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23. とうとう集落での生活が始まりましたわ

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「おっはよー!」
「……マーサ? もう朝ですの?」
「お嬢! 寝ぼけてないで起きなよ!」

 貴族の朝は遅い。
 しかし、この集落に来て初めての朝はジャンの大声で起こされたのであった。

「ジャン? 申し訳ありません。寝ぼけておりました……。はっ! 朝食の支度を……!」
「もうキリアンが作ってたよ。さっ、食べに行こう」

 ジュリエットは青褪めながらも身支度をと、急ぎ手櫛でローズピンクの長い髪を簡単に整えてから夜着に手を掛けた。

「ジャン……、着替えますから先にお部屋を出て行ってくださいませんか?」
「あ、ああ! そりゃそうだね! じゃ、すぐに来てよ」

 扉から出て行ったジャンを見届けてから、ジュリエットは夜着のボタンに手をかける。
 着替えを一人でするのも滅多にないことであったが、とにかく行かなければと早る気持ちを抑えながら町娘の着るような簡素なワンピースへと着替えた。



「お待たせいたしました。キリアン様、起きるのが遅くなってしまい申し訳ありません」

 しょんぼりとした様子のジュリエットが台所にいるキリアンの背中へと声を掛ける。

「貴族の朝は遅いもんなんだろ? これからは外が明るくなる前に起きなきゃな」

 意外にも口元に笑みを浮かべて答えたキリアンに、ジュリエットはホッと肩の力を抜いた。

「お嬢、慣れるまでは仕方ないよ。まあ今日はキリアンの作った朝メシでも食べようぜ」

 早くから椅子に腰掛けたジャンは、明るい声でジュリエットを励ました。
 そして隣の椅子の背をパンパンと叩いてジュリエットを呼んでいるようだ。

「キリアン様、もうお手伝いすることはありませんか?」
「まあいいから座ってろ」

 そう言われて素直にジャンの隣の椅子に腰掛けると、キリアンが机の上にパンとスープを運んできた。
 ジュリエットが邸で食べていた物と違って、パンは見た目から硬めの物で茶色味がかった色をしている。

 一つの机に三つの椅子が並べられた食卓で、三人での朝食となった。
 昨日は二個しか椅子がなかったから、ジャンが一つ持って来たようだ。

「あんた、こんなパン食ったことないだろ?」
「確かに初めてですけれど、麦の風味が濃くて噛み締めがあって美味しいですわ」
「貴族は毎日白くて柔らかいパンなんだよねー? ふわふわで美味しいんだよなあ」

 ジュリエットは文句一つ言わずに笑顔でパンとスープを完食した。
 その所作はとても美しく気品があって、硬くて茶色いパンとただの野菜スープが高貴な食事に見えるのだから不思議である。

「今日のご予定は?」

 ジュリエットはキリアンとジャンに向けて問うた。
 まだこの集落に来たばかりで、一日の流れさえ把握していないのだ。

「俺たちは仕事があるから夕方までは帰らない。あんたは今からこの集落の女衆のまとめ役のところに連れて行くから、そこで女たちの仕事を色々教えてもらえ」
「はい。承知いたしました」

 食後に家の裏の井戸端で食器を洗う際にまだ顔を洗っていなかったことに気づいたジュリエットは、ついでとばかりにこっそりと井戸水で顔を洗った。
 そして、化粧などはする暇もないままにキリアンとジャンに連れ出されたのであった。

 三人が家を出て少し歩けば、昨日集落に来た時と同じように道端で子どもが遊んでいたり女たちが家事をしたりしている。
 男たちはどこかに出かける様子で、慌ただしい雰囲気だ。

 やがて少し大きな木造の建物が見えてきたかと思えば、さっさとキリアンが中に入って声を掛けている。

「おーい! アン!」

 ジャンとジュリエットも続いて中に入れば、そこはまるで家具の工房のようなところであった。
 奥から誰かが歩いてくる。

「なんだよ! 朝から騒がしいね!」

 アンと呼ばれたのは、ブルネット色のまとめ髪を頭巾で覆い、恰幅が良くシンプルなワンピースに白いエプロンを付けている気の強そうな中年の女であった。
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