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12. ざわつく心
しおりを挟む――礼司さんと結婚してから、今日でひと月。
仮初めの妻としてどこまで踏み込んでいいのか頭を悩ませつつ、礼司さんの生活に合わせた家事には随分と慣れてきている。
昨日の夜、食事の後に礼司さんが「明日の夜は外で食べようか」と言った。
このひと月、いくら仕事で遅くに帰って来ても、礼司さんはうちで私の作った夕食を食べてくれたのに。
急に外食しようと言うから、どうしたのかなと思っていたら、どうやら知り合いのお店に顔を出したいようで……。
そして今日――十八時に、礼司さんの会社近くにあるカフェで待ち合わせをしている。
礼司さんからは、一度マンションに帰って私を迎えに来てから行こうと言われたけれど、そのお店はマンションと反対方向にあるので、私がこちらに出向くことにしたのだ。
(服……変じゃないかな。礼司さん、付き合っていた時に、こんな感じのワンピースを似合うって言ってくれたから、昼間に新調したんだけど)
早めに家事を終わらせ、今日は久しぶりに服を買いに出掛けていた。
かつて礼司さんが似合うと言ってくれた服と同じ色――ダスティピンク色のワンピースを見つけ、即決してしまった。
丈は長め、袖とデコルテ部分には繊細なレースが入っていて、上品に肌を隠してくれる。どんな所で食事をするか分からないけれど、これなら派手過ぎないし、大丈夫だろうと思ったのだ。
少し早めの時間に着いたカフェは、平日のせいか人もまばらだった。小さな焼き菓子と紅茶を頼み、私は窓際の席でぼんやり外を眺める。
(どんなお店かな……)
そんなこと、昨夜尋ねれば良かったのに、急に誘われたので頭がいっぱいで、つい聞きそびれてしまった。
ふと視界の隅に、見覚えのある姿が入ってくる。長い髪をすっきりまとめた女性。
その洗練された立ち姿に、思わず背筋が伸びた。
礼司さんに秘書――小日向美咲さんだ。
「……あら、奥様」
笑みを浮かべ、彼女は私の席へと迷いなく歩み寄ってくる。
「こんなところでお会いするなんて。奇遇ですね」
「小日向さん……こんばんは」
「先日も思いましたけれど、奥様のお召し物、とても愛らしくてよくお似合いです。私にはそういった洋服が似合わなくて。羨ましいですわ」
「ありがとうございます」
褒められているのに、気まずい。ストンと落ちかけた沈黙を埋めるように、私は微笑んでから言葉を続ける。
「私は、小日向さんのようにかっこいい女性に憧れます」
仕事帰りだというのに、メイクも髪型も一切乱れていない小日向さんがあまりにもキラキラと眩しく見えて、真っ直ぐ顔を見られない。
「ふふ……ありがとうございます。今日、副社長は私よりも先に退社されましたが……」
「……そうなんですね」
つい口をついて出た曖昧な返事に、小日向さんが素早く店内を見渡す。その際彼女のキリッとした目元が、僅かに細められた。
「ご一緒では……ないんですね」
確認するような言葉に、どこか『自らの勝ち』を確認するような目の動きがあったのは、私の気のせいだろうか。
小日向さんを前にすると、なぜか私はとても嫌な人間になったような気がしてしまう。
「それにしても……」
彼女は残り半分ほど紅茶が残った私のカップをちらりと見て、落ち着いた声で言う。
「副社長とは、奥様のお祖父様がお決めになった政略結婚、と伺いました。今どきそんな古風なことがあるなんて……一般人の私とは別世界の話で、驚きましたわ」
小日向さんが私と礼司さんの結婚の経緯を知っているということに、大きく動揺してしまう。
流石に契約結婚というのは知らないようだけれど、礼司さんが彼女に話したのかと考えるだけで、胸がツキンと痛む気がした。
「いえ……祖父はまだしも、私自身は一般家庭育ちの人間ですから、今回のお話は身に余るものだと思っています」
一般家庭育ち――そう口にしたものの、半分は嘘だ。
本当は幼い頃に父が不倫し離婚、父と駆け落ち同然で野々宮の家を飛び出していた母は、シングルマザーとして苦労を重ねて私を育ててくれたのだ。
(おじいちゃんは私の存在をきっかけに、一度は絶縁したお母さんを許したと言っていたけど……)
野々宮の祖父がたまたま力を持った人だっただけで、私自身が何かを成し遂げたわけじゃない。
「奥様ったら、謙遜がお上手ですね。たとえそうだとしても、ずっと昔から恋愛結婚に憧れている私には到底想像もできない世界ですし、副社長のような方がお相手でしたら、幸運ですわ」
その声色は、あくまで柔らかかった。けれど言葉の一つひとつに含まれる熱量は、氷のように冷たい気がする。
「そうですよね。本当に……」
「でも副社長、ちょっと変わった一面があって、有能な人間には厳しいんです。出来が良くない人間にほど、優しくするんですよ。だから私も、『優しくされないように気をつけないと』って思っているんです」
(……分かってる。私がここにいることは、礼司さんの妻でいることは、とても不自然で、滑稽なんだって)
言い返す言葉なんて、何もなかった。ただ視線を逸らして、冷めかけた紅茶に口をつけることで動揺を誤魔化す。
砂糖は入れていない。だけど、さっきまでよりも随分苦く感じた。
「私、奥様とは違って副社長の『仕事の顔』だけを隣で長く見てきましたから。だからこそ、分かるんです」
何を? そう尋ねるのが怖かった。
――そんな時、店のドアが開く音がする。店員の「いらっしゃいませ」の声と共に、表の通りのざわめきが耳に流れ込んできた。
「静香」
低く、落ち着いた声。振り返ると、礼司さんがゆっくりとこちらへ近付いてきているところだった。
「すまない。待たせたか?」
「いえ……」
そう言った瞬間、隣に立った彼の手が、さりげなく私の肩に触れる。ごく自然に。けれど――どこか、強い『意志』を感じさせるような触れ方だった。
「……小日向さん。偶然だな」
「ええ、副社長。たまたま立ち寄ったら奥様と一緒になったんです」
小日向さんはいつも通りの完璧な微笑みを浮かべていた。
けれどその時、彼女の視線が一瞬だけ――私の肩に置かれた礼司さんの手を見て、形の良い眉をぴくりと動かしたのを見てしまう。
「静香、行こう」
「はい」
微笑みを浮かべ、返事を返す。私を見る礼司さんの眼差しは、静かだった。
けれど私の背中をそっと支える掌に、微かな『熱』が宿っている気がして戸惑う。
(……もしかして、聞こえてた? それとも、勘付いている?)
私と小日向さんの間に、どんな会話がなされていて、どんな空気が流れていたのか。彼がそのすべてを察していたとは思えない。
だけど――小日向さんに話しかけた時の礼司さんの、ほんの一瞬の沈黙と、彼女に向けた少しだけ長い眼差し。あれは、ただの偶然だったのか。それとも――
「小日向さん、お話出来て楽しかったです」
これ以上声に出せば何かが壊れてしまいそうで、私はそっと頭を下げた。
(もし……礼司さんが気付いてたのなら、それだけで十分)
私の背に置かれた手がたまらなく優しくて。たまらなく、苦しかった。
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