少年か青年ぐらいの男が駆け寄ってくる。その男の隣では、パンクファッションを身に着けたサングラスをかけた外国人が「カルフォルニアロックンロールッ!」と意味の分からない言葉を叫んでいる。
「おいおっさん、ダメじゃねーか!寿司バトルの間に入っちゃ」
私はいま怒られているのだろうか、私が悪いのだろうか。寿司バトルとは何なんだろうか。
「なん、何なんですか!あんたたちは、ていうか何がぶつかったんですか」
「こいつか?こいつは俺の相棒、北海道産クロマグロ活〆中トロ赤酢スペシャル隠し包丁カスタムだ!旨味A、技B、香りA、日本酒属性〇、スキルいぶし銀、米品種!%(^!())(&」
 まったく要領を得ない、果たして会話として成立しているのだろうか。
 そして、なぜだろうこの男を見ていると無性に腹が立ってくる、まっすぐな目、若々しい声、シャッキリとした動作、すべてが癪に障る
「大体何なんですか?寿司バトルって」
 男の目が大きく開き、興奮が抑えられないといったように口角がにやりと上がる。
「寿司バトルは!!魂のぶつかり合いだ!!」
 男はこぶしを空に向かって挙げそう叫んだ。
 その瞬間、はち切れんばかりの怒りが沸き上がり、無意識に、男の顔面を固めたこぶしで思いっきり強打してしまった。冬の夜の空気に、骨と骨のぶつかる鈍い音が響き渡る。
 ハッと我に返り、自分が何をしたのかを理解すると、途端にすべてが怖くなり、その場から逃げるように走り出す。
 めちゃくちゃになりながらも走り続ける。


 身体はとっくに限界を迎え、呼吸をするごとに肺が痛みを訴えかけてくる。それでも止まれなかった。止まるのが怖くてしょうがなかった。
 家まで残り200mを切ったところで、何もないところに足を引っかけ、盛大に転んでしまう。肺が空気を求めて暴れまわるが、呼吸の仕方をわからない、汗が噴き出るのを止められない、体の内側が凍えるように寒い。近くにあった電柱にもたれかかるように掴まり、力なく胃液を吐き出す。


 なぜあんなことをしてしまったのだろうか。
 ・家まで歩く。
 なぜこんなになっちゃったんだろうか。
 ・ドアを開ける。
 情熱に溢れた眼が怖かった。
 ・薬を掴んで口に入れる。
 馬鹿なことを真剣にできる環境が恨めしかった。
 ・椅子の上に立つ
 自分の捨てたものを持っていることが許せなかった。
 ・首にロープを巻く。

 自分を含めたすべてが嫌いだ。





「ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポピンポピンポピンポーン」


 ・チャイムを止める。
 
 そっと首からロープを外し、震える脚で玄関まで向かう。誰だろうかこんな時間にチャイムを押しまくっている馬鹿は。
「はい」
 ドアを開けた瞬間、こちらの顔面に向かってこぶしが飛んできた。
 当然避けれるはずもなく直撃、倒れ伏す私。
「一発は!、一発だ!!!」
 猛獣のような叫び声、真っ直ぐな瞳、アイツだ。
 私に渾身の一撃を与えた男は、勝ち誇ったように私を見下げる。
「アンタ、バッグ忘れてただろ」
 そう言って、アイツが乱暴に私のバッグを投げる。
「じゃあな」
 男は私に背を向けて、力強く歩き出す。
「まってくれ!」
 男は止まらない。
「なんで、バッグを届けてくれたんだ?」
 男は何も言わずに進んでゆく。
「なんで、警察に通報せずに直接きたんだ?」
 男が遠く離れていく。
「なんで、寿司なんかに!なんで、そんなものに熱中できるんだ!」
 私は駄々をこねる子どものように、周囲なんて気にせずに叫ぶ。
 いつからだろうか、こんな醜い人間になってしまったのは。子どもの頃は平凡に幸せになれると信じ切っていた。しかし、待ち望んだ大人になってからは、何に使っていいかわからない金をもらい。働いて寝る、働いて寝る、その繰り返しの毎日。いつしか魂が廃れ、目に映る若者に自分を重ねては、「早く死ね」と心の中で唱えている。
 こんな醜い大人になる前に消えてしまえればよかったのに。

「おい」
 気が付くとあの男が、目の前に立っていた。
 そして、にやりと笑ってこう言った。
「お前も寿司を握れ!」
 あの時と同じ笑顔だ。
 

「俺、寿司なんか握ったことない」
「そんなの関係ない」
「そもそも、家に刺身も酢もない!」
「そんなものいらない!」
「じゃあ!どうすればいい?・・俺に寿司なんか握れないよ...」
 うつむく私の肩に手を置き、男はこう言った。
「いいか、寿司は魂だ」
「魂を握ってんだよ」
 男の言葉を聞いて、なぜか、いてもたってもいられなくなってしまった。寿司を作ることが自分の使命であるようにさえ感じた。
 急いで家に入り、冷蔵庫を探す。
 何もない。
 いや何もないわけではない。
 これでいい。今の自分にはこれで十分。むしろこれがお似合いだろう。

「出来たぞ」
 男の前に置いた、ぐちゃぐちゃになった白米の上に、コンビニ弁当から抜いた貧相な焼き鮭を乗せた『それ』は、寿司と呼ぶにはあまりに醜く、子どもが遊び散らかした後という方がしっくりくるような代物であった。
「食ってみろ」
 男にそう言われ、『それ』を手に持つと、シャリであるはずの部分が崩壊してしまった。
 全体の60%ほどになった『それ』を口に運ぶ。
 しっかり握られすぎた米は、まるで消しゴムのような食感であり、コンビニ弁当の焼き鮭は、コンビニ弁当の焼き鮭であった。
「どうだ?」
 男が真っ直ぐに私を見つめて問う。
「ひどい味だ、めちゃめちゃまずいなんてもんじゃない。はっきり言って新聞紙食った方がましだ。、、でも..」
 男は黙って聞いていた。私の言葉を待っていた。
「魂の味がする」
 男はにやりと笑った。




 ・目覚ましを止める。
 ・水を飲む。
 ・歯を磨く。
 ・靴下を履く。
 ・スーツを着る。
 ・鍵を閉める。
 ・会社に向
 ・会社に向か

 いや、会社に行く前に・・・・





「おはようございます。」
 出社すると、課長がデスクからこっちに向かって、スタスタと早歩きで向かってくる。
「小林君、遅刻の連絡入れてないですよね?もう10時40分だよ、社会人としてどう」
《レッツ寿司バトルッ!!!》
 油断していた課長に向けて寿司を構える。
「何、ふざけてるんですか?何なんですか?」
「ベーリング海産カニカママヨネーズスペシャル、旨味C、味D、子ども受けA、酎ハイ属性、スキル低価格」
「意味の分からないことを言わないでください!!大体何なんですか、寿司バトラーって?」
 私はにやりと笑い、こぶしを天に突き上げた。

《寿司バトルは!魂のぶつかり合いだ!!》


 寿司バトラー小林、魂の一勝目。



 
 
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