身代わり王女の受難~死に損なったら、イケメン屋敷のメイドになりました~

茂栖 もす

文字の大きさ
6 / 89
始まりは王女の名で

ほんの少しの小休止とあの晩の追想

しおりを挟む
 それから数日後、よく晴れた日の午後。


 ゆっくりとなら歩けるようになった私は、部屋に繋がっているテラスの椅子に腰掛け、ぼんやりと庭を眺めている………というのが表向きで、そろそろここからお暇しようと逃走ルートを確認していた。

 今更だけど私の部屋は屋敷の二階にあり、まず庭まで誰にも気付かれないように抜け出せるかが難題だ。近いうちに、散歩と偽って屋敷の間取りも把握したい。

 そんなことを考えながら、少し身体をずらして見下ろせば、そこからは、ぐるりと屋敷を囲むように広い庭が見えた。きっと、どの部屋からでも四季が堪能できる設計となっているのだろう。ちなみに私がいるのは《春の間》。今の時期、一番眺めの良い場所でもある。

 この春の庭の中央には東洋の【桜】と呼ばれる木があり、もう既にちらほらと花を咲かせている。アスラリア国にも王城の庭園にこの木が植えられていた。珍しい木なので、王城でも一本しか植えられてなかったのに、ここにあるとは驚きだ。

 不安ばかりのこの屋敷での生活でも、唯一素直に喜べることは、また桜を見ることができたこと。一つ一つは小さくて可愛らしい花でも、満開になると一斉に木を埋め尽くして咲き乱れる姿が大好きで、この季節になると暇を見つけては良く眺めに行ったものだ。

 しかし今この庭は桜も五分咲きで、他の花はまだ硬い蕾のまま。移り変わる途中の静寂に包まれて寂しいもの。

「………静かだなぁ」

 そう呟いた私の声は空に吸い込まれていった。何だかんだと部屋に誰かが訪れるから、気を抜ける時間はほとんどない。ほんの少しだけと自分に言い訳をして、私は一時だけティリア王女から《スラリス》に戻った。肩の力を抜き、背もたれに身を沈めながら庭を眺める。
 
 ケイノフもユズリもこの屋敷はアスラリア国からさほど離れていないと言っていた。そう思うと、塀の向こうに見える山々は、アスラリア国から見えていたものと同じような気がする。

 そんなことをぼんやりと考えていたら、風に乗ってふわりと桜の香りが漂って来た。5分咲きの桜でも香りは既に満開のようだ。

 ───ああ、懐かしい。毎年この桜の木か満開になると、春のお祭りが近くて、皆がそわそわしていた。

 例えお休みを貰えなくても、王城の一部を一般開放されるから賑わいを増すし、お祭りが終われば慰労会と称して、深夜にこっそり使用人だけのパーティーを開いて貰えた。

 調子はずれの音楽に、料理長が有り合わせで作ってくれた大皿料理に、皆の弾けるような笑い声。そして手と手を取り合って、ステップなんか適当に皆でダンスを踊った。

 その楽しかった光景を思い出しながら私は、アスラリア国が滅びた晩であり、レナザードに助け出されたあの瞬間を思い出していた。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 あの日、ティリア王女の身代わりとして私が独り残された部屋で思ったのは、ただ一つ。『無』に戻る瞬間は、なんて静寂なのだろう、と。

 毎日、精魂込めて磨いた窓も、丹念に吹き上げた廊下も何もかもが焼け落ちてしまって、その価値も手入れをしていた時間も全てがなかったものとなっていく。

 そんな虚しさで心が押しつぶされそうになる中、紅蓮の炎に染まる部屋で、私は両手に抱えているものをじっと見つめた。
 
 私の手にあるのは、毒と短剣。どちらもティリア王女の代わりに自害するためにあるもの。少し悩んで薬瓶の蓋を開けてみる。

「っうわ、くさっ」

 つんとした刺激臭に鼻腔を刺されてしまい、慌てて瓶の蓋を締める。……恐ろしいほどに臭かった。部屋中に充満する焼け焦げた匂いを凌駕するこの刺激臭は今まで嗅いだことが無いものだった。なぜ、よりにもよってこれを渡したのだろう。ある種の嫌がらせ行為だ。

 正直言ってこれを口に含むのは無理、絶対に無理だ。ということは、残る選択肢は一つしかない。深い溜息を付いて私は、静かに短剣の鞘を抜いた。

 短剣は鞘を抜いた瞬間、きらりと炎を反射し刃は瞬時に紅色に染まった。それは美しいものだった。鞘にも柄にも国花であるウィステリアの花を忠実に模写して、花びら一枚一枚が今にも風に吹かれ揺らめきそうな程に。

 鞘を抜き、刃を見た瞬間、心は決まった。

「お別れだね、みんな」

 せめてメイド仲間が無事に生き延びてくれることを祈りつつ、静かに別れを告げた。

 別れの言葉を紡いだ瞬間、私の脳裏に、今まで共に過ごしてきた仲間や色褪せてしまったかつての家族が鮮やかに蘇った。でももう二度と、彼らに逢うことは叶わないのだ。

 じわりと目の端に涙が浮かぶ。それに気付かないフリをして、脈打つ首筋に手を当て位置を確認すると、今度は勢い良く短剣を振り上げた。その時───、

「っ痛……───……え?」

 喉元に突きたてようとした短剣を掴む腕を、背後から誰かがものすごい力で掴み上げた。あまりの痛みに短剣を離した瞬間、私は誰かに体が軋むほど強く抱しめられてしまった。

「……何も言うな」

 背後から抱きしめられているせいで、声の主は男という以外何もわからない。そう、敵か味方かも。

「ずっと貴女を探していた。無事でなによりだ」

 吐息のように擦れた低い声が、私の頭上から降り注ぐ。
 その声はまるで媚薬のようで、さっきまで火の粉に煽られていた、手足の焼ける痛みが消えていく。

 不思議なことがあるものだ。こんな状況で、自分を助けてくれる人などいるはずがないのに。そんなことを考えながら身体を捻って顔の見えない男の頬に手を伸ばす。けれども、あと僅かなのに指が届かない。

 その時合点がいった。あぁそっかそっか、私、夢を見ているんだ、と。そう思った途端、意識が遠のいていった。 


 そして一介のメイドであった私は、無事に王女の身代わりという大役を果たして、一人お城と共に業火に焼かれました………とはいかず、どういう訳か助け出されてしまい、三食昼寝付きの生活を送っている。


 人生万事塞翁が馬という諺があるけれど……本当に人生何があるかわからないものだ。
しおりを挟む
感想 20

あなたにおすすめの小説

【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!

satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。 働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。 早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。 そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。 大丈夫なのかなぁ?

黒騎士団の娼婦

イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。 異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。 頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。 煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。 誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。 「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」 ※本作はAIとの共同制作作品です。 ※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。

男に間違えられる私は女嫌いの冷徹若社長に溺愛される

山口三
恋愛
「俺と結婚してほしい」  出会ってまだ何時間も経っていない相手から沙耶(さや)は告白された・・・のでは無く契約結婚の提案だった。旅先で危ない所を助けられた沙耶は契約結婚を申し出られたのだ。相手は五瀬馨(いつせかおる)彼は国内でも有数の巨大企業、五瀬グループの若き社長だった。沙耶は自分の夢を追いかける資金を得る為、養女として窮屈な暮らしを強いられている今の家から脱出する為にもこの提案を受ける事にする。  冷酷で女嫌いの社長とお人好しの沙耶。二人の契約結婚の行方は?  

イケメン警視、アルバイトで雇った恋人役を溺愛する。

楠ノ木雫
恋愛
 蒸発した母の借金を擦り付けられた主人公瑠奈は、お見合い代行のアルバイトを受けた。だが、そのお見合い相手、矢野湊に借金の事を見破られ3ヶ月間恋人役を務めるアルバイトを提案された。瑠奈はその報酬に飛びついたが……

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました

専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。

兄みたいな騎士団長の愛が実は重すぎでした

鳥花風星
恋愛
代々騎士団寮の寮母を務める家に生まれたレティシアは、若くして騎士団の一つである「群青の騎士団」の寮母になり、 幼少の頃から仲の良い騎士団長のアスールは、そんなレティシアを陰からずっと見守っていた。レティシアにとってアスールは兄のような存在だが、次第に兄としてだけではない思いを持ちはじめてしまう。 アスールにとってもレティシアは妹のような存在というだけではないようで……。兄としてしか思われていないと思っているアスールはレティシアへの思いを拗らせながらどんどん膨らませていく。 すれ違う恋心、アスールとライバルの心理戦。拗らせ溺愛が激しい、じれじれだけどハッピーエンドです。 ☆他投稿サイトにも掲載しています。 ☆番外編はアスールの同僚ノアールがメインの話になっています。

辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました

腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。 しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。

処理中です...