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第六章 獣の檻とレヴィオール王国
星詠みの秘密
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「お主、儂をあんなところに閉じ込めて、どういう心算じゃ? こやつに何を吹き込んだ?」
「へ? なんの話ですか? ステラちゃん、ドロシーちゃんには何もしていませんよー?」
「この気狂いめが……しらばっくれおって……!」
対峙する二人の魔女。
幼い姿の放浪の魔女は殺気立つ。
一方で露出の多い衣装を身に纏った星詠みの魔女は、その睨みつける視線を飄々とした態度で受け流した。
「うーん、でも間接的にはステラちゃんのせいみたいな気もしますし……悪いことしちゃったかもしれませんね?」
「いけしゃあしゃあと、心にもないことを!」
大気が歪み、放浪の魔女の金髪が揺らぐ。
そんな一触即発な空気のなか、二人の事情を知らない俺は置いてきぼりだった。
俺が口を挟めないまま、魔女同士の戦いが始まる。
その戦いは、星空のステージで静かに幕を開けた。
二人の間では派手に武器がぶつかり合うわけでも、火花が散るわけでもなく、呪文の詠唱が繰り広げられるわけでもない。
はっきり言って、二人の魔女が戦う姿は、思っていたより地味だった。
放浪の魔女が杖を振るたび、空間が歪む。
空間が僅かにずれる。
空間に真っ暗な穴が開く。
放浪の魔女は空間を支配する魔女。その魔法に派手な演出なんかは必要ない。
起きている現象は一見すると、蜃気楼か陽炎のように無害に見えてしまう。
しかし、実際に巻き込まれた大理石の欠片は粉々に砕け、あるいは切断され、またあるいは次元の狭間に追放された。
それに対して星詠みの魔女は、それらがなんでもないことのように躱し続ける。その所作は重力を感じさせない、まるで舞いを踊るような軽やかなステップだ。
「もーう、そんなに怒らないでくださいよ。ステラちゃんはただ、運命の変え方を教えてあげに来ただけですって♪」
彼女からは一切の攻撃を仕掛けてこないあたり、本当に敵対の意思はないのだろう。
しかし、この場でその言動は挑発と受け取られても仕方がなかった。
「クッ……全然当たらぬ。さては、今まで実力を隠しておったな?」
息を切らせながら答える放浪の魔女。傍目に見ても疲労困憊といった様子だ。
「普段ならともかく、今の集中力も魔力も切れかけたドロシーちゃんが相手なら、流石に負けませんよ? そして何より――」
星詠みの魔女は楽しげに、その場でくるりと回る。
踊り子のような衣装が、ふわりと舞った。
「――今宵のステラちゃんは、超☆ラッキーガール! 何をやっても、全てが上手く行っちゃうのです♪」
バッチリとポーズを決める星詠みの魔女。
その姿はまるで、学園祭ではしゃぐ女子学生のようだった。
「……なるほど、それがお主の魔法か」
ふらつく身体。疲労になんとか耐えつつ、放浪の魔女が問い掛ける。
「うーん、ステラちゃんからすれば、魔法って言うほどすごいモノではなくて、ただの占星術の応用なんですけどね♪ ドロシーちゃんも、試してみます?」
「いらん。今すぐにこの場から立ち去れ! さもなくば、次は殺す気で行くぞ」
物騒なことを言う放浪の魔女。彼女は星詠みの魔女を警戒するように、抜け目なく数歩移動した。
「それはダメですっ! ステラちゃんには、彼の旅立ちを見送る使命があるのですから!」
「こやつには、帰るべき故郷がある。こちらの世界の争いごとに巻き込むでない!」
「でもそれって、最後は本人が決めるべき問題じゃないですか? 第一、彼は出発する気満々みたいですよ♪」
星詠みの魔女が、監視塔の隅で半ば背景と化していた俺のほうへ振り向く。
そして、意味深なウインクを飛ばしてきた。
「そうだ! せっかくですから、ドロシーちゃんにも星詠みの秘密を教えてあげちゃいます♪」
両手を広げ、唐突に星詠みの魔女は語り出す。
まるで舞台の真ん中に立つ女優のようなよく通る声に、俺は思わず耳を傾けた。
「実はですね、なんと! 星の語る運命を変えることは、絶対にできないのです!」
「なーにを馬鹿なことを、下らん。星屑ごときに人間の運命が縛られてなるものか!」
放浪の魔女は、にべもなく星詠みの魔女の言葉を全否定した。
「ぶー、自分が興味ないからって、そう頭ごなしに否定するのはよくないと思いまーす!」
星詠みの魔女は頬をあざとく膨らませて、放浪の魔女に抗議する。
「……でも、ドロシーちゃんが言っていることも、ある意味真理だったりするんですよねー。普通なら個々人の運命なんて、星が気にすることはありません。
だからこそステラちゃんは、星の語る運命を都合よく解釈し直したり、配役をすり替えちゃったりすることができるわけです」
なるほど。それは星占いの新しい解釈だ。
……おい、ちょっと待て。
それはつまり、星詠みの魔女の“予言”では、具体的に誰がどうなるか決まっていないということか?
その疑問の答えは、直後に星詠みの魔女の口から明かされた。
「しかーし! もちろん例外があります。それは星の加護を多く与えられ、凡百の名も無き人々とは一線を画す存在。いわゆる、本来の意味での“英雄”たちですね。星空に気に入られた者は、星空の示す運命に従う義務が生じるってことです♪」
「……つまり、ソフィアは自身も“英雄”だから、運命から逃れられないということか」
俺がそう質問すると、星詠みの魔女は嬉しそうに目を輝かせる。
「さっすが、理解が早い! 大正解! つまりは、そういうことです♪ ちなみに、今回の場合だと、『戦争が起こり、多くの人が死ぬこと』、『二人の英雄が戦うこと』、そして『戦いの加護を持たない英雄がこの世界から消えること』が確定した未来となっています!」
星詠みの魔女は楽しげに語った。
星詠みの秘密とやらを、俺はなんとなく理解した。
要するに、ソフィアを救うためには、今からどこかで二人の英雄を見つけ、代わりに戦場で殺し合わせる必要がある。
星詠みの魔女の言葉を信じるならば、これが運命を変える唯一無二の方法だ。
そしてそれが現実的な計画でないことは俺にも理解できた。
「一応明言しちゃいますと、この辺りで“英雄”に該当する星の加護を持つ者は、“ソフィア姫”と“ニブルバーグの末裔”、そして“太陽の国の王子”の三人だけです。数年後ならまた話は変わってきますが、正当な方法で運命を変えるのは難しそうですね♪」
さらに言えば、その中で“戦いの加護を持たない”英雄に該当しそうなのは、ソフィアただ一人。
つまりソフィアの死の運命を変えるのは、事実上不可能だということになる。
――なにが英雄だ、クソッたれめ!
「そ・こ・で! 登場するのが、異世界から来た貴方というわけですっ!」
まるで舞台袖に居る俺にスポットライトを当てるように、星詠みの魔女は俺を名指しした。
「なぜ古の神モドキ共が、わざわざ異世界から少年少女を英雄として喚び出したのだと思います? それは、異世界から来た者は、この世界で星の加護を一切持たないからです!」
いきなり語られる衝撃の事実。
それを聞いた俺は、星詠みの魔女の言葉が矛盾しているように感じた。
「星の加護が無いって、それはさっき言っていた英雄と真逆だと思うが……」
「いいえ! 星の加護が本当に一切なければ、その者たちは運命に囚われず、努力や巡り合わせ次第で、人の身に許されざる力すら手に入れられます――そう、持たざるがゆえ、無限に強くなることを許された存在。それがメアリス教における“異世界”英雄たちの正体なのです♪」
そして運命の輪の外側に居るがゆえに、力が伴えば運命を当然のごとく書き換えることが可能であると。
そのあまりにも無茶苦茶な理屈は、俺を唖然とさせた。
「じゃが、嘗て異世界から呼ばれた英雄たちは、例外なく悲惨な末路を迎えておる。それを知らんとは言わせんぞ!」
放浪の魔女が横から口を挟む。
その瞬間、周囲の空気が揺れた。
いや、揺れているのは空間だ。
いつの間にか、大規模な空間魔法が展開されていたのだ。
「礼を言うのじゃ。お主が長々と話してくれたおかげで、やっと完成した」
この場は今、放浪の魔女の魔法に支配されていた。
監視塔の頭頂部全てを含む、広範囲の空間魔法。
流石に星詠みの魔女も、これを躱すことは不可能であるはずだ。どこか他人事のように、俺はそう思った。
「さあ、覚悟はできているじゃろうな、星詠みの?」
放浪の魔女が問い掛ける。
「いいえ?」
勝利を確信する放浪の魔女に対して、星詠みの魔女が挑発的に、にっこりと笑った。
「できていませんし、多分する必要もありませんね♪」
その笑顔は、この状況が彼女にとって、全く危機でないことを理解するのに十分だった。
――対峙する二人の魔女。そんな時、俺の耳が不穏な音を捉える。
天井のほうから、大理石が軋む音。
ふと見上げると、さっき俺が怒りに任せて殴ったひび割れが天井にまで届き、この瞬間にも、ますます大きくなっている。
……あれ? これ、ヤバくないか?
このままだと天井が崩れそうだ。
二人の魔女はどちらもそれに気付いていない様子。
「なあ、二人とも、ちょっといったん止め……」
危機を察した俺は、一時的に休戦協定を持ちかけようとする。
しかし、その瞬間はあっという間に訪れた。
ガラガラと音を立てながら、堰を切ったように落ちてくる監視塔の天井。
杖を構えたまま動きが固まる放浪の魔女。本調子には程遠い彼女は、突然の出来事に反応できない。ただ驚愕した表情で、凍りついたように天井を見上げている。
俺は咄嗟に、魔女のローブを掴んで後ろに引っ張った。
崩れ落ちる監視塔の天井。
彼女を懐に入れ、ギリギリのところで降ってきた天井の破片から庇う。
放浪の魔女の集中力が切れたため、空間魔法は効果を発揮することなく魔力を霧散させた。
「おい! 怪我は無いか?」
俺が尋ねると、幼い姿の魔女はぺたんとその場に座り込む。
しかし見たところ、怪我をした様子はない。ただの魔力切れのようだ。むしろ疲労でかいた脂汗が体温を冷やしてしまう心配をするべきかもしれない。
問題は星詠みの魔女だ。
彼女の立ち位置だと、間違いなく瓦礫の下敷きになっているはずだ。
そう思って、俺は星詠みの魔女の姿を探すが……。
「ほーらね、今宵のステラちゃんは、完☆璧なんですって♪」
そこに立っていたのは無傷の少女。
崩れ落ちた瓦礫は彼女を避けるように、ぽっかりと穴が開いていた。
はたしてこれは、豪運とかラッキーなんて陳腐な言葉で済ませていいのだろうか?
俺の目の前で起きていたのは、まさに奇跡だった。
「いや~、別に凄くなんかないですよ♪ 運が良い日は、だいたいこうなっちゃうんです♪」
星詠みの魔女は照れながら、しかしどこか自慢するように、ご機嫌な様子で言った。
「まっ、これもステラちゃんの日ごろの行ないですかね~♪ なんちゃって、キャハッ♪」
「う、う……」
魔力切れに苦しむ放浪の魔女が呻く。
少し不味いかもな。いったん仮面ゴーレムにでも預けたほうがいいかもしれない。
この騒動を聞きつけて、間もなくやってくるはずだ。
「ちなみに、ソフィア姫だけを助けたいなら、ドロシーちゃんにソフィア姫を異世界へ連れて行ってもらう……なんて方法もあります。ただその場合、間違いなくレヴィオール王国は滅亡するでしょうね」
ここぞとばかりに星詠みの魔女は話を進める。
なるほど、それでアレックスと黒騎士が戦場で相見えれば、『二人の英雄が戦い』、『戦いの加護を持たない英雄がこの世界から消える』ことになる。取りあえず予言は成立していると言えるな。
しかし、ソフィアが生き残るだけでは駄目だ。
ソフィアにとって大切な者、大切な場所、守りたい世界を取り戻して、初めて俺は納得できるのだから。
俺の希望を叶えるためには、予言を根本から崩す必要があるらしい。
星詠みの魔女のある意味絶対的な能力を知った今、もはや彼女を疑うことは考えられなかった。
「行っては……っ、いかん……!」
放浪の魔女が苦しげに引き止める。
今の俺なら、魔女が何をそんなに危惧しているのか理解できた。
星詠みの魔女の言葉を借りるなら、“星の加護が無い”異世界人――つまり俺は、きっと際限なく不幸になるのだろう。
世界ってやつは、幸せになるより、不幸になるほうがずっと簡単なのだから。
だからこそ、放浪の魔女が言ったとおり、かつて異世界から来た英雄たちは皆おしなべて悲惨な末路を迎えたのかもしれない。
そしてそれ故に魔女は、俺が元の世界に帰ることに、あんなにもこだわっていたのだ。
しかしそれは、俺がレヴィオール王国に行かない理由にはならなかった。
「魔女、ありがとな。だが、俺はそれでも、レヴィオール王国に行こうと思っている」
前回は最後まで俺は自分のことしか考えていなかった……ついこの間、それを悔やんだばかりだ。
そんな俺にとって、これはやり直しの機会でもある。
自分がちょっと不幸になって、それでソフィアの故郷を救うことができるなら、それは何も惜しくないと思えた。
それに……ソフィアを救う“英雄”という響きが、今の俺にはあまりにも甘美過ぎた。
「意志は決まったようですね? では、あのひときわ輝く真っ赤な星を追いかけてください。あの星が沈む先の山脈、その霊峰に囲まれた湖の国がレヴィオール王国です」
星詠みの魔女が示す先には、確かに赤い星が目立っていた。
「あれだな? ありがとう、星詠みの魔女。感謝する」
「はい。今の貴方ならば、おそらく明日の夕方には着きますよ♪」
その不気味な輝きはなんとなく不吉な気もしたが、俺は彼女のアドバイスに従って、赤い星に向かい監視塔を飛び下りた。
背後から放浪の魔女の声が聞こえた気がしたが、俺はそれを無視した。
目指すは、ソフィアの故郷であるレヴィオール王国。
俺はその日、冬に閉ざされた楽園を飛び出すために、冬の世界を駆け抜けた。
* * *
「……行ってしまいましたね」
星詠みの魔女は、どこか切なそうにつぶやいた。
「それにしても……あーあ、すっかり壊れちゃいました。でも、星空がよく見えるので、これはこれでアリかもしれません♪」
そんな軽口を叩きながら、彼女は魔獣が置いていった魔法の鏡を拾う。
「彼の姿を映して」
鏡に波紋が広がると、今まさに外の世界を目指して雪原を駆ける漆黒の魔獣の姿が映し出された。
「さあ、頑張ってください。全ての運命を変えるために。ステラちゃんも応援していますから♪」
今のところ、何もかもが彼女の思い通り。
この日のために、あらゆる星の加護を調整して、自身の運命力を高めたのだから。
星詠みの魔女は、鏡の中で走る魔獣を撫でながら微笑んだ。
一方で、放浪の魔女は涙を流していた。
彼女の中に渦巻く感情は、懺悔か後悔か、それとも純粋な悲しみか。
彼女はただ、袖振り合う程度の縁があった哀れな男を、救いたかっただけなのだ。
それは意味の無い気まぐれだったのかもしれない。
あっちの世界で有名なお伽噺を模倣して、悪戯心があったことは否定しない。
しかし、彼に幸せになってほしかったのも間違いなく本心だった。
放浪の魔女はあの男に、幸福を掴む切っ掛けをくれてやりたいとも思っていた。
ちょっとした、お節介のつもりだったのだ。
なのに、こんなことになってしまうなんて――。
「ドロシーちゃん、もしかして泣いているのですか?」
放浪の魔女が泣いていることに気が付いた星詠みの魔女は声をかける。
「でも、まだ彼が不幸になるって、確実に決まったわけじゃありませんよ? それに、実はこっそり、彼に偽りの加護を与えているんです――驚きましたか? これこそが、ステラちゃんの本当の秘密。星詠みの魔女の魔法なんです♪」
星詠みの魔女は、魔法の鏡を二人で一緒に見られる位置に持ってきた。
「今はただ祝福しましょう。彼が選んだ、新たなる運命に――」
「お主の……目的は、なんじゃ……なぜ、こんなことを……」
魔力切れの疲労と涙にかすれた声で、放浪の魔女が問い詰める。
すると星詠みの魔女はどこからか紙の束を取り出した。
その紙の束には延々と、詩のような文字列が綴られている。
そして、その一部には、こう記されていた。
――冬を纏う獣が、白亜の牢獄を抜け出す。
可憐な薔薇に背を向けて、咆哮を上げる時、空白の玉座が遂に埋まるだろう――。
「……ステラちゃんは、この星空は誰のものでもない――ただそれを、証明したいだけですよ」
そう語る彼女の瞳は、星空よりも遠くを見据えていた。
「へ? なんの話ですか? ステラちゃん、ドロシーちゃんには何もしていませんよー?」
「この気狂いめが……しらばっくれおって……!」
対峙する二人の魔女。
幼い姿の放浪の魔女は殺気立つ。
一方で露出の多い衣装を身に纏った星詠みの魔女は、その睨みつける視線を飄々とした態度で受け流した。
「うーん、でも間接的にはステラちゃんのせいみたいな気もしますし……悪いことしちゃったかもしれませんね?」
「いけしゃあしゃあと、心にもないことを!」
大気が歪み、放浪の魔女の金髪が揺らぐ。
そんな一触即発な空気のなか、二人の事情を知らない俺は置いてきぼりだった。
俺が口を挟めないまま、魔女同士の戦いが始まる。
その戦いは、星空のステージで静かに幕を開けた。
二人の間では派手に武器がぶつかり合うわけでも、火花が散るわけでもなく、呪文の詠唱が繰り広げられるわけでもない。
はっきり言って、二人の魔女が戦う姿は、思っていたより地味だった。
放浪の魔女が杖を振るたび、空間が歪む。
空間が僅かにずれる。
空間に真っ暗な穴が開く。
放浪の魔女は空間を支配する魔女。その魔法に派手な演出なんかは必要ない。
起きている現象は一見すると、蜃気楼か陽炎のように無害に見えてしまう。
しかし、実際に巻き込まれた大理石の欠片は粉々に砕け、あるいは切断され、またあるいは次元の狭間に追放された。
それに対して星詠みの魔女は、それらがなんでもないことのように躱し続ける。その所作は重力を感じさせない、まるで舞いを踊るような軽やかなステップだ。
「もーう、そんなに怒らないでくださいよ。ステラちゃんはただ、運命の変え方を教えてあげに来ただけですって♪」
彼女からは一切の攻撃を仕掛けてこないあたり、本当に敵対の意思はないのだろう。
しかし、この場でその言動は挑発と受け取られても仕方がなかった。
「クッ……全然当たらぬ。さては、今まで実力を隠しておったな?」
息を切らせながら答える放浪の魔女。傍目に見ても疲労困憊といった様子だ。
「普段ならともかく、今の集中力も魔力も切れかけたドロシーちゃんが相手なら、流石に負けませんよ? そして何より――」
星詠みの魔女は楽しげに、その場でくるりと回る。
踊り子のような衣装が、ふわりと舞った。
「――今宵のステラちゃんは、超☆ラッキーガール! 何をやっても、全てが上手く行っちゃうのです♪」
バッチリとポーズを決める星詠みの魔女。
その姿はまるで、学園祭ではしゃぐ女子学生のようだった。
「……なるほど、それがお主の魔法か」
ふらつく身体。疲労になんとか耐えつつ、放浪の魔女が問い掛ける。
「うーん、ステラちゃんからすれば、魔法って言うほどすごいモノではなくて、ただの占星術の応用なんですけどね♪ ドロシーちゃんも、試してみます?」
「いらん。今すぐにこの場から立ち去れ! さもなくば、次は殺す気で行くぞ」
物騒なことを言う放浪の魔女。彼女は星詠みの魔女を警戒するように、抜け目なく数歩移動した。
「それはダメですっ! ステラちゃんには、彼の旅立ちを見送る使命があるのですから!」
「こやつには、帰るべき故郷がある。こちらの世界の争いごとに巻き込むでない!」
「でもそれって、最後は本人が決めるべき問題じゃないですか? 第一、彼は出発する気満々みたいですよ♪」
星詠みの魔女が、監視塔の隅で半ば背景と化していた俺のほうへ振り向く。
そして、意味深なウインクを飛ばしてきた。
「そうだ! せっかくですから、ドロシーちゃんにも星詠みの秘密を教えてあげちゃいます♪」
両手を広げ、唐突に星詠みの魔女は語り出す。
まるで舞台の真ん中に立つ女優のようなよく通る声に、俺は思わず耳を傾けた。
「実はですね、なんと! 星の語る運命を変えることは、絶対にできないのです!」
「なーにを馬鹿なことを、下らん。星屑ごときに人間の運命が縛られてなるものか!」
放浪の魔女は、にべもなく星詠みの魔女の言葉を全否定した。
「ぶー、自分が興味ないからって、そう頭ごなしに否定するのはよくないと思いまーす!」
星詠みの魔女は頬をあざとく膨らませて、放浪の魔女に抗議する。
「……でも、ドロシーちゃんが言っていることも、ある意味真理だったりするんですよねー。普通なら個々人の運命なんて、星が気にすることはありません。
だからこそステラちゃんは、星の語る運命を都合よく解釈し直したり、配役をすり替えちゃったりすることができるわけです」
なるほど。それは星占いの新しい解釈だ。
……おい、ちょっと待て。
それはつまり、星詠みの魔女の“予言”では、具体的に誰がどうなるか決まっていないということか?
その疑問の答えは、直後に星詠みの魔女の口から明かされた。
「しかーし! もちろん例外があります。それは星の加護を多く与えられ、凡百の名も無き人々とは一線を画す存在。いわゆる、本来の意味での“英雄”たちですね。星空に気に入られた者は、星空の示す運命に従う義務が生じるってことです♪」
「……つまり、ソフィアは自身も“英雄”だから、運命から逃れられないということか」
俺がそう質問すると、星詠みの魔女は嬉しそうに目を輝かせる。
「さっすが、理解が早い! 大正解! つまりは、そういうことです♪ ちなみに、今回の場合だと、『戦争が起こり、多くの人が死ぬこと』、『二人の英雄が戦うこと』、そして『戦いの加護を持たない英雄がこの世界から消えること』が確定した未来となっています!」
星詠みの魔女は楽しげに語った。
星詠みの秘密とやらを、俺はなんとなく理解した。
要するに、ソフィアを救うためには、今からどこかで二人の英雄を見つけ、代わりに戦場で殺し合わせる必要がある。
星詠みの魔女の言葉を信じるならば、これが運命を変える唯一無二の方法だ。
そしてそれが現実的な計画でないことは俺にも理解できた。
「一応明言しちゃいますと、この辺りで“英雄”に該当する星の加護を持つ者は、“ソフィア姫”と“ニブルバーグの末裔”、そして“太陽の国の王子”の三人だけです。数年後ならまた話は変わってきますが、正当な方法で運命を変えるのは難しそうですね♪」
さらに言えば、その中で“戦いの加護を持たない”英雄に該当しそうなのは、ソフィアただ一人。
つまりソフィアの死の運命を変えるのは、事実上不可能だということになる。
――なにが英雄だ、クソッたれめ!
「そ・こ・で! 登場するのが、異世界から来た貴方というわけですっ!」
まるで舞台袖に居る俺にスポットライトを当てるように、星詠みの魔女は俺を名指しした。
「なぜ古の神モドキ共が、わざわざ異世界から少年少女を英雄として喚び出したのだと思います? それは、異世界から来た者は、この世界で星の加護を一切持たないからです!」
いきなり語られる衝撃の事実。
それを聞いた俺は、星詠みの魔女の言葉が矛盾しているように感じた。
「星の加護が無いって、それはさっき言っていた英雄と真逆だと思うが……」
「いいえ! 星の加護が本当に一切なければ、その者たちは運命に囚われず、努力や巡り合わせ次第で、人の身に許されざる力すら手に入れられます――そう、持たざるがゆえ、無限に強くなることを許された存在。それがメアリス教における“異世界”英雄たちの正体なのです♪」
そして運命の輪の外側に居るがゆえに、力が伴えば運命を当然のごとく書き換えることが可能であると。
そのあまりにも無茶苦茶な理屈は、俺を唖然とさせた。
「じゃが、嘗て異世界から呼ばれた英雄たちは、例外なく悲惨な末路を迎えておる。それを知らんとは言わせんぞ!」
放浪の魔女が横から口を挟む。
その瞬間、周囲の空気が揺れた。
いや、揺れているのは空間だ。
いつの間にか、大規模な空間魔法が展開されていたのだ。
「礼を言うのじゃ。お主が長々と話してくれたおかげで、やっと完成した」
この場は今、放浪の魔女の魔法に支配されていた。
監視塔の頭頂部全てを含む、広範囲の空間魔法。
流石に星詠みの魔女も、これを躱すことは不可能であるはずだ。どこか他人事のように、俺はそう思った。
「さあ、覚悟はできているじゃろうな、星詠みの?」
放浪の魔女が問い掛ける。
「いいえ?」
勝利を確信する放浪の魔女に対して、星詠みの魔女が挑発的に、にっこりと笑った。
「できていませんし、多分する必要もありませんね♪」
その笑顔は、この状況が彼女にとって、全く危機でないことを理解するのに十分だった。
――対峙する二人の魔女。そんな時、俺の耳が不穏な音を捉える。
天井のほうから、大理石が軋む音。
ふと見上げると、さっき俺が怒りに任せて殴ったひび割れが天井にまで届き、この瞬間にも、ますます大きくなっている。
……あれ? これ、ヤバくないか?
このままだと天井が崩れそうだ。
二人の魔女はどちらもそれに気付いていない様子。
「なあ、二人とも、ちょっといったん止め……」
危機を察した俺は、一時的に休戦協定を持ちかけようとする。
しかし、その瞬間はあっという間に訪れた。
ガラガラと音を立てながら、堰を切ったように落ちてくる監視塔の天井。
杖を構えたまま動きが固まる放浪の魔女。本調子には程遠い彼女は、突然の出来事に反応できない。ただ驚愕した表情で、凍りついたように天井を見上げている。
俺は咄嗟に、魔女のローブを掴んで後ろに引っ張った。
崩れ落ちる監視塔の天井。
彼女を懐に入れ、ギリギリのところで降ってきた天井の破片から庇う。
放浪の魔女の集中力が切れたため、空間魔法は効果を発揮することなく魔力を霧散させた。
「おい! 怪我は無いか?」
俺が尋ねると、幼い姿の魔女はぺたんとその場に座り込む。
しかし見たところ、怪我をした様子はない。ただの魔力切れのようだ。むしろ疲労でかいた脂汗が体温を冷やしてしまう心配をするべきかもしれない。
問題は星詠みの魔女だ。
彼女の立ち位置だと、間違いなく瓦礫の下敷きになっているはずだ。
そう思って、俺は星詠みの魔女の姿を探すが……。
「ほーらね、今宵のステラちゃんは、完☆璧なんですって♪」
そこに立っていたのは無傷の少女。
崩れ落ちた瓦礫は彼女を避けるように、ぽっかりと穴が開いていた。
はたしてこれは、豪運とかラッキーなんて陳腐な言葉で済ませていいのだろうか?
俺の目の前で起きていたのは、まさに奇跡だった。
「いや~、別に凄くなんかないですよ♪ 運が良い日は、だいたいこうなっちゃうんです♪」
星詠みの魔女は照れながら、しかしどこか自慢するように、ご機嫌な様子で言った。
「まっ、これもステラちゃんの日ごろの行ないですかね~♪ なんちゃって、キャハッ♪」
「う、う……」
魔力切れに苦しむ放浪の魔女が呻く。
少し不味いかもな。いったん仮面ゴーレムにでも預けたほうがいいかもしれない。
この騒動を聞きつけて、間もなくやってくるはずだ。
「ちなみに、ソフィア姫だけを助けたいなら、ドロシーちゃんにソフィア姫を異世界へ連れて行ってもらう……なんて方法もあります。ただその場合、間違いなくレヴィオール王国は滅亡するでしょうね」
ここぞとばかりに星詠みの魔女は話を進める。
なるほど、それでアレックスと黒騎士が戦場で相見えれば、『二人の英雄が戦い』、『戦いの加護を持たない英雄がこの世界から消える』ことになる。取りあえず予言は成立していると言えるな。
しかし、ソフィアが生き残るだけでは駄目だ。
ソフィアにとって大切な者、大切な場所、守りたい世界を取り戻して、初めて俺は納得できるのだから。
俺の希望を叶えるためには、予言を根本から崩す必要があるらしい。
星詠みの魔女のある意味絶対的な能力を知った今、もはや彼女を疑うことは考えられなかった。
「行っては……っ、いかん……!」
放浪の魔女が苦しげに引き止める。
今の俺なら、魔女が何をそんなに危惧しているのか理解できた。
星詠みの魔女の言葉を借りるなら、“星の加護が無い”異世界人――つまり俺は、きっと際限なく不幸になるのだろう。
世界ってやつは、幸せになるより、不幸になるほうがずっと簡単なのだから。
だからこそ、放浪の魔女が言ったとおり、かつて異世界から来た英雄たちは皆おしなべて悲惨な末路を迎えたのかもしれない。
そしてそれ故に魔女は、俺が元の世界に帰ることに、あんなにもこだわっていたのだ。
しかしそれは、俺がレヴィオール王国に行かない理由にはならなかった。
「魔女、ありがとな。だが、俺はそれでも、レヴィオール王国に行こうと思っている」
前回は最後まで俺は自分のことしか考えていなかった……ついこの間、それを悔やんだばかりだ。
そんな俺にとって、これはやり直しの機会でもある。
自分がちょっと不幸になって、それでソフィアの故郷を救うことができるなら、それは何も惜しくないと思えた。
それに……ソフィアを救う“英雄”という響きが、今の俺にはあまりにも甘美過ぎた。
「意志は決まったようですね? では、あのひときわ輝く真っ赤な星を追いかけてください。あの星が沈む先の山脈、その霊峰に囲まれた湖の国がレヴィオール王国です」
星詠みの魔女が示す先には、確かに赤い星が目立っていた。
「あれだな? ありがとう、星詠みの魔女。感謝する」
「はい。今の貴方ならば、おそらく明日の夕方には着きますよ♪」
その不気味な輝きはなんとなく不吉な気もしたが、俺は彼女のアドバイスに従って、赤い星に向かい監視塔を飛び下りた。
背後から放浪の魔女の声が聞こえた気がしたが、俺はそれを無視した。
目指すは、ソフィアの故郷であるレヴィオール王国。
俺はその日、冬に閉ざされた楽園を飛び出すために、冬の世界を駆け抜けた。
* * *
「……行ってしまいましたね」
星詠みの魔女は、どこか切なそうにつぶやいた。
「それにしても……あーあ、すっかり壊れちゃいました。でも、星空がよく見えるので、これはこれでアリかもしれません♪」
そんな軽口を叩きながら、彼女は魔獣が置いていった魔法の鏡を拾う。
「彼の姿を映して」
鏡に波紋が広がると、今まさに外の世界を目指して雪原を駆ける漆黒の魔獣の姿が映し出された。
「さあ、頑張ってください。全ての運命を変えるために。ステラちゃんも応援していますから♪」
今のところ、何もかもが彼女の思い通り。
この日のために、あらゆる星の加護を調整して、自身の運命力を高めたのだから。
星詠みの魔女は、鏡の中で走る魔獣を撫でながら微笑んだ。
一方で、放浪の魔女は涙を流していた。
彼女の中に渦巻く感情は、懺悔か後悔か、それとも純粋な悲しみか。
彼女はただ、袖振り合う程度の縁があった哀れな男を、救いたかっただけなのだ。
それは意味の無い気まぐれだったのかもしれない。
あっちの世界で有名なお伽噺を模倣して、悪戯心があったことは否定しない。
しかし、彼に幸せになってほしかったのも間違いなく本心だった。
放浪の魔女はあの男に、幸福を掴む切っ掛けをくれてやりたいとも思っていた。
ちょっとした、お節介のつもりだったのだ。
なのに、こんなことになってしまうなんて――。
「ドロシーちゃん、もしかして泣いているのですか?」
放浪の魔女が泣いていることに気が付いた星詠みの魔女は声をかける。
「でも、まだ彼が不幸になるって、確実に決まったわけじゃありませんよ? それに、実はこっそり、彼に偽りの加護を与えているんです――驚きましたか? これこそが、ステラちゃんの本当の秘密。星詠みの魔女の魔法なんです♪」
星詠みの魔女は、魔法の鏡を二人で一緒に見られる位置に持ってきた。
「今はただ祝福しましょう。彼が選んだ、新たなる運命に――」
「お主の……目的は、なんじゃ……なぜ、こんなことを……」
魔力切れの疲労と涙にかすれた声で、放浪の魔女が問い詰める。
すると星詠みの魔女はどこからか紙の束を取り出した。
その紙の束には延々と、詩のような文字列が綴られている。
そして、その一部には、こう記されていた。
――冬を纏う獣が、白亜の牢獄を抜け出す。
可憐な薔薇に背を向けて、咆哮を上げる時、空白の玉座が遂に埋まるだろう――。
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