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第八章 孤独と再誕の童話
本物の呪い(上)
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あの日と同じように、星詠みの魔女は悪戯っぽく笑う。
宵闇の中で、淡い燐光を纏う美しい少女。
彼女の濃紺の髪は星屑を散りばめたように輝く。そのキューティクルは先端に行くにつれ、明るい瑠璃色へとグラデーションし、まるで夜明け前の空のようだ。
それに対して、俺を映す瞳は真夜中の空のような色である。その奥にはあたかも宇宙を飼っているような、不思議な輝きを宿していた。
非現実的で、不自然なほど完璧な美少女。
それが俺から見た星詠みの魔女だ。
そして……相変わらず、ヒラヒラと痴女めいた魔女でもあった。
これで会うのは二回目になるが、やはり「寒そう」以上の感想が出てこない。
一見すると、その衣装は神聖で厳かな装飾があしらわれている。なのに肝心な胴体部分の布面積がほとんど無い。おかげで、彼女の格好はまるで踊り子か娼婦そのものだ。
少なくとも、彼女の姿を見て聖職者だと思う人間は存在しないだろう。
実際のところ、彼女は俺にとって、最も悪辣な魔女。
なぜなら、この魔女の予言に従った結果、俺は今、血塗れた姿で此処に居るのだから――まあ、俺が直接会ったことがある魔女なんて、“放浪”と“星詠み”の二人だけなのだが。
そして今も、何もかもを失った俺の前にこいつは、嘲笑うようにお出ましってわけである。
とにかく、俺は彼女に対して良い印象を持っていなかった。
「……なんの用だ。今さら此処に、何をしに来た?」
唸り声の混ざった冷たい声音で俺は問い掛ける。
喉の奥がグルルルと、恐ろしい音を奏でた。
もちろん、これが八つ当たりなのは理解している。
過程はどうであれ、この魔女の予言を聞いてどう行動するか……それを最終的に決めたのは、他ならぬ俺自身なのだから。どう足掻こうと、そこだけは言い訳できない。
しかし、それはそれとして……感情は別なのだ。
俺と同じ状況になれば、誰だってこの魔女のふざけた態度に恨みを抱くはずだ。
「つれないですね。用が無ければ、逢いに来てはいけませんか?」
肝が座っているのか鈍感なのか、俺に敵意を向けられてなお、彼女は笑みを崩さない。
まるで歓迎されるのが当たり前……そういった感じの態度である。まったくもって図々しい。
「いつから俺とお前はそんな関係になった? あまり調子に乗ったことを言うと、喰い殺すぞ」
いっそこの場で、そのヘラヘラ笑う顔を潰してしまおうか――そんな想像が脳裏をよぎった。
なお、“喰い殺す”という言葉が自然に口から出た事実については、もはや驚くに値しなかった。
だが、そんな脅し文句も、彼女にとって恐れるべきものではなかったらしい。星詠みの魔女は俺をおちょくるような態度で振る舞い続ける。
「えー、それは困りますね。ステラちゃんは貴方を救済に来たのですから♪」
不機嫌な俺の態度をものともせず、星詠みの魔女はこの期に及んでそんなことをのたまった。
「……救済? 今度は俺に何をさせる気だ?」
またあんな徒労を強制されるのだろうか。勘弁してほしい。
仮にそうでないとしても、こちらは一度痛い目に遭った身である。お前のことは信用できない――言外にその意を込めて、猜疑と不信の目を魔女に向けた。
しかし、星詠みの魔女は俺の視線など意に介さない。それどころか、勝手にどんどん話を進めていく。
「それはもちろん、選んでもらうのですよ――貴方の未来を♪」
そして想像通り、彼女の言う救済とは再び予言を齎すことだった。
その言葉を聞いて、思わず俺は鼻で自嘲ってしまう。
耳に都合の良い予言は、もうウンザリだった。
「選ぶ、だと? 要らん。余計なお世話だ」
そもそも、この状況からどんな未来が期待できる?
考えるのも馬鹿馬鹿しい。
俺は忌まわしき魔女に牙を剥いた。
「どうせ碌な選択肢なんてありはしない。何時だって俺は、他人の都合で生きてきた。その結果がこれだ!」
俺は恐ろしい獣の姿を見せつける。
さあ、ご覧あそばせ。
これが放浪の魔女に呪われ、鎖の魔女に利用され、星詠みの魔女に踊らされた、哀れな男の末路だ。
身の程を過ぎた力に振り回され、何一つ得られなかった間抜けの姿だ。
これ以上他人の都合に振り回されるなんて、冗談じゃない!
「だが俺は力を手に入れた! もう俺は、何者にも従ってやるつもりはない。さあ、消えろ。俺の前から! 二度とそのヘラヘラにやけた面を見せるんじゃねえ!!」
俺は怒りに任せて言い放ってやった。
その叫びは咆哮のように、冷たい大気を震わせた。
暗い枯れ木の森の中、雪の欠片がちらちらと舞い落ちる。
冬に呪われた世界は今宵も寒く、雪雲に埋め尽くされた空は星屑を必要としない。
生臭く香る鮮血だけが、この世界に許可された彩りだ。
しかし、目の前で恐ろしい魔獣が咆えたにもかかわらず、星詠みの魔女は挑発するように問い掛けてくる。
「……おやぁ? では貴方は、この結末に満足しているのですか?」
知らぬ間に俺の近くまで歩み寄っていた星詠みの魔女。俺はその馴れ馴れしさを不快に感じた。
「ステラちゃんの思い違いでなければ、とてもそうは見えません。不思議ですねえ? 今の貴方なら大抵のことはできるでしょうに。いったい何が不満なのですか?」
「聞こえなかったのか? 俺は消えろと言ったんだ!」
「貴方の胸を満たすのに、足りないモノは何ですか? 欲しいモノは何ですか? 何が手に入れば満足できますか? 食べ物? 財宝? 美女? 奴隷? それとも……」
列挙しながら、ハッと何かを閃いたような顔をする星詠みの魔女。そして演技っぽく身体をくねらせる。
「ち・な・み・にぃ、美女をお求めなら……ここに可愛いステラちゃんがいますよ♪」
そう言うと、彼女は自分を指しながらパチンッ☆ とウインクした。
ここでイラッとしたのは、俺が特別に短気だったせいではないだろう。
いい加減この魔女が鬱陶しくなった俺は、あわよくば骨ごとへし折るつもりで腕を薙ぎ払う。
だが、星詠みの魔女は、その攻撃をひょいっと軽快な動作で避けた。
「あらら、お気に召しませんでしたか……分かってましたけど、なーんか地味にショックです」
不満気な顔で、星詠みの魔女はひらりと身を翻す。そして重力を感じさせないステップを踏みながら、今度は森の向こう――おそらく外の世界がある方角を指し示し、突拍子もないことを言い出した。
「それなら、ちょっと近くの町へ略奪にでも行きましょうか! この付近にある町ではあまり期待できませんが、それでも食べ物と奴隷くらいなら手に入りますよ♪」
俺は唖然とする。その発想はなかった。
……いや、どうしてそうなる?
俺が思っていた以上に、この魔女は頭かおかしいみたいだ。
それとも自分の耳がおかしくなったのか。その可能性も疑いつつ、ゆっくりと俺は魔女のほうを振り向く。
「当然人々は貴方を恨むでしょう。ですが、不死身で絶対的な力を持つ貴方なら、そんな有象無象を気にする必要はありませんよね?」
……どうやら聞き違いではないらしい。
だが大前提として、俺はもう略奪なんかする必要性が無い。
今さら金や食い物に用は無いし、敵対しているわけでもない雑魚には興味が無いからだ。
第一、今まで俺がそんな野蛮なことを、一度でも望んだか? 他人が勝手に、俺の願望を決めつけるな。
本当に訳が分からない。
そのトチ狂った結論に至る論理の飛躍が、俺には理解できなかった。
「ホラホラ、どうしました? なぜ動かないんです?」
急かす星詠みの魔女。はたしてこの女は、俺が喜び勇んで略奪に向かうと、本気で思っているのだろうか? もはや俺は頭痛すら感じていた。
「……なあ。お前はいったい、何を言っているんだ?」
「あれ? ステラちゃん、なにか変なこと言ってます? だって――」
問われた彼女は再び俺に歩み寄り、言葉を溜める。
「――それこそが貴方の言っていた、“力こそ正義”なのですから♪」
そして星詠みの魔女は、俺を小馬鹿にするように微笑んだ。
……ああ、そうか。そういうことか。なるほど、やっと分かった。
俺は今、このキチガイ女から侮辱されているんだ。
――その時、俺の中で何かが静かに切れた。
もしかすると、初めから俺がそんな奴だと思われていたのかもしれない。
いずれにせよ、屈辱だ。律儀に付き合ってやったのが間違いだった。
よし、殺そう。
見下してくる相手に慈悲は要らない。俺に逆らう者は極刑だ。俺を無礼てくる奴らは皆殺しだ。
それに、魔獣をけしかけて無関係な人間を襲わせようとする邪悪な魔女なんて、どう考えても生かしておく価値は無い。
敵は殺す。気に食わない悪党も殺す。
俺はもう、日和らない。躊躇しない。
敵は全て殺せ。
俺を不快にさせる全てを消せ。
それこそが俺の救われる、唯一無二の方法。
自分以外の誰も居ない冬の世界。其処だけが、俺に許された最後の牢獄。
俺は前脚を踏み鳴らし、雪に覆われた大地へ命令を下した。
――星詠みの魔女の足元から鋭い氷錐が、槍を突き刺すように生えてくる。
今度は明確な殺意を孕んだ一撃。
さらに俺は全身を鞭のようにしならせ、大剣に見立てた尾で追撃した。
刺々しい尾は氷の槍ごと、串刺しの魔女が居るはずの場所を一掃する。
しかし、尾が通り過ぎた跡に残っていたのは、砕けた氷の塊だけ。
そこに星を詠む魔女の死体は無かった。
「お怒りですか? でも、なぜお怒りになるのです? ステラちゃんは貴方の意を汲んであげたのですよ?」
背後から声がする。
俺は振り返らず氷柱を飛ばす。
氷が突き刺さる音に、砕ける音。ただし手応えは特にない。
「矛盾してますね。“力こそ正義”なんて掲げながら、それを執行することは拒むなんて」
そんなの当然だ。
別に俺は世界一の金持ちになりたいわけじゃなく、誰かの幸福を踏み躙ってまですごく欲しいものがあるわけでもなかった。
ただ誰も居ない深夜のオフィスで、せいぜい百数十円のコーヒーを買うのに躊躇する……そんな生活を辞めたかっただけなのだ。
昼は牛丼や安いラーメン、夜は仕事が早く終われば自炊で遅くなったらコンビニ飯。
子供の頃は社会人になれば二千円のランチを平気で食えるものだと思っていた。旅行にも、いつだっていけると思っていた。
もっと言えば、大人になれば普通に働いて、自然に好きな人ができて、人並みに家庭を持って……それが当たり前だと思っていた。
それなのに、生まれてからずっと景気が悪いままで、胃に穴が開くほど働いてもこんなに未来が貧しいなんて、誰が想像できただろうか。
世間は醜悪な世界の裏側に蓋をする。
人間の本質が法と秩序ではなく、騙し合いと奪い合い、そして殺し合いであることを必死で隠蔽する。
現実はいつだって残酷だ。
そして表の世界では、耳触りのいい言葉に騙されたお人好し共が搾取される。
むしろ俺がいた国は……少なくとも表向きには道徳を重んじていた分、まだましだったとすら言えるだろう。
救済なんて無い。そんな都合の良い幻想は、初めから信じていない。
本物の弱者に発言権なんて無い。だって、何もできないからこそ、我等は弱者なのだから。
仮に救済を勝ち取るにしても……踏み越えきれない良心が、どうしても枷となる。
未だ胸の内に燻ぶっている怒りや憎悪の暗い炎。
このどす黒い感情を抱えながら、死ぬまで惨めに生きていく。それしか俺たちには許されなかったのだろうか?
疑問と矛盾、理性と感情に蝕まれ、何が正しいのかとっくに分からなくなっていた。
――だがそれでも、星詠みの魔女には賛成できない。
どこまで堕ちても、どれだけ殺しても、どれほど消せない罪を重ねても、ここだけは絶対に譲りたくない。
「誰かを思いやる心。人としての姿。それらを喪失してなお、その幻影に囚われますか……力が無ければ不幸なのに、力を手に入れても幸福になれないなんて。ああ、とっても皮肉ですね!」
星詠みの魔女が煽る。
俺はそれに答える代わりに、冬の世界を轟かす咆哮を上げた。
吹雪を纏う。風に舞う氷の刃を形成する。
冷たい身体に霜が降り、凍てつく鎧が形成される。
そして鎧が完成した時――それが開戦の合図となった。
宵闇の中で、淡い燐光を纏う美しい少女。
彼女の濃紺の髪は星屑を散りばめたように輝く。そのキューティクルは先端に行くにつれ、明るい瑠璃色へとグラデーションし、まるで夜明け前の空のようだ。
それに対して、俺を映す瞳は真夜中の空のような色である。その奥にはあたかも宇宙を飼っているような、不思議な輝きを宿していた。
非現実的で、不自然なほど完璧な美少女。
それが俺から見た星詠みの魔女だ。
そして……相変わらず、ヒラヒラと痴女めいた魔女でもあった。
これで会うのは二回目になるが、やはり「寒そう」以上の感想が出てこない。
一見すると、その衣装は神聖で厳かな装飾があしらわれている。なのに肝心な胴体部分の布面積がほとんど無い。おかげで、彼女の格好はまるで踊り子か娼婦そのものだ。
少なくとも、彼女の姿を見て聖職者だと思う人間は存在しないだろう。
実際のところ、彼女は俺にとって、最も悪辣な魔女。
なぜなら、この魔女の予言に従った結果、俺は今、血塗れた姿で此処に居るのだから――まあ、俺が直接会ったことがある魔女なんて、“放浪”と“星詠み”の二人だけなのだが。
そして今も、何もかもを失った俺の前にこいつは、嘲笑うようにお出ましってわけである。
とにかく、俺は彼女に対して良い印象を持っていなかった。
「……なんの用だ。今さら此処に、何をしに来た?」
唸り声の混ざった冷たい声音で俺は問い掛ける。
喉の奥がグルルルと、恐ろしい音を奏でた。
もちろん、これが八つ当たりなのは理解している。
過程はどうであれ、この魔女の予言を聞いてどう行動するか……それを最終的に決めたのは、他ならぬ俺自身なのだから。どう足掻こうと、そこだけは言い訳できない。
しかし、それはそれとして……感情は別なのだ。
俺と同じ状況になれば、誰だってこの魔女のふざけた態度に恨みを抱くはずだ。
「つれないですね。用が無ければ、逢いに来てはいけませんか?」
肝が座っているのか鈍感なのか、俺に敵意を向けられてなお、彼女は笑みを崩さない。
まるで歓迎されるのが当たり前……そういった感じの態度である。まったくもって図々しい。
「いつから俺とお前はそんな関係になった? あまり調子に乗ったことを言うと、喰い殺すぞ」
いっそこの場で、そのヘラヘラ笑う顔を潰してしまおうか――そんな想像が脳裏をよぎった。
なお、“喰い殺す”という言葉が自然に口から出た事実については、もはや驚くに値しなかった。
だが、そんな脅し文句も、彼女にとって恐れるべきものではなかったらしい。星詠みの魔女は俺をおちょくるような態度で振る舞い続ける。
「えー、それは困りますね。ステラちゃんは貴方を救済に来たのですから♪」
不機嫌な俺の態度をものともせず、星詠みの魔女はこの期に及んでそんなことをのたまった。
「……救済? 今度は俺に何をさせる気だ?」
またあんな徒労を強制されるのだろうか。勘弁してほしい。
仮にそうでないとしても、こちらは一度痛い目に遭った身である。お前のことは信用できない――言外にその意を込めて、猜疑と不信の目を魔女に向けた。
しかし、星詠みの魔女は俺の視線など意に介さない。それどころか、勝手にどんどん話を進めていく。
「それはもちろん、選んでもらうのですよ――貴方の未来を♪」
そして想像通り、彼女の言う救済とは再び予言を齎すことだった。
その言葉を聞いて、思わず俺は鼻で自嘲ってしまう。
耳に都合の良い予言は、もうウンザリだった。
「選ぶ、だと? 要らん。余計なお世話だ」
そもそも、この状況からどんな未来が期待できる?
考えるのも馬鹿馬鹿しい。
俺は忌まわしき魔女に牙を剥いた。
「どうせ碌な選択肢なんてありはしない。何時だって俺は、他人の都合で生きてきた。その結果がこれだ!」
俺は恐ろしい獣の姿を見せつける。
さあ、ご覧あそばせ。
これが放浪の魔女に呪われ、鎖の魔女に利用され、星詠みの魔女に踊らされた、哀れな男の末路だ。
身の程を過ぎた力に振り回され、何一つ得られなかった間抜けの姿だ。
これ以上他人の都合に振り回されるなんて、冗談じゃない!
「だが俺は力を手に入れた! もう俺は、何者にも従ってやるつもりはない。さあ、消えろ。俺の前から! 二度とそのヘラヘラにやけた面を見せるんじゃねえ!!」
俺は怒りに任せて言い放ってやった。
その叫びは咆哮のように、冷たい大気を震わせた。
暗い枯れ木の森の中、雪の欠片がちらちらと舞い落ちる。
冬に呪われた世界は今宵も寒く、雪雲に埋め尽くされた空は星屑を必要としない。
生臭く香る鮮血だけが、この世界に許可された彩りだ。
しかし、目の前で恐ろしい魔獣が咆えたにもかかわらず、星詠みの魔女は挑発するように問い掛けてくる。
「……おやぁ? では貴方は、この結末に満足しているのですか?」
知らぬ間に俺の近くまで歩み寄っていた星詠みの魔女。俺はその馴れ馴れしさを不快に感じた。
「ステラちゃんの思い違いでなければ、とてもそうは見えません。不思議ですねえ? 今の貴方なら大抵のことはできるでしょうに。いったい何が不満なのですか?」
「聞こえなかったのか? 俺は消えろと言ったんだ!」
「貴方の胸を満たすのに、足りないモノは何ですか? 欲しいモノは何ですか? 何が手に入れば満足できますか? 食べ物? 財宝? 美女? 奴隷? それとも……」
列挙しながら、ハッと何かを閃いたような顔をする星詠みの魔女。そして演技っぽく身体をくねらせる。
「ち・な・み・にぃ、美女をお求めなら……ここに可愛いステラちゃんがいますよ♪」
そう言うと、彼女は自分を指しながらパチンッ☆ とウインクした。
ここでイラッとしたのは、俺が特別に短気だったせいではないだろう。
いい加減この魔女が鬱陶しくなった俺は、あわよくば骨ごとへし折るつもりで腕を薙ぎ払う。
だが、星詠みの魔女は、その攻撃をひょいっと軽快な動作で避けた。
「あらら、お気に召しませんでしたか……分かってましたけど、なーんか地味にショックです」
不満気な顔で、星詠みの魔女はひらりと身を翻す。そして重力を感じさせないステップを踏みながら、今度は森の向こう――おそらく外の世界がある方角を指し示し、突拍子もないことを言い出した。
「それなら、ちょっと近くの町へ略奪にでも行きましょうか! この付近にある町ではあまり期待できませんが、それでも食べ物と奴隷くらいなら手に入りますよ♪」
俺は唖然とする。その発想はなかった。
……いや、どうしてそうなる?
俺が思っていた以上に、この魔女は頭かおかしいみたいだ。
それとも自分の耳がおかしくなったのか。その可能性も疑いつつ、ゆっくりと俺は魔女のほうを振り向く。
「当然人々は貴方を恨むでしょう。ですが、不死身で絶対的な力を持つ貴方なら、そんな有象無象を気にする必要はありませんよね?」
……どうやら聞き違いではないらしい。
だが大前提として、俺はもう略奪なんかする必要性が無い。
今さら金や食い物に用は無いし、敵対しているわけでもない雑魚には興味が無いからだ。
第一、今まで俺がそんな野蛮なことを、一度でも望んだか? 他人が勝手に、俺の願望を決めつけるな。
本当に訳が分からない。
そのトチ狂った結論に至る論理の飛躍が、俺には理解できなかった。
「ホラホラ、どうしました? なぜ動かないんです?」
急かす星詠みの魔女。はたしてこの女は、俺が喜び勇んで略奪に向かうと、本気で思っているのだろうか? もはや俺は頭痛すら感じていた。
「……なあ。お前はいったい、何を言っているんだ?」
「あれ? ステラちゃん、なにか変なこと言ってます? だって――」
問われた彼女は再び俺に歩み寄り、言葉を溜める。
「――それこそが貴方の言っていた、“力こそ正義”なのですから♪」
そして星詠みの魔女は、俺を小馬鹿にするように微笑んだ。
……ああ、そうか。そういうことか。なるほど、やっと分かった。
俺は今、このキチガイ女から侮辱されているんだ。
――その時、俺の中で何かが静かに切れた。
もしかすると、初めから俺がそんな奴だと思われていたのかもしれない。
いずれにせよ、屈辱だ。律儀に付き合ってやったのが間違いだった。
よし、殺そう。
見下してくる相手に慈悲は要らない。俺に逆らう者は極刑だ。俺を無礼てくる奴らは皆殺しだ。
それに、魔獣をけしかけて無関係な人間を襲わせようとする邪悪な魔女なんて、どう考えても生かしておく価値は無い。
敵は殺す。気に食わない悪党も殺す。
俺はもう、日和らない。躊躇しない。
敵は全て殺せ。
俺を不快にさせる全てを消せ。
それこそが俺の救われる、唯一無二の方法。
自分以外の誰も居ない冬の世界。其処だけが、俺に許された最後の牢獄。
俺は前脚を踏み鳴らし、雪に覆われた大地へ命令を下した。
――星詠みの魔女の足元から鋭い氷錐が、槍を突き刺すように生えてくる。
今度は明確な殺意を孕んだ一撃。
さらに俺は全身を鞭のようにしならせ、大剣に見立てた尾で追撃した。
刺々しい尾は氷の槍ごと、串刺しの魔女が居るはずの場所を一掃する。
しかし、尾が通り過ぎた跡に残っていたのは、砕けた氷の塊だけ。
そこに星を詠む魔女の死体は無かった。
「お怒りですか? でも、なぜお怒りになるのです? ステラちゃんは貴方の意を汲んであげたのですよ?」
背後から声がする。
俺は振り返らず氷柱を飛ばす。
氷が突き刺さる音に、砕ける音。ただし手応えは特にない。
「矛盾してますね。“力こそ正義”なんて掲げながら、それを執行することは拒むなんて」
そんなの当然だ。
別に俺は世界一の金持ちになりたいわけじゃなく、誰かの幸福を踏み躙ってまですごく欲しいものがあるわけでもなかった。
ただ誰も居ない深夜のオフィスで、せいぜい百数十円のコーヒーを買うのに躊躇する……そんな生活を辞めたかっただけなのだ。
昼は牛丼や安いラーメン、夜は仕事が早く終われば自炊で遅くなったらコンビニ飯。
子供の頃は社会人になれば二千円のランチを平気で食えるものだと思っていた。旅行にも、いつだっていけると思っていた。
もっと言えば、大人になれば普通に働いて、自然に好きな人ができて、人並みに家庭を持って……それが当たり前だと思っていた。
それなのに、生まれてからずっと景気が悪いままで、胃に穴が開くほど働いてもこんなに未来が貧しいなんて、誰が想像できただろうか。
世間は醜悪な世界の裏側に蓋をする。
人間の本質が法と秩序ではなく、騙し合いと奪い合い、そして殺し合いであることを必死で隠蔽する。
現実はいつだって残酷だ。
そして表の世界では、耳触りのいい言葉に騙されたお人好し共が搾取される。
むしろ俺がいた国は……少なくとも表向きには道徳を重んじていた分、まだましだったとすら言えるだろう。
救済なんて無い。そんな都合の良い幻想は、初めから信じていない。
本物の弱者に発言権なんて無い。だって、何もできないからこそ、我等は弱者なのだから。
仮に救済を勝ち取るにしても……踏み越えきれない良心が、どうしても枷となる。
未だ胸の内に燻ぶっている怒りや憎悪の暗い炎。
このどす黒い感情を抱えながら、死ぬまで惨めに生きていく。それしか俺たちには許されなかったのだろうか?
疑問と矛盾、理性と感情に蝕まれ、何が正しいのかとっくに分からなくなっていた。
――だがそれでも、星詠みの魔女には賛成できない。
どこまで堕ちても、どれだけ殺しても、どれほど消せない罪を重ねても、ここだけは絶対に譲りたくない。
「誰かを思いやる心。人としての姿。それらを喪失してなお、その幻影に囚われますか……力が無ければ不幸なのに、力を手に入れても幸福になれないなんて。ああ、とっても皮肉ですね!」
星詠みの魔女が煽る。
俺はそれに答える代わりに、冬の世界を轟かす咆哮を上げた。
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