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14. 再会は苦しさと共に
しおりを挟む「ん……」
ふと気付けば、アネットは遠く懐かしい空気に包まれていた。それは草や木々の青々とした爽やかな香りや、花の甘い匂い。そして清々しく元気な土の香り。
それらは沈んでいたアネットの意識を一気に浮上させ、覚醒させた。
何気なく瞼を持ち上げてみたものの、周囲の眩しさにとても目が開けていられない。
三年間ずっと薄暗く窓ひとつない部屋に監禁されていたせいで、陽の光が突き刺さるように痛く感じる。
未だどこかふわふわとした所に寝そべったままのアネットは思わず両手で自分の両目を覆った。
「目が覚めたのか? お前、随分と長く眠っていたぞ」
それは、まだアネットが森で住んでいた頃、何気ない言葉だとしても聞くのが嬉しくて楽しみだったラウルの声。あの頃より少しだけ低くなったけれど、ぶっきらぼうな話し方は変わらない。
夢に見た事はあっても、もう二度と聞けないと思っていた、大好きな声だった。
あのラウルが、近くにいる。
「ぁ……」
アネットはぎゅっと目を瞑り、目を覆っていた両手を離し、そろそろと瞼を上げてみる。やはり刺すような眩しさに思わず顔を顰めたが、それでもゆっくりと慣らしていけば、視界が徐々に開けていった。
ぎらつく視界で確認出来たのは、アネットは今そう広くはない室内に居るということ。
「ずっとあんな暗い所で居たとすれば、この明るさは毒か」
そう言ってラウルの声は遠ざかっていく。アネットは心細くなって、思わずそちらへ手を伸ばす。
窓際に近付くラウルの背中がぼんやりと見えてきた。記憶の中よりも、ラウルの背中は随分と広くなった気がする。
シャッと鋭い音がして、室内がほんの少し薄暗くなった。ラウルが室内のカーテンを閉じたのだ。部屋に窓は一つしかない。
アネットは陽の光が遮られた事ですぐに視界がはっきりとしてくる。公爵の屋敷で見た時には鼻と口元を覆っていた布は外されている。
おかげでアネットはラウルの顔や表情を、自分の目でしっかりと確認出来た。
アネットはラウルに自分が森の中で出会ったあのマリアだとすぐにでも伝えたかったが、そうする事で約束を守らなかった事を責められるのが怖くなった。
もしも嫌われていたら? あの時の事を楽しい思い出として捉えているのが自分だけだったとしたら?
これまでも辛い事もたくさんあったけれど、ラウルに嫌われる事だけは自分の心が堪えられそうになかった。
どうせまともに話せるほど声は出ないと分かっていても、アネットは唇を噛み、すっかり口を噤んでしまう。
「お前に聞きたい事がある。公爵は何を企んでいた? アイツの情婦なら知っているだろう?」
公爵の屋敷で来ていた夜着のまま、寝台の上で座り込むアネットのそばへ、ラウルが大股で近付く。焦りのようなものも含まれるその表情は厳しく、どこか冷たさを感じさせるものだった。
「教えろ。アイツはお前にどんな事を話した?」
アネットにはラウルに聞かれている事の意味が分からない。公爵がアネットに話した事とはどのような事についてだろうか。
声も出せず、どうしたら良いか分からずに口を噤んだアネットを見て、ラウルは苛立ちを隠さない。
未だ混乱の最中にあるアネットはそんなラウルを前にして、余計に戸惑ってしまうのだった。
「……だんまりか」
違う、声が出せないのだと伝えたいのに、カラカラに乾いた喉は唾液さえ枯れてしまったようだ。
「昔から女嫌いだったはずのアイツが塔に女を囲っているとは、あの老婆に話を聞いてからも到底信じられなかったが……」
ラウルの冷ややかな眼差しがアネットを貫いた。至近距離で見つめ合う二人だったが、ラウルの瞳には昔アネットに見せてくれた優しさなど見られない。
「これほど美しい女なら、アイツの嗜好が変わってもおかしくはない……か」
美しいというのは褒め言葉だと、アネットは本で学んでいた。本の中の姫君に向かって王子が美しいと何度も口にするとか、そういう場面を幾度も読んだからだ。
恋焦がれた相手にそう言われ、アネットは思わず頬を紅色に染める。ラウルはそんなアネットの様子を何故か冷たく見下ろす。
「ウブな女の真似事か? 公爵には効果的だとしても、俺には効かない。それにしても皮肉だな。お前の持つその白金の髪色は、俺にとって一番嫌な思い出の色味だ」
そう冷笑するラウルにアネットはハッとして、遅れて胸がズキリと痛んだ。きっと約束を破った自分の事だと直感したからだ。
やはり自分はラウルに嫌われていたのだと知り、声が出ないおかげでマリアだと名乗れなくて良かったとさえ思う。
「その髪色を見ていると、いやにざわついて仕方がない。お前と森のあの子は似ても似つかない瞳の色をしているのに、不思議なもんだ」
やはり……ラウルの言う相手は、森の小屋で住むマリアを名乗っていたアネットの事だった。
アネットの瞳は昼と夜とで色味が変わる。陽の光がある今は深い森のような青緑色をしているが、ランプや蝋燭の灯りの下では赤紫色に変化するという性質を持っていた。
森でのアネットはランプを片手にラウルに会っていた。だからラウルは瞳が赤紫色のアネットしか知らないのだ。
そして今のアネットの瞳は青緑色をしている。瞳の色が昼と夜まで変わるというのは今この世界ではアネットにしか見られない特徴なので、分からなくても無理のない事だった。
「いいか、俺は公爵を心から憎んでいる。だからお前にとって酷い事だとしても、アイツの企みを必ず聞き出すつもりだ。情婦なら何か知っているだろう?」
そう言って、ラウルはアネットの胸元へと視線を下ろした。アネットも思わずその視線を追ってみると、乱れた夜着から公爵が付けた歯形の紫斑が覗いている。
ラウルはそこへ手を伸ばし、夜着を引っ張ると歯形の部分をすっかり露わにした。傷は閉じたものの、はっきりとした傷跡はまだ残っている。
「よほどアイツから執着されているようだな。そんなお前を俺が抱けば、アイツはどう思うだろうか。なぁ、黙っていないで何とか言ってみろ」
「ぁ……」
ここでアネットの口から掠れた声がわずかに漏れ出した。ラウルの指先がアネットの身体にほんの少し触れただけなのに、アネットは感じた事が無い衝動に駆られる。
ずっと会いたかった人に触れられた事が嬉しくて、辛かった日々の思いが一気に溢れた。
離れがたい気持ちと恋しい気持ちが湧き上がり、自らの胸元に触れるラウルの手に、無意識に自分の手を重ねてしまったのだった。
「……おい、何をする」
思いがけないアネットの反応にラウルも驚いたようで、ふと昔のような取り繕わない表情を見せる。アネットはすぐ近くにあるラウルの濡れ羽色の瞳をじっと覗き込んだ。
成長はしたものの、昔と変わらないラウルが再び自分のこんなに近くに居る事がまだ信じられなくて、まるで蝶々が花の甘い誘惑に吸い寄せられるかのように、ラウルの黒髪に触れる。
アネットにしてみれば、本当にそこに存在しているのかどうかを確かめるつもりだった。
けれども次の瞬間、アネットは勢いよく寝台の上に押し倒され、冷えた表情のラウルによって組み伏せられてしまう。
「アイツの元を離れたからって、次は俺を誘惑するつもりか?」
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